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part6

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 平田があまりにもじっと見つめてしまったせいで、日枯ひがらし は居心地悪そうに視線を逸らしてから、苦笑いをした。
「すみません、急に来てしまって……。空橋そらはしさんに、えっと……借りていた本を返しに」
 日枯ひがらし がもう一度「すみません」と言う前に、平田の方から「じゃあ、ここで待ってれば?」と提案した。

 これは明らかにチャンスだ。
 さっきまで、どう接触しようかと迷っていた人物が、彼の方からこっちに来てくれたのだ。
 この状況って、一般的には、なんと表現するのだろう?
 棚からぼた餅?
 飛んで火にる夏の虫?

 少なくとも後者ではない、だって今はまだ春にもなっていないんだし。と、平田の頭は混乱がちに意味もないことを考えるが、この千載一遇の機会を逃す手は無いと、唇をきつく結ぶ。

「今日は吹奏楽部は?」
「今はまだ、本格的に練習してないんです。自由曲の選曲がメインで」
「コンクールの自由曲? 課題曲はもう決まっているのか?」
 吹奏楽のコンクールにおいて、各高校はあらかじめ決められた課題曲の中から一曲、自分たちで決める自由曲の一曲の計二曲を演奏することになる。
「うちの高校、課題曲はいつも即決するんです。早く楽譜手に入れて、早く課題曲から仕上げる、そんなスタンスですね」
 日枯ひがらし が淡々と説明してくれた。
「まあ、課題曲から仕上げるのが他の学校でも鉄板なのかは僕には分からないですが」
「自由曲より課題曲の方が審査で重視されるものなのか?」
「されるでしょうね。曲風も曲調も違う自由曲よりも、同じ課題曲同士で比較した方が、実力を測るのが簡単でしょうから」
「まあ、言われれば、そうかもな」
 吹奏楽に限らず、マンドリンの世界にも、全国的なコンクールは存在する。
 だが、この高校のマンドリン部は歴史も浅すぎるし、人数も少なすぎて、コンクールとは無縁だった。
 日枯ひがらし の話に、平田は「なるほどな」と納得しながら相槌あいづちを打つ。

「まあ、吹部すいぶの練習もないならさ、わざわざ来てくれたんだし、時間つぶしてきな。空橋そらはしさんからも特に遅れるとか聞いてないから、すぐ来るんじゃないかな」
 あまり話をしたことのない先輩と二人きりの空間で時間を潰す。
 自分だったら何か言い訳つけて、すぐ逃げ帰ってしまうだろうな、と平田は不安に思った。
 でも、日枯ひがらし は「では、お言葉に甘えさせていただきます」そう言って、あっさりと肩から鞄をおろす。
 あまりにも抵抗なく提案を受け入れられてしまったせいで、平田は思わず口籠もってしまった。
 そんな平田の様子に微塵も気がついていないのか、日枯ひがらし は「ピアノ借りていいですか?」と屈託なく笑って、ピアノ椅子にもたれかかった。

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