マーダーホリックパラダイス

アーケロン

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36.捜査会議、再び……

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 早朝の庭。
 不意に、目の前を鳥が横切った。いつもこの庭にやって来るムクドリだ。
 日課の早朝素振り百回はすでに終えている。和哉は大きく息を吸って、木刀を上段に構えた。
 目を閉じて呼吸を整える。汗が引いていくのがわかる。そろそろ、朝が冷える時期になってきていた。
 静かに目を開ける。目の前に、対峙する敵が立っている。
 踏み込んで木刀を振り下ろす。敵が切っ先を交わす。素早く腰を落として腕を引く。敵の喉元に、木刀を突き出す。
 突き出した腕を引き寄せ、今度は中段の構え。
 再び目を閉じ呼吸を整え、目を開ける。
 踏み込んでくる敵。和哉も踏み込み、敵の手首を狙って木刀を振り下ろす。
 素早く腰を捻り後ろに回り込んだ敵を見据える。
 上段の構え。
 大きく息を吸い、肺の奥深くまで空気を送り込む。
 心拍数が落ちていく。木刀を握る手に、力を込めた。
 三年前。和哉が中学二年の時だった。当時小学六年の桃香に付きまとっている男がいた。高校を中退して以来、定職にもつかず付近をぶらついている、どこにでもいる社会の落ちこぼれだった。
 学校の帰り、変な男の人に抱きつかれたと、桃香が母親に訴えた。母はすぐに警察に通報し、男は逮捕されたが、それから間もなくして、また男が付近をぶらつき始めた。男を釈放したことを、警察は和哉の家族に連絡していなかった。
 学校から帰り家に上がると、ランドセルを背負ったままの桃香が泣き顔で和哉に駆け寄ってきた。
「また、あいつがいるよ」
 桃香はあの男が自分をつけてくるのに気付き、近くを通りかかった主婦に家までついてきてもらったらしい。
 桃香は家族のいない家で一人、不安に震えながら兄の帰りを待っていたのだ。
 意識が遠のきそうになるほど強烈に、頭に血が昇った。
 木刀を持って、桃香を連れて外に出た。男の姿はなかった。しかし、どこかで桃香を見ている気がした。
 怯える桃香を説得して、独りで歩かせた。そして和哉は、五十メートルほど離れて桃香の後を追った。
 駐車場の車の陰から、男が突然姿を現した。明らかに桃香を狙っていた。
 男が桃香に近づいていった。和哉は男に気づかれないように、静かに男の後ろに忍び寄った。
 男の手が桃香に伸びた時、上段に構えた木刀を男の脳天に振り下ろした。頭を抱えて地面に転がる男を蹴り飛ばし、桃香に家に帰れと怒鳴った。
 そして、妹が姿を消した時、和哉は心を決めた。
「何しやがんだよ!」
 男が立ち上がって、中学生相手に凄んで見せた。
 腰を落とし、木刀を腰に構えて踏み込んだ。得意の突き。木刀の先端が男の喉をつぶした。地面に蹲り、喉を抑えて苦しむ男の頭に、木刀を思い切り振り降ろした。何度も何度も。
 気が付けば、和哉は警官に取り押さえられていた。血塗れになった男が、地面で動かなくなっていた。近所の住人が警察に通報し、警官が駆け付けるまでの間、和哉は男に木刀をふり降ろし続けたのだった。
 あの男を、殺してやろうと思っていた。
 あの男の頭を叩き割ったとき、悪い奴は成敗してもいいんだという気持ちになった。
 警察も司法も、桃香を守ってくれない。彼等が動き出すのは、桃香が汚され殺された後なのだ。
 殺人願望など、持ち合わせてはいないと今も信じている。しかし、本当に悪い奴が目の前に現れて、家族や友達に危害を加えたら、自分はどうなってしまうかわからない。
