80日間宇宙一周

田代剛大

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第二章 希望の海――Sea of hope

14日目

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政府は帆であり、国民は風であり、国家は船であり、時代は海である。
                       ――カール・ルートヴィヒ・ベルネ

海はわれわれを分かつのではなく一つにしてくれる。
                           ――ミクロネシア連邦憲法前文

人が天使であったなら、政府など必要ない。
                   ――ジェイムズ・マディソン



黒く濁った大渦は、耳をつんざくばかりの轟音を響かせ、私の船に襲い掛かった。

この強烈な嵐の中では、羅針盤は役に立たない。雨が甲板を叩きつけ、波が船体を大きく揺らす。

もはやどちらが天地かさえわからない。

私は渦の中心で、何かが蠢き、光っているのに気づいた。嵐の轟音の中でも耳につく、気味の悪い等間隔の音も、そこから聞こえてくる。

私は戦慄した。なんて巨大なんだ!

海の魔物・・・クラーケンは実在したのだ。

怪物は、我がオケアノス号を海中に沈めんばかりに、その長大な腕をマストに巻きつけ、恐るべき力で引っ張り出した。

私はマストによじ登ると、クラーケンの皮膚に銛を突き立てた。

海水とともに鮮血を体中に浴びながら、私は2本目の銛を取り、今度は怪物の目に狙いをつけた。
魔物の目はただ虚空を見つめていた。

怒りも恐怖も存在しない冷徹な殺戮機械――

恐ろしかった。

だが、それ以上に私はある種の高揚感を感じていた。

この星で史上最強の生物と私は戦っている。

どれほどの時間が経っただろう。

私はまだ生きている。

イモガイの猛毒がやっと効いたようだ。

怪物は断末魔の咆哮を上げると、重い体を仰け反らせ、へし折ったマストとともに海底へと沈んでいった。

私は勝てるはずのない強大な敵に勝利したのだ。

かつて勇敢な騎士が自分の身をなげうって、洞窟の竜を退治したように・・・

                               ――『海賊青ヒゲの冒険』第14章



これは海王星を救った英雄の話です。

ここは太陽系第8惑星、海王星。

星のほとんどがインディゴブルーの海の星――僕のふるさとです。

この星は僕が生まれるずっと前、大きな隕石が落ちて、陸地から何もかも奪っていきました。

たくさんの人が亡くなり、人々は希望を失っていました。それでも僕はこの星が好きです。



王宮の窓からぼんやりと外を眺めていると、海軍の戦艦や潜水艦が集まってくるのが見えた。

今日もきっと、貧しさに喘ぐ国民たちが抗議に来たんだ。エキサイトして暴力沙汰にならなければいいけれど・・・

僕が住むトライデント城は、海のど真ん中にそびえるキープ形式のお城だ。

サンゴ礁に侵食された城壁の基部には頑丈な桟橋が取り付けられ、国民のみんなは船に乗って、この城にやってくる。

もともとこのお城は海の中ではなく、ちゃんと陸の上に立っていた。

だけれど、海王星の首都アビスは隕石の影響で、気候から海抜から変わってしまって、街はアトランティスのように海中に沈んでしまった。

このお城だけは、二層構造になった高い城壁のおかげで水没することはなかったし、もともと百年戦争で使われていた要塞だったから、とても頑丈に作られていた。

だから津波にも破壊されずに踏ん張れた。

さらに城壁を内部から補強したから、浸水や決壊の心配はなく、城の敷地内は安全に行き来することができる。

その上、城壁に設けられた塔の窓からは、城の外側に広がる海の中の様子を覗くことができて、まるで水族館みたいなんだ。

僕はここで、図鑑を片手に窓を通り過ぎる魚を観察するのが好きなんだ。



「いいですかルヴェリエ王子」

アンヌ先生の声で我に返る。

そうだ、今は帝王学の授業中なんだった。

「また窓の外を眺めていたのね。集中してください」

「ごめんなさい・・・」

家庭教師のアンヌ先生は、中指で神経質そうにメガネを持ち上げた。

アンヌ先生は、40代半ばの美人だけど、ひどく痩せた女性で、常に憂いをたたえた悲しそうな目をしている人だった。

それもそのはず、アンヌ先生の旦那さんはもともと貴族で、彼女も働かなくても優雅に暮らせる身分だった。

しかし20年前の隕石によって、新婚生活をほとんど味わえぬままアンヌ先生は未亡人となってしまった。

教養のある女性が家庭教師やメイドになるのは、大抵こういった事情がある。

でも、アンヌ先生の旦那さんは立派だ。

みんなのために命懸けで、放射線を撒き散らす隕石を処理しに行ったのだから・・・

アンヌ先生は僕の机の周りをゆっくり歩きながら、講義を続けた。

「さて、我が海王星は今もなお多くの問題を抱えています。
ひとつめ。もともと少ない陸地が隕石によって更に減り、多くの民が海上での生活を余儀なくされているということ。
ふたつめ。いくつかの海域は隕石によって汚染されており、国内産業が空洞化し、国民の多くが失業し、飢えていること」

