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駅前の噴水の周囲で、学校の制服を着た若い女の子たちがはしゃいでいる。何をしても楽しい年頃なのだ。あんな時期が自分にもあった。部活を終えた帰り道、友人たちととりとめのない話でいつまでも笑い合ったものだ。
駅の時計は五時五十分を差している。次の急行に乗ってくるだろう。今夜は飲むことになるので車をマンションに置いてきた。
駅から人が溢れ出てきた。急行が到着したらしい。まだ早い時間帯なので多くは学校帰りの学生だが、サラリーマンらしき男性の姿もちらほら見える。
人の流れが途絶えてきた。乗っていなかったのか。そう思っていると、一人の綺麗な女性が姿を現した。彼女が玲奈だと、奈緒美は一瞬気づかなかった。いつもはブラウスとスカート姿の彼女が、ダークスーツに身を包み、薄く化粧をし、珍しく口紅まで塗っている。
「何よ、その格好。まさか、わざわざめかしこんできたの?」
「今日は教職員の研修だったのよ。今朝話したでしょ。布団に潜り込んでいたから、聞いてないとは思ってたけど」
「あ、ごめん。でも、似合ってるわ、その格好。今夜のあなたはきっともてもてよ」
仕事の出来る大企業のキャリアウーマンのような隙のない玲奈に、奈緒美は目を細めた。皺ひとつないスーツを剥がし、中から出てくる光輝く彼女の裸体を思い浮かべる。
「今、いやらしい想像、しなかった?」
彼女の目が冷たく光る。
「相変わらず、鋭いわね」
「あなたが単純なのよ」
タクシーの後部座席に座って、横に座った玲奈の手を握ると、彼女が握り返してきた。タクシーが走りだし、奈緒美は窓の外に目を向けた。雑居ビルと商店街の入り混じるカオスの街が広がっている。
「私ね、新しいネタ見つけたの。今世間で騒がれている田島仁志って死刑囚。この男の事件を取材しようって思ってるの」
玲奈が何も言わずに怪訝な目で見つめてくる。
「七年前の事件だけど今注目されているし、面白い記事が一本書けるだけの情報は集められるわ。それに、取り調べ段階で自供しているんだけど、裁判では一貫して無罪を主張しているの。刑事に脅されて取り調べ中に嘘の供述をしてしまうことはよくあることよ。もしかしたら、田島は本当に無罪かもしれない」
「だったら、大変なことじゃない」
「もし刑が執行されでもしたら、大騒ぎになるでしょうね。ねえ、これまで冤罪で処刑された人って何人いると思う?」
「想像つかないわ」
「結構いるのよ。まあ、ほとんどが戦前戦中や、戦後すぐの混乱期のことだけどね。でも、ごく最近でも無実の人間が処刑された可能性のある事例があるわ。国は絶対認めないけど」
「それはそうよね」
「意外と素直に同意するのね。何か反論すると思ったのに」
「学校も同じなのよ。生徒が虐めで自殺しても、学校はぎりぎりになるまで虐めの存在を認めないもの。あるいは、自殺した生徒が相談してくれなかったから気づかなかったとかいって、死者に責任転嫁する。親や世間から非難されても、真実が明らかにならない以上、誰も処分されない。それが世の中の仕組みよ」
「青臭いこと言うのね」
「間違ったことは言っていない」
駅を離れてしばらくは歩道を行きかう人の数も多かったが、少し離れると閑静な住宅街が広がり、人通りが絶えた。フロントガラスの向こうにレンガ造りの瀟洒なビルが見えてきた。タクシーを降りてビルを見上げる。その時、ちょうどビルの照明が灯った。一階に居酒屋、二階に目指す店がある。
エレベータを使わず狭い階段を昇った。先をいく玲奈の、タイトスカートに包まれた尻が目の前で揺れている。下着の線もうっすらと見えていた。思わず手を伸ばしそうになる。
「触っちゃ、駄目よ」
「はい……」
初めての客はドアを開けるのも躊躇うほどの、まるで秘密クラブのような門構え。重厚な樫のドアは完全な防音構造で、中の様子はわからない。しかし、二人にとっては通い慣れた店だった。