 桃香に何かあれば、本当に犯人を殺してしまいかねない。刑務所に入って犯人が罪を償ったとしても、それはあくまで法律上のことだ。おそらく和哉は、刑務所を出てきた犯人に復讐するだろう。どれだけの時間と費用が掛かろうとも犯人の居場所を突き止め、命を奪ってしまうだろう。
 剣道はやめた。そして、妹にはそれ以来GPSをこっそり持たせている。
 朝の素振りを終え、木刀を布で拭う。シャワーを浴びてダイニングに顔を出すと、珍しく桃香が起きていた。パジャマ姿でテレビを見ながら、パンを齧っている。
「早いな」
 正面の席に着くと、桃香が兄を不機嫌そうな目で見た。
 新聞を広げた。事件の記事が載っていた。昨日の昼過ぎ、二人の女子高生が車に連れ込まれたが、その後、車がトラックと正面衝突。乗っていた男四人が重症、少女二人が軽傷とのことだった。その少女二人が関本朱里と椿野菜々美だと知ったのは、昨夜の奈緒のラインでだった。
 そして、スカルのリーダーの柏葉が殺された事件。仲間とともに女子中高生を勧誘し売春させていたことが、代議士の少女買春事件と絡めて伝えられていた。
 先に朝食を終えた桃香が洗面所に向かった。彼女が家を出る準備を終えるまで、トイレと洗面所は使用できない。
「じゃあ、行ってくる」
 桃香の弁当の準備に忙しい母の背中に声をかけ、和哉はダイニングを出た。

 教室に入ると、奈緒はもう席についていた。
 彼女と目があった。
「よう、この前の土曜日はどうだった? 蛇尾と朝まで女子トークだったのか?」
「すぐに寝たよ。トークはまあ、盛り上がったような、あがってなかったような」
 奈緒はあの土曜の夜、沙耶の屋敷に泊まった。万が一、両親のいない奈緒の家にスカルの連中が押しかけてこないとも限らなかったからだ。
「朝、食べすぎちゃった」
 朝食はリゾートホテルのレストランのように豪華だったらしい。沙耶の母親が嬉しそうに世話をしてくれたそうだ。父親の姿はなかったが、蛇尾家の運転手の男が、ダイニングの隅で一人で朝食を食べていたのが少し奇妙に思ったとのことだ。
「関本と椿野の様子はわかったのか?」
「朱里からメールがあった。二人とも大したことないって。椿野さんは大事をとって今日 一日入院するらしいけど、朱里は学校に来てるよ」
「昨日あんな目に会ったばかりなのに、もう学校に来てるのか?」
「あの子はそういう子なの。こんなことくらいで負けてたまるかって、意地っ張りなところがあるから」
 さすがは空手女子。タフな女だ。
「蛇尾さんも朱里のこと褒めてたわ。思ったほど、朱里のこと嫌ってないみたい」
「そりゃ、まあ、なによりだ」
「最初はとっつきにくいと思ってたけど、とてもいい子ね。ピント外れな行動も多いけど、彼女なりに色々気を使ってくれるし」
「いいよな、女同士は。すぐに仲良くなれて」
「男子はそうじゃないの?」
「俺、人見知りだし」
「はあ?」
「まあ、おまえが元気になってよかった」
「いつまでも沈んでいても仕方ないじゃん」と奈緒が笑った。
「美登里はおまえをひどい目にあわせる気なんてなかったんだよ。もし彼女がその気だったら、おまえはとっくにスカルの餌食になっていただろうな」
「うん……」
 奈緒が視線を外した。
 美登里は去った。連絡もつかない。奈緒が彼女と会うことは、もうないだろう。
 ミッションは完了した。だから、以前のような日常が戻ってくるだろうと思っていた。しかし、終業のホームルームが終わると同時に、待っていたかのように沙耶が教室に入ってきた。
「どこに行く気?」カバンを肩にかけて帰ろうとしている和哉を睨みつけてきた。