――みっつめ。少ない陸地と物資をめぐって今も争いが続いていること。

よっつめ。国民の王族に対する不満は爆発寸前だということ。

ここらへんの話は、僕はもう本で読んですでに知っている。

王族の当事者としては認めたくないけれど、海王星の民の王族に対しての風当たりはとっても厳しい。

いくらお母さんが偉大な女王でも、宇宙の隕石まではどうにもならなかった。

僕は生まれていなかったけど、20年前あれが落ちてきた時は、僕ら海王星人はひとり残らず絶滅しちゃうんじゃないかって言われていたらしい。

あれから20年、お母さんとアダムス首相は必死に海王星を復興し、なんとかアビス周辺だけは人が暮らせるように海上都市――ニューアビスを再建した。

もともとアビスとは「始まりの海」を差すヘブライ語だ。

だからニューアビスは「再興」といった意味になる。

でも、生きるか死ぬかのギリギリの暮らしをしている人は、今なおたくさんいる。

特に悲惨なのは、海が汚染されてしまったエリアだ。

汚染された海水は、生活用水として利用するにはあまりに危険だし、生物濃縮によってその海域の海産物だって口にすることはできない。

生物濃縮とは生き物の食物連鎖を通じて、汚染物質が蓄積されていく現象のことを言う。

例えば、プランクトン一匹の汚染レベルは微少だとしても、大型の魚はそのプランクトンを何千何万と食べるわけで、となると魚一匹の汚染レベルはプランクトンの数千~数万倍になってしまう。

それを僕ら人間が食べるとなると・・・



また、海抜上昇による陸地不足も深刻だ。

東の海、雫の海、緑の海、静けさの海、生命の海、心の海そして・・・終わりの海・・・海王星の七つの海の中でも、海進が特に顕著なのが緑の海グリーンネストの3つの海域と、静けさの海サイレントシーの二つの広大なエリア・・・これらの海では住民が街を追われ、船の上で生活しているような状況だ。

それに、陸地を失った住民たちが有り合わせの資材で作った仮設バラックはとても脆く、強力な嵐――ガルフストリーム(※1)ではすぐにバラバラになってしまう。

ここはもっと現地に軍隊を送り込んで、しっかりした丈夫な街を作らなければいけない。

でも軍隊のほとんどは、国民たちのクーデターを警戒して、今のようにお城の警備にあたっているのが現状だ。

本当に必要な人のところに、人も物資も行っていない。



問題はまだある。

被災地に救援物資を送るにも、いくつかの海域ではなんと海賊がいるそうなのだ。

よって海軍の人員は、コンテナ船の護衛にも割かれてしまう。

しかし、海賊と言ったら、僕が小さい頃から愛読している児童文学『海賊青ヒゲの冒険』を思い出さずにはいられない。

5歳の頃、この本を最初に読んだ感動は、今でも鮮明に覚えている。

青ヒゲは、七つの海を股にかけ、様々な秘宝を求め冒険をした伝説の大海賊で、圧政に苦しむ弱く貧しい民のために王族の船と戦った義賊でもある。

海のロビンフッドとも言われるのはそのためだ。

この本が出版された当時、王族は海賊をあまりにも美化しすぎていると、出版差し止めを命じたこともあったらしい。

確かに、僕もこの本がお気に入りであるとは、なかなか公言できない。

でも、この海賊青ヒゲこそ、僕らが目指すべき高貴なる義務を体現した人だと思う。

生まれつき高い身分にあるものは、弱い立場のものを守るという責任があるのだ。

だからか、王族も結局この本を規制することはできなかった。



とはいえ、この話にはまだ続きがある。
大きくなった僕は、この本をきっかけに海賊について様々なことを調べたのだが、その結果、現実の海賊たちはずる賢く、はっきり言って高貴なる義務どころか、自分の利益しか考えていない、ならず者たちの犯罪組織だということが分かった。

僕は幻滅した。

当時の王室がこの本を不愉快に思ったのも、しかたがない。

彼らは、復興支援のために海軍の民間船の護衛が少しでも緩くなると、必ず現れてコンテナ船の物資を残らず奪ってしまう。

それどころかコンテナ船ごと持って行ってしまうこともある。

めちゃくちゃだ。

コンテナ船一隻あたりの船員はだいたい20人だという。

それに対して海賊は、海賊船一隻辺り300~500人も乗っていて、時にはそれが船団を組んでやって来る。

ひと桁もふた桁も違う。だから戦っても勝負にならない。

さらに海軍が追いかけようにも、彼らは逃げ足が早く、地図にも載っていないどこかの海域に雲隠れしてしまう。

彼らは一体どこにいるのだろう?

そして彼らには良心はないのだろうか??

彼らこそ『海賊青ヒゲの冒険』を読むべきなのに・・・



まあ、そんなわけで、僕も王族の一人として自分なりに、このような政治的な問題をどうするか、ずっと考え続けていた。

このひと月、お城の図書館で学者の書いた本をたくさん読んで、対応策をいくつかまとめたんだ。

午後の閣議は、僕も参加していいって、お母さんの許可ももらっている。

いよいよ僕も国の役に立てる時が来たんだ。頑張るぞ。

「――以上で今日の授業は終わります。なにかご質問は?」

あれれ、考え事をしていたら授業が終わっちゃったぞ。

先生は、すでにメガネを外しテキストをしまっていた。

「あの・・・ひとつだけいいですか?」

「なんでしょうか?」

「先生は20年前の巨大隕石衝突によって、海王星の海抜は上昇したと言いましたよね」

「ええ」

と、先生が頷いた。

「しかし、なぜ隕石が衝突して、海抜は上昇したんですか?」

「それは先程も説明したとおり、隕石の膨大な熱エネルギーが・・・」

「ネレイド機構ですよね。僕はあの理論はつじつまが合っていないと思うんですよ」

そう言うと、アンヌ先生は露骨に面倒くさそうな顔をした。

プロの学者がそういう仮説を立てているんだから、素人の子どもは余計なことを考えるな、彼女の目はそう言っている。

気象学者の中には、隕石によって大量の海の水が蒸発、それが水蒸気になって、温室効果を促し、海王星の平均気温は上昇、そのために極地域の氷が溶けて、海抜が上がったと考える人もいる。

