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29.目撃
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金曜日の夜。
寒くなくてよかった。
朱里は腰を伸ばした。同じ姿勢でじっとしていることに、まだ慣れていない。
宿題を終えたらお風呂に入って、お菓子を食べながらテレビを見て過ごす、貴重な休前日。しかし、今は暗い駐車場の精算機の後ろに隠れ、無機質なコンクリート製の建物の玄関を見張っている。
もう、帰ろうかな。そう思うたびに、奈緒の辛く寂しそうな顔が頭にちらついた。
あの子はいい子だ。きっと美登里という少女のことが心配でならないのだろう。
奈緒にあんな思いをさせているその少女に怒りさえ覚える。今夜会うことができたら、説教してやる。
先日施設で聞いた話だと、彼女は金曜日の夜にこっそり施設の子供たちに会いに来るらしい。今夜、ここにやってきた美登里を捕まえる。彼女がやばいことをしているなら、奈緒に知られる前に手を打ってやめさせなくては。
午後八時。施設の窓には、まだ明かりが灯っている。消灯時間までにはまだ時間がある。来るなら、閉門時間前の午後七時ごろだと思ったのだが、もう一時間が過ぎた。
また腰が痛くなってきた。朱里は腰を伸ばし、空を見上げた。佐藤英理子の顔が、突然脳裏に浮かんだ。
「あのさ、菜々美。次の休み、空いてる?」
今日、学校で菜々美に声をかけると、彼女が、はっとした顔になった。
「ごめん、さっき約束が入っちゃった」
「約束って?」
「この前手伝いに行った施設の佐藤さんに、次の休みに会おうって誘われたの」
菜々美と馴れ馴れしくしていた佐藤英理子の笑顔が目に浮かんだ。
「私も一緒にいってもいいかな?」
「うん、いいよ。声かけようと思ってたから」
佐藤英理子と菜々美を二人きりで会わせたくない。なぜかそう思った。
ひとり物思いにふけっていると、突然、門の前に車が停まった。待っていたように、玄関の中から太った男が出てきた。施設長の太田だった。
太田が車の中を覗き込んで、中にいる男と言葉を交わしている。太田が建物の中に戻った。しばらくして、彼が中学生くらいの女の子を連れて出てきた。見覚えのある女の子だった。バーベキューのとき、佐藤英理子とテントで話していた派手な女子中学生だ。
女の子が男の車に乗った。立ち去る車を、施設長の太田が腰を折って恭しく見送っている。
閉門時間を過ぎているのに外出?
親が迎えに来たのか?
しかし、奈緒の話ではこの施設の子供達は親に見捨てられたかわいそうな子ばかりだといっていた。それに、こんな時間に親でもない男が訪ねてくるのだろうか。しかも、その男の車に乗りこんでしまうなんて。
午後九時。公園に人影はない。痴漢に注意の看板が目の前に立っている。痴漢なんて怖くない。出てきたら、稽古をつけてやる。
闇の中から足音が聞こえてきた。
「ごめん、待たせちゃった」
「こっちこそ、ごめんね、こんな時間に呼び出して」
奈緒の顔が赤く上気している。
「もしかして、お風呂入ってた?」
「ちょうど上がったところ」
「これからジュース飲んでくつろぐところだったんだ」
奈緒が笑った。
近くの自動販売機でジュースを買って奈緒に渡した。
施設の前で美登里が現れるのを待っていたというと、奈緒が体を仰け反らせて驚いた。朱里は、施設の前で見たことを奈緒に話した。結局、美登里は現れなかったが、車が三台やってきた。いずれも男が一人乗った高級車で、そのたびに施設長の太田が女の子を連れてきて、車に乗せたと。
「どういうこと?」
奈緒が不思議そうな顔で聞いてきた。
