ファントム オブ ラース【小説版】

Life up+α

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第一部【1章】望んだ隔絶と侵入者

03. 不快

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昨日、20時に寝ただけあって朝の3時に自然と目覚めた。看守の仕事は朝の6時から俺の当番になる。そう考えると、これくらいに自然に目覚めてくれた方が助かる。

部屋に投げっぱなしの洗濯物を見て、朝からうんざりした気分になった。

「めんどくせー」

首が思ったことをそのまま口にする。

「今のうちに片づけるか?」

「もう明日で良くねえか?」

それに続いて他の口がそれぞれ話し出す。その意見のうち、一番最後の意見に俺は同意して、洗濯物を放置したまま冷蔵庫に入ったレーションに口をつけた。

適当にシャワーを済まし、口という口の歯を磨いて、整髪剤で髪を上げる。身なりはしっかりしておかないと、人間に会った時に躾が入るかもしれないし、怪物たちにも舐められたくない。洗濯物は放置しようとも、ここは放置できなかった。

予備の制服に着替えて、その上から私服の上着を羽織って待機所へと向かう。コートと帽子、警棒などの武器はロッカーにある。

朝のレストランには俺と同じ昼勤務の看守たちが席について談笑している。一体、何をそんな朝から話すことなどあるんだろうか。

待機所へたどり着くと、エドヴィンの姿はなかった。アイツは仕事中はずっと怪物たちの傍について喋ったりしているから、交代時間になっても待機所にいないことはザラにある。ロッカーの荷物を取り出し、上着を変えていると少し遅れてエドヴィンが待機所へと入ってきた。

エドヴィンの腕の中には救急手当用のキットが抱えられている。穏やかな笑みを口元に称えたまま、彼は俺を見て口を開く。

「ハル、また皆のことを叩いたね?やめなよ、可哀想じゃないか」

「よく言うわ」

エドヴィンの言葉を一笑して片づける。コイツは優しいふりしているだけの偽善者だ。心から怪物たちを憐れんでいるわけじゃないのは、もうとうの昔から知っている。

エドヴィンだって俺がどういうやつかよく知ってるから、それ以上食い下がってきたりはしない。うさんくせえ笑みのまま困ったようにため息を吐く。

「あ、そうだ。キティに昨日、色んな言葉を教えてみたら、よく喋るようになったんだ。あの子きっと凄く頭がいい子だよ」

「キティ?」

「ハルに懐いてたネズミちゃんだよ。俺が名前を考えてあげたんだ」

そう言われて、俺はあのブサイクなネズミが入っていたアクリルケースを見る。アクリルケースの中には昨日よりも随分と身体が大きくなったネズミが身体を丸めてスヤスヤと口を半開きにして寝息を立てていた。

「んだよその名前、似合わなすぎるだろ。ブスにそんなリボンといい、名前といい、ますます哀れなブスになるだけだろ」

「可愛いじゃないか。それに女の子にあんまりブスブスいったら失礼だよ」

エドヴィンはコートや帽子を自分のロッカーに片付けながら答えた。

アクリルケースの中で口を半開きで寝ているネズミを改めて見るが、どう考えてもブサイクでしかない。こんな生き物に「子猫」の意味がある「キティ」と名づけるのは、もはや嫌がらせの域だ。しかも、身体も片手の平サイズから両手の平大まで大きくなったせいで、顔がますますよく見えてブスが過ぎる。

「それじゃあ、みんなが起きたらご飯よろしくね。たまにはちゃんとしたご飯を…」

「うっせーなあ、退勤時間過ぎてんだからさっさと帰れ」

エドヴィンはいつも退勤時間ギリギリか過ぎまで残って仕事をやる。俺なら絶対ごめんだし、なんならエドヴィンが出勤した時点でソッコー帰るが。

コイツは一番古株の怪物で、これだけ仕事熱心なせいか人間からよく可愛がられている。それこそ、怪物の中で唯一人間と同等の待遇を受けていると言ってもいいくらいだ。積極的に施設の改善案を出したり、管理体制について口出ししているようだが、エドヴィンの意見が通ることは結構多い。彼が受けられない待遇と言えば、やはり施設の外へと行けないことぐらいだろうか。

