ファントム オブ ラース【小説版】

Life up+α

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第二部【13章】離々たる世界の統合

49.限界

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よく嗅いでいた肉とパンが焼ける香り。俺の目の前にはラップのかかった手作りのハンバーガーとポテトフライの皿。チョコチップがザクザクに入ったクッキーに添えられるように、コーラが注がれたコップがガラステーブルに置いてあった。
「ハルくん?」
キティの声で俺は意識を取り戻す。自分の手の平を見ると、そこには血だまりも死体もない。それなのに、命が失われていく瞬間がこびりつたように残っている気がした。
これは何度目だ。もう5回目になるのか?脳が現実を拒否して、視線が痙攣するように左右に泳いだ。
「顔色が凄く悪い...大丈夫…?」
俺の顔を覗き込む彼女の顔は、いつになく心配で曇っている。ソファに座る俺の隣にキティが座ると、彼女は俺の頬を優しく撫でた。
その瞬間、張り詰めていた糸がプツンと切れた。言葉にならない感情がこみ上げ、頭に熱が集まる。呼吸が苦しくなるほどの激情。そこには怒りもあっただろうが、別の感情が絡まっていて、頭の中がめちゃくちゃになる。
その場で立ち上がると、俺はテーブルに置かれた飯を全て手で払い落した。ガシャンと音を立てて皿が全て床に落ち、料理がソースをまき散らしながら絨毯にへばりつく。ぶち撒けられたコーラがキティのスカートにかかった。
「もう散々だ!なんで俺ばっかりこんなこと繰り返さなきゃいけねえんだよ!」
驚いたように立ち上がるキティが視界の端に入るが、それすらもイライラする。
ガラステーブルを力任せに蹴り倒す。床に落ちていた食器が衝撃で割れ、粉々に砕け散った。
「…お前のせいだ」
怯えたようにベッドソファの脇で立ち尽くすキティを睨み、俺は声を絞り出す。
「お前のせいでこうなったんだ!お前のためにここまでやってんのに、お前は何も覚えちゃいないだろ!お前がヘラヘラ笑ってる間に、俺がどんな目に遭ってんのかどうせ知らねえんだ!」
口にしてはいけないと分かっているのに、高ぶった感情にブレーキが効かない。言いたくもない言葉ばかりが口から漏れ出す。
ただの八つ当たりだった。行き場のない感情と今の状況を誰かのせいにしたかった。ここまで来たのは全部、俺の選択だって分かっているのに。
何度やり直しても、キティは俺のことを覚えていない。他の奴が思い出そうとも、彼女は俺との記憶を取り戻さない。それが寂しくて、キティは俺のことなんかどうでも良かったんじゃないかと、そんな有り得ない猜疑心が牙を向く。
キティは俺を見つめたまま、水色の瞳を揺らす。胸元で手をいじりながら、震える足でその場になんとか留まっている。
「は、ハルくん…ごめんなさい、私…」
「理由もわかってねえくせに何が!謝罪の言葉だけで逃げようとしてるだけなんだろ!お前はいいよなあ!暖かい場所でぬくぬくしてるだけで、何が起きてるか知りもしねえんだ!」
転がったガラステーブルを蹴り飛ばす。ガチャンと音を立てて、テーブルが壁に勢いよくぶつかり、キティは恐怖で身体を縮ませた。
もうやめろ、こんなことして何になるんだ。ただキティを怖がらせるだけで、自分の気分だって晴れるわけがないんだ。分かっているのに、腹の中で溜め込んでいた罵詈雑言が口から漏れ出して止まらなかった。
「お前に出会わなきゃ良かったんだ!つくづく呪いみてえな存在だよなあ!お前がいなきゃ、俺はこんな…」
笑いながら声が震えた。言ってはいけないことを言ったと思った。
出会わなきゃ良かったなんて、一度も思ったことがない。彼女がいなければ、俺のロクでもない人生が意味を持つ日なんて来なかっただろう。誰もあんな俺を愛そうとはしないはずだ。
顔を手で押さえる。一つしかない自分の目が濡れていることに気付く。自分に流せる涙があったなんて知らなかった。