玲奈がドアを押した。
「いらっしゃい」
ママのリリコが、カウンターの中から二人を見て微笑んだ。十人も入ればいっぱいになる、カウンター席だけの店だが、本場のアイリッショパブを思わせるシックで落ち着いた内装が気に入っている。
三組のカップルが既に席について、グラスを傾けていた。玲奈と奈緒美が、一番端の席に座った。
「ごめんね、奈緒美ちゃん。今夜はタバコはだめなの」
カウンターにコースターを置きながら、リリコがいった。中央の席に座っている女性がこちらを見てすみませんと呟いた。腹が膨らんでいる。妊娠しているのだ。
「喫わないから、灰皿はいいわ」
奈緒美の代わりに玲奈が応えた。
「奥さんがそう言うのなら、仕方ないわね。奈緒美ちゃん、今夜は我慢してね」
ママのリリコが、愛想のいい笑みを返した。
玲奈がストロベリーフィズを、奈緒美はギムレットを注文した。
女だけが集うレズビアン・バー、ホワイト・リリー。駅から離れた不便な場所にあるが、レズビアンたちには有名な店で、いつ来ても席の半分は埋まっている。今夜はカップルばかりだが、出会いを求めて一人で来る客も多い。
カップル達が、ちらちらとこちらを見て囁き合っている。際立った美人の玲奈は、どこにいても注目される。男からも女からも。特にスーツ姿の今夜の玲奈は、タチからもネコからも熱い視線が注がれる存在だ。
妊娠している女性が、玲奈を見て微笑んだ。
「今夜のあなたは最高ね。彼女、あなたのこと、見ているわよ」
玲奈の耳元でそっと囁く。
「違うわ。私が彼女のことをずっと見ていたの」
「あら、ああいうのがタイプなの?」
「馬鹿」
誤魔化すように、玲奈が出てきたばかりのストロベリーフィズに口をつける。
「この店、よく来るの?」
隣のカップルが話しかけてきた。二人とも三十代前半くらい。あの妊婦のいるカップルも、隣のカップルと話している。奈緒美たちは、四人で会話を楽しんだ。クールな玲奈は騒ぐのが苦手で、いつもは微笑みながら時折相槌をうつ程度だが、この日は舌が滑らかだった。カップル同士の会話なので、下心も駆け引きもない、たわいのないただのガールズトークだったが、四人で楽しく笑いあった。
玲奈はあの妊婦のことが気になるようで、時折ちらちらとカウンターの端を窺っている。
「楽しかった。じゃあ、また」
二人が席を立って店を出た。
「あの人が気になるの?」カシスソーダを飲んでいる玲奈の脇腹を指で突いた。
「もしかして、妬いてるの?」
「馬鹿」
「彼女と話がしたいわ。同姓婚を認めていない日本で、女同士のカップルが子供を持とうと決心するまで何を考えたのか、どんな覚悟を持っているのか、聞いてみたいの」
「意外ね。そんなことに興味があるなんて」
「あなたもジャーナリストなら興味がなくって? それこそ、面白い記事の一つでもかけるかもしれないわよ」
「私だって、以前から興味はあったわ。ジャーナリストとしてじゃなく、彼女のいる女としてね」
本当にそう思っているのか。彼女の目が疑っている。
妊婦のグループと話していたカップルが席を立った。ドアを開けて出て行こうとしたとき、「お先に」といって奈緒美と玲奈に微笑みかけた。
「ママ」
奈緒美がリリコを呼んだ。
「向こうのふたりと話がしたいんだけど」
リリコは二人のところに戻って声をかけてくれた。二人同時にこちらを見た。優しい目が、こちらを歓迎しているといっている。玲奈は先に席を立つと、グラスも持たずに二人のところに歩いていった。まるで待ちきれないといった様子だった。
「こんばんは」
妊婦が優しい顔で微笑んだ。玲奈が妊婦の横に座った。いつもは席に座って誰かに声をかけてもらうのを待っているタイプなのに、彼女にしては積極的な行動だ。リリコがカウンターに置いていた玲奈のカシスソーダを持ってきた。
「何か月なんですか?」