まあ、この様子じゃあ本人は不便していないんだろう。こんな狭い空間だけで、コイツのやりがいも生きがいも揃っている様子だ。俺には到底理解できないが。

エドヴィンが出て行くのを見届けてから、俺は料理台へと向かう。今日も鍋に適当な食材を突っ込んで煮るだけの飯炊きと、赤ん坊のミルクの準備をする。

煮込んでいると、今日は意外と良い香りがしてきた。ロシアンルーレット形式の何がどう精製されるか分からない調理だが、今日はどうやら美味く出来てしまったようだ。

「はる~」

不意にまたあの少女のような高い声が俺の名前を呼ぶ。匂いであのブスネズミが目を覚ましてしまったらしい。

「うっせ、待ってろ」

「は~い」

ミルクを哺乳瓶に注ぎながら苛立ち交じりに怒鳴ると、間抜けな返事が返ってくる。そういやエドヴィンが色々教えたとか何とか言ってたっけか。

聞き分けいいならまあいいが、これで余計にうるさくなったりしたらあの男の胸倉掴んでやりたい気分だ。

ここまで身体が大きくなった赤ん坊には注射器ではミルクは与えられない。哺乳瓶にミルクを移していると、返事の通りにキティは静かに待っていた。永遠に名前を呼ばれ続ける昨日に比べたら大分マシだった。

騒がれたら面倒なので、先にキティにミルクを持って行く。大きくなったネズミを抱き上げ、仰向けの状態で片腕に抱える。

「はる~、おはよ~」

ミルクを与える前にキティが俺を見上げて笑顔にも見えるアホ面で声を出した。

「へーへー」

エドヴィンが言葉を教えただけあってご丁寧に挨拶なんかしやがるが、下手に懐かれてもダリィから適当に返事してキティの小さい口に哺乳瓶の先を押し込む。

キティはまだ何か話したそうにしていたが、口に哺乳瓶を押し込まれたせいか大人しくミルクを吸った。注射器から哺乳瓶に代わり、吸うのに慣れていないのか飲むのに時間がかかる。

