錆びた十字架

アーケロン

文字の大きさ
5 / 26

しおりを挟む
「新しいネタでも、見つけたのかい?」
 資料室の受付で資料閲覧願に必要事項を記入していると、郷田一輝が横から声をかけてきた。郷田は奈緒美と同じフリーのライターで、彼の紹介で奈緒美はこの出版社の編集部に臨時で雇われることになった。ふたりとも刊行したばかりの「週刊スカット」の記事作成担当で、郷田は主に暴力団関係、奈緒美は風俗嬢や盛り場をうろつく女子高生など、いわゆる「わけあり女」を取材している。
 そして、玲奈には秘密にしていることなのだが、郷田一輝は奈緒美の元恋人でもあった。
「七年前に女の子が二人殺された事件の加害者が、私の取材対象と関係があったの。手近かなところに情報源がころがっていそうなので、ちょっと調べてみようと思ってるの」
「もしかして、田島仁志の事件か? 死刑が確定している」
 たしか、郷田はこの事件を取材していたはずだ。奈緒美と付き合う少し前のことだ。
「そうよ。今、被害者の家族が早く処刑しろって揉めてるでしょ? 話題性もあると思うんだけど。あれ、どう思う?」
「どう思うって?」
「冤罪かどうかってこと。ずっと無罪を主張してるじゃない。あなたも取材したんでしょ?」
「人を殺した被告人は、裁判じゃみんなそう言うんだよ、命がかかってんだから。弁護士も入れ知恵してるだろうし」
「じゃあ、やっぱりホンボシ?」
「当たり前だろ。取り調べでは自供してんだ」
「刑事に自白を強要されたのかも」
「それに証拠がそろってる。被害者から精液だって出てるしDNAも一致している。とにかく、田島仁志は碌な男じゃなかった。窃盗、脅迫に強姦未遂の常連で、それまでぶち込まれなかったのが不思議なくらいの男だ。レストランで注文した料理に鼠の糞をわざと混ぜて金を脅し取ろうとしたこともあった。保健所に訴えると騒いだが、レストラン側が金を払わずに未遂に終わったがな」
「誰かにはめられたってのは?」
「ないね。奴をはめる動機のある者はいなかった」
「でも、公判を維持するために、不利な証拠を検察が隠したかも」
「まあ、それはあるかもな。捏造じゃなく証拠を隠すのは違法じゃないから。でも、七年も前の事件を調べて今さら新事実が出てくるのかい?」
「被害者の交友関係は取材した?」
「そうだな。被害者の日常を記事にする程度にはな。あの事件では被害者は加害者と知り合ったその日に殺されている。まあ、欲望のまま突っ走った通り魔殺人みたいなもんだ。加害者と被害者の間に濃厚な人間関係も怨恨もなかった。田島は己の欲望を満たすためだけに女性を殺したんだ」
「被害者の知り合いに怪しそうな人はいなかったの?」
「ああ。警察だって田島と殺された女の子たちの交友関係を徹底的に調べたが、何も出なかったんだ。被害者の関係者を洗ったって何も出てこないよ」
「もし冤罪なら、被害者の周辺を調べれば何か見えてくるかもしれない」
 郷田が苦笑しながら頷いた。