「ちょうど十か月なの。そろそろね」
妊婦が腹を撫でると、「触ってみて」と言って、玲菜が返事をする前に彼女の左手を取って自分の膨らんだ腹に乗せた。
「今は静かね。さっきまでよく動いていたんだけど。私のお腹を蹴ってくるのよ」
玲奈が妊婦の腹に置いた左手を見ている。
「私、女の子だと思うわ」玲奈がいった。「お母さんが優しい顔だから」
妊婦のパートナーの女がくすっと笑った。ショートヘアーを明るく染めた、四十前のスリムな女性だった。
「実は男の子なの。人工授精のとき、男の子にしてくださいってお願いしたから」
「そんなこと、注文できるんですか?」奈緒美が思わず声を上げた。
「子供の性別は精子の遺伝子型で決まるのよ。遠心分離して軽いほうの精子を選ぶんだって。百パーセントじゃないんだけどね。でも、超音波診断で確認したのよ。ちゃんとついてたから間違いないわ」
二人がくすくすと笑った。精子の提供者は白人の医師。俳優のようにハンサムで、しかも頭脳明晰。まさに赤ちゃんのオーダーメイドだ。普通の夫婦なら罪悪感すら抱きそうな行為なのだが、ある意味、家族を持つ選択肢が限られている性的マイノリティーの特権といってもいいかもしれない。
「日本で同性婚が法的に認められるまであと何年かかるかと思うと、待っていられなくて」
「海外で結婚なさらないんですか?」
玲奈の問いかけに、ふたりが同時に首を横に振った。
「子供を持つってどういう気持ちですか?」
「幸せよ、とっても。家族を持つっていうのは、恋人とふたりで暮らすのとまったく違うの。この子はまだ生まれてきていないだけど、もう三人家族なのよ、私たちは」
「子供が……その……」玲奈が何か言おうとしたが、そのまま口を噤んだ。
「子供が大きくなって、どうしてお父さんがいないのって言われたとき、どう答えるかってこと?」
「まあ、そういうことなんですけど」
「うちはママがふたりいる家族なのっていうわ」妊婦が、微笑みながら、しっかりした声で言った。
「いろんな壁はあると思う。でも、きっと、子供を幸せにしてみせるわ。そのためだったら、ふたりでなんだってしてみせる」パートナーのショートヘアーの女性が、妊婦の肩を抱いた。
「あなたたちも、子供のこと、考えているの?」
妊婦の言葉に、奈緒美は口を開くのを戸惑った。性的マイノリティーのカップルが子供を持つということがどんなものか好奇心はあったものの、玲奈との間に子供を持とうと思ったことは、今まで一度もなかった。
「いえ、まだそこまでは……」
玲奈が答えた。奈緒美が戸惑っているのを見透かしているような感じだった。
性的マイノリティーの理想的な生き方ね。帰り道、電車の中で、玲奈がつぶやくように言った。
「あなたも子供が欲しいの?」
「選択肢の一つとして、頭の隅には置いていたわ」
彼女の父親は一代で財をなした貿易会社の社長で、跡取りを強く望んでいる。もちろん、自分のひとり娘が男を受け付けない真性のレズビアンだということは知らない。たとえ私生児でも子供を持つという生き方は、男との結婚を回避する代償として、彼女の人生の選択肢に含まれてしかるべきだろう。
澄ましたクールな表情はいつも通りだったが、その日の玲奈は口数が多かった。教職員の研修会でどんなことをしたのかとか、講師の女性の化粧が濃かったとか、グループセッションで一緒の班になった男性教諭の整髪料の匂いがきつかったとか、普段は無駄口など叩かない彼女が、どうでもいいことを機嫌よく話し続けた。そんな彼女の姿がとても愛しく感じた。
駅からの帰り道、途中で人影が消えてからは、ふたり手をつないで歩いた。玄関を開けて中に入ると、奈緒美は玲奈を抱きしめた。
「せっかちね」
「あなたが悪いのよ、こんな格好して私のこと誘惑するから」
「こんなのが好みだったの?」
「どうしてだかわかんないけど、むらむらしちゃったの」
