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第一部【3章】知らない温もり
12. 未知
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気が付くと部屋は薄暗くなっていて、すぐ隣にキティが座ってルームライトで本を読んでいた。薄桃色をした薄手のワンピース型のパジャマを着て、彼女は本とノートを手に難しい顔で睨めっこ中だ。
「…こんなとこで何やってんだ?」
俺の声にキティが驚いたように顔を上げて振り返る。俺の顔を見ると、彼女は嬉しそうに笑って俺の髪を撫でた。小さな手で髪をすくように撫でるそれが気持ちいい。
「あ~!良かった!ちょっと元気になった?ここ、キティのお部屋だよ!」
キティの話に俺は自分の記憶をさかのぼるが、前後関係があまり思い出せない。顔をしかめていると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ハル、疲れたって倒れちゃったんだよ。覚えてない?熱は測ったけど、なかったから風邪ではないと思うけど…腕も怪我してるし、あんまり無理しちゃダメだよ」
「あー…」
説明されてみると、確かに身に覚えがあった。なら、こんなとこで何やってんのは俺か。起き上がろうと上体を持ち上げると、盛大に腹が鳴った。
「あっ!お夕飯食べ損ねたもんね!クッキーならまだあるからすぐ出るけど…マカロニチーズとか作ろっか?」
足取り軽くキティはベッドから立ち上がると、キッチンへと走っていく。宣言通りにお盆にクッキーが並んだ皿を乗せて戻ってくると、俺の膝の上にそれを置いた。
膝の上に乗せられたクッキーを摘まむ。前に注文つけたチョコチップがザクザク入った固くてデカいやつだ。口に運ぶと暴力的な甘味が口の中に広がった。
「は?うま!」
「これだよ、これ!」
「クソ甘くてうめえ!」
メインの口を置き去りに、すっかり怪我で喋らなくなっていた左手の口すらクッキーを賞賛する。その声にキティは小さく笑いながらキッチンでフライパンにバターを入れ溶かしている。
「ハルってお口が沢山あるから、賑やかで楽しいよね!前は全然喋らなかったのに、最近は一緒にいると大勢でワイワイしてるみたいで、素敵だな~って!」
生クリームとチェダーチーズを続けてフライパンに入れているのが、ここから辛うじて見える。部屋に漂うチーズの香りが美味そうだ。
話しかけられてはいるが、腹が減りすぎて答えている場合じゃない。クッキーを食べる手が止められない。もぐもぐと無言でクッキーにがっついていると、出来立てのマカロニチーズを手にキティが戻ってくる。
彼女の手には大きすぎるスプーンでマカロニチーズを一つすくいすると、それに息を吹きかけて冷まし、俺の喉元の口へと運ぶ。
「はい、あーん」
食べようと口を開くそれにキティが近づけるスプーンを慌てて取り上げる。
「ええ~!ダメだった?」
「そっちの口から食べると変なところから出るからダメだ。胃に上手く繋がってない」
「ほえ~、そうなんだ!沢山お口あるのに不便だねえ」
呑気な声色で彼女は感心すると、俺が取り上げたスプーンを返して欲しそうに手を伸ばす。
「じゃあ、目の脇についてる口に入れるから、スプーン返して~!」
「そっちもダメだ!耳から出る!」
「え~!じゃあ今クッキー食べてる口だったらいい?」
「自分で出来る」
「やりたいやりたい!」
これだけ拒否しているのに、キティは無邪気に笑うだけでめげない。一生懸命スプーンに向かって手を伸ばし続けるその小さな生き物に、俺は渋々とスプーンを手渡した。
「ハルの左手使えないから、キティが左手になるよ!一緒にご飯したら、クッキーとマカロニチーズ一気に食べられる!」
「一気はしねえよ」
何が楽しいのか理解できないが、俺の返答に彼女は楽しそうに笑うと改めてマカロニチーズを俺の口に運んでくる。それを口を開けて迎え入れる。マカロニチーズは塩気が強くてクッキーに合う。