この一連の流れがネレイド機構だ。

だけど、海王星は表面積のほとんどが海の星だ。

内陸にあった氷河ならともかく、海に浮かぶ氷が溶けたのならば、全体的な体積は減るから海抜はむしろ下降するのではないのだろうか。

僕の質問を受けて、アンヌ先生はメガネを再びかけてテキストをパラパラめくった。

最初先生は僕のためにテキストを調べてくれているのだと思った。だけれど、彼女が開いたのはテキストの奥付だった。

「この人に直接尋ねてくださらない?」



アンヌ先生を見送ると、僕は午後の着替えをしながら、海王星の海抜問題について考え続けた。

はっきり言ってネレイド機構は、この現象の説明には不十分だ。

隕石によって海抜が上がったのには、もっと別の原因があるに違いない。

でもその理由が僕にはさっぱりわからない・・・いずれ時間をかけて研究してみたい。

オウムガイをあしらったカフスボタンを止めて、僕は気持ちを閣議に切り替えることにした。

この時を僕はずっと楽しみにしていたが、いざとなると緊張してきた。

さっきのアンヌ先生みたいな態度を取られないように、しゃしゃり出ないようにしないと・・・

でも、王族の一人として言うべきことは言うつもりだ。

※1:太陽系最強といわれる嵐で、自転とは逆向きに吹き付ける。
最大瞬間風速はマッハ2にもなり、地表付近では大きく減速をするものの、地球上のどのハリケーンよりも甚大な被害を及ぼす。



僕が閣議室に入ると、外から爆発音が聞こえた。

普通だったら、みんな慌てるだろうけど、こんなことはもう日常茶飯事なので慣れたものだ。

お城の人たちは、音の大きさだけで爆発からの大体の距離がわかるのだ。

窓に近づいて、背伸びをして外を見る。

城の外ではやっぱり国民のデモ隊が乗る民間船と、近衛隊の艦隊がにらみ合っていた。

「政府は何をやっているんだ~!」

「雇用を増やせ~」

「おなかすいた~!」

「ジェントリの土地を解放しろ~!」

国民が怒りの声を上げている。

全部正論なのが胸が痛む。

「騒がしいやつらだ」

兄さんのアラゴが椅子に座りながら、窓の方を目にやった。

「なあ、こういう時は窓の近くにはいないほうがいいと思うぜ」

僕は慌てて窓から離れた。

そういえばメイドのマリーが爆風で吹き飛んだガラスの破片で目を怪我したことがあったっけ――

閣議室には、会場の仕度をする世話係やメイドたちを除くと、まだ僕と兄さんしかいなかった。

僕と兄さんはほとんど口をきかない。

それは仲が悪いとかではなくて、どちらも一日のタイムスケジュールがタイトで、会話をする機会がほとんどないのだ。

同じ家族なのに・・・・

まあ、歳が一回り違うっていうのもあるんだけど・・・

長い沈黙――

するとメイドの一人が気を利かせて、「何かお飲み物でも持ってきましょうか?」と僕に尋ねてきた。
僕は彼女にお礼を言うと、これは兄さんに話しかける絶好のチャンスだと思い

「じゃあ、オレンジジュースをお願いします。兄さんもなにか飲みますか?」

と、声をかけた。

アラゴ兄さんは、あらかじめ渡された閣議書類をめくりながら、こちらを振り向こうともせず「いらねえよ」とだけつぶやいた。

・・・・・・。

会話が終わってしまった。

兄は、もともとひねくれた性格だが、今日は特に不機嫌そうだ。

もしかして僕が閣議に出席することに不満があるのだろうか。

「今日はお願いしますね・・・」

僕はもう一度兄に声をかけた。

今度は無視された。

メイドが気まずそうにオレンジジュースを持ってきた。



ほどなくして、閣議室に王族や閣僚たちが集まってきた。

彼らと一緒に僕も席に着いた。

「ルヴェリエ様、ついに閣議デビューですね」

と、隣の席のスペンサー財務大臣が声をかけてくれた。

そうだ、やっと僕も一人前の政治家なんだ・・・

閣議室に最後にやってきて、中央の議長席に座ったのは、僕の母さん、ナイアド女王だ。

仕事をしている母さんを見るのは初めてで、僕はドキドキした。

僕の前ではいつも穏やかで優しいけれど、髪型も着ている服も違う閣議室の母さんには、一国の女王としての威厳と風格があった。

母さんは真剣な表情のまま、僕には一度も目をやらなかった。

政策秘書によって長机に書類が置かれる。

ナイアド女王が手際よく閣議を始めた。

「さてみなさんお集まりいただいたわね。それでは閣議をはじめることとしましょう。
まずはアクエリオス水産大臣から」

席を立ったアクエリオス水産大臣は、額の汗をハンカチで拭きながら、とても言いづらそうに、女王に汚染地域の実態を説明しだした。

「は、お手元の資料にもありますように、いくつかの地方では深刻な食糧危機が起きています。汚染レベルが高すぎて食料生産が不可能だからです。
やはりほかの星から食料を輸入し、それを配給しなければ・・・」

僕は配られた資料をめくった。

そこには何十ページにもわたる膨大な量の統計的なデータが印刷されていた。

これじゃ読むだけでも何日もかかるぞ・・・

そして水産大臣は

「カロリーベースがどう」

とか、いくつか難しい専門的な話をして、汚染地域に必要な食料の試算を出した。

アクエリオス大臣の報告を受けて、スペンサー財務大臣が発言の許可を求めた。

「どうぞ、スペンサー卿」と女王。

「女王陛下、我が国の財政は破綻寸前です。
ポンドはインフレ、他の星から物資を輸入しようにも自国通貨のレートが安すぎて購入することができません」

「それはわかっていますが・・・」

と、ハンカチをたたみながら水産大臣。

スペンサー財務大臣は、向かいのセブンオーシャンズ外務大臣に尋ねた。

「惑星連合へ復興支援の打診はどうなっていますか?」

「それがですなスペンサー卿、惑星連合は追加の食糧支援を打ち切ることにしたのですよ。20年経っても海王星の復興がいっこうに進まないのは、惑星連合の支援が海王星の自立を妨げているからだとね・・・」