リビングで彼女の身体を包むシックなスーツを剥がしていく。上着を剥ぎ取りタイトスカートを脱がす。彼女が自分から白のブラウスのボタンを外した。ストッキングに手を滑り込ませると、彼女が微かに身体を震わせた。
彼女の太腿に掌を滑らせながらストッキングを脱がせていく。きめの細かい肌が心地よい。しゃがむと薄い布で包まれた彼女の股間が目の前にきた。鼻を近づけようとすると、彼女が慌てて奈緒美の頭を手で押さえた。
「駄目よ、バカ」
奈緒美の頭を押さえたまま後ずさりする。立ち上がった奈緒美が玲奈を抱えあげた。彼女が小さな悲鳴を上げる。ソファのうえに投げ出すと、背もたれを倒してベッドにした。抗議するような彼女の視線を無視して彼女の白いブラを剥ぎ取る。奈緒美は手早く全裸になると、玲奈の上に覆いかぶさっていった。
「ちょっと。シャワーを浴びさせてよ」
「そのままがいい」
「汚いわ」
「平気よ。今夜はあなたの生の匂いを嗅ぎたいの」
玲奈の目を見つめる。彼女がそっと手を伸ばして、奈緒美の額にかかった髪を掻き上げた。玲奈のショーツに右手を滑り込ませる。彼女は抵抗しなかった。
そこは、すでに濡れていた。玲奈が甘い息を吐きながら奈緒美の身体を抱きしめた。ショーツを脱がせて床に落とすと、全裸になった玲奈が身体を入れ替えて上にのしかかってきた。
狭いソファから降り、床の上を転がりながらふたりで愛し合った。指で丹念に彼女自身を刺激し、ゆっくりと追いつめていく。細い悲鳴をあげて玲奈が達した。いつもより早い。今夜の彼女はずいぶんと昂ぶっていた。
再び身体を入れ替え、彼女が上になった。
「顔を跨いで」
玲奈の頬をなで瞳を見つめる。嫌がるかと思ったが、素直に彼女が尻を向けた。
奈緒美の顔を跨ぎ、玲奈がすべてをさらけ出した。親指で彼女の突起を軽く刺激しながら、目の前の潤んだ性器に舌をそっと這わせる。玲奈がくぐもった喘ぎ声をあげた。濃厚な彼女の匂いに、胸が高鳴る。唇で丹念に襞を刺激し、膣口に舌を出し入れする。男を知らない玲奈は、そこに指を入れられるのを嫌う。
ゆっくりと玲奈を追いつめていく。奈緒美の股間に顔を押し付けたまま、彼女の喘ぎ声が短く鋭くなり、やがて大声を上げて身体を硬直させた。
駅の時計は五時五十分を差している。次の急行に乗ってくるだろう。今夜は飲むことになるので車をマンションに置いてきた。
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人の流れが途絶えてきた。乗っていなかったのか。そう思っていると、一人の綺麗な女性が姿を現した。彼女が玲奈だと、奈緒美は一瞬気づかなかった。いつもはブラウスとスカート姿の彼女が、ダークスーツに身を包み、薄く化粧をし、珍しく口紅まで塗っている。
「何よ、その格好。まさか、わざわざめかしこんできたの?」
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彼女の目が冷たく光る。
「相変わらず、鋭いわね」
「あなたが単純なのよ」
タクシーの後部座席に座って、横に座った玲奈の手を握ると、彼女が握り返してきた。タクシーが走りだし、奈緒美は窓の外に目を向けた。雑居ビルと商店街の入り混じるカオスの街が広がっている。
「私ね、新しいネタ見つけたの。今世間で騒がれている田島仁志って死刑囚。この男の事件を取材しようって思ってるの」
玲奈が何も言わずに怪訝な目で見つめてくる。
「七年前の事件だけど今注目されているし、面白い記事が一本書けるだけの情報は集められるわ。それに、取り調べ段階で自供しているんだけど、裁判では一貫して無罪を主張しているの。刑事に脅されて取り調べ中に嘘の供述をしてしまうことはよくあることよ。もしかしたら、田島は本当に無罪かもしれない」
「だったら、大変なことじゃない」
「もし刑が執行されでもしたら、大騒ぎになるでしょうね。ねえ、これまで冤罪で処刑された人って何人いると思う?」