「へへ、なんかハル可愛いね」
俺の口からスプーンを引き抜いてから、照れたようにキティが笑う。言われた言葉の意味が理解できずにしばらくマカロニチーズを無言で租借していたが、じわじわ体温が上昇する感覚がした。
「馬鹿なこと言うな!」
「え~、ごめんね?でも、前にハルもキティにこうやってミルクくれたでしょ?あれ凄く嬉しかったから、ハルに出来るの嬉しいな~って!」
「んなこと覚えてんのか」
キティにミルクを与えていたのは1カ月前くらいの話で、俺からすればまだまだ最近の話ではあるが、そんな赤ん坊の頃のことをしっかり覚えているもんだ。俺の記憶なんか、もう大分朧げなのに。
「あれは仕事だったから、やってただけだ。別に恩を感じるようなもんじゃねえぞ」
「キティは嬉しかったからいいの!」
「ミルクをあげてたのはエドもやってただろ」
赤ん坊の頃に限らない。檻の中で過ごした時間だって、俺がいない時はエドヴィンがいたはずだ。あれだけの体罰を受けて、罵詈雑言をぶつけられて、何を彼女が有難く思っているのか今だに理解が及ばない。
俺の言葉にキティは不思議そうに首を傾げる。
「貰ってたけど…ハルが厳しくするのってキティのことを思ってだったんでしょ?」
彼女の口から出てきたのは、エドヴィンが言っていた言葉そのままだった。
「ハルはエドが言ってくれないようなことも沢山言ってくれた。ハルがキティのこと、ブスだって教えてくれなかったら可愛くなろうとは思わなかったし、ご飯は残したらいけないことだってことも分からなかった。お仕置きは痛いけど、ハルが思ってしてくれたことだから、受け入れたかったし…エドが教えてくれないことをハルは一杯教えてくれたもん!」
そこまで言われて、俺はコイツが盛大な勘違いを起こしていることに気が付く。
俺はそんなことを考えて行動をしていたわけじゃない。ただ自分の憂さ晴らしのために怪物を虐待していただけだ。将来を思ってとかじゃない。むしろ、自分と同じようにこの施設の中で腐って、もがき苦しめばいいとすら思っていた。
恐らく、キティは俺のことを過大解釈している。だから、心酔するように俺に好意を向ける。俺が生み出した負の連鎖のうちの一つ。
哀れな生き物だ。哀れだが、確かにこの生き物に救われている自分がいた。
「…思いたきゃ、そう思っとけ」
俺はキティの勘違いに気付いたまま、それを口に出さずに濁した。彼女にはこのままでいて欲しかった。
勘違いだったと気付かれたくない。気づかせたら、この空間はなくなってしまうだろう。
言わない自分は卑怯なんだろう。でも、そうじゃないと生きていけない場所だ。この先、いつまで続くか分からないのに、これ以上自分の首を絞めるような真似などしない。
何も知らないキティはいつものように無邪気に笑った。
「じゃあ、そう思ってる!あっ、でもね、エドには内緒だけど、ハルの方がエドよりずっとイケメンだよ!大きいその一つ目、凄く好き!睫毛がバサバサ~って!王子様みたい!」
「んぶっ…」
思わず食べかけのクッキーをお盆に落し、器官に入ったクッキーの粉でむせる。慌ててキティは俺の背中をさすった。
胸を叩きながら咳払いで呼吸を整える。コイツの視界どうなってんだ。こんな怪物が多種多様に揃ってりゃ、価値観それぞれだろうが、俺を見てそんなこと言う奴なんか誰もいないぞ。
「お前、王子様とか見たことあんのか…?」
「あるよ!小さい頃にエドに借りた絵本のシンデレラとか…あっ、ほら!ドラキュラ伯爵とか!」
「それは王子じゃねえんだわ」
ドラキュラは確かに書物によっては美しく描かれがちで、イケメンと形容される部類ではあるらしいが、キティからすればあれは王子に分類されるのか。やっぱり独特な感性を持っているのかもしれない。
そんなくだらない話をしながら、俺は長らくキティのベッドでダラダラと過ごした。こんな話しても聞いても身にならないような会話をずっと続けるなんて、恐らく生きてて初めてだ。
