ファントム オブ ラース【小説版】

Life up+α

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第一部【2章】無秩序な愛と連鎖する暴力

06. 安堵

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待機所にあったシーツを適当に羽織らせ、キティを連れて別の部屋へと連れて行く。元々、四つん這いのせいで俺の膝くらいしか体高がなかったキティは、二本足で立つと俺の腰より上くらいまでの身長になっていた。

裸足で俺の隣をてちてちと歩きながら、キティはもの珍し気に周囲を見回す。

「すごいね!こんなに大きい所だったんだね~!」

「勝手にしゃべんな」

俺より先に頬の口がキティを叱る様に声を上げる。

「う~、ごめんね?」

歩幅が全く違うからか、終始早歩きをしながら彼女は困ったように笑った。ネズミの状態よりかなり表情が読みやすくなったように思う。

一緒に黙ってエレベーターに乗り込み、目的の階層ボタンを押す。静かに閉まったエレベーターの中でキティはソワソワと俺を見たり、前を見たりする。

「…次はどういう場所か聞いてもいい?ハルにはまた会える?」

照れたようにシーツから出した指先と指先を合わせながら、彼女は俺を横目で見上げる。

「今までよりはマシなんじゃねえ?今どうなってんのか知らねえけど」

人型まで進化する怪物はそう多くない。多くないその怪物たちは特別房に移される。ここは人間の文化を学ぶというのが目的らしいが、働いている看守たちは皆ここから抜擢されていた。

俺も初めて檻から出た日から一週間だけ住んでいたが、俺の時は怪物に看守を任せる制度が採用されたばかりだったから、人数の関係ですぐに看守の仕事を割り当てられた。なので、このエリアが俺にとっては一番縁遠い。

特別房にいる怪物は、一番コミュニケーションがスムーズだと思われる看守が教育を担当する。特別房に入った本人が担当者を指名することも出来る。エドヴィンなんかは結構な人数を受け持っているらしいが、俺と上手くコミュニケーションをとれる奴なんているわけがないから、俺は一度も特別房で担当を持ったことはなかった。

「会えねえよ、バァカ」

「え~!そんなあ~!」

俺の言葉にキティは俺を見上げたまま肩を落す。諦めたかと思えば、彼女は前のめりに質問を重ねてくる。

「絶対に会えない?キティが頑張ったら、どこかで会える?」

丁度その質問が終わるタイミングでエレベーターが目的の階層に到着する。チンと音を立てて開かれたそれに合わせて俺が歩き出すと、慌ててキティは小走りについてきた。

「ハルのお話聞けるようにもっと勉強するから、会いに来て欲しい!どうしてもダメ?がんばるよ?」

「うるせえなあ」

「無理なもんは無理」

「ここそういうエリアじゃねえから」

食い下がるように強請るキティに嫌気がさしてくると、代わりに体中の口たちが答えを返す。

煩わしい反面、こういう時は楽でいい。まあ煩わしいならちょっとくらい得する部分が無いとやってられない。

「そんなあ~!」

俺の返答にキティは同じように口を三角にして抗議するが、無視をする。ぶん殴ってやりたいところだが、基本的に特別房の怪物に対する体罰は禁止されている。キティがここに来た時点で、今までのようにヤキは入れられない。

ホログラムを開いてキティが入れそうな部屋を確認する。用意された部屋には男を入れるべきか女を入れるべきか、もしくは性別関係なく入れられるのかだけが指定されているので、空いている部屋はいつ使ってもいい。一番近い女用の部屋を地図で見つけ、そのカードキー用のデータを持ち歩いていた媒体にインストールする。こういう時は不正行為ではなく、緊急であったと報告書書かないといけない。本当にめんどくせえ、仕事ばっかり増える。

「そのホログラム、かっこいいね!どうやって使ってるの?」

「お前は知らなくていいの」

俺の出したホログラムを覗き込もうと背伸びをするキティの頭を肘で押し返す。あれだけの体罰を受けても本当にめげない。頭に問題があるんじゃなかろうか。

「ハル、いつもそのホログラムでゲームしてるってエドが言ってたよ!ハルがやってるとこ、見たいな~」

俺の気持ちなどつゆ知らず、能天気にキティが笑顔で俺を見上げる。それを無視して歩く速度を早めると、キティは慌てて走り出した。

「ここがお前の部屋だ」

空いている部屋のロックをカードキーで開く。開かれたその部屋に電気を灯し、そこに広がる光景に俺は思わず顔をしかめる。

家具一式全てパステルカラーで取り揃えられた、全面に女を押し出したような部屋だった。ふわふわした小物とか、キラキラしたドレッサーとか、どれも見ていて全身が痒くなる。