「そんなバカな!」

アーチャーフィッシュ復興大臣が声を上げた。

シーゲル科学技術大臣も首を振った。

「隕石による大規模な環境汚染は、少なくとも200年以上は続くのですよ・・・」

シーゲル大臣によれば、隕石が宇宙から運んできた放射性物質の半減期(放射線を出す物質の量が、ちょうど全体の半分になるまでにかかる期間のこと)は、種類によってはとっても長いものがあるそうなのだ。

財務大臣が進言する。

「このままでは我が国の経済は持ちません。やはり増税するしか・・・」

スペンサー大臣の話によれば、増税すれば国民はお金を使うのをさらに節約し、需要が落ち込みデフレが起きて、通貨の価値は相対的に上がるというのだ。

「そんなことすればさらに暴動が起こるぞ、鎮圧する身にもなってくれ」

カッター近衛大臣が親指を立てて、デモが続く窓の方を指した。



「少ない陸地をめぐって争っていたのは、隕石が衝突する前も同じだろ」

兄のアラゴが吐き捨てた。

「アラゴ様・・・」

「金がなければ政治はできねえ。ならば国を立て直すために国民には耐えてもらうしかねえだろ。それが嫌な奴は、国外に亡命でもなんでもすればいいんだ」

「しかしアラゴ様・・・」

水産大臣が汗を吹いた。

兄は、窓の外のデモ隊を眺めた。

「あいつらはいいよな。そういう選択肢があってよ。オレが真っ先に逃げ出したいくらいだぜ」

兄はこの星を捨てるのに、あまり未練はないようだった。

一同が女王のほうに顔を向ける。

「女王陛下・・・」

ナイアド女王は、静かに閣僚のトップに意見を求めた。

「アダムス卿の意見は?」

アダムス首相は、席から立ち上がり冷静に現状を分析した。

「財政破綻も視野に入れるならば・・・増税も選択肢の一つかと。
ですが、そうなるとわが国の国債はデフォルト(債務不履行)となり、惑連通貨基金の管理下に置かれることとなります」

「とはいえ自国で物質的な生産が困難である以上・・・」

水産大臣がそう言いかけた時、僕は手を挙げた。

「あの・・・いいですか?」

水産大臣が話をやめる。

あれ、タイミングが悪かったかな。

話の腰を追ってしまった。

「は、はいなんでしょう。ルヴェリエ様」

閣僚たちが、じっと僕を見つめる。

その何人かは不安げで、その何人かは僕を緊張させないように、微笑んでくれている。

僕は早口にならないように、落ち着いて自分の意見を言った。

「インフレを武器にしたらどうですか?
ポンドが安いということは、他の星にとってみれば自分の星の人を使うよりも、海王星人を働かせたほうが安く済むということですよね?」

「ええ」

と、スペンサー財務大臣が頷いた。

「なら、この星に経済特区を作って、外国企業を誘致して外貨を稼いだらどうですか?」

よし、言えた。

この方法は土星などが採用して成功しているやり方だと、本には書いてあった。

財務大臣は

「素晴らしい・・・!」

と、僕を褒めてくれたが、兄の反応はイマイチだった。

「ああ・・・まさに教科書通りの解答だな。
とっくの昔にそんなアイディアは出てるんだ。
どこのもの好きが、こんな海しかない星に企業を移すって言うんだ」

まあ、兄のリアクションはだいたい想像がついていた。

アラゴ兄さんは、なんでもまず否定から入る人だ。

でもアダムス卿までもがこう言ったので、僕はちょっと傷ついた。

「ルヴェリエ様。そのアイディアは、かつて一度出たのですよ。
エンタープライズゾーンと言いましてな。
20年前の被災時には、様々な惑星から企業やボランティア団体が集まりましたが、いずれも長続きしませんでした」

「それはなぜ?」

僕は尋ねた。

「この星が住みにくいからです。海賊たちは、まずもって外国船籍の船を襲いますし、さらに旨みであるはずの海洋資源も汚染されているとなると、いくら低賃金で労働者を雇えるからといって・・・」

「わざわざ病気になるような環境の悪い星で働きたくはないわな」

アラゴ兄さんが意地悪そうに言った。

ムカっときたので、僕は兄に聞いた。

「・・・どこの星も大体こんなもんなんじゃないんですか?
大規模な工業化を進めている惑星は、どこも環境問題に悩んでいます。
冥王星や土星だって・・・」

「公害問題と話をすり替えるな、坊や。
オレが子どもの頃は、この星は水着ひとつで海を泳げるリゾート地だったんだ。
この世の楽園って言われてたってのに・・・隕石の奴が何もかも悪いんだ」