「たしかに、そういう観点で取材したものはいなかったかもな。誰もが田島がホンボシだと思っていたから」
 受付でマイクロフィルムのケースを受け取る。
「今度食事でもどうだい?」
 さわやかな笑顔で、郷田が誘ってくる。奈緒美に同性の恋人がいるなど、一輝は夢にも思っていない。
「君の取材の役に立てるかもしれない」
「あら、ネタを餌に釣る気? それに、彼女に悪いわ」
「もう、別れたよ。それとも、お前、付き合っている男でもいるのか」
「今は男に興味はないの。代わりに猫がいるわ。綺麗で可愛いけど、つんと澄ました猫が」
 一輝が笑った。受付の女の子がパソコンから目を離して、ちらっとこちらを見た。
「猫には迷惑をかけないさ。何なら、連れてきてもいい。ペットが同伴できるいい店も知ってるんだ」
「あなたに取材したくなったら、その時ごちそうになるわ」
 一輝に小さく手を振り、マイクロフィルム閲覧室に入る。リーダーのスイッチを入れカセットをセットし、公判調書を画面に映し出した。
 田島の罪状は二人の女性に対する強盗殺人と死体損壊。被害者は当時家出中だった十七歳の少女、宮崎恵美と、二十二歳の風俗嬢の小木尚子。七年前、田島仁志は歓楽街にあるコンビニエンスストアで、当時十七歳の宮崎恵美と知り合った。彼女のアパートで性交後、コードのようなもので恵美の首を絞めて殺し、現金三万円を奪い、ドアに鍵をかけて逃走した。その三日後、同じ歓楽街の路上で風俗嬢の小木尚子と知り合った。そして宮崎恵美と同様、性交後に尚子を絞殺し、現金五万円を奪って逃走した。二人とも、絞殺された後、ナイフで全身を三十か所以上抉られていた。異常な猟奇的殺人事件は、当時テレビや新聞を大いに賑わした。
 当時の週刊誌のフィルムを順に繰っていく。一輝の言う通り、田島仁志は碌な男ではなかった。両親は息子に無関心で、結局離婚。幼少の頃より脅迫や万引きの常習だった。高校中退後は仕事を転々とし、職場で頻繁にトラブルを起こしては仕事を辞め、逮捕時は無職だった。被害妄想僻があり、窃盗、婦女暴行に強姦未遂。婦女暴行では起訴を免れたが、強姦未遂では執行猶予がついた。殺人で捕まるまで一度も刑務所に入ってないのが不思議なくらいの男だ。
 被害者の膣内から精液が検出され、DNA型が田島のものと一致した。そして田島の部屋から宮崎恵美の部屋の鍵が見つかり、引き出しにあった一万円札八枚から、二人の被害者の指紋も検出されている。裁判では強姦は否定されたが、強盗殺人及び死体損壊で死刑から逃れることはできなかった。
 完璧な証拠がそろっている。これではいかに公判で無実を叫ぼうとも、言い逃れのしようもない。
 しかし、完璧に揃い過ぎている。不自然なくらいに。
 現場付近で、田島仁志以外に痩せた若い男が目撃されていた。一輝が所轄の刑事から仕入れた情報を記事にしていた。当時は共犯かもしれないと疑われた男だが、田島仁志の周囲にそんな人物はおらず、田島自身もそんな男に覚えはないと証言している。
 痩せた男。なんとなくひっかかる。