「…ハルくん」
キティが俺の名前を呼んだ。理由も分からずにこれだけ罵倒されて、部屋を荒らされて、嫌いにならないはずがないのに、彼女の小さな手が俺の空いた手をとった。
小さな温もりの宿った両手が俺の片手を包み込む。その温もりが随分と久しぶりなように感じた。
「ごめんね。私、きっと本当に何も知らないんだと思う」
「だろうな」
やっぱり彼女は覚えていない。そう思うと一瞬だけおさまったはずの寂しさが急激に胸にこみ上げる。握られた手を引っ込めようとすると、彼女はそれでも離そうとはしなかった。
「だから、教えて欲しいの。私、ずっとハルくんとお話したいの。私の不満でいいよ、お話しようよ。私、ハルくんの力になりたいの…」
俺の手を握ったまま、キティが俺を見上げる。初めて出会った時から変わらない。彼女はずっと俺と話したいと言ってくれる。
記憶をもっていない彼女にとっては身に覚えのない罵声を浴びせたのに、それでもまだ話そうと言うのか。馬鹿みたいだ。本当に頭のネジが飛んでいる。
だけど、そうだから俺が絆されたんだろう。どんなに辿った経緯も記憶も違えど、彼女はずっと変わらない。その事実が俺の心を軽くする。いつもそうだ。
「…悪かった」
緊迫状態にあった身体から一気に力が抜け、俺はその場に座り込む。キティは俺の傍に寄ってくると、その場で立膝で正面に座り、優しく微笑んだ。
「いいの!ごめんね、何か辛い思いをさせちゃったんだよね。ハルくんがこんなに辛そうにしてるの、初めて見た。私、ハルくんのこと何も知らないかもしれないけど、それは分かるつもりなの」
キティが俺の背中に腕を回して抱きしめる。背中をゆっくりと撫でながら穏やかに話す彼女の声は、とても心地よかった。
「分かってあげられなくてごめんね。いつも守ってくれて、ありがとう」
その言葉に溶かされるように、頑なに悲観を続けていた思考が飽和する。幸せになりたくないとか、彼女と深く関わってはいけないとか、そんなことも忘れて俺は彼女の身体を抱きしめ返す。柔らかくて暖かい温もりで緩んでいた涙腺が壊れた。
キティの首元に顔を埋めて、生まれて初めて泣いた。俺が泣いている間、彼女はずっと俺の背中や頭を撫でていた。俺が散々罵ったことも、部屋も料理もめちゃくちゃにしたのも、一言も責めないでいてくれた。
「…どうしても、何があったかは教えてくれないの?」
ようやく涙が止まった頃になって、キティは笑みを浮かべたまま首を傾げる。
話したい気持ちはあった。だけど、話しても状況に変化などないだろう。キティがどれだけ恐ろしい目にあったかをわざわざ伝えて、傷つける必要などあるか?
ないだろう。知っていて欲しいという気持ちも、覚えてて欲しい気持ちも、全部俺の寂しさを埋めたいがためだろう。
「知らない方がいい」
「そっかあ」
困ったように彼女は眉を寄せて笑うと、俺の頭を撫でた。
「ハルくん、本当に私のことを守ろうとしてくれているんだね。ありがとう。でも…ちょっとだけ寂しいね」
「何が?」
「ハルくんと同じ気持ちを共有できないこと。私もハルくんと同じ世界を見て、同じ気持ちになれたら、良いことは二倍になるし、悪いことは半分になる。でも、それが出来ないのは、寂しいよね」
考えてもみなかった論理だ。だけど、言われてみると凄く納得できる話だった。
キティと一緒に過ごした時間は、きっとそうだったに違いない。何なら、2周目にヨルツが、次にヌッラ、ケットが、記憶を共有してくれていただけで俺は間違いなく救われていた。
深まっていく孤独感の正体を簡単に言い当てられたようで、キティに感心する。彼女は頭が緩いようで、こういうところは賢いと思う。
「そうだな…でもな…」
話していいのだろうか。口ごもっていると、不意にキティの動きが止まる。俺の顔を見つめたまま瞬きを繰り返し、口を半開きのまま止まっている。
「…キティ?」
不意に思考が止まったハムスターのような顔だ。顔の前で手をひらひらと振ると、突然キティの瞳からボロボロと大粒の涙が溢れだす。
「えっ!?お、おい、なんだよ今更…」
