ファントム オブ ラース【小説版】

Life up+α

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第一部【2章】無秩序な愛と連鎖する暴力

08. 困惑

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キティの担当についてから1週間が経過した。最初の数日は勤務時間内に時間を捻出して来ていたのだが、毎回飯が出るので最近は晩飯がてらキティの部屋に寄るようになっていた。

定時に仕事を終え、足早にエレベーターに向かう途中、すれ違う看守たちがひそひそと俺を見て首を傾げる。

「なんかハルミンツ、最近ちょっと変わったよな」

「弱みでも握られてんじゃねえの…?あんな面倒見のいい奴じゃないだろ」

相変わらず俺の様子を逐一観察して話題に上げるなんてご苦労なことだ。俺はそれを無視してエレベーターに乗り込むとキティの部屋がある階層のボタンを押した。

暴力を振るうことで変に有名になってしまったせいで、俺が担当を持った話はあっと言う間に看守の間で広がった。噂の出所は間違いなくエドヴィンだろうが、それを聞いた看守たちはいつ俺が担当を切られるかで賭けまでしていたらしい。

担当看守は特別房の怪物が申し出れば、正式な調査の後に担当を変更する権利を持っている。全ては教育のためらしいが、そういった理由で看守どもは俺が何日でキティから担当を切られるかと毎日楽しみに俺の様子をみているというわけだ。

ドアをノックする文化にも大分慣れてきた。ノックをすると、これまた聞きなれた明るい声が聞こえる。カードキーで部屋を開けると、キティが嬉しそうに俺を迎え入れる。

「お仕事お疲れ様~!今日はお肉とお魚一杯焼いたの!」

宣言通り、部屋には肉や油特有の香ばしくて甘い香りがする。

「料理名雑かよ」

まあ、そうさせたのは俺の影響がでかいのだろうが、さすがにそこまで責任とる必要はないだろ。どうせ他所に行けなどしないんだから。

部屋のテーブルには牛肉と鶏肉のステーキ各種と、フィッシュフライ、ポテトもついでに揚げたのか皿の脇に添えられている。傍に置かれたパンは温めてあるが、ラップがかけてある。

「ハルは湿気でしなしなのパン好きだから、焼き上げてからラップかけてみたんだけど、どうだろう?しなしなになってるかな?」

手作りの焼きたてパンに湿気吸わせて、わざわざしなしなにするなんて常人のすることとは思えねえ。きっとこいつくらいしかそんなバカやらないだろう。

しかしそれが一番うめえのも事実。どうせ食うなら旨い方がいい。

「変な手の込め方してんな」

左手の口がからかう様に笑った。まあその通りだと思う。

「そう?頑張って工夫して良かった~!」

ソファに座ってキティは俺が隣に来るのを今か今かと楽しみに足を揺らす。この期待に満ち満ちた表情も大分慣れて来た。キティの隣に座ると、俺の重みでソファが沈んで斜めになる。思っていたより傾斜が強かったのか、一緒にキティの身体がこちらへと落ちてきた。

「わわわっ」

肩がぶつかるくらいなら良かったが、非力すぎて彼女はそのまま俺の方へと倒れこんでくる。仕方ないので片手でそれを押し返してやると、ようやくバランスが戻ったのか元の位置にキティが座り直した。

「ちゃんと座れ」

「あっ…うん…ありがとう」

身体を押し返しただけなのに、何故かキティは顔を真っ赤にしてもじもじと答える。目を泳がせて照れているのが嫌でも分かる。

その反応にどうにも体の内側が痒くなるような、搔いても搔いても患部に届かないような気持ち悪さを感じた。

キティがなんでエドヴィンではなく俺を担当に指定したのか、理由は分かった。恐らく恋愛感情だろう。だがその理屈が全く分からない。

そもそも普通に考えて罵声を浴びせる人間より、危害を加えずに飯を与える方へ好意を持つのが当たり前だ。その上で殴る蹴るする相手をどうして好きになるんだろう。好きになったりしないから、俺は今まで一度も担当に指定されたことがないのだ。

言い表せないモヤモヤとした感情を抱えたままキティと食事をする。キティは俺が喋ろうが喋らなかろうが隣でずっと楽しそうに話しかけてくる。ここ一週間ずっとそうだった。

「また明日も美味しいご飯がんばって作るね!いつもありがとう~!」

見送る時に彼女は決まって俺にお礼を言う。何が有難いのかさっぱり分からないが、本人はそれでいいのだろう。

俺はそのままいつものように自室に帰ると、洗濯ものを放置して寝た。キティと接する時間がプライベートに食い込んで、俺の睡眠時間は減ったが、それは案外苦ではなかった。

次の日の早朝、いつものように出勤すると珍しくエドヴィンがパイプに座ってホログラムと睨めっこをしていた。

面倒なので、エドヴィンを無視してロッカーに向かうと、聞いてもいないのにエドヴィンが声を掛けてきた。

「なあハル、聞いてくれよ。俺はケットが気の毒でならない!」

ケットと言うのは、あのヨルツの向かいに入ってきた別グループから来た新入りの名前らしい。初日に躾を入れてやってから、飯の食い方やここでの過ごし方として俺が毎日鞭を打っていた。

