ファントム オブ ラース【小説版】

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第一部【4章】憤怒の化け物

15. 豪毅

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どれくらいの間、眠っていたのか分からない。気が付くと俺は真っ暗で狭い空間に転がされていた。
身体中、酷い痛みがする。起き上がろうとすると重たい鎖が身体中に巻いてあって、ジャラジャラと擦れる音がした。

コンクリートで囲まれた不快な部屋の臭いは、割と最近に体感したばかりだ。

また独房に戻ってきたんだろう。唯一差し込む扉の窓を覗き込もうと立ち上がるが、グンッと身体が後ろに引き戻されて膝をついた。

後ろを振り返るが、暗くてよく見えない。辛うじて見える範囲で分かるのは、上半身の服は剥ぎ取られていたこと。上裸の俺の身体から繋がっている鎖が天井と部屋の奥へと続いていることだ。

絶対に出す気はないと言ったところか。まだ自殺幇助で入れられた時の方が自由が効いていた。

腹が減った。キティはどうなったんだ。一刻も早く出たいが、思っていたよりも体力を消耗していたようで、思うように力が入らない。

何度か鎖をとり払えないか暴れたが、身体が変に締め付けられるだけでますます体力を消耗する。無駄な浪費は抑えたい。俺は仕方なくその場に座り込む。

目が慣れてくると、自分の身体に付けられた鎖の量が尋常ではないことに気が付く。手枷、足枷、首、それぞれから3本もの鎖が壁へと繋がれていて、その上で両腕を縛り上げるようにグルグルに身体に巻かれている。

しばらくして、コツコツと誰かが歩いてくる音がした。俺は立ち上がり、鎖の長さが許すだけ扉へと歩み寄る。

「おい!誰かいんのか!」

力の限り叫ぶと、足音が扉の前で止まる。差し込む光に影が入り込み、その影がこちらを覗き込んだ。

「よお、ハルミンツ。ようやく正気に戻ったかよ」

そこにいるのは顔に鱗がついた、いつかの看守だ。男は喉を鳴らすように笑う。

「また飯乞食するか?お願いしますが言えたら、飯やってもいいぜ」

「っざけんな!正気に戻ったってどういう意味だ!」

「おーおー、覚えてないのか。まあ、覚えてない方が気楽かもしんねえなあ?4ヶ月も廃人やってたんだからな」
4ヶ月?そう言われて頭が冷えるような焦りを覚える。

そうだ、エドヴィンに薬を入れられたんだ。でも、あれは普通の怪物なら1日そこらで正気に戻るはずだ。そんな長期的に気を失うとは思えない。

俺の顔から何か読み取ったのか、男は片手に持った注射器を見せつける。

「毎日、丁寧に俺が打ち込んでやったのに免疫ついちゃったのか?もっと強いもんに変えるか?」

「てめえ…」

「お前の処分はそろそろ決まるよ。下手に長く看守やってたからな。上も色々悩んでいるらしいぜ」

そう言うと、男はおもむろに施錠を開けて中へと入ってくる。殴りかかってやりたいが、これだけ鎖でグルグル巻きだと、どうにも動けない。

「ほら、今日のお薬の時間だぜ。大人しくしてな」

「ぶっ殺されてえのか!」

「武器も何もないお前に何が出来んだよ。そんなにいっぱいアクセサリー付けちゃってさあ。何も怖くねえんだよ!」

男はそう言うと、俺の腹に警棒を打ち込む。同時にチカチカとそれが光り、身体中に電流が走った。
電流付きの警棒だ。それは余程のことがなければ使用許可が出ていない代物。それこそ、殺処分でも検討されていなければだ。

高圧電流で皮膚が焼ける。その場に膝をつくと、男は楽しそうに笑った。

「あーあ!本当に笑えんな!怒鳴ってばっかで、暴力抜いたら何もねえ奴!なんでこんなのが上に立ってたのか分かんねえよ!」

「クソが…」

「おっと、もう一発いっとく?」

俺の言葉を遮るように俺はその警棒で何度も俺を打ち据える。皮膚が焦げる臭いがする。悲鳴を上げるのもダルくなるほど叩かれ、地面に倒れた俺を見て男はすぐ傍にしゃがんだ。