そんなこと言われても、僕は知らない。僕は今の海王星しか知らないんだ。

「じゃあ輸出は?」

「この星の何を輸出するんだよ。いいか小僧。正論もいいがもっと現実を見ろ」

「現実って・・・」

「オレたちの星はもう終わりってことだよ。お前の教科書には、それは書いてないがな」



閣議が終わる。

ぞろぞろと部屋を出ていく閣僚たち。

表情が重い。

僕も元気はなかった。

兄さんにコテンパンにやられた感じがして落ち込んでしまった。

僕の閣議デビューは苦々しいものになった。

一つだけ分かったのは、12歳の僕が考えつく提案などは全て、どこかの誰かがすでに考えて実行し、でもダメで、だから採用していないということだ。

――あ~あ・・・

僕がため息をついて廊下をとぼとぼと歩いていると、デスピナ姉さんが追いかけてきた。

「ルヴェリエ」

姉さん閣議に出席してたんだ。

さっぱり気づかなかった。

政治に全くと言っていいほど興味のない人なのに、珍しいなあ。

「姉さん・・・」

姉さんは僕の前で立ち止まると、膝を折って僕の頭を撫でた。

「かっこよかったわよ~母さん喜んでたわよ」

いつも姉さんは、そうやって僕をまだ子ども扱いする。

おそらく僕が閣議デビューするから、姉さんもわざわざ顔を出してくれたのだろう。

しかし、彼女が自分を慰めてくれるたびに、かえって僕の心は暗くなった。

「そうでしょうか・・・兄には机上の空論だと・・・」

「そうかなあ、私には話がむつかしくてよくわかんなかったけど、なかなかい~んじゃないの?
兄さんったらすねて文句ばっか言ってるだけだから。気にしないの」

「はい・・・」

姉さんに気を使って、僕は微笑んでみせた。

姉さんは、深刻そうな他の大人たちと違って、新婚生活が楽しくてしょうがないようだった。

「じゃあダーリンが待ってるから行くわね!ば~い!」

姉さんは、力強く立ち上がると、元気に廊下を駆けていった。

自分の国がめちゃくちゃなのに、姉さんのようにあっけらかんと生きられるのって、それはそれですごい。

僕は思った。

割り切ってるんだろうな。



ふと、僕は母さんに会いたくなって、王室の方へ歩き出した。

誰かに自分の本心を打ち明けたかったのかもしれない。

そして年の離れた兄とも姉とも会話が噛み合わない僕にとって、それができる相手は母さんしかいなかったのだ。

母さんは、いつでも僕の話を黙って聞いてくれる。

他の人が、僕の話に辛抱強く耳を傾けてくれる場合は、僕の身分が高いから気を使っているか、子ども扱いしているかのどちらかであって、それ以外は、アラゴ兄さんやアンヌ先生のような邪険な態度を取られるのが普通なのだ。

なんにせよひとつだけ確かなのは、大人にとって僕はたいへん可愛くない子どもだということだ。

螺旋階段を登り終えると、王室のドアが少し開いているのに気づいた。

ドアの隙間から中を覗くと、母さんがアダムス卿が差し出した書類に何やらサインをしていた。

「それでは女王陛下」

と、アダムス卿は、ファイルボードをパタンと閉じて脇に抱えた。

「・・・これしか方法はないのかしら」女王は深刻そうに呟いた。

――一体なんの話をしているのだろう?

「残念ながら。では失礼します」

アダムス首相と行き違いに僕は部屋に入った。

「母さん・・・」

「ルヴェリエ」

僕に気づくと母さんは、多少気まずそうな顔をした。

おそらく、国民にとって辛い決断をしたのだろう。



もともと母さんは若い頃は“鋼の女性”と呼ばれていた。

それくらい強い意志をもった女王だったのだ。

太陽系中の惑星が社会主義的な思想にかぶれていた時も、母さんは断固として自由主義経済を支持した。

中央政府が、それぞれ企業の生産能力や消費者の需要の度合いについて、正確に把握するのは不可能だし、それではあまりにも効率が悪いというのが母さんの主張だった。

母さんは、個々の市場の自由な競争が、最終的にみんなにとって最適な資源配分をもたらすと確信していた。

母さんはこう言った。

――魚の価格は漁師が一番知っている。政府ではない。と。

大々的な規制緩和、補助金の大幅な削減・・・ナイアド女王の小さな政府への舵取りは、当初は弱者切り捨てだと批判もされたが、社会主義経済が行き詰まりを見せる中、徐々に評価されるようになった。

その矢先――隕石が落ちてきた。

政府の規模を縮小したあとでは、このような突発的かつ未曾有の天変地異はどうにもならなかった。

ある裁量主義の経済学者はこう皮肉を言った。

「これは新古典学派にとっては、自分たちの学説が妥当かどうかを考え直すいい機会だったんじゃないでしょうか?
価格メカニズムによれば、こういった災害が起これば、物価高になり、最終的には様々な企業が参入して供給量は安定化するはずだ。つまり、ナイアド女王とアダムス政権は、被災地に支援などせずに、全て民間企業の利益至上主義に任せるのでしょうな」

だが、民間企業はこの星をあっさり捨ててしまった。

隕石によって、海王星は国体を維持することは不可能で、遅かれ早かれ国家破綻すると見込んだからだ。

そして、海王星よりももっと利益が見込める土星の経済特区に移ってしまったのだ。

企業は自分の会社が最も儲かる国家を選べばいい。

しかし国家や国民はどこへ行けばいいのだ?



母さんはこの頃から、政治に対してすっかり消極的になってしまったらしい。

実のところを言うと、本来、僕ら王族には、国の政治を動かすような実行力はないとされている。

君臨すれども、統治はせず――

内政問題はあくまでも内閣の仕事だ。

とはいえ、この星の憲法は成文化されておらず、慣例――コモンローに基づいて政治は行われていく。

だからこそ、歴史的に重要な転換点で、王族はその時々の為政者に重要な助言を与えてきたのだ。

母さんの手腕を必要としている人は、まだたくさんいる・・・



「この星はどうなるんですか?」

僕は玉座のそばまで近づくと、母さんに率直に尋ねた。

「それはあなた自身が考えることなのかもしれないわ・・・」

「僕が・・・?」

「あなたはどう思うの?」

「私は・・・王室の財産を貧しい人に分け与えればいいと思います。
外ではあんなに困った人が大勢いるのに、僕らはお城で優雅な暮らしをしていていいんでしょうか・・・?」

僕は正直に自分の気持ちを言ってみた。

海賊青ヒゲだったら、きっとそうしたに違いない。

「そうね・・・それができたらいいわね・・・」

母さんは力なく言った。

「やれます、きっと。最後まで諦めなければ・・・」

「・・・あなたは私の自慢の息子だわ。アラゴを見習わせたいくらい」

母さんは僕を優しく抱きしめてくれた。

「母さん・・・」

「あなたはあなたの好きにやりなさい」



その時、今まで聞いた中でもっとも大きな爆発音がした。

城内が大きく揺れた。

城が砲撃された!?

