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9.学園内の秘密の集会

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「僕はあの日からずっと、人の命の重さについて考えてきました。そして、それでもやはり、この世から消し去らなくてはならない命があるという事実を受け入れざるを得ないという結論に達したのです」
 一番後ろの席に座っている四谷寛が、視聴覚教室を見回した。黒板の前に移動してあるテレビから流れる音声を一言も聞き逃すまいと、同志たちの誰もがテレビに釘付けになっていた。
「つまり、あなたは裁かれることなく殺される人間がいてもいいと、いいたいのですか?」
「その通りです」
「それは違う! あなたは間違っています!」
 女のコメンテーターが、東屋信一に食いついた。
「間違いではありません。現に更正不可能な一部の犯罪者を、国家は死刑と称して殺しているではありませんか」
「死刑は殺人ではありません。裁判によって死もやむ終えないと判断した者に課せられる刑罰なんですよ。日本は法治国家なんです。裁判で決定した司法判断を尊重し、厳正で適正な手続きを経て刑は執行されているんです」
 元判事の肩書きを持つ男性コメンテーターが、物知り顔で東屋信一を見下している。
「あなたは何もわかっていないわ。この世に意味もなく人を殺していいなんて道理はないのよ」
 女性コメンテーターのヒステリックとも言える反論にも、彼は眉一つ動かさず耳を傾けている。
「わかっていないのはおまえのほうだ!」誰かが叫んだ。そうだそうだと、別の生徒も声を上げる。
「先日、学校で虐めにあっていた生徒が、自分を虐めていた生徒をナイフで刺して死なせた事件がありました。日本各地で起こっている、少年少女たちのこれらの報復行動について、あなたはどう思っているのですか?」
「彼らは自分への理不尽な仕打ちに対し、正当な報復を行っているのです」
「その生徒がした行動を、あなたは正しいというのですか?」
「はい、その通りです。法律に背いたことは事実でも、彼らが間違ったことをしているわけではありません。法律で虐めをなくすことができるのなら、もうとっくの昔にこの世から虐めはなくなっているはずです。しかし、現に多くの子供たちが虐めにあって苦しんでいる。法はまったくの無力です。法だけじゃない。虐めをなくすべき教師ですら、わが身可愛さに関わりを避け、現実から目を背け、虐めを見て見ぬ振りをしている。そんなかわいそうな子供たちに残された道は、黙って耐えるか自ら命を断つか報復するかなんです」
 教室で、一斉に拍手が起こった。
 東屋信一ひとりに対し、メインキャスターを含めた五名のコメンテーターが論戦を挑んでいるが、まったく歯が立たない。東屋信一のいつもの冷静沈着に受け答えする態度が、感情的になっているコメンテーターたちの醜さを際立たせている。
 八年前、当時十五歳の中学生だった東屋信一は、自分を虐めていた不良生徒四人に、母親が服用している睡眠薬を混入したジュースを飲ませて眠らせ絞殺した。そして死体の首を切り落とし、四つの生首を近くの神社の境内に祀ったのだ。生首の額には五寸釘が打ち込まれていて、その釘に自らベラマチュアと名づけた神の鎮霊の札が刺してあった。
 あの事件以来、東屋信一は学校で過酷な状況に置かれていた少年少女たちの神となった。彼は多くの少年少女たちに敬われ、不良たちの生首が祀られた神社は、東屋信一の信奉者たちの聖地となっている。
 そして彼の起こした事件以来、少年少女たちが自分たちを虐める生徒を殺す事件が多発しているのだ。
 今年の初め、東屋信一は少年医療刑務所を出所した。出所後、彼は異常ともいえるマスコミの取材攻勢にも逃げ隠れせず、素顔を晒して理路整然と自己の主張を繰り返してきた。テレビにも出演し、彼の自費出版の本はベストセラーになり、社会現象にもなった。多額の印税を遺族たちに渡すべきだと、マスコミはこぞって彼を非難している。
「こいつらは、本当に何もわかっていない。おまえたち知識人が虐めをなくすために、いったい何をしてきたというのか。わが尊師を非難するなど、おこがましい限りだ」
 会長の篠田圭吾が、腕組みしてテレビを見たまま、吐き捨てるように言った。
「番組が終了する時間となりました。最後に私から皆様にいいたいことは、この世に理由もなく殺されていい人間など、一人もいないということです。では、また」
 メインキャスターが締めくくって、番組が終了した。
「卑怯だ!」男子生徒が立ち上がって叫んだ。「時間切れにつけこみ、尊師に反論させなかった。日本のマスコミは腐っている!」
「そうよ! マスコミじゃなく、マスゴミよ!」
「だが、わが尊師はあんな嫌がらせに微塵も屈することはない」
 篠田圭吾がテレビのスイッチを切って、同志たちに言い放った。控えていた下級生がテレビを片付け、プロジェクターをパソコンに接続している。