「家に帰るに決まってるだろ」
 奈緒も下校準備をしながら沙耶を見ている。
「二人とも今から学食に来て」
 教室の入り口から、関本朱里がこちらを見ていた。
「何するんだ?」
「決まってるじゃない。いつもの捜査会議よ。サボろうなんて許さないから」
 和哉が何か言う前に、沙耶はさっと背を向けた。
 食堂まで伸びる廊下を、背筋を伸ばして沙耶が先導するように歩いていく。その後ろに和哉が続く。尻を見ると何を言われるかわからないので、とりあえず窓の外を見ながら歩いた。
「この前の土曜日、蛇尾さんの家に泊まったんだって? 彼女から聞いたわ」
 和哉の後ろをついてくる朱里が、奈緒に不思議そうに聞いている。二人は和哉の前を歩きたがらない。
「おまえも、蛇尾に呼ばれたのか?」
 和哉が後ろを振り向いて朱里を見た。
「奈緒の家の近所でスカルのリーダーが殺されたんでしょ? そのことで話があるって言われたの。あいつらには私も菜々美も酷い目に遭わされたばかりだし、無関係じゃないもんね」
 沙耶が関本朱里を呼びつけるとは珍しい。
「椿野はまだ休むのか?」
「明日からくるって」朱里がそういうと、奈緒がよかったと言って微笑んだ。
 学生食堂には誰もいなかった。いつもの席に、沙耶が座って三人を待っていた。
「誰が柏葉って男を殺したの?」席に着くなり、沙耶が和哉に迫ってきた。そんなことを聞かれても、俺は捜査関係者じゃない。
「石田組の関係者に容疑がかかっているみたいね。テレビで言ってた。でも、あなたはそうは思ってないんでしょ?」
 沙耶が和哉を睨んでいる。
「ここにいるのはみんな仲間よ。椿野さんにも、学校に出てきたら状況を説明する必要があるわ」
 沙耶がテーブルに身を乗り出した。奈緒も関本朱里もこちらを見つめている。宿敵、関本朱里も仲間にしてしまうとは、やはり女子のコミュニケーション能力はすごい。
「この前、美登里に話していたことの続きが聞きたいわ。隠し事はなしよ」
 奈緒も関本朱里も、和哉の言葉を待っている。ため息が出そうになった。
「俺たちの知らないところで、誰かが動いている気がする。そいつがスカルや柏葉をはめたんだ」
 沙耶が眉を寄せた。この女のこんな表情もなかなかいい。
「スカルや柏葉をはめたって、どういうことよ」
 今度は奈緒が詰め寄ってきた。
「誰かが石田組を使ってスカルを壊滅させようとしたんだ。あるいは、ターゲットは柏葉だけだったかも知れない」
「どうしてそう思うの?」
 今度は関本朱里が身を乗り出してきた。平和な学校内で女子生徒相手に喋る内容じゃないが、聞きたいというのなら聞かせてやる。
「スカルは石田組と和解しようとしていたんだ。石田組もスカルと仲たがいしているうちは商売あがったりだ。両者関係改善を目指していたはずなのに、誰かがそれを邪魔していた。少し前に橋本って石田組の幹部が殺されたけれど、スカルの仕業じゃなかった。和解しかけていた石田組とスカルを拗らせようと、誰かが画策したんだよ」
「誰がそんなことを?」沙耶の強い目に見つめられて、思わずたじろいだ。
「そんなこと、俺がわかるわけないだろ」
「ここぞというときは、相変わらず役に立たないわね」
「あのなあ」
 誰かとはつまり、勇作の名をかたっていた何者かだ。柏葉を殺して目的を達成したのか、あるいは、スカルが壊滅するまで続けるつもりなのだろうか。
「あの施設長が死んだって、ニュースで言ってた」
 突然、朱里が和哉と沙耶の間に割って入ってきた。彼女が強い目を向けてくる。なかなかの美人にそんな目をされるとぞくぞくしてくる。
「あの施設長って?」
