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karon

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舌打ち

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 呉羽は佐藤の左側を歩いていた。
 相手の利き腕をふさがないようにという配慮だった。
 ひょうひょうとしているようでどこか緊張を隠せない顔をしている。
 どうして自分がこんなことに巻き込まれてしまったのか。周りは患者と看護師が行きかうあまりに普通な病院の風景。
 なのに、この風景が偽物だと呉羽だけが分かっている。
 この町を旅先に選んだのは偶然だった。たまたま近くの観光地に来たことがあったというだけで選んだ町。
 何の変哲もない田舎町。
 なのにどうしてこんなことが起きているんだろう。
 そして目の前の男に視線を移す。
 この男は何者なんだろう。
 ごく普通のサラリーマンのような顔をしているが、この田舎町にわざわざ出張してくるような名物があるわけでもないだろう。
 かといって休暇旅行という感じではない。明らかに佐藤は仕事でここにきている。
 佐藤の視線が動くのを見た。
「ここでお別れですね、できれば服も何とかしてあげたかったんですが。コンビニにでも入っていてください」
 病院近くのコンビニには病院着姿の客が珍しくない。
「私に用のある人がいますから」
 佐藤はそう言って呉羽から離れた。

 ひとからの視線に鈍感ではこの商売は成り立たない。
 あからさまな視線に佐藤は反応をこらえつつ様子をうかがう。
 視線の隅に呉羽が少しずつ離れていくのが見えた。
 今はまだ普通の患者の視線がある、これからどうするのか。
 佐藤は壁を背後に立つとまっすぐに相手を見た。
 佐藤と同じ入院着を着ているがまるで病人らしく見えない。やや小太りに見えるが筋肉は発達して見える身長は佐藤より頭半分低い、そしてがっしりとした顎を見ればおそらく耐久性に重きを置くファイタータイプ。
 相手も佐藤の視線を受け止める。
 そして、佐藤の体形などを値踏みするように見た。
 しばらく無言で睨み合う二人をよそに、せき込む老人や、しゃくりあげる子供を抱いた母親などが通り過ぎていく。
 ここで乱闘を始めるわけにはいかない。相手もそう思っているはずだと佐藤は膠着した状況に舌打ちした。
 不意に男はちょこちょこと歩いている小学生の少女の腕をつかんだ。
 いきなりの行動に佐藤の初動が遅れた。
 少女の頭にいきなり拳銃を突き付ける。
 唐突な行動に佐藤はとっさに座席に置かれた雑誌をつかんだ。
 手早く丸めて投擲する。
 雑誌といえど束ねた紙は相当な強度を持つ、いざというとき武器に困ったら雑誌を使えとかつてよく言われたものだ。
 男は難なくよけたがバランスを崩した。そのすきを縫って少女をつかむとそのまま投げ飛ばした。
 床にたたきつけられた少女はしばらく呆然としていたが、しゃくりあげて泣き出した。

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