特別房は何故か家具が看守部屋よりしっかりと揃えられていたのは、何となく覚えてはいるが、俺の時は至ってシンプルなフローリングの部屋で、せいぜい楽器やスピーカーとかゲーム機くらいしかなかった。こんな目に痛い部屋が存在していたなんて知らなかった。

「わあ~!すごいね!なんか可愛い気がする!」

キティはそれを見て拍手をするが、本人も可愛い「気がする」と言っているあたり、気のせいなのかもしれない。パタパタと部屋に上がりこむと、シーツを羽織ったまま彼女はベッドに座った。

「ハルもこっちおいでよ~!なんか良い匂いするよ、このお部屋!」

「はあ?だからもう、俺の管轄外なんだっての。俺はもう帰る」

部屋に置かれたユニコーンの形をした変な時計がそろそろ退勤時間を示そうとしていた。踵を返して帰ろうとする俺に、キティは慌てて立ち上がると、俺の腕を掴んで全力で部屋へと引っ張る。

「そんなあ~!これが最後なら、最後くらいお話しよ?ね?お願い!お願いだから~!」

「知るか!後でエドが来っから大人しくしとけ」

腕にしがみつくキティを腕を振り払って突き飛ばす。チビな上に非力なキティは、いとも簡単に後ろへ倒れこんで尻もちをついた。

どっちみちこんな雑魚じゃ看守になる未来はないだろうし、コイツはしばらく出てこれねえだろう。つまり煩わしい存在がひとつ減る。なかなか喜ばしいことだ。

「う~…」

床に座ったままキティは俺を見上げると、大きな水色の瞳にじわじわと涙を溜め込む。今までどんなに殴っても泣かなかったのに、どういう思考回路してんだ。話すことに関しては何でもかんでも大げさな奴だ。

「じゃあな」

「やだ~!ハル~!」

閉める扉の向こうからキティの悲壮な声が聞こえたが、無視してそのまま閉じる。オートロックで鍵が閉まったのを確認すると、俺はそのまま自分の部屋へと直帰する。

キティが担当をもし指名するのだとしたら、俺かエドヴィンの二択になる。そこから選ばないなら、人間が見繕った看守が選ばれるのだろうが、俺が指名されることなどない。そもそも、エドヴィンがいる二択でわざわざエドヴィンを外す方があり得ない。

この一週間、檻でキティの相手をしていて分かったのだが、俺はアイツがあまり得意じゃないようだった。最初は変なことを言うから面白いような気がしたが、暴力で何も言うことをきかない生き物は正直言って扱いずらかった。
あの真っすぐな好意の言葉だって気持ちが悪い。聞いていると、よく分からない感情が湧き上がってくる。その状態で暴力を振るうのは、あんまり楽しくなかった。

部屋に帰って服を適当に脱ぐ。この間は洗濯したから、今日は洗濯しなくていいだろ。

ホログラムのキーボードでキティの一連の流れを報告書にまとめて、ダブルチェックの意味で連携してグループを管理しているエドヴィンに提出する。この流れはマニュアルで決まっているので、省きようがない。まあ、問題なければエドヴィンが上に提出して、この件は終わりだ。

冷蔵庫から前に買っておいた冷凍ピザを取り出す。薄っぺらい箱についたボタンを押すと、じわじわとそれが温まっていくのが分かった。

温まるのを待ってから箱を開けると、湿気を吸った生地が指先にベッタリと張り付く。不快ではあるが、これが美味い。薄くて味の濃いサラミと何の味もしないチーズの乗ったそれを口に運んで租借した。

「あのネズミと関わらなくていいとか、最高じゃねえか」

「うるさかったから、もうあの声聞かないでいられて助かるわ」

食ってる間に身体の口がまた勝手に話し出す。俺の思っていることがそのまま出てきているんだから、そう思っているということなんだろう。

「でも、もう誰にも褒めてもらえないんだな」

喉元の口が言った。その言葉に俺の手から持っていたピザの切れ端が滑り落ちた。

具材の面を下にした状態で膝に落ちたそれはケチャップをまき散らしながら、更に床へとダイブしていく。

「あーあー!何やってんだ!」

「誰が掃除すると思ってんだ!」

頬と手の甲が怒鳴る。俺は肩で大きな溜息を吐いてからしぶしぶと椅子から立ち上がった。

「めっちゃ動揺してんじゃん」

「っせ」

笑う喉の口に俺は悪態をついて黙らせる。

別に動揺なんかしてない。たまたま手からピザを落すこともあるだろう。落としたピザをゴミ箱に突っ込み、三角形にケチャップの痕を残したズボンを脱いだ。しぶしぶと俺はそれを洗面台に持って行く。よりによってスラックスか…脱いでおけば良かった。