「奈緒がボランティアに参加している児童養護施設の、太田っていう男。魚釣りに行っていて海に落ちて死んだって新聞に書いてあったけど、あれも怪しいよ。太田は少女売春に関わっていたのかもしれないの」
「本当か?」
「この前、朱里と一緒に理事長の家に行ったって話したでしょ? そのとき、理事長に太田さんが怪しいって訴えたのよ」
 奈緒の言葉に、関本朱里も頷いている。どうして太田のことを怪しいと思ったのかを、朱里が和哉と沙耶に説明した。
「少女売春の首謀者だってことがばれそうになったから、消されたんじゃないのかな」
 朱里の言葉に、奈緒が怯える。同じような話を、スカルの金髪女から聞いたことを思い出した。
「だとすれば、おまえたちも気を付けたほうがいい」
 和哉が朱里を見た。
「少女売春に関わっている石田組の幹部がいる。女の子を拷問するのが趣味の変態野郎なんだが、そいつが空手連盟の役員らしいんだ。おまえ、中学の時に空手やってたんだろ? 誰だかわからないか?」
「知らないわよ。連盟の役員なんて何人もいるし、誰が連盟の役員かだなんて関心もないし」
「名簿か何か、持っているだろ」
「持ってないわ。でも、道場に聞けばわかるかも」
「調べてみてくれないか?」
「わかりっこないわ」
「その男の動画があるわ」
 今度は沙耶が割って入ってきた。
「あれを関本に見せるのか?」
 衝撃的な動画だ。それに、美登里を巻き込まないために、殺人事件の証拠となるUSBの存在を警察には黙っている。あまり不用意に見せびらかさないほうがいいように思うが。
「百聞は一見にしかず。関本さんが男のことを知っていれば、動画を見ればすぐにわかるわ」
「でもなあ……」
「どんな動画なの?」朱里が聞いてくる。
「あ、いや……」
「見せなさいよ、その動画。そんなにやばいものなの?」
「まあな」
「大丈夫。大した動画じゃないわ」沙耶がさらりと言う。
 いや、とんでもない動画だと思うけど。だが、動画を見せるのが一番いいだろう。
「わかった。明日持ってくる。その動画がどんなものか、その時説明するから、覚悟しておけ」
 関本朱里が強く頷いた。
 話が終わり、奈緒が関本朱里を連れて先に食堂から出ていった。
「で、犯人を見つけてどうするんだい、捜査本部長?」
 和哉が沙耶を見た。
「当然、放っておけないわね。こんな極悪人、穏便に警察に逮捕させるだけじゃ、面白くないわ。そうね、毒でも飲ませればいいのよ。母が温室で使っている農薬があるわ。確か有機リン系の殺虫剤だったはずよ。神経を麻痺させて呼吸を止める優れものなの。もがき苦しみながら死ねばいいのよ」
 怖いことを言う。まったく、どこまで本気なのか。しかし、昆虫用の殺虫剤は思っているほど人間には効かないものだ。
「でも、その前に……」
 沙耶が、澄んだ瞳を和哉に向けた。
「犯人がわかったら、真っ先に私に教えなさい。もし榛原さん達がいるときは、私にだけわかるようにこっそりと伝えなさい」
「はあ? なんで?」
「ここまで一緒にやってきたんだから、それくらいの恩恵を受ける権利はあるはずよ」
 そこへ奈緒が戻ってきた。「城野さんに朱里を取られちゃった」といって笑っている。
「せっかくポテトの半額チケットがあるのに。蛇尾さん、一緒に行かない?」
「いいわね。じゃあ、お店で捜査会議の続きをしましょう」
「まだやるのかよ。どうせならお前の家にいって、またあの高級メロンを……」
 さあ、行きましょうと言って、沙耶が奈緒を連れてさっさと食堂を出ていった。
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