「私の想像なんだけど、あの施設、やばいことしてるんじゃない?」
「やばいことって?」
「女の子に売春させてるとか」
「売春?」奈緒がさっきよりも大きく体を仰け反らせた。
「あの施設、絶対、少女売春に絡んでいるよ」
「まさか」
「つい最近も、この街の議員が中学生の女の子にいやらしいことして捕まったじゃない」
「うん、知ってる。大騒ぎしてたね」
「あの施設と関係あるんじゃない?」
奈緒が口を閉じた。寂しそうな顔。あの施設でボランティアに励むのが、彼女にとってかけがえのない行為なのは知っている。そんな彼女の聖域を、自分は踏みにじろうとしてるのだ。
しかし、本当にあの子供たちが売春を強要されていたとしたら、黙って見ているわけにはいかない。車に乗り込んでいったのは、中学生や高校生くらいの女の子ばかりだったのだ。
「今から、あの施設の理事長のところに行きたいんだけど」
「理事長?」
「あの施設長の太田、絶対怪しいよ。この前も菜々美のこと、いやらしい目で見てたもん」
「椿野さんは可愛いから、男の人の目を引くんだよ」
「でも、確かめないと」
奈緒がまた黙ってうつむいた。
「ごめん。やっぱ、ひとりで行ってくるよ。理事長の家、知ってるんでしょ? どこだか教えて」
「私も一緒に行く」
「でも……」
「朱里のいうとおりだったら、私も許せない」
奈緒はベンチから腰を上げ、公園の出口に向かって歩き始めた。朱里が慌てて後を追った。通りに出てタクシーを拾った。理事長の家には十分ほどで到着した。二千円のタクシー代を、奈緒は自分が払うと言って譲らなかった。いつの間にか、彼女の目に闘志が浮かんでいた。
「あんたさあ、最近、少し逞しくなったみたい」
「嘘」
「小島や蛇尾さんたちといろんな修羅場くぐってきたんじゃないの?」
「修羅場って何よ。確かにいろいろあったけど」
「蛇尾さんってさあ。もしかして、小島のこと、好きなのかな?」
「はあ? なんで? そんなわけないでしょ」
「でも、妙に楽しそうなんだよね、あいつ」
「蛇尾さんが楽しそうにしてるの、気に入らないの?」
「私はそんな心の狭い女じゃない!」
「どうだか」
「ひどい、奈緒!」
「ここだよ」
奈緒が、目の前の大きな門を指さした。表札に北山とある。レンガ造りの豪邸だった。理事長は病院の経営者らしく、かなりの資産家のようだ。
奈緒が呼び鈴を押した。女の声が、インターフォンから聞こえてきた。奈緒が自分の名を告げ、夜の突然の訪問をわびた後に理事長に会いたい旨伝えると、少し待つように言われ、インターフォンが切れた。
しばらくして、門が開いた。
ガウン姿の上品そうな白髪の男が、優しそうな笑みを浮かべていた。
「どうしたんだい、奈緒ちゃん」
「すみません、理事長。こんな時間に」
奈緒が何度も頭を下げた。朱里が進み出て自己紹介し、施設のことで緊急に伝えなくてはいけないことがあると告げた。
「あの施設のことでかい? 一体、何があったのかね?」
「あの施設、少女売春に関わっていると思います」
さすがに驚いたのか、理事長の北山が真顔になった。朱里はさっき見てきたことを北山に話した。一度奈緒に喋っているので、話をうまく整理することができた。
施設長の太田が怪しいと最後に伝えると、北山がうなりながら、右手で顎を撫でた。
「しかし、信じられないね」
「調べてもらえますか?」
「調べてくれって言われても」困惑した顔で、北山が二人を見る。
「わかりました、調べましょう。もし君たちの言うことが本当だったら大変なことだからね」
朱里は何度も頭を下げた。
「でも、あまりことが公になると、施設にいる子供たちが肩身の狭い思いをすることになるから、しばらく他言無用でお願いできないかい? 何かわかればこちらから連絡するよ」