逃げない方が悪いのだ。まだ虚勢張って俺の関心から逃れようとするヨルツの方がオツムはマシだ。

「可哀想って何がだよ。アイツ、寝てるか泣いてるかの二択だろ。怪我もどうせお前が手当してんのに、憐れむ要素あるかよ」

鼻で笑いながら俺はロッカーの中のコートを羽織る。スタンガンや鞭をベルトに付けている背後で、エドヴィンは話を続けた。

「彼女は目も見えないし、耳も聞こえない。手足もあまり動かないし…身体中に欠陥があって本当に不憫なんだよ。毎日キャンディをあげて、なだめてあげても、ずっと泣いてるんだ。まるでこの場所を怖がってるみたいにさ!」

「そりゃ、俺がいるからな。泣いているだけで面倒見てもらえるって期待してる甘ったれには地獄だろうよ」

着替えながら俺は嗤う。ケットの恐怖の源はどう考えても俺だろう。あれだけ虐待されれば、檻が嫌いになるのは至極まっとうな話だ。

だとして、手足が不自由だとか、目と耳が機能しないとかエドヴィンは言うが、俺はアイツに飯をやった時に反応を返したのを見た。這いつくばって飯を食えと命令したら食べた。不意に反応する瞬間もある。確かに早くは動けないだろうが、動こうと思えばアイツは動けるのだ。

「ハルが躾のために厳しく接するのは分かってるけど、ケットは少し手を抜いてやってもいいんじゃないの?だって彼女はまともに話せもしないんだよ」

「はあ?話せるだろ。お前は手を焼きすぎなんじゃねえの」

動けるくせに、悲鳴もあげられるくせに、逃げもせず助けを呼ぼうともしない。ただすすり泣いて、ケットはエドヴィンに手厚い看護を無言で要求する。その姿勢がどうにも腹立たしかった。

それに、エドヴィンが与えるキャンディは…無害な菓子に見えるが、鎮静剤が混ざっている。痛みも鈍るが、思考が鈍って物事を考えられなくする。あんなもの与える方が余程タチが悪い。

「どうせケットもキャンディ食ってんだろ。過激なくらい躾た方がいいんじゃね?」

適当に言いながら、俺はエドヴィンを追い出そうと椅子から引っ張り上げる。エドヴィンは困ったように眉を寄せると、俺を見てため息を吐いた。

「それは…でも、ハルも彼らのためを思ってのやり方だもんな。これ以上口出しするのはエゴってものだね」

「はあ?」

「キティが言っていたよ。ハルはご飯の食べ方や、痛み、どう謝罪するのかを教えてくれたって。凄く感謝してるって言ってたんだ」

エドヴィンから出てきた言葉に俺の頭が真っ白になった。何を言われているのか理解出来ずにいると、エドヴィンは眉を寄せたまま笑った。

「実際にキティの成長は格段に早かったから、上手くハマる子には良い教育方法なのかもしれないね。痛々しくて俺にはとても真似出来ないけどさ」

いつも腹が立つ笑い方をするエドヴィンだが、一段と神経を逆撫でしてくる。褒めているようで、褒めてなどいない。俺を止めるわけでもなく、アイツはアイツで今の自分のスタンスを貫くって言うだけの宣言だ。

「チッ…定時過ぎてんぞ。早く帰れ」

掴んでいたエドヴィンの服から手を離すと、彼は手で服を整えながらロッカーへと向かった。

「ケットのことも、もっとよく見てあげてね」

俺は返事を返さない。どうにもイライラして仕方なかった。

他人のために叩いている?そんなこと考えたこともない。俺はただ、自分の気分だけで虐待を繰り返しただけだ。
怒鳴って威圧して、暴力で相手を黙らせれば対話をする必要もない。俺を怖いと思うなら、相手は俺から怯えて離れるだけ。

馴れ合いなんかいらない。1人でいい。怪物も人間もみんな敵だ。

檻の中で人間から虐待を受けた時に、庇ってくれると思った仲間は誰も俺を救おうとしなかった。俺が犠牲になって、周りが救われるならそれで納得できるとも思ったが、アイツらは最終的に裏切ったんだ。

信じられるのは自分自身と、自分が持ちうる武力だけだ。他人なんかアテにするから痛い目を見る。だから、俺は誰も信じない。

「キティは暴力に感謝してるってよ」

「頭おかしい」

エドヴィンが出ていき、1人になった待機所で身体の口が次々に話し出す。

本当に頭がおかしい。薄々疑っちゃいたが、やっぱりネジの一、二本抜け落ちてしまったんだろう。

本当に哀れな生き物だ。そうさせたのは俺なのだろうが。
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