「早く飲めよ、めんどくせえ」

頬の口が悪態をつく。それに反応するようにキティが必死に飲む速度を上げる。

「ガキに催促してどうする。大人げねえなあ」

「はあ?なんで俺がガキに気を遣わなきゃなんねえんだ」

「うるせえな!黙ってろ!」

勝手に喧嘩し始める喉と頬の口に、俺は声を荒げて鎮圧する。

「なんで自分の身体なのに、こんなに統率とれねえんだよ」

手の甲の口が馬鹿にしたように笑った。本当に、身体は一つなのになんでこんなに騒がしくなんなきゃならねえのか、俺にも分からん。

腕の中でキティが遅れてミルクを飲み終える。口から哺乳瓶を離すと、キティは豆つぶのような黒目を細めて俺を見上げた。

「おいしかった、ありがとう」

舌足らずでまだ少しカタコトだが、きちんと言葉になっている。ギャーギャーと言い争っていた身体中の口が、キティの言葉で一斉に静かになった。

感謝の言葉だ。そんなもの生まれてこの方、一度も言われたことがない。全身の口が黙った通り、その言葉を言われてすぐに自分が何を思ったのか理解できなかった。

イライラとも違う。不快でもない。胸に湧き上がるその感覚は経験したことがなくて、どう表現したらいいか分からなかったし、どう対応したらいいか分からない。

キティは腕に抱かれたまま俺を見上げて、貧弱な尻尾をパタパタと振った。

「はるとはなせるの、うれしい。またおしゃべり、してほしい」

ぽかんと呆けていた頭がキティの言葉を理解すると、俺より先に頬の口が反応する。

「ヤだね」

「だめ…?」

腕の中のネズミが尻尾を下げ、心なしか悲しそうに目を小さくする。

「俺はお前と違って忙しいんだよ、ブス」

ますますブス顔になったキティの首根っこをつかんでケースの中に戻すと、キティはうなだれたように抵抗もなくケース内に着地する。

それでも何故かなごり惜しそうに俺がいる方へ寄ってくると、透明な壁に手をついた。

「いつ、いそがしくない?」

「ずっと忙しい」

適当に答えて鍋で煮立ってる飯の様子を見にケースから離れる。相変わらずケース内で俺がいる方へ方へと寄っては来るが、しばらく静かにキティは黙っていた。

昨日と同じように他の赤ん坊たちにも飯をやり、檻の怪物たちに配膳し、気が向くままに叩いて回る。今日も今日とて、怪物たちは俺を見て怯えていた。

キティのせいで調子が狂いそうだったが、逃げまどうアイツらを見ていると、毎日のくだらない日常風景を思い出して安心する。普通の生活っていうのは、こういうものだろう。キティもきっともう話しかけて来ないに違いない。

いつかアイツもこっちの檻に移って、俺におびえながら過ごすことになる。今は弱いから手が出せないだけで、本当なら蹴り飛ばして罵倒するべきなんだから。

巡回を終えて待機所に戻る。昨日やっていたゲームの続きをやろうとパイプ椅子に座ってホログラムを開いた。

「はる」

それとほぼ同時に名前を呼ばれて顔を上げる。先程までケースでしょげていたはずのキティが、またあの気の抜けた顔で俺を見ていた。

「いつも、このじかんにそれやる。なにしてるの?」

めげねえなあ。いや、頭が悪いだけかもしれねえ。

俺は何も返さず再びゲームに目を戻す。構わなけりゃそのうち飽きるか諦めるだろ。

「はる~」

カサカサと昨日と同じようにネズミが俺に向かってケースの壁を掘る。カサカサ、カサカサとそれは諦めずに動き続けた。

「はる~、いっしょにいたい~」

辛抱強く無視を続けていたが向こうもなかなかに諦めが悪い。10分くらいか、延々と続く呼び声とカサカサとケースを動き回る音が続いた。

「っだーもう、うっせえな!」

ゲームを中断してケースのキティに向かって大きな声を上げる。キティの両隣にいる別の赤ん坊が怯えて丸くなったりクッションの下に潜り込んだりしている中、キティは相変わらず呑気な顔で俺を見上げていた。

「はる、きてくれた」

「喋んな」

「きのうみたいに、いっしょにいてくれたら、しずかする」

威圧的な声色で頬の口が呟いたが、怯えるどころか生意気に交渉じみた提案までしてきやがった。

「俺に指図すんのか」

「ごめんなさい。さしず、ちがう。はるのそばがいい、おねがい」

キティは少し困ったような声で答えたが、あくまで希望を聞いて欲しいスタンスのようだ。

「うるせえよりマシ」

「どうせ今だけだぜ」

喉と手の甲の口がそれぞれ呟く。俺は鼻で大きなため息をついてから、昨日のように足でパイプ椅子を引き寄せケースのすぐそばに座った。

キティは俺の様子に嬉しそうにその場でくるくると回ると、一番近い場所で丸くなった。

「ありがとう。はる、やさしい」

「やさしくねーよ」

俺は無視してやったのに喉の口が勝手に答える。

「そんなことない、いつもありがとう」

丸くなったまま、リボンの似合わないしわしわな顔でキティが笑ったような顔で答えた。

それからキティは俺が傍にいる間はずっと静かだった。何がいいんだか。

こうしてられんのも、今のうちだ。待機所を出たら、こんなことも言えなくなるだろう。
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