お母さんが、よろけて倒れた。

「母さん・・・!」

僕はとっさに母さんを起こすと、窓の外に目をやった。

天空を切り裂き、目を疑うほど巨大な宇宙戦艦が降りてくるのが見えた。

エッジの効いたシャープな船首、機体の四方八方から飛び出た不気味な形の副翼・・・

形からして海王星の宇宙船じゃない・・・どこの惑星だろう??

機体表面をおおった純白の装甲は、まるで白鯨だ。

「なにごとです!?」

母さんは、王室に駆け戻ってきたアダムス首相に尋ねた。

「国籍不明の宇宙戦艦が攻撃しています!」

アダムス卿が叫ぶ。

城内が再び振動した。

僕は恐怖で固まった。

外で、白鯨と近衛軍が激しい戦闘を始めた。

しかし白鯨の戦艦は、突然奇襲攻撃をしてきたので、こちらの軍隊は防戦一方だった。

白鯨は空を飛ぶ空母で、カタパルトから戦闘機を次々に吐き出した。

城外でデモ隊を取り締まっていた近衛兵は、新たな敵の攻撃から、さっきまでの相手を避難させなくてはならなくなった。

兵たちは必死にデモ隊をキープの中に次々に誘導する。

敵の迎撃と民間人の保護を同時に行なうのは、あまりにも分が悪かった。

近衛隊の戦艦に白鯨から爆弾が落とされ、艦橋が派手に吹き飛び、ついには船体を傾けて海に沈みだした。

そして、謎の戦艦から武装した男たちが城内に突入した。



――これは、戦争だ。

こういう可能性はずっとあったはずだけど、どこか楽観していた。

海王星が抱える問題は、僕らを攻撃したって解決するようなものじゃないからだ。

しかしそんな正論を言っても、もう通用しない。

一体彼らは何者なのだろう?

目的は?

そもそも何で、こんな奇襲攻撃に惑星軌道上の監視衛星は気づかなかったんだ??

アダムス首相が城内の衛士を呼んだ。

このままでは女王の身が危ない。

すぐにエガリテ衛士長が、部下数名とともに女王の警護についた。

相手の数はどれくらいだろう。

あんな巨大な空母なのだから、少なくとも数百人はいそうだ。

となると、とてもじゃないけど、この人数では女王を守りきれない。

エガリテ衛士長が怒鳴った。

「他の部隊は一体どうした!?」

その声に応えたのは、他の衛士ではなく、たった今王室に入ってきた知らない男だった。

男は筋骨隆々でどこか軍人くさかった。

「連中ならオレたちが買収したよ。あんたらに手を貸す海王星人なんてこの星にほとんどいないんじゃないのか?」

エガリテ衛士長が男に銃剣を向けた。

「なんだと?」

――だから、監視衛星は“気づかなかった”んだ・・・

男は銃を向けられても全く動じずに、さらに女王の方に近づいてくる。

「動くな!お前は何者だ!?」

「あんたらと同じ・・・兵士だよ。ただ忠誠を誓う国家はないがね」

すると、さらに白髪の初老の紳士が部屋に入ってきた。

こちらは軍人の男とは対照的で、暴力とは無縁の大学教授みたかった。

大学教授は微笑み、落ち着いた声で話しだした。

この人どこかで見たことがある――

「まあまあ、その辺にしておきましょう大尉・・・女王陛下に話があって参上しました」

「ならば名を名乗れ!」

「これは失礼。わたくしトリエステ・ピカールと申します。女王陛下に是非とも謁見を」

――トリエステ・ピカール?

そうだ、会ったことはないけれど、本で知っている。

冥王星の天才科学者だ。

専門は確か高エネルギー物理学・・・

なんでそんな人が軍人たちといるんだ?

となると、この軍人たちは冥王星の軍隊?

冥王星が海王星に戦争を仕掛けてきた??

そんな・・・

確かに冥王星とは経済政策は違っていたけれど、冥王星の社会主義政権は崩壊したんじゃ・・・



「女王は私です」

母さんがエガリテ衛士長の後ろから、返事をした。

「女王陛下下がってください!貴様らには陛下には指一本触れさせんぞ!」

軍人はやれやれと言わんばかりにため息をついた。

「そうかい。こっちは民主的な話し合いをしようとしているんだがな」

彼の落ち着き払った様子を見る限り、場内はほとんど制圧されてしまったらしい。

状況は最悪だ。

こうなったら、彼らの素性と目的を探るしかない。

「わかりました。話があるなら聞きましょう」

やっぱり母さんも同じことを思ったようだ。

しかし、次の言葉は想像していなかった。

「ルヴェリエ、あなたは、エガリテ隊長とともにここから逃げなさい」

――そんな。

こんな状況で母さんと離れ離れになるなんて・・・

「でも・・・!」

僕がそう言いかけると、母さんはすぐに衛士長の方を向き

「王子を頼みますよ」

と、指示を出した。

「は・・・この命にかえても」

僕が戸惑っているうちに話はどんどん進み、僕はエガリテ衛士長に手を引かれ王室を出ていた。

「母さん・・・!」

すべてがあっという間だった。

侵略者たちは、僕らを追おうとはしなかった。おそらく彼らの目的は女王なのだろう。

「おい、逃げたぞ」と軍人。

「ほうっておきましょう。では女王陛下、本題に入りましょう」

王室から彼らの声がかすかに聞こえた。



城内には火の手が上がっていた。

通路の至る所には銃を持った男達がうろついていて、王宮の人たちを人質に取っていた。

実はトライデント城に侵入するのは、そんなに難しいことじゃない。

ナイアド女王――僕の母さんがまだ僕くらいの歳の頃、トライデント城は老朽化のために改修工事をすることになった。

当時の王(僕の祖父だ)が、その工事費を国民の税金で賄うと発表すると、案の定国民たちの猛反発に会い、政府は、歴史的建築物であるトライデント城を一部一般公開することによって、入場料という形で工事費を調達することにしたんだ。