「想像つかないわ」
「結構いるのよ。まあ、ほとんどが戦前戦中や、戦後すぐの混乱期のことだけどね。でも、ごく最近でも無実の人間が処刑された可能性のある事例があるわ。国は絶対認めないけど」
「それはそうよね」
「意外と素直に同意するのね。何か反論すると思ったのに」
「学校も同じなのよ。生徒が虐めで自殺しても、学校はぎりぎりになるまで虐めの存在を認めないもの。あるいは、自殺した生徒が相談してくれなかったから気づかなかったとかいって、死者に責任転嫁する。親や世間から非難されても、真実が明らかにならない以上、誰も処分されない。それが世の中の仕組みよ」
「青臭いこと言うのね」
「間違ったことは言っていない」
駅を離れてしばらくは歩道を行きかう人の数も多かったが、少し離れると閑静な住宅街が広がり、人通りが絶えた。フロントガラスの向こうにレンガ造りの瀟洒なビルが見えてきた。タクシーを降りてビルを見上げる。その時、ちょうどビルの照明が灯った。一階に居酒屋、二階に目指す店がある。
エレベータを使わず狭い階段を昇った。先をいく玲奈の、タイトスカートに包まれた尻が目の前で揺れている。下着の線もうっすらと見えていた。思わず手を伸ばしそうになる。
「触っちゃ、駄目よ」
「はい……」
初めての客はドアを開けるのも躊躇うほどの、まるで秘密クラブのような門構え。重厚な樫のドアは完全な防音構造で、中の様子はわからない。しかし、二人にとっては通い慣れた店だった。
玲奈がドアを押した。
「いらっしゃい」
ママのリリコが、カウンターの中から二人を見て微笑んだ。十人も入ればいっぱいになる、カウンター席だけの店だが、本場のアイリッショパブを思わせるシックで落ち着いた内装が気に入っている。
三組のカップルが既に席について、グラスを傾けていた。玲奈と奈緒美が、一番端の席に座った。
「ごめんね、奈緒美ちゃん。今夜はタバコはだめなの」
カウンターにコースターを置きながら、リリコがいった。中央の席に座っている女性がこちらを見てすみませんと呟いた。腹が膨らんでいる。妊娠しているのだ。
「喫わないから、灰皿はいいわ」
奈緒美の代わりに玲奈が応えた。
「奥さんがそう言うのなら、仕方ないわね。奈緒美ちゃん、今夜は我慢してね」
ママのリリコが、愛想のいい笑みを返した。
玲奈がストロベリーフィズを、奈緒美はギムレットを注文した。
女だけが集うレズビアン・バー、ホワイト・リリー。駅から離れた不便な場所にあるが、レズビアンたちには有名な店で、いつ来ても席の半分は埋まっている。今夜はカップルばかりだが、出会いを求めて一人で来る客も多い。
カップル達が、ちらちらとこちらを見て囁き合っている。際立った美人の玲奈は、どこにいても注目される。男からも女からも。特にスーツ姿の今夜の玲奈は、タチからもネコからも熱い視線が注がれる存在だ。
妊娠している女性が、玲奈を見て微笑んだ。
「今夜のあなたは最高ね。彼女、あなたのこと、見ているわよ」
玲奈の耳元でそっと囁く。
「違うわ。私が彼女のことをずっと見ていたの」
「あら、ああいうのがタイプなの?」
「馬鹿」
誤魔化すように、玲奈が出てきたばかりのストロベリーフィズに口をつける。
「この店、よく来るの?」
隣のカップルが話しかけてきた。二人とも三十代前半くらい。あの妊婦のいるカップルも、隣のカップルと話している。奈緒美たちは、四人で会話を楽しんだ。クールな玲奈は騒ぐのが苦手で、いつもは微笑みながら時折相槌をうつ程度だが、この日は舌が滑らかだった。カップル同士の会話なので、下心も駆け引きもない、たわいのないただのガールズトークだったが、四人で楽しく笑いあった。
玲奈はあの妊婦のことが気になるようで、時折ちらちらとカウンターの端を窺っている。
「楽しかった。じゃあ、また」
二人が席を立って店を出た。
