灰を喰う男

猫熊アザラシ

文字の大きさ
7 / 7

7話「食い違い」

しおりを挟む
 鑑識の報告が上がってきたのは、現場に入って三十分ほど経ったころだった。

 担当者が律のところに来て、手元のタブレットを見せながら説明した。残滓の量と分布から、異能の発動回数がある程度特定できるという。今回の現場では、三箇所に残滓が集中していた。それぞれの位置と量から、発動の方向と順序が推測できる。一番多く残滓が積もっている場所が、最初に異能を使った地点だろうとのことだった。

 律は担当者の説明を手帳に書き留めながら、頭の中で情報を整理した。三箇所。発動回数は少なくとも三回。方向は倉庫の中央から外壁に向かって。つまり、犯人は倉庫の中央付近に立って、外壁に向かって異能を使った。逃走経路は正面扉か、あるいは外壁の割れた窓か。

「これだけ情報があれば、犯人像を絞れます」

 律は手帳から顔を上げて言った。担当者ではなく、少し離れたところに立っている男に向かって。「発動位置から身長の推定もできるかもしれません。三件の現場データを重ねれば、行動パターンも見えてくる。早急に過去二件の残滓データと照合して」

「焦るな」

 男が言った。担当者の方を向いたまま、律の方を向かずに。短い言葉だった。それだけだった。

 律は手帳を持ったまま、男を見た。

「焦っているわけではありません。情報が揃ってきたから、次の手を打つべきだと言っているんです」

「同じことだ」

「違います。情報に基づいて動くことと、焦って動くことは違います」

 男はそこで初めて律の方を向いた。眠そうな目が、律を見た。何か言うのかと思ったが、何も言わなかった。また担当者の方を向いた。

 律は息を吸って、続けた。

「三件も起きているんですよ。一件目から二件目まで二日、二件目から三件目まで三日です。間隔が変わっている。次がいつ起きるかわからない。早く動かないと」

「焦って動いて、何かいいことあったか」

 男が言った。律の方を向かないまま。低い声で、静かに。

 律は言葉に詰まった。

 焦って動いて、何かいいことあったか。それは律に向けた言葉なのか。それとも、誰か別の誰かに向けた言葉なのか。律にはわからなかった。ただ、言葉が胸のあたりで引っかかった。反論しようとして、うまく言葉が出なかった。

 男はそれ以上何も言わなかった。担当者に短く何かを告げて、倉庫の外に向かって歩き出した。律はその背中を見ていた。追いかけようとして、やめた。今追いかけても、また同じような会話になるだけだという気がした。

 律は手帳に視線を落とした。

 書き留めた情報が並んでいる。発動回数、発動位置、方向、推定される逃走経路。これだけあれば、次の手が打てるはずだ。そう思っていた。でも男は焦るなと言った。焦って動いて何かいいことあったかと言った。

 律にはその言葉の意味がわからなかった。

 車に戻ったのは、それから十五分後だった。

 鑑識の担当者との確認をすべて終えて、必要なデータを共有してもらって、現場を後にした。男はすでに助手席に座っていた。目を閉じていた。律は運転席に乗り込んで、エンジンをかけた。

 車が動き出した。

 律は運転しながら、口を開いた。黙っていられなかった。頭の中で情報が渦を巻いていて、整理するには声に出す必要があった。

「今回の現場で、いくつかわかったことがあります。残滓の分布から、犯人は倉庫の中央付近から異能を発動させていた。発動回数は少なくとも三回。外壁に向けて段階的に火を当てていったと考えられます。一件目、二件目も同じパターンだとすれば、犯人には一定の手順がある。衝動的な犯行ではなく、計画的な可能性が高い」

 男は目を閉じたまま、何も言わなかった。

「計画的であれば、次の犯行場所も何らかの基準で選んでいるはずです。一件目と二件目は渋谷区、三件目は港区。この移動に意味があるのか、それとも単純に都合のいい場所を選んでいるだけなのか。もし前者であれば、次の犯行場所が予測できる可能性があります」