中流階級が愛読する高級紙『デイリーAQUA』では「宇宙で最も退屈なアトラクション」と酷評された、僕らの居城・・・

それが今、皮肉なことに、おそらく「宇宙で最もスリリングなアトラクション」になっている・・・



エガリテ衛士長は柱に身を隠しながら、男たちの肩についた紋章を見つめた。

そして

「くそっ」

と、首を振った。

敵の正体に心当たりがあるようだった。

僕らは彼らに見つからないように、物陰に隠れながら王立図書館に向かった。

『資本論』『種の起源』をはじめとして、名だたる学者たちの名著が保存されているこの場所は、何があっても絶対に火災で焼失しないように、最新鋭の防火システムがついている。

この図書館は、壁の厚さが1メートルにもなる鋼鉄製の巨大な金庫で、火を検知すると全ての出入り口が自動的に封鎖され、大量の二酸化炭素を噴射させる(水や化学消火剤では本が痛むからだ)仕組みになっている。

もちろん中で人が窒息死しようともお構いなしだ。

しかし防火システムが作動して、哀れな読書家が万が一図書館に閉じ込められた時のために、慈悲深い王室は秘密の出入口を作っていた。

入口から8つめの右側の本棚――エガリテ衛士長はそこを動かすと、隠し通路に足を踏み入れた。

「足元に気をつけて。段差があります」

衛士長は、銃剣の先についた円筒をひねった。

オプションの円筒は懐中電灯になっているのだ。

僕はエガリテ衛士長に引っ張られながら、息を切らせて走り続けた。

母さんはどうなるんだろう?

そして僕らは。この星は?

僕はエガリテさんに聞いた。

「彼らは・・・?」

「おそらく緋色の旅団かと」

「緋色の旅団?」

「圧政に苦しむ労働者が、真に平等な世界を目指して結成したテロリストです」

「え・・・?」

僕は耳を疑った。

“真に平等な世界を目指して結成したテロリスト”・・・?

「彼らに国籍はない。
しかし我が国の貧しい民が彼らに同調したならば・・・これはクーデターということになる・・・」

そこまで言うとエガリテさんが急に立ち止まった。

僕は彼の背中にぶつかった。

隠し通路の出口には、海王星の近衛隊が待っていてくれた。

――これで助かる。

そう思ったけれど、なにか様子が変だった。

エガリテ衛士長は、部下であるはずの衛士たちに銃口を向けたのだ。

衛士の一人がこう言うと、僕は、僅かな希望が潰されたことを確信した。

「おとなしくしてもらおうエガリテ隊長」



エガリテ衛士長が、怒りに駆られた様子で叫んだ。

「貴様ら・・・!王家を裏切りテロリストに寝返ったか・・・!」

僕はエガリテさんの背中の後ろから、会話の相手を盗み見た。

その相手は、なんと別の衛士隊のフラテルニテ隊長だった。

「オレたちにも家族がいるんでね。無能な政府には用はない。
さあ王子を引き渡せ。
戦友のよしみで命は助けてやろう」

「ルヴェリエ様をどうするつもりだ・・・!」

「王族の連中を吊るし上げなきゃ、民衆の怒りは収まらねえだろ」

そんな・・・

ついさっき閣議デビューした僕は、圧政を敷いた愚かな指導者として、見せしめに殺されてしまうんだ。

昔の王様がロープで海上に吊るされて、つま先からホオジロザメに生きながら食べられたというゾッとする話を、歴史の本で読んだことがある。

でも、もっと恐ろしいのはホオジロザメでさえも逃げ出してしまう、この星最大の海のギャング――カイオウトケイワニ(学名をクロックダイル・グリニジエンシスという。まるで時計のように正確な間隔のクリック音を威嚇時に出すらしいからだ)の縄張りに置き去りにされることだ。

この怪物は、クラーケン、シーサーペントと名前を変え、古くから船乗りたちのあいだで恐れられてきた。

現代の海王星で、カイオウトケイワニの生きた姿を見た者はいない。

それを見たものは例外なく殺されてしまうからだ。

ずっと前にドキュメンタリー番組の取材ということで、テレビクルーと海洋学者がカイオウトケイワニの撮影を試みたことがあった。

もちろん王室の海軍が護衛について、太陽系三大モンスターの撮影に協力したのだが、結局誰一人戻ってはこなかった。

ただ、砂浜に漂着した一隻の難破船の中に、カイオウトケイワニを撮影したと思われるビデオテープが残っていた。

画像解析によると、彼らの全長は50メートルをゆうに越し、強大な顎で戦艦の硬い装甲すら食い破ってしまうようだった。

ただ怪物の詳しい全体像は、テープに映った映像だけでは判断ができなかった。

というのも、怪物はでかすぎる上、阿鼻叫喚の光景をとらえていたと思われるビデオカメラの映像は大きくブレ、カメラを構えていた人間が怪物の餌食になったあとは、テープがなくなるまでずっと船板を撮影し続けていたからだ。

ホオジロザメなら、敏感な感覚器官を兼ねる鼻面を強く叩けば、場合によっては逃げていく。

しかし全長50メートルの捕食動物が相手ならば、それは絶望的だ。



そうやって、自分が海の殺し屋の餌になることを想像していると、エガリテさんが懐から古い装飾が施されたコンパスを取り出して僕に渡した。

そしてフラテルニテ隊長に聞こえないように、僕に小声で言った。

「・・・この先に脱出用飛空艇があります。王子はそれに乗って、彼を訪ねてください・・・」

――彼?彼って誰??