「はい、誰にも言いません」
奈緒も大きく頷いた。
寒くなくてよかった。
朱里は腰を伸ばした。同じ姿勢でじっとしていることに、まだ慣れていない。
宿題を終えたらお風呂に入って、お菓子を食べながらテレビを見て過ごす、貴重な休前日。しかし、今は暗い駐車場の精算機の後ろに隠れ、無機質なコンクリート製の建物の玄関を見張っている。
もう、帰ろうかな。そう思うたびに、奈緒の辛く寂しそうな顔が頭にちらついた。
あの子はいい子だ。きっと美登里という少女のことが心配でならないのだろう。
奈緒にあんな思いをさせているその少女に怒りさえ覚える。今夜会うことができたら、説教してやる。
先日施設で聞いた話だと、彼女は金曜日の夜にこっそり施設の子供たちに会いに来るらしい。今夜、ここにやってきた美登里を捕まえる。彼女がやばいことをしているなら、奈緒に知られる前に手を打ってやめさせなくては。
午後八時。施設の窓には、まだ明かりが灯っている。消灯時間までにはまだ時間がある。来るなら、閉門時間前の午後七時ごろだと思ったのだが、もう一時間が過ぎた。
また腰が痛くなってきた。朱里は腰を伸ばし、空を見上げた。佐藤英理子の顔が、突然脳裏に浮かんだ。
「あのさ、菜々美。次の休み、空いてる?」
今日、学校で菜々美に声をかけると、彼女が、はっとした顔になった。
「ごめん、さっき約束が入っちゃった」
「約束って?」
「この前手伝いに行った施設の佐藤さんに、次の休みに会おうって誘われたの」
菜々美と馴れ馴れしくしていた佐藤英理子の笑顔が目に浮かんだ。
「私も一緒にいってもいいかな?」
「うん、いいよ。声かけようと思ってたから」
佐藤英理子と菜々美を二人きりで会わせたくない。なぜかそう思った。
ひとり物思いにふけっていると、突然、門の前に車が停まった。待っていたように、玄関の中から太った男が出てきた。施設長の太田だった。
太田が車の中を覗き込んで、中にいる男と言葉を交わしている。太田が建物の中に戻った。しばらくして、彼が中学生くらいの女の子を連れて出てきた。見覚えのある女の子だった。バーベキューのとき、佐藤英理子とテントで話していた派手な女子中学生だ。
女の子が男の車に乗った。立ち去る車を、施設長の太田が腰を折って恭しく見送っている。
閉門時間を過ぎているのに外出?
親が迎えに来たのか?
しかし、奈緒の話ではこの施設の子供達は親に見捨てられたかわいそうな子ばかりだといっていた。それに、こんな時間に親でもない男が訪ねてくるのだろうか。しかも、その男の車に乗りこんでしまうなんて。
午後九時。公園に人影はない。痴漢に注意の看板が目の前に立っている。痴漢なんて怖くない。出てきたら、稽古をつけてやる。
闇の中から足音が聞こえてきた。
「ごめん、待たせちゃった」
「こっちこそ、ごめんね、こんな時間に呼び出して」
奈緒の顔が赤く上気している。
「もしかして、お風呂入ってた?」
「ちょうど上がったところ」
「これからジュース飲んでくつろぐところだったんだ」
奈緒が笑った。
近くの自動販売機でジュースを買って奈緒に渡した。
施設の前で美登里が現れるのを待っていたというと、奈緒が体を仰け反らせて驚いた。朱里は、施設の前で見たことを奈緒に話した。結局、美登里は現れなかったが、車が三台やってきた。いずれも男が一人乗った高級車で、そのたびに施設長の太田が女の子を連れてきて、車に乗せたと。
「どういうこと?」
奈緒が不思議そうな顔で聞いてきた。
「私の想像なんだけど、あの施設、やばいことしてるんじゃない?」
「やばいことって?」
「女の子に売春させてるとか」
「売春?」奈緒がさっきよりも大きく体を仰け反らせた。