「あの人が気になるの?」カシスソーダを飲んでいる玲奈の脇腹を指で突いた。
「もしかして、妬いてるの?」
「馬鹿」
「彼女と話がしたいわ。同姓婚を認めていない日本で、女同士のカップルが子供を持とうと決心するまで何を考えたのか、どんな覚悟を持っているのか、聞いてみたいの」
「意外ね。そんなことに興味があるなんて」
「あなたもジャーナリストなら興味がなくって? それこそ、面白い記事の一つでもかけるかもしれないわよ」
「私だって、以前から興味はあったわ。ジャーナリストとしてじゃなく、彼女のいる女としてね」
本当にそう思っているのか。彼女の目が疑っている。
妊婦のグループと話していたカップルが席を立った。ドアを開けて出て行こうとしたとき、「お先に」といって奈緒美と玲奈に微笑みかけた。
「ママ」
奈緒美がリリコを呼んだ。
「向こうのふたりと話がしたいんだけど」
リリコは二人のところに戻って声をかけてくれた。二人同時にこちらを見た。優しい目が、こちらを歓迎しているといっている。玲奈は先に席を立つと、グラスも持たずに二人のところに歩いていった。まるで待ちきれないといった様子だった。
「こんばんは」
妊婦が優しい顔で微笑んだ。玲奈が妊婦の横に座った。いつもは席に座って誰かに声をかけてもらうのを待っているタイプなのに、彼女にしては積極的な行動だ。リリコがカウンターに置いていた玲奈のカシスソーダを持ってきた。
「何か月なんですか?」
「ちょうど十か月なの。そろそろね」
妊婦が腹を撫でると、「触ってみて」と言って、玲菜が返事をする前に彼女の左手を取って自分の膨らんだ腹に乗せた。
「今は静かね。さっきまでよく動いていたんだけど。私のお腹を蹴ってくるのよ」
玲奈が妊婦の腹に置いた左手を見ている。
「私、女の子だと思うわ」玲奈がいった。「お母さんが優しい顔だから」
妊婦のパートナーの女がくすっと笑った。ショートヘアーを明るく染めた、四十前のスリムな女性だった。
「実は男の子なの。人工授精のとき、男の子にしてくださいってお願いしたから」
「そんなこと、注文できるんですか?」奈緒美が思わず声を上げた。
「子供の性別は精子の遺伝子型で決まるのよ。遠心分離して軽いほうの精子を選ぶんだって。百パーセントじゃないんだけどね。でも、超音波診断で確認したのよ。ちゃんとついてたから間違いないわ」
二人がくすくすと笑った。精子の提供者は白人の医師。俳優のようにハンサムで、しかも頭脳明晰。まさに赤ちゃんのオーダーメイドだ。普通の夫婦なら罪悪感すら抱きそうな行為なのだが、ある意味、家族を持つ選択肢が限られている性的マイノリティーの特権といってもいいかもしれない。
「日本で同性婚が法的に認められるまであと何年かかるかと思うと、待っていられなくて」
「海外で結婚なさらないんですか?」
玲奈の問いかけに、ふたりが同時に首を横に振った。
「子供を持つってどういう気持ちですか?」
「幸せよ、とっても。家族を持つっていうのは、恋人とふたりで暮らすのとまったく違うの。この子はまだ生まれてきていないだけど、もう三人家族なのよ、私たちは」
「子供が……その……」玲奈が何か言おうとしたが、そのまま口を噤んだ。
「子供が大きくなって、どうしてお父さんがいないのって言われたとき、どう答えるかってこと?」
「まあ、そういうことなんですけど」
「うちはママがふたりいる家族なのっていうわ」妊婦が、微笑みながら、しっかりした声で言った。
「いろんな壁はあると思う。でも、きっと、子供を幸せにしてみせるわ。そのためだったら、ふたりでなんだってしてみせる」パートナーのショートヘアーの女性が、妊婦の肩を抱いた。
「あなたたちも、子供のこと、考えているの?」
妊婦の言葉に、奈緒美は口を開くのを戸惑った。性的マイノリティーのカップルが子供を持つということがどんなものか好奇心はあったものの、玲奈との間に子供を持とうと思ったことは、今まで一度もなかった。