「ここは私が食い止めます、さあ行って!」

エガリテ隊長が反逆者達に飛び出した隙を見計らって、僕は飛空艇の発着場の方へ一目散に駆け出した。

敵の一人が僕の方に銃口を向けた。

そして撃ってきた。

心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような感覚を覚えたが、運良く銃弾は僕の1メートル横をかすめた。

もう怖すぎて、頭がしっかり働かない。

両脚はガクガク震え、少しでも力を抜くと倒れてしまいそうだ。

銃声があった方を振り向くと、エガリテ隊長が僕に発砲した衛士を殴りつけていた。

だがすぐに別の衛士に、エガリテ隊長は取り押さえられてしまった。

エガリテ隊長は怒鳴った。

「振り返らないで!」

僕は発着場を目指して、ひたすら走った。

「王子を逃がすな~!」

少し前まで頼もしい味方だった人たちの怒号が飛んだ。



飛空艇の発着場に入ると、そこは電気が消えていて薄暗く、たくさんあったはずの脱出用の飛空艇は、テロリストによって一機残らず海に落とされたあとだった。

滑走路って飛空艇がないとこんなに広かったんだ――そんな場違いなことを思いながら辺りを見回すと、アラゴ兄さんが航空機の格納バンカーの方から手招きしているのに気づいた。

「ルヴェリエ!」

「兄さん!」

バンカーの方へ駆け寄る。

見るとアラゴ兄さんの隣にはデスピナ姉さんもいた。

二人とも無事だったんだ・・・よかった。

「脱出ポッドはこっちよ!」

脱出艇も残ってるんだ・・・!

ドキドキしながらも僕は笑みをこぼした。

兄さんが小型脱出艇のドアを開けて、僕をコックピットに乗せた。

「よし、操縦の仕方はわかるな?」

「兄さん達は?」

「残った脱出艇はこれ一機、それにこいつは一人乗りだ」

「え・・・?」

さっきまでの安堵が潮のように引いていった。

「逃げるのはお前だけだ。
オレたちは残る」

これじゃ母さんの時と一緒だ。

僕がまだ半人前の子どもだから・・・?

「そんな・・・!あたしたちは乗れないの?」

姉さんが泣きそうな顔になった。

「皇太子のオレが王宮から逃げ出すことはできねえよ。まったくお前が羨ましいぜ」

王宮ではほとんど笑わない兄さんが微笑んだ。

でも、その笑みはとっても悲しそうだった。

「お願い私も連れてって!あたしまだ死にたくない!」

姉さんがコックピットの僕に哀訴嘆願した。

僕だって二人を見捨てて逃げるなんてことはできない。

ただこの脱出艇は、いくら僕が小さくても、僕と姉さんが乗れるほどスペースはないし、操縦だってままならない。

だから僕はコックピットから降りることにした。

「・・・じゃあこれは姉さんが乗ってください」

僕がそう言うと、デスピナ姉さんが満面の笑みを浮かべた。

「え?いいの?やった~!」

その直後、姉さんが後ろに倒れた。

テロリストの流れ弾に当たったらしい。

「姉さん!」

僕は恐怖で体をこわばらせた。

脚を撃たれたツイていない姉さんを抱きかかえ、アラゴ兄さんが言った。

「これでお前に決定だ。いいか、逃げ切れよ。母さんのことはオレに任せとけ!」

「兄さん・・・」

「行け!」

見ると発着場にテロリストたちがなだれ込み、王族の三兄弟を人質に取ろうとしていた。

僕は即座に計器類を操作し、エンジンを起動させた。

この機種は、もう何度か乗ったことがあるので、操縦自体はわけはない。

すぐにでも離陸できる。

でも・・・



僕がなおもためらっていると、アラゴ兄さんがしびれを切らせて叫んだ。

「おいおい、なに感傷的になってるんだ、とっとと飛べ!
勘違いするな、お前が助けを呼んでくるんだ!
王族でもっとも、民の恨みを買っていないのは、お前だからな!」

そういうことか・・・

王室の運命は僕にかかっているんだ・・・!

僕は決心して飛空挺を離陸させた。

絶対にみんなを助けに戻ってくる・・・!

そう心に誓って。

眼下の滑走路は、どんどん小さくなっていった。

そして兄さんと姉さんがテロリストたちに銃を向けられているのが一瞬見えたかと思うと、王宮から燃えさかる炎で滑走路は隠れた。

王宮を離れると、首都アビスがどういう状況なのかがわかった。

アークロイヤル号を筆頭に、王立海軍のほとんどの戦艦が白鯨の戦闘機によって撃沈され、テロリストは攻撃をやめていた。

勝負は着いたのだ。

テロリストの戦闘機の一機が、僕の飛空艇の近くを横切ったが、民間機だと思ったらしく、そのまま王宮のほうへ飛んでいった。

僕は速度を上げて、王宮とは反対方向、広大な海の沖へと飛んでいった。

このライフオブタイドは、海王星の七つの海の中で最も広大な海だ。

眼下に広がるのは、果てしない大海原だけ。

すでに、視界には陸地という陸地は全く見当たらなくなっていた。

海では、イルカが数頭の群れをなして元気良くジャンプしている。

いや・・・よく見ると、それはイルカではなかった。

鼻面が鋭い凶暴な魚、バラクーダだ。

牙だらけの彼らは、時速150キロもの猛スピードで人間にも襲いかかる。

ここで遭難したら大変だぞ・・・僕はゾッとした。

こんなに遠くまで一人で旅をしたことはないから、僕はすごい不安だった。

エガリテさんに渡されたコンパスに目をやる。

味方のあてはないが、行く先は決まっている。

このコンパスが指し示す方角・・・

――そこにきっと“彼”がいる・・・
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