今まであれだけ詰っても泣かなかったのに、このタイミングで泣かれるとさすがに困惑する。時間差で傷つけてしまったのか?だとしたら、今回に関しては全面的に俺が悪い。
何と声を掛けていいか分からないでいると、彼女は両手で顔を覆って本格的に泣き出す。理由が分からなければ、どうしたらいいのか分からないというキティの言葉が今になって身に染みる。本当にどうしたらいいか分からず、俺はただ彼女の背中をさすった。
「…ハルくん、私がブーケンビリアをリビングに飾ってたの…知ってる?」
震える声でキティが言った。
「ハルくんとお付き合い始めてから丁度一年だったの…ケーキ焼いて、私、それで…」
頭の中でピンク色の花が蘇る。薄紙のような、反対側が透けてしまう儚い花弁。キティが攫われて、全部がやり直しになった日に、リビングに置手紙と一緒に置かれていたんだ。
「まさか、思い出したのか?」
身体が熱くなる。これだけ彼女が泣いていて、ショックを受けているのに、心の隅で喜んでいる自分がいた。
どうしていつも忘れてしまうんだと、なんで思い出してくれないんだと、そんな理不尽な気持ちが一気に解ける。俺の目の前で彼女は泣きながら口元を手で覆い、小さく頷いた。
「…ずっと思い出せなくて、ごめんなさい。私のせいで、こんな…こんな…」
「いい、もういい。俺こそ悪かった」
彼女がこの世から消えてしまった日に、どうしてずっとキティの傍にいなかったんだろうと、何度後悔したのか分からない。この出来事の発端など、本当は探したって意味がないことくらい、分かっている。
攫われて身体を乗っ取られたキティだって、俺が想像も出来ないような恐怖を感じただろう。それを今ここで急に全て思い出したら、ショックを受けて当たり前だ。さっきまで彼女にされていたように、今度は俺が彼女を抱きしめた。
「ハルくん、ずっと覚えてたんでしょう?この世界がおかしくなるの知ってて、守ろうとしててくれたんだよね。寂しかったよね、本当にごめんなさい…私ずっと守ってもらってばっかりで…」
「ほんと、こんなに好きじゃなきゃ、やってらんねーよ」
冗談を交えて笑う。でも、嘘じゃない。これだけ好きだからやっている。好きだから、俺が選んでやっているんだ。
「ブーケンビリアの花言葉は?」
「え?」
「どーせ記念日に選んできたんだから、そういうので選んできてんだろ。いつもみたいに解説しろよ」
一緒に暮らしていた頃のキティはいつも何かと新しい花を咲かせては、俺に贈りつけて花言葉を解説する。その生活を失うまでは、それの何が楽しいのか理解できなかったが、今なら理解できる気がした。
キティは涙を手で拭いながら、それでも少し照れたように笑って鼻をすすった。
「花言葉は…あなたしか見えない、だよ」
「あっそ」
いかにもキティが選びそうな言葉で俺は思わず笑う。
何をどうとっても懐かしい。キティはずっと傍にいたのに、えらく久しぶりに再会したような気持ちになる。胸の中にいたキティが俺の背中に腕を回すと、今度は力いっぱい抱きついてきた。
「寂しい思いさせてごめんねー!何回生まれ変わってもハルくんのこと好きだし、前世の記憶引き継ぐくらいしつこく覚えているつもりだったのに、私すっごい薄情みたいでやだー!」
「もういいって言ってんだろ、ばーか」
いつものテンションに戻っても、キティは相変わらず気にしているようだ。俺があれだけ怒鳴り散らした後じゃ、気にもするだろう。本当に悪いことをした。
でも、彼女は確かに何度やり直しても俺のことが好きだったし、しつこかった。彼女の宣言の7割方は実現されているだろう。
「もう寂しくもねーしな」
同じ世界を見て、同じことを共有する。それだけで、こんなにも救われる。相手がキティであれば、これ以上にないほどだ。
それから、俺たちは過去にあった話をしながら、俺が散らかした食器や料理を片づけた。泣くのも生まれて初めてだったが、その後に生まれて初めて罪悪感で床に落ちたクッキーを食べた。
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