パンツ一枚のまま洗面台でスラックスを手洗いしていると、右手の指輪から着信音がする。なんでこんな色々まとまって起きるんだよ。小分けにしてくれ。

「着信確認」

俺の言葉でホログラムが自動で目の前に表示される。着信画面にはエドヴィンの名前と証明写真が表示された。

人間が管理しているデータから引っ張ってきているので、看守たちは全員証明写真で登録されている。決して俺がエドヴィンの写真を登録したかったわけではない。

「なんだよ、勤務時間外だぞ」

「ごめんね?でも明日の勤務に関わることだから早めに連絡しとこうと思って」

通話の向こうから聞こえてくるのはいつものヘラヘラしたような声色だ。緊急連絡という雰囲気でもないし、なんだというのか。

「キティの事なんだけど」

「あー?報告書は出したろ、俺の報告になんか文句あんのか」

「うん、報告書はよくできてたよ。連絡したのはその件じゃなくて」

エドヴィンの話し方は回りくどいというか何というか、結論がすんなり出てこないから嫌いだ。

「んだよ、さっさと話せ。暇じゃねーんだよ俺は」

「ハルが話を遮ってるんじゃないか」

くすくすと腹の立つ笑い声の後に、エドヴィンはそのテンションのままようやく本題に入る。

「キティの担当看守になったよ、おめでとう」

「…は?おめでてえのはお前だろうが、そんなことで連絡してくんな」

なんでわざわざエドヴィンがキティの担当看守になった連絡を俺が受けねばならないのか意味が分からない。くだらねえ通話ならさっさと切ろうと切断ボタンに指を近づける。

「ん?キティの担当はハルがやるんだよ?キティ本人からのご指名さ。良かったじゃないか!」

エドヴィンの言葉に俺の頭が一瞬だけ真っ白になった。

ご指名?エドヴィンと俺の二択で俺を選ぶか?答えが分かっている二択クイズでわざと回答を外すようなもんだぞ。俺は思わず鼻で笑う。

「んなわけねえだろ。聞き間違いじゃねえのか?」

「あはは!あんなに懐かれてたのにハルには自信なかったのかい?俺はキティなら最初からハルを選ぶって思っていたよ」

相手にその気があるかは知らんが、なんだか人を馬鹿にしたような笑い方だ。

「俺が見に行った時にはキティがべしょべしょに泣いてて大変だったよ、ハル~ハル~ってさ」

そう言われて、俺は別れ際のキティの様子を思い出す。泣きそうにはなっていたが、そんなに大泣きするようには思えなかった。信じられない光景を口で伝えられても、いまいちピンとこない。ピンと来ないが、不思議と嫌な気分ではなかった。

あれだけ騒がしい口たちがまた黙り込む。なんでこういう時ばっかり黙るんだ、コイツら。

「ハルは特別房の担当は初めてだろう?だから資料とか注意事項のマニュアルを送ってあげようと思ってさ。メールにまとめておくから活用するといいよ」

「は?いらねえし」

「あのハルが担当を持つなんて、なんか感慨深くってさー。大事に指導してあげるんだよ?看守はあの子たちが立派な人間になるためのお手本なんだからさ!」

俺の話も聞かずにペラペラとエドヴィンは話すだけ話すと、早速大量のマニュアルがついたメールが送られてくる。急激に増えた仕事に俺は盛大に溜息を吐いた。

この量、目を通すだけで日が暮れるぞ。俺の目は一個しかないんだから、勘弁してもらいたい。

「…マジかよ」

「がんばってね!困ったことがあればいつでも相談乗るからさ!」

俺が膨大なマニュアルを前に顔をしかめてるうちに、エドヴィンは言いたい放題言って通話を切った。本当に、マジで、ガチで、空気読めないなアイツ。

音声が切れ、大量の資料が表示されたホログラム画面だけが残される。片手間に洗っていたスラックスを乾燥機に突っ込んで、俺は蹴飛ばすように足でボタンを押す。ガタンと音を立てて乾燥機が回りだした。

「また褒めてもらえるじゃん」

「っせーな!」

喉の口が笑うのに対して怒鳴るが、喉の口はずっと笑っているだけだった。
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