「あの施設、絶対、少女売春に絡んでいるよ」
「まさか」
「つい最近も、この街の議員が中学生の女の子にいやらしいことして捕まったじゃない」
「うん、知ってる。大騒ぎしてたね」
「あの施設と関係あるんじゃない?」
奈緒が口を閉じた。寂しそうな顔。あの施設でボランティアに励むのが、彼女にとってかけがえのない行為なのは知っている。そんな彼女の聖域を、自分は踏みにじろうとしてるのだ。
しかし、本当にあの子供たちが売春を強要されていたとしたら、黙って見ているわけにはいかない。車に乗り込んでいったのは、中学生や高校生くらいの女の子ばかりだったのだ。
「今から、あの施設の理事長のところに行きたいんだけど」
「理事長?」
「あの施設長の太田、絶対怪しいよ。この前も菜々美のこと、いやらしい目で見てたもん」
「椿野さんは可愛いから、男の人の目を引くんだよ」
「でも、確かめないと」
奈緒がまた黙ってうつむいた。
「ごめん。やっぱ、ひとりで行ってくるよ。理事長の家、知ってるんでしょ? どこだか教えて」
「私も一緒に行く」
「でも……」
「朱里のいうとおりだったら、私も許せない」
奈緒はベンチから腰を上げ、公園の出口に向かって歩き始めた。朱里が慌てて後を追った。通りに出てタクシーを拾った。理事長の家には十分ほどで到着した。二千円のタクシー代を、奈緒は自分が払うと言って譲らなかった。いつの間にか、彼女の目に闘志が浮かんでいた。
「あんたさあ、最近、少し逞しくなったみたい」
「嘘」
「小島や蛇尾さんたちといろんな修羅場くぐってきたんじゃないの?」
「修羅場って何よ。確かにいろいろあったけど」
「蛇尾さんってさあ。もしかして、小島のこと、好きなのかな?」
「はあ? なんで? そんなわけないでしょ」
「でも、妙に楽しそうなんだよね、あいつ」
「蛇尾さんが楽しそうにしてるの、気に入らないの?」
「私はそんな心の狭い女じゃない!」
「どうだか」
「ひどい、奈緒!」
「ここだよ」
奈緒が、目の前の大きな門を指さした。表札に北山とある。レンガ造りの豪邸だった。理事長は病院の経営者らしく、かなりの資産家のようだ。
奈緒が呼び鈴を押した。女の声が、インターフォンから聞こえてきた。奈緒が自分の名を告げ、夜の突然の訪問をわびた後に理事長に会いたい旨伝えると、少し待つように言われ、インターフォンが切れた。
しばらくして、門が開いた。
ガウン姿の上品そうな白髪の男が、優しそうな笑みを浮かべていた。
「どうしたんだい、奈緒ちゃん」
「すみません、理事長。こんな時間に」
奈緒が何度も頭を下げた。朱里が進み出て自己紹介し、施設のことで緊急に伝えなくてはいけないことがあると告げた。
「あの施設のことでかい? 一体、何があったのかね?」
「あの施設、少女売春に関わっていると思います」
さすがに驚いたのか、理事長の北山が真顔になった。朱里はさっき見てきたことを北山に話した。一度奈緒に喋っているので、話をうまく整理することができた。
施設長の太田が怪しいと最後に伝えると、北山がうなりながら、右手で顎を撫でた。
「しかし、信じられないね」
「調べてもらえますか?」
「調べてくれって言われても」困惑した顔で、北山が二人を見る。
「わかりました、調べましょう。もし君たちの言うことが本当だったら大変なことだからね」
朱里は何度も頭を下げた。
「でも、あまりことが公になると、施設にいる子供たちが肩身の狭い思いをすることになるから、しばらく他言無用でお願いできないかい? 何かわかればこちらから連絡するよ」
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