 東屋信一の信奉者たちが彼の思想を全国に広めようと、闇サイト「ベラマチュア尊師を崇拝する会」の支部を名乗ったサイトを次々に作り、その運動は全国に広がっている。四谷の通う旭光学園にも支部がある。進学校である旭光学園に虐め問題はないが、虐めを受けている他校の生徒を支援するために抗議活動を行っている。
 四谷は丸山理佳を見た。
 三年の女子。おとなしい女だが、この会の女子会員をまとめる役についている。
 中学生の時、父親を少年に刺し殺された被害者家族。まさか、彼女がこの会のメンバーになっていたなんて。
 丸山理佳を見張り始めて二週間が経った。先日、下校時に見知らぬ男が丸山理佳に接触してきたので、あとをつけて正体を突き止めた。加藤というスカルのメンバーだった。
 加藤はスカルのリーダー、柏葉真治の指示で丸山理佳に接触してきたはずだ。しかし、肝心の柏葉真治はまだ姿を現さない。
 柏葉が警察や石田組に捕まったという情報も、まだ流れてこない。
「さて、わが尊師もあのようにおろかな知識人たち相手に戦っている。我々が尊師に報いる最善の方法は、尊師のご意思を引き継いでいくことなのだ」
 拍手が起こった。
「旭光学園支部の掲示板に、今週新たに一件、虐めを受けている人からの書き込みがありました」
 副会長の丸山理佳がプロジェクターでメールボックスの映像を投影した。豊島商業高校の生徒が、三人の生徒に虐めを受けていると告白している。雑用に使われたり、いきなり後ろから蹴られたり金をたかられたりしているらしい。親に訴えることもできず、教師たちも虐めの事実を知っているのに介入しようとしない。どこにでも転がっている虐めの現実が、そこに書かれてあった。
「この少年を虐めているのは、同じ豊島商業高校に通う江木康治という男です。豊島商業高校は柄が悪くて有名な学校です。掲示板には、虐めている江木という男が空手の経験者だと書かれていますので、我々が駆けつけたら大きな騒動になるかもしれません」
 男子生徒のひとりが意見を言う。篠田が黙って頷く。
「我々進学校の生徒に対し、こんな屑どもは劣等感を抱いている。反抗的になって大暴れする恐れもある。ここは他校の支部と協力しよう」
「大人の人にも入ってもらえないかなあ……」
 一年の女子生徒の消え入りそうな声が聞こえてきた。篠田が彼女の意見に頷いた。彼女も中学時代、酷い虐めにあっていて不登校になりかけたが、努力してこの旭光学園に入ってきたのだ。
「その江木という男、あのスカルのメンバーなんですよ」
 四谷の言葉に、一同が後ろを振り向いた。
「四谷君はこの江木という男を知っているのかい?」
「僕の知り合いがよく知っているんです。スカルの中では下っ端らしいんですが、凶暴な男で、学校では不良のリーダー格らしいですよ」
 篠田が腕を組んだ。
「では、先輩方に連絡して協力を要請しよう」
 旭光学園支部の先輩たちは進学した大学で支部を作り、中学や高校での虐め撲滅運動の支援を行っている。また、全国の東屋信一の信奉者たちが、同志を名乗って同様の団体を運営している。これらの団体は横の連携を密にし、互いに協力体制を築いている。
「我々に連絡してきた被害者の方は、今この瞬間も、卑劣な者どもからの虐めに苦しめられている。一分一秒でも早く行動に移す必要があるが、まずやるべきは事実の確認だ。書き込みをした本人を特定する必要がある。書いてあるメールアドレスが本物ならいいのだが」
 虐めを受けていて告白するものは、時としてその正体を隠したがる。
「連絡がつけば、今日にでも会ってくる」
 篠田が、他に二名の男子の会員に同行するよう指示を出した。事実確認は、被害者が男子のときは会長の篠田が、女子のときは副会長の丸山理佳が同行者を任命して行っている。
「相手が空手経験者なら、こちらも猛者を連れて行くことにしよう」
 大学や社会人の同志には、身体の大きい格闘技経験者もいる。虐めを受けて奮起し、格闘技を始めるものは多い。
 突然、ドアが開いた。廊下で見張っていた下級生の女子が、不安げな表情で視聴覚室に入ってきた。
「あのお……。二年の関本先輩が外に来ているんですけど……」
「会長を殴ったあの女か!」男子生徒の一人が立ち上がった。廊下に飛び出していこうとした男子生徒を、篠田が制する。
 集会が始まる前、城野友香が廊下に飾ってある生け花を撮影する振りをしながら、会員たちをスマートフォンで盗み撮りしていた。関本朱里から頼まれていたのか。
 彼女に写真を撮られたのは迂闊だった。今まで写真に写らないようずっと注意し続けてきたのに。
「たしか彼女、四谷君と同じクラスだったね」
 篠田が四谷を見た。
「すみません。あいつ、すぐに感情的になって突っ走ってしまうんで」
「君が謝ることじゃないよ。それに、彼女のような女子は、味方になってくれれば非常に心強いんだ」
 どんな理由か知らないが、彼女は入学早々、篠田圭吾の頬をいきなり張り倒したらしい。しかし、篠田が自分を張り倒した下級生の女子のことを悪く言うことは決してない。それどころか、彼女の堂々とした態度と何事にも物怖じしない凛とした姿勢を認めてさえいる。
「悪いが四谷君、つきあってくれないかい」
 四谷が頷いて立ち上がった。
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