ユニコーンを象った奇妙な形の時計の針が24時を指す頃になって、キティは思い出したように手を叩いた。
「あれ?今日はお帰り遅いの?ハルのお部屋に戻らなくて大丈夫?」
「なんだ、帰れってか」
「えっ!?そうじゃないけど…いつもすぐ帰っちゃうから、帰らないといけない用事とかあるのかなって…」
もじもじと手をいじるキティに俺は家でやっていることを思い出す。
いつも何やってたっけな。
「洗濯してんだよ」
頬の口が答える。そうだ、洗濯してた。しない日もたまにあるけど。
「お洗濯!それなら、キティがやろっか?キティはここから出られないから、毎日すごく退屈なんだ~。ハルのお洋服、ピッカピカにするよ!」
息まいたようにキティはそう答えると、目を輝かせて力こぶを作って見せる。腕が細すぎてコブなど何も出来ていなかったが。
「別にいい、自分でやるし」
「えっ!?やってくれんの!?助かる、洗濯嫌い」
勝手に本音を喋り出す喉の口を引っぱたいて塞ぐ。勝手に内情をペラペラと話すのは止めてもらいたい。
「嫌いだからいっつも洗濯物溜め込んで、ギリギリにやるんだよな」
「予備が薄汚れた頃になってようやくやるんだよ」
せっかく喉の口を塞いだのに、他の口が続きを全部喋り出す。左手が使えないことが、こんな場所で不便すると思わなかった。いや、三つもあればどれかしらは塞げないんだろうが。
「そうなんだ?ハルっていつもパリッとしてるから、ちょっと意外!お洗濯は任せて~!スーツみたいな固い素材の洗濯のもお勉強したかったんだ!」
「…じゃあ、明日持ってくるよ…」
締まらないのがどうにも気恥ずかしいが、ここまで本音を暴露されては観念するしかない。
そういえば、こんな気持ちは久しぶりだな。
「じゃあ、今日はお泊り?ベッド狭くてごめんね。ゆっくりしてって!」
嬉しそうにキティは両手を合わせて笑うと、ルームライトを消して俺の隣で横になった。
予想外の展開に俺の脳が一瞬だけ処理落ちした。
「…えっ、いや、帰るけど…」
「えっ!?」
キティが慌ててルームライトをつける。本当に一緒に寝る気だったんだろう。
「帰っちゃう?」
「いや、一緒に寝るわけにいかんだろ」
「え~、そうなの?ベッド狭いからダメ?」
「そういう問題じゃない」
規則的には特別房に泊まり込むのは特に問題視されていない。メンタルケアの関係で泊まり込む看守もいるし、エドヴィンのようにあちこちの受け持ちの部屋を回っていたら日付を跨ぐなどザラだ。監視もされていないし、罰則も設けられていない。
にしても、やっぱりそういう問題ではない。今のキティの見た目は身長こそ低いが、限りなく大人に近い。仮にも一応、生物学的には性別が異なっているわけで、一緒に寝るのは…なんか、こう、違う。
「え~!じゃあ、ハルが帰りたくなるギリギリまで起きてる!」
「好きにしろ」
キティが出した妥協案に合意すると、彼女は両手を上げて喜んだ。コイツの成長速度がどんなに早かろうと、ガキに代わりはない。すぐに寝るだろう。
ただベッドで横になっている俺の隣に座って、キティは色んな話をした。最近読んだ人間のファッション雑誌の話とか、見つけた料理のレシピとか、新しいシャーペンの握り心地が思ってたのと違ったとか、本当にどうでもいい話ばかりが続いたが、不思議と退屈はしなかった。
喋るだけ喋って、深夜の2時が近づく頃になるとキティが座ったままうつらうつらとし始める。呂律が回らなくなり、目も開いているのか怪しい。すごく眠いってことだけ良く分かった。
「寝ろよ」
「う~…寝たら、ハルが帰っちゃう…」
声を掛けると、キティは目を擦って眠気を追い払おうとするが、どうにも勝てないのか再び船を漕ぐ。
「じゃあ、寝なくてもいいけど、そこで横になっとけばいいんじゃねえのか」
横になればさすがに寝るだろう。布団に入るように促すと、キティはしぶしぶと俺の隣で横になった。
「帰んない…?」
「寝るまではな」
