赤い箱庭

日暮マルタ

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退治屋

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 この世界での暮らしにも慣れ始めた頃、また空間の裂ける音が聞こえた。あの時、あの男の子がやってきた時と同じだ。
 主様はまた露骨に嫌な顔をしたけれど、今度は迎えるつもりで椿ちゃんを使いにやった。
 今度はどんな人だろう、今度こそ仲良くなれるかな、とドキドキしていた。つんざくような椿ちゃんの悲鳴が聞こえる。
「主様!」
 ただ事ではない空気を感じ取り、主様と急行する。そこには、金縛りにあったように倒れ、苦しむ椿ちゃんの姿と、スーツの男がいた。
「お前がこの妖の主か!」
 スーツの男は椿ちゃんに足をかけ、主様を睨む。
「いかにも。そこにいる椿に何をした? 迷い子よ」
「この神隠しを起こしているのもお前だな!」
 てんで会話になっていない。敵意をすごく感じる。スーツの男は、何やら手で印を結ぶような仕草をし、そうすると椿ちゃんが大きなうめき声をあげた。
「何をしているの……!?」
 声が震える。男は私を見て、目を見開いた。
「見たところ、お前は人間か? なぜ妖の側に……こっちへおいで! 私は退治屋だ」
「サヤカ、この男殺してもいいか?」
 退治屋を名乗る男が私に優しい声かけをした途端、主様が不穏な声色を使った。本当に実行してしまいそうな口調だった。
「物騒な! 待ってください、殺しちゃダメ!」
「しかし今も椿は苦しんでいるが」
「セーラー服の君、その男は妖だ! わかって側にいるのか!?」
「わかってますよそんなことは! 主様は人を殺したりしません! 神隠しだって主様は嫌がってます、死にかけた人だけがここに来るんです」
 退治屋は目を白黒させた。死にかけた記憶が残っているのかもしれない。しかし、それを振り払うように頭を振り、「人間のくせにそんなに必死に庇うのはなぜだ。何か術にかけられているのか」と訝しんでくる。
「主様のことが好きだからです」
思わず口をついて出た。退治屋は唖然としている。私も言った直後に口が滑った……と顔を覆った。横目で確認した主様は、壊れかけのロボットのような挙動不審さで私を凝視していた。
「ぬ、主様、あれやったらわかるんじゃないでしょうか。あの記憶流し込むやつ。人殺さない、無害だって宣誓をぜひ」
「あ、あぁ……サヤカがそう言うなら……」
 この場にいる椿ちゃん以外の全員がドギマギしながら、それでも退治屋は抵抗する。騙されているんだ、とかなんとか言ってくるのだけど、主様が強引に彼に触れた。退治屋の術は主様クラスには通用しなかったようだ。暴れる退治屋を抑え込み、光が流れ込む。大人しくなった退治屋は、顔を赤らめて襟元を正した。
「……確かに、神隠しの原因ではないようだ。それに、サヤカ君、君を騙しているわけでも……ないようだな……」
 戦意喪失、といった感じの退治屋が、「自分は例外ではないのか」と主様に問う。死にかけた人間だけがたどり着く世界がここ。現代に帰れば、たちまち死んでしまう。それは例外ではないと主様は答えた。
「この世界で一緒に暮らすなら、楽しく過ごせますよ」
「帰り道ならいつでも案内するがな」
 解放された椿ちゃんを抱きかかえる。神社の外に使われてない家がいくつかある、と聞いた退治屋は、狐につままれたような顔でそこへ向かった。

 あの退治屋は時々夕飯を食べにくる仲になった。交通事故で首を折った記憶があるらしい。時々現世での暮らしを懐かしんでいる。自給自足で畑を作るのが楽しいらしく、たまにおすそ分けにくる。
 主様との関係は、あれから少し変化した。私の気持ちを知った主様は、最初はぎこちなかったもののすぐ調子に乗って、より距離が近くなった。すぐに私を膝の上に乗せようとするので、私はそのたびに抵抗している。気恥ずかしいからだ。
 椿ちゃんは少し静養して、すぐに元気になった。前にもましてゼロ距離になった主様と私を生暖かい目で見守っている。
 迷い人がやってきた時の対応も変わった。あの退治屋が住んでいる家の辺りを集落にしようという話になり、帰りたいものは帰し、死にたくないものはこの世界に定住することになった。
 主様は今日も縁側で煙管を吸っている。私にも吸うかと渡してくるけど、断った。そっと唇を重ねると、苦い味がする。主様の悪戯っぽい笑い方が、日に日に増して好きになる。そんな日々だ。
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