「はい、じゃあ薬の時間。夢の中へいってらっしゃーい」

身体に針を打ち込まれ、また血管に冷たい液体が入ってくる。意識が朦朧とする中で、男は目の前に申し訳程度に食事の乗せられたプレートを置いた。

「ご慈悲だ、感謝しな?」

扉が締まり、再び部屋が暗闇に支配される。

じわじわと薬が効いてくるのが分かる。痛みがボヤけるほどの眠気。それでも俺は自分の意識に食らいつく。

このままじゃダメだ。絶対に抜け出してやる。這うようにプレートに顔を近付けて、犬食いで飯を食べた。

キティが卒業を見込まれているのは、男の言葉が正しければあと2ヶ月もない。

卒業なんてどこまで本当か分からないが、それでもキティにこのまま会わずに…というのは考えるだけでこの上ない苛立ちに襲われる。

「キティ…」

喉の口が呟く。それにつられてか、頬や左手の口もまるで彼女を恋しがる様にその名前を呼んだ。

「だよな、会いてえよなあ」

口共が俺の言葉を理解すんのかは知らん。数が多いだけで全部俺の口だし、そもそも自問自答みてえなもんだろう。
数ヶ月そこらだったが、キティのいる空間は生きていて一番安らげる場所だった。どこにも居場所がなかった俺にとっての唯一の居場所。底抜けに明るくて、呑気な彼女の笑顔を見ていられることが、どれだけ自分にとって救いだったのか今更のように身に染みた。

俺が彼らに同意してやると口共は少し大人しくなった。

人生、諦めが肝心だ。そう思っていたが、今だけは諦められない。

会いたい。いや、絶対に会いに行く。それ以外の選択肢はなしだ。

長期戦になるかもしれないが、この状況では出来るだけ体力の消耗を抑えて、体力をつけて抜け出すしか方法はない。

それからは時間の感覚がなくなるような、暗闇だけの生活が続いた。唯一暗闇以外にあるのは、決まった時間にある三食の飯と薬の時間だ。

定期的に見回りに来る男の口ぶりでは、どうやら晩飯時に薬を入れるらしい。つまり、薬を打たれた数だけ日数が経過する。

免疫力がついてきているのは本当らしく、意識が飛びそうになるのを耐え抜くと次第に眠気すら感じなくなってきた。眠ったフリをしている方がスムーズに飯が貰えるので、抵抗はやめて飯だけ完食する。毎日様子を見に来る看守は俺が無抵抗なのが面白いのか、はたまた何も聞いちゃいないと思っているのか、笑えるほど色々な情報を勝手に話してくれた。

俺が完全に廃人だった頃は飯すらロクに食えないほど眠っていたらしく、点滴を打ったりして延命していたのだという。あまりによく飯を食うようになったので、正気を疑われて薬を倍量に増やされたが、それも意地で耐え抜いた。
コツを掴めば、割と意識を保つのは容易に出来る。

9日くらい経過すると、体力が少し戻った感じがした。生命力には自信はあったが、正気初日に受けた火傷もほぼ完治に近い。飯さえ食えれば、治癒力も上がるようだ。

看守の目を盗んで、鎖を地道に壊すことにした。薬には鎮痛作用もある。意識さえ保っていれば、効果中は痛みが薄れる。薬が効いているうちに、一本の鎖に的を絞って反対方向に身体を引っ張って引きちぎった。怪我は漏れなく貰うが、そんなことを気にしている場合じゃない。

身体に巻きついている鎖にたるみが出来ていても不思議じゃない程度に奥に引っ込んだ状態で看守に飯を運んでもらうようにした。色々な化け物を収容するだけあって、縦に長い作りになっていたのが幸いして、鎖の付け根は余程暗闇に目が慣れていないと一目で分からない。俺を遊び半分にいたぶったりするのに夢中だったおかげで、看守はロクに確認もしない。天井に繋がった身体に巻きついた鎖以外は全て引きちぎった19日目、晩飯時にまた看守が顔を出した。

「最近、がっつくよな~。食いすぎじゃね?上からコストかけんなって言われてんの」

寝たフリをしている俺の頭を警棒で突きながら、男は笑う。

「お前に虐待癖があって本当に良かったよ。カードキーコピーしても誰も調べねえし、子供に害を与えても監視カメラすら見ない。それに、チクッただけでこの大出世!看守長の一個下なんだぜ?ここの出入り出来んの。エドヴィンすら任されてないんだぜ~?」