寝言のようなキティの言葉に適当な返事を返すと、彼女は笑みを浮かべたまま目を閉じて秒速で眠りにつく。
ほら、やっぱり子供だ。俺は静かにベッドから抜け出ると、ついたままのルームライトを消して部屋から出る。暗がりの中で小さな人影が丸くなっているのが見える。それに背を向けて、扉を閉めた。
「…こんなとこで何やってんだ?」
俺の声にキティが驚いたように顔を上げて振り返る。俺の顔を見ると、彼女は嬉しそうに笑って俺の髪を撫でた。小さな手で髪をすくように撫でるそれが気持ちいい。
「あ~!良かった!ちょっと元気になった?ここ、キティのお部屋だよ!」
キティの話に俺は自分の記憶をさかのぼるが、前後関係があまり思い出せない。顔をしかめていると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ハル、疲れたって倒れちゃったんだよ。覚えてない?熱は測ったけど、なかったから風邪ではないと思うけど…腕も怪我してるし、あんまり無理しちゃダメだよ」
「あー…」
説明されてみると、確かに身に覚えがあった。なら、こんなとこで何やってんのは俺か。起き上がろうと上体を持ち上げると、盛大に腹が鳴った。
「あっ!お夕飯食べ損ねたもんね!クッキーならまだあるからすぐ出るけど…マカロニチーズとか作ろっか?」
足取り軽くキティはベッドから立ち上がると、キッチンへと走っていく。宣言通りにお盆にクッキーが並んだ皿を乗せて戻ってくると、俺の膝の上にそれを置いた。
膝の上に乗せられたクッキーを摘まむ。前に注文つけたチョコチップがザクザク入った固くてデカいやつだ。口に運ぶと暴力的な甘味が口の中に広がった。
「は?うま!」
「これだよ、これ!」
「クソ甘くてうめえ!」
メインの口を置き去りに、すっかり怪我で喋らなくなっていた左手の口すらクッキーを賞賛する。その声にキティは小さく笑いながらキッチンでフライパンにバターを入れ溶かしている。
「ハルってお口が沢山あるから、賑やかで楽しいよね!前は全然喋らなかったのに、最近は一緒にいると大勢でワイワイしてるみたいで、素敵だな~って!」
生クリームとチェダーチーズを続けてフライパンに入れているのが、ここから辛うじて見える。部屋に漂うチーズの香りが美味そうだ。
話しかけられてはいるが、腹が減りすぎて答えている場合じゃない。クッキーを食べる手が止められない。もぐもぐと無言でクッキーにがっついていると、出来立てのマカロニチーズを手にキティが戻ってくる。
彼女の手には大きすぎるスプーンでマカロニチーズを一つすくいすると、それに息を吹きかけて冷まし、俺の喉元の口へと運ぶ。
「はい、あーん」
食べようと口を開くそれにキティが近づけるスプーンを慌てて取り上げる。
「ええ~!ダメだった?」
「そっちの口から食べると変なところから出るからダメだ。胃に上手く繋がってない」
「ほえ~、そうなんだ!沢山お口あるのに不便だねえ」
呑気な声色で彼女は感心すると、俺が取り上げたスプーンを返して欲しそうに手を伸ばす。
「じゃあ、目の脇についてる口に入れるから、スプーン返して~!」
「そっちもダメだ!耳から出る!」
「え~!じゃあ今クッキー食べてる口だったらいい?」
「自分で出来る」
「やりたいやりたい!」
これだけ拒否しているのに、キティは無邪気に笑うだけでめげない。一生懸命スプーンに向かって手を伸ばし続けるその小さな生き物に、俺は渋々とスプーンを手渡した。
「ハルの左手使えないから、キティが左手になるよ!一緒にご飯したら、クッキーとマカロニチーズ一気に食べられる!」
「一気はしねえよ」
何が楽しいのか理解できないが、俺の返答に彼女は楽しそうに笑うと改めてマカロニチーズを俺の口に運んでくる。それを口を開けて迎え入れる。マカロニチーズは塩気が強くてクッキーに合う。
「へへ、なんかハル可愛いね」
俺の口からスプーンを引き抜いてから、照れたようにキティが笑う。言われた言葉の意味が理解できずにしばらくマカロニチーズを無言で租借していたが、じわじわ体温が上昇する感覚がした。