 駅前のスターバックス。テイクアウトで何度か利用したことはあるが、店内で過ごしたことはない。店内でタバコが吸えないのが、その理由だ。
 被害者小木尚子の友人の前田朋子は、都内の有名ピンサロに勤める風俗嬢だ。先日取材したリサが、同じ店に勤めたことのある前田朋子に連絡をとってくれた。
「とにかく派手な女の子だから」
 リサが言うには、初対面でもすぐにわかる相手らしい。
 スマートフォンの画面を覗く。午後三時ジャスト。彼女の仕事が午後五時から始まるので、それまで取材に応じてもらえることになっている。しかし、店内に前田朋子らしき女はまだいない。
 風俗嬢の時間に対する感覚は、一般人とは全く違う。風俗嬢のほとんどが時間にルーズだ。というより、時間を守るという感覚が欠如している。あまり待たされると、取材の時間が短くなってしまうのだが。
 約束の時間より五分ほど遅れて、金色に染めた髪に、原色の散りばめられた派手なワンピースを着た女が店内に入ってきた。一目でイミテーションのパールとわかる大きなイヤリングをつけ、ピンクのハイヒールを履いている。
 どうやら、あの女のようだ。
 奈緒美がその場で席を立つと、女が濃い化粧顔を向けた。手を小さく振って近寄ってくる。店内の客の視線が一斉にこちらを向いた。
「桐原さん?」
 完璧なメークを施した顔に、意外と愛想の良い笑みを浮かべた。
「リサちゃんの紹介で来ました前田朋子です」
「よろしく。桐原奈緒美です」
 彼女に名刺を渡し、レコーダーのスイッチを入れてテーブルの上に置いた。
 前田朋子は十九歳のとき、初めて風俗の世界に飛び込んだが、店での仕事を手取り足取り教えてくれたのが小木尚子だったらしい。
「ピンサロだったんだけどさあ、男のあれはこうやって扱うんだって、バイブを使って教えてくれたんだ。教え方が卑猥で冗談交じりだったから、げらげら笑っちゃってさ。彼女といると、凄く楽しかった。で、このバイブどうしたんですか、わざわざ買ってきてくれたですかって聞いたら、飽きちゃったからあげるわっていうのよ。そんなこといわれて、どうすりゃいいっていうのよ。ねえ?」
 周囲も気にせず、彼女の口からきわどい言葉が次々に飛び出してくる。
「尚子ちゃんはよくしてくれたよ。お金ない時でもよくおごってくれたし」
 そう言って、彼女は生クリームのたっぷり入ったアイスココアをストローですくって舐めた。
「小木尚子さんって、風俗をする前は何をしていたのか知ってる?」
「デパートの販売員やってたって聞いたことある。その時つきあった男が悪い奴でさ。借金させられて、その返済のために出会い系で男探してウリやったけど、思うように稼げなくって大阪まで遠征して風俗で働くようになったんだって。最初はちょんの間。飛田だっけ? 美人だったから、面白いくらい稼ぐことができて、これは自分の天職だと思ったって言ってた。でも、せっかく儲けて借金返して貯金してこっちに戻っていたのに、また男にだまされたの。お金貢がされちゃって、結局また風俗に逆戻り。でも、男とは続いていたと思う」
「どんな男だったの?」
「チンピラ。尚子ちゃん、やんちゃな子が好きだったから」
「そのチンピラ、どこの誰だかわかる?」
「カイ。斉藤カイ」
「ヤクザなの?」
 朋子が首を振った。
「ただのチンピラ。三十超えてるけど、いい歳してチンピラだよ。ヤクザにもなれない半端もん」
「そいつって、痩せてた?」
「うん。一度だけ見たことあるけど、シャブやってそうな感じだった」
 現場付近で、田島仁志の他に痩せた若い男が目撃されている。斉藤カイが真犯人と考えるのは短絡的だが、可能性は排除できない。
「その男、今どこにいるか知ってる?」
「風俗のボーイやってるよ。クラブルージュってヘルスの」
 朋子に店の場所を訊く。有名な風俗ビルの地下一階だった。
「週刊紙には、彼女は死刑囚の田島仁志と知り合ったその日に身体の関係になったって書いてあったけど。あなたはどう思う? 小木さんって、よくそんなことしてたの?」
「絶対しないと思う。ウリやってたんなら別だけど。あ、そうそう。尚子ちゃん、ちょうどその頃に、気前のいいおじさんとも知り合ってたよ。お金持ってたって言ってた。その人なら部屋に連れていったかもしれない」
「どんな男の人?」
「優しそうなおじさんだって、いってた。ホテル行っても何もしないのにお金くれたんだって。その人、五十歳過ぎのおじさんなのに、がっちりした筋肉質の身体してたんだっていってた」
「そんな人、いるの?」
「まあ、勃たない人とかね。女の子の裸に触るだけでいいって男の人、結構いるよ」
 朋子のドリンクに浮かんでいた生クリームが、すっかり崩れてココアに混ざっている。
「小木尚子さんって、田島仁志と以前から知り合いだったってことはなかったの? たとえば、お店のなじみ客だったとか」
「刑事に聞かれたけど、それはないと思う。当時の店長も知らないって言ってたから」
「自分の部屋に田島を連れ込むなんて、彼女の性格からそれはありえないんでしょ? 知り合い以外にいないと思うんだけど」
「だって、尚子ちゃんのタイプじゃないもん。やっぱりウリやってたんじゃないかな。その田島って男、嘘をついてるわ、絶対」
 だが、小木尚子との間で金銭の授受があったとは証言していないし、仮にそんな事実があったとして、それを隠す理由は彼にはない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜

桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。 上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。 「私も……私も交配したい」 太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。

処理中です...