「いえ、まだそこまでは……」
玲奈が答えた。奈緒美が戸惑っているのを見透かしているような感じだった。
性的マイノリティーの理想的な生き方ね。帰り道、電車の中で、玲奈がつぶやくように言った。
「あなたも子供が欲しいの?」
「選択肢の一つとして、頭の隅には置いていたわ」
彼女の父親は一代で財をなした貿易会社の社長で、跡取りを強く望んでいる。もちろん、自分のひとり娘が男を受け付けない真性のレズビアンだということは知らない。たとえ私生児でも子供を持つという生き方は、男との結婚を回避する代償として、彼女の人生の選択肢に含まれてしかるべきだろう。
澄ましたクールな表情はいつも通りだったが、その日の玲奈は口数が多かった。教職員の研修会でどんなことをしたのかとか、講師の女性の化粧が濃かったとか、グループセッションで一緒の班になった男性教諭の整髪料の匂いがきつかったとか、普段は無駄口など叩かない彼女が、どうでもいいことを機嫌よく話し続けた。そんな彼女の姿がとても愛しく感じた。
駅からの帰り道、途中で人影が消えてからは、ふたり手をつないで歩いた。玄関を開けて中に入ると、奈緒美は玲奈を抱きしめた。
「せっかちね」
「あなたが悪いのよ、こんな格好して私のこと誘惑するから」
「こんなのが好みだったの?」
「どうしてだかわかんないけど、むらむらしちゃったの」
リビングで彼女の身体を包むシックなスーツを剥がしていく。上着を剥ぎ取りタイトスカートを脱がす。彼女が自分から白のブラウスのボタンを外した。ストッキングに手を滑り込ませると、彼女が微かに身体を震わせた。
彼女の太腿に掌を滑らせながらストッキングを脱がせていく。きめの細かい肌が心地よい。しゃがむと薄い布で包まれた彼女の股間が目の前にきた。鼻を近づけようとすると、彼女が慌てて奈緒美の頭を手で押さえた。
「駄目よ、バカ」
奈緒美の頭を押さえたまま後ずさりする。立ち上がった奈緒美が玲奈を抱えあげた。彼女が小さな悲鳴を上げる。ソファのうえに投げ出すと、背もたれを倒してベッドにした。抗議するような彼女の視線を無視して彼女の白いブラを剥ぎ取る。奈緒美は手早く全裸になると、玲奈の上に覆いかぶさっていった。
「ちょっと。シャワーを浴びさせてよ」
「そのままがいい」
「汚いわ」
「平気よ。今夜はあなたの生の匂いを嗅ぎたいの」
玲奈の目を見つめる。彼女がそっと手を伸ばして、奈緒美の額にかかった髪を掻き上げた。玲奈のショーツに右手を滑り込ませる。彼女は抵抗しなかった。
そこは、すでに濡れていた。玲奈が甘い息を吐きながら奈緒美の身体を抱きしめた。ショーツを脱がせて床に落とすと、全裸になった玲奈が身体を入れ替えて上にのしかかってきた。
狭いソファから降り、床の上を転がりながらふたりで愛し合った。指で丹念に彼女自身を刺激し、ゆっくりと追いつめていく。細い悲鳴をあげて玲奈が達した。いつもより早い。今夜の彼女はずいぶんと昂ぶっていた。
再び身体を入れ替え、彼女が上になった。
「顔を跨いで」
玲奈の頬をなで瞳を見つめる。嫌がるかと思ったが、素直に彼女が尻を向けた。
奈緒美の顔を跨ぎ、玲奈がすべてをさらけ出した。親指で彼女の突起を軽く刺激しながら、目の前の潤んだ性器に舌をそっと這わせる。玲奈がくぐもった喘ぎ声をあげた。濃厚な彼女の匂いに、胸が高鳴る。唇で丹念に襞を刺激し、膣口に舌を出し入れする。男を知らない玲奈は、そこに指を入れられるのを嫌う。
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センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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