「馬鹿なこと言うな!」
「え~、ごめんね?でも、前にハルもキティにこうやってミルクくれたでしょ?あれ凄く嬉しかったから、ハルに出来るの嬉しいな~って!」
「んなこと覚えてんのか」
キティにミルクを与えていたのは1カ月前くらいの話で、俺からすればまだまだ最近の話ではあるが、そんな赤ん坊の頃のことをしっかり覚えているもんだ。俺の記憶なんか、もう大分朧げなのに。
「あれは仕事だったから、やってただけだ。別に恩を感じるようなもんじゃねえぞ」
「キティは嬉しかったからいいの!」
「ミルクをあげてたのはエドもやってただろ」
赤ん坊の頃に限らない。檻の中で過ごした時間だって、俺がいない時はエドヴィンがいたはずだ。あれだけの体罰を受けて、罵詈雑言をぶつけられて、何を彼女が有難く思っているのか今だに理解が及ばない。
俺の言葉にキティは不思議そうに首を傾げる。
「貰ってたけど…ハルが厳しくするのってキティのことを思ってだったんでしょ?」
彼女の口から出てきたのは、エドヴィンが言っていた言葉そのままだった。
「ハルはエドが言ってくれないようなことも沢山言ってくれた。ハルがキティのこと、ブスだって教えてくれなかったら可愛くなろうとは思わなかったし、ご飯は残したらいけないことだってことも分からなかった。お仕置きは痛いけど、ハルが思ってしてくれたことだから、受け入れたかったし…エドが教えてくれないことをハルは一杯教えてくれたもん!」
そこまで言われて、俺はコイツが盛大な勘違いを起こしていることに気が付く。
俺はそんなことを考えて行動をしていたわけじゃない。ただ自分の憂さ晴らしのために怪物を虐待していただけだ。将来を思ってとかじゃない。むしろ、自分と同じようにこの施設の中で腐って、もがき苦しめばいいとすら思っていた。
恐らく、キティは俺のことを過大解釈している。だから、心酔するように俺に好意を向ける。俺が生み出した負の連鎖のうちの一つ。
哀れな生き物だ。哀れだが、確かにこの生き物に救われている自分がいた。
「…思いたきゃ、そう思っとけ」
俺はキティの勘違いに気付いたまま、それを口に出さずに濁した。彼女にはこのままでいて欲しかった。
勘違いだったと気付かれたくない。気づかせたら、この空間はなくなってしまうだろう。
言わない自分は卑怯なんだろう。でも、そうじゃないと生きていけない場所だ。この先、いつまで続くか分からないのに、これ以上自分の首を絞めるような真似などしない。
何も知らないキティはいつものように無邪気に笑った。
「じゃあ、そう思ってる!あっ、でもね、エドには内緒だけど、ハルの方がエドよりずっとイケメンだよ!大きいその一つ目、凄く好き!睫毛がバサバサ~って!王子様みたい!」
「んぶっ…」
思わず食べかけのクッキーをお盆に落し、器官に入ったクッキーの粉でむせる。慌ててキティは俺の背中をさすった。
胸を叩きながら咳払いで呼吸を整える。コイツの視界どうなってんだ。こんな怪物が多種多様に揃ってりゃ、価値観それぞれだろうが、俺を見てそんなこと言う奴なんか誰もいないぞ。
「お前、王子様とか見たことあんのか…?」
「あるよ!小さい頃にエドに借りた絵本のシンデレラとか…あっ、ほら!ドラキュラ伯爵とか!」
「それは王子じゃねえんだわ」
ドラキュラは確かに書物によっては美しく描かれがちで、イケメンと形容される部類ではあるらしいが、キティからすればあれは王子に分類されるのか。やっぱり独特な感性を持っているのかもしれない。
そんなくだらない話をしながら、俺は長らくキティのベッドでダラダラと過ごした。こんな話しても聞いても身にならないような会話をずっと続けるなんて、恐らく生きてて初めてだ。
ユニコーンを象った奇妙な形の時計の針が24時を指す頃になって、キティは思い出したように手を叩いた。
「あれ?今日はお帰り遅いの?ハルのお部屋に戻らなくて大丈夫?」