食い終わった俺のプレートを下げ、男は新しい食事の乗ったプレートを傍に置く。

ただの夜番のくせに、なんでこんなとこにいんのかと思ったら、コイツが俺に濡れ衣着せた野郎か。フツフツと湧き上がる怒りを腹にしまいこんで、俺は寝たフリを決め込む。

「あーまあ、上の話に寄ればエドヴィンはお前と違って卒業候補生なんだっけ?人間的な暮らしさせるには、ここの担当は無理か…。キティが卒業間近なのに、まだ卒業出来てないんだから、今更無理な気もするけど」

男は話しながら俺に注射を打ち込む。もう大分慣れた感覚だ。

しかし、エドヴィンが卒業候補生なんて初耳だ。本人も一言も言っちゃいなかった。だから、あんなに卒業のこだわるのか。

2人いたうちの1人。そりゃキティに先越されたらプライドはメッタメタだろう。

「あと、お前の処分決まったよ。明日、殺処分だって。残念だね~?今頃、あの子卒業させたらお前が出世してたのに」

男の言葉に身体が反応しそうになる。

あんな警棒で殴られるあたり薄々予想はしていたが、俺を利用するだけして殺処分とはいい度胸だ。怒りに頭の端がチリチリとした。

「なあ、最近ずっと寝てばっかでつまんねえから犬食いの1つでも披露して見せろよ。ほらほら、飯だぞ~」

新しいプレートを俺の鼻先に近付けて男が嘲る。

「…お望みなら、もっと恐ろしいもん見せてやろうか」

俺はゆっくりと身体を起こす。それを見た男は一瞬だけ驚いたように目を見開くが、すぐに警棒を取り出して笑った。

「なんだよ!寝たフリか!そんな状態でイキがって何すんだよ。また電流流してやろうか?いっそ俺が殺処分したっていいんだぜ!」

「やれるもんなら、やってみろよ!武器がねえとロクに俺に意見できねえ腰抜けがよぉ!」

笑う俺に男が警棒を振り上げる。それをかわし、俺は壁側へと走り込む。そのまま壁を走るように三角飛びをする。もう手枷も足枷も、首についた鎖もない。可動域が広がった俺の身体に制限するものはない。

天井の鎖が良い仕事をする。壁からの横っ面に飛び蹴りを入れると、遠心力で今までの中で一番手応えのある蹴りが出た。吹き飛ぶように反対側の壁に身体を打ち付けてバウンドする男にそのまま肩からタックルをかます。圧殺する勢いでそのまま壁に押し付けると、男は苦しそうな声を上げながら警棒を握りしめる。

「鎖は…どうした…」

「引きちぎってやったよ!こんな脆いもんで俺を捕らえたつもりかぁ?あぁ!?」

壁に押し付けたまま男の脇腹に膝蹴りを入れる。蹴りを入れる度に男の身体からミシミシと骨が軋む音がした。

「調子のってんじゃ…ねえ!」

警棒に電流を纏わせ、俺の腹に打ち込む。薬が効いていても、ビリビリと身体に走る電流と肌が焼ける酷い痛みが走る。

それでも、こんなところで怯んでいられない。俺は男の首に食らいついて牙を立てる。歯を伝ってブチブチと肉がちぎれ感触が伝わってくるが、構わない。このまま首を引きちぎって殺してやる。

「ひぎっ…やめ…」

ボタボタと首から血を流し、男が警棒を手から落とす。俺はそのまま食らいついた男の首の肉を噛みちぎる。男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。

ビクビクと痙攣するものの、首からたれ流される血の量から死ぬのは恐らく確定だ。俺は口の中に残った男の肉を床に吐き捨てた。

肉片になるまでいたぶったって良かったが、残念ながら今はそんな時間はない。

俺は開かれた扉に向かって全力で走り込む。鎖が身体に食込み、身体中から変な音がするが、構ってられるか。バキンッと天井の付けられた最後の鎖が引きちぎられる。鎖が緩み、ジャラジャラと鎖が緩んで地面に落ちた。

久しぶりの両手の自由を確かめ、俺は殺した看守の服を剝ぎ取ってから廊下へと走り出した。

キティの卒業見込みまであと1ヶ月と少し。大丈夫だ、まだ間に合う。
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