 男は目を閉じたまま、何も言わなかった。

「異能の種類については、鑑識の見立て通り火を操る系統で間違いないと思います。ただ、残滓の量が少なかった。強力な異能ではないかもしれない。あるいは、意図的に出力を抑えているのか。いずれにしても、異能の強さに関係なく、三件とも死傷者を出していない。これは偶然ではないと思います」

 信号で止まった。律は助手席をちらりと見た。目を閉じたまま、変わらない姿勢でいた。

「聞いていますか」

「聞いてる」

 また同じ答えだった。律は視線を前に戻した。信号が青になって、車が動き出す。

「では、意見は」

「……まだない」

 律は息を吐いた。まだない。それだけだった。これだけ情報を並べて、考察を話して、まだない。どうして意見が出ないのか。何が足りないというのか。

「なぜですか」

「なぜって」

「これだけ情報が揃っているのに、なぜ意見が出ないんですか。愉快犯の可能性が高いと先ほど同意していましたよね。であれば、次の手を考えるべきではないですか。容疑者の絞り込みとか、次の犯行場所の予測とか」

「同意した覚えはない」

 律は一瞬、返答に詰まった。

「そうかもな、と言っていたじゃないですか」

「そうかもな、と言った。同意とは違う」

 律はハンドルを握ったまま、前を向いていた。そうかもな、と同意は違う。言われてみれば、確かに違う。でも、あの言い方は同意しているように聞こえた。少なくとも、律にはそう聞こえた。

「では、愉快犯ではないと思っているんですか」

「わからない、と言ってる」

「わからないから動かない、ということですか」

「わからないのに動いたら、間違える」

 律は何も言えなかった。

 間違えたら、どうなるのか。その言葉の続きを、男は言わなかった。でも、何か続きがある気がした。間違えたら、誰かが傷つく。間違えたら、取り返しがつかなくなる。そういう経験が、この男の中にあるのかもしれない。

 律にはわからなかった。

 車内に沈黙が戻った。律は運転しながら、頭の中で今日一日を振り返っていた。配属初日。現場に出た。能力を見た。話を聞いた。でも、何も前に進んだ気がしなかった。

 男はまた目を閉じていた。

 律の不満は、言葉にならないまま、胸の中に積み上がっていった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

冷遇された没落姫は、風に乗せて真実を詠う ─残り香の檻─

あとりえむ
恋愛
「お前の練る香など、埃と同じだ」 没落した名家の姫・瑠璃は、冷酷な夫・道隆に蔑まれ、極寒の離れに追いやられていた。夫の隣には、贅を尽くした香料を纏う愛人の明子。 しかし道隆は知らなかった。瑠璃が魂を削って練り上げた香は、焚く者の心根を映し出す「真実の鏡」であることを。 瑠璃が最後に残した香の種を、明子が盗み出し、手柄を偽って帝の前で焚き上げた瞬間。美しき夢は、獣の死臭が漂う地獄へと変貌する。 「この香りの主を探せ。これほど澄み切った魂が、この都に在るはずだ」 絶望の淵で放たれた一筋の香りに導かれ、孤独な東宮が泥の中に咲く白蓮を見つけ出す。 嘘と虚飾にまみれた貴族社会を、ひとりの調香師が浄化する、雅やかな逆転劇。

姉の引き立て役の私は

ぴぴみ
恋愛
 アリアには完璧な姉がいる。姉は美人で頭も良くてみんなに好かれてる。 「どうしたら、お姉様のようになれるの?」 「ならなくていいのよ。あなたは、そのままでいいの」  姉は優しい。でもあるとき気づいて─

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

不思議なショートストーリーたち

フジーニー
ミステリー
さくっと読める短編集 電車内の暇つぶしに、寝る前のお供に、毎日の楽しみに。

処理中です...