「なんだ、帰れってか」
「えっ!?そうじゃないけど…いつもすぐ帰っちゃうから、帰らないといけない用事とかあるのかなって…」
もじもじと手をいじるキティに俺は家でやっていることを思い出す。
いつも何やってたっけな。
「洗濯してんだよ」
頬の口が答える。そうだ、洗濯してた。しない日もたまにあるけど。
「お洗濯!それなら、キティがやろっか?キティはここから出られないから、毎日すごく退屈なんだ~。ハルのお洋服、ピッカピカにするよ!」
息まいたようにキティはそう答えると、目を輝かせて力こぶを作って見せる。腕が細すぎてコブなど何も出来ていなかったが。
「別にいい、自分でやるし」
「えっ!?やってくれんの!?助かる、洗濯嫌い」
勝手に本音を喋り出す喉の口を引っぱたいて塞ぐ。勝手に内情をペラペラと話すのは止めてもらいたい。
「嫌いだからいっつも洗濯物溜め込んで、ギリギリにやるんだよな」
「予備が薄汚れた頃になってようやくやるんだよ」
せっかく喉の口を塞いだのに、他の口が続きを全部喋り出す。左手が使えないことが、こんな場所で不便すると思わなかった。いや、三つもあればどれかしらは塞げないんだろうが。
「そうなんだ?ハルっていつもパリッとしてるから、ちょっと意外!お洗濯は任せて~!スーツみたいな固い素材の洗濯のもお勉強したかったんだ!」
「…じゃあ、明日持ってくるよ…」
締まらないのがどうにも気恥ずかしいが、ここまで本音を暴露されては観念するしかない。
そういえば、こんな気持ちは久しぶりだな。
「じゃあ、今日はお泊り?ベッド狭くてごめんね。ゆっくりしてって!」
嬉しそうにキティは両手を合わせて笑うと、ルームライトを消して俺の隣で横になった。
予想外の展開に俺の脳が一瞬だけ処理落ちした。
「…えっ、いや、帰るけど…」
「えっ!?」
キティが慌ててルームライトをつける。本当に一緒に寝る気だったんだろう。
「帰っちゃう?」
「いや、一緒に寝るわけにいかんだろ」
「え~、そうなの?ベッド狭いからダメ?」
「そういう問題じゃない」
規則的には特別房に泊まり込むのは特に問題視されていない。メンタルケアの関係で泊まり込む看守もいるし、エドヴィンのようにあちこちの受け持ちの部屋を回っていたら日付を跨ぐなどザラだ。監視もされていないし、罰則も設けられていない。
にしても、やっぱりそういう問題ではない。今のキティの見た目は身長こそ低いが、限りなく大人に近い。仮にも一応、生物学的には性別が異なっているわけで、一緒に寝るのは…なんか、こう、違う。
「え~!じゃあ、ハルが帰りたくなるギリギリまで起きてる!」
「好きにしろ」
キティが出した妥協案に合意すると、彼女は両手を上げて喜んだ。コイツの成長速度がどんなに早かろうと、ガキに代わりはない。すぐに寝るだろう。
ただベッドで横になっている俺の隣に座って、キティは色んな話をした。最近読んだ人間のファッション雑誌の話とか、見つけた料理のレシピとか、新しいシャーペンの握り心地が思ってたのと違ったとか、本当にどうでもいい話ばかりが続いたが、不思議と退屈はしなかった。
喋るだけ喋って、深夜の2時が近づく頃になるとキティが座ったままうつらうつらとし始める。呂律が回らなくなり、目も開いているのか怪しい。すごく眠いってことだけ良く分かった。
「寝ろよ」
「う~…寝たら、ハルが帰っちゃう…」
声を掛けると、キティは目を擦って眠気を追い払おうとするが、どうにも勝てないのか再び船を漕ぐ。
「じゃあ、寝なくてもいいけど、そこで横になっとけばいいんじゃねえのか」
横になればさすがに寝るだろう。布団に入るように促すと、キティはしぶしぶと俺の隣で横になった。
「帰んない…?」
「寝るまではな」
寝言のようなキティの言葉に適当な返事を返すと、彼女は笑みを浮かべたまま目を閉じて秒速で眠りにつく。
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