錆びた十字架

アーケロン

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 唇の違和感で目が覚めた。玲奈の綺麗な顔に焦点が合った。
「朝食の準備、出来たわよ」
 カーテンが開かれ、部屋の中が陽光で満たされる。セックスの後、そのまま玲奈のベッドで寝入っていたことを思い出した。
「今、何時?」
「もう九時よ」
「早いぃ~」
「いつまで寝てる気?」
 玲奈に布団を剥ぎ取られる。裸体に彼女の視線が突き刺さり、思わず身を縮める。昨夜はリビングではなく玲奈のベッドで深夜まで愛し合った。いつもは受身の玲奈が昨夜は積極的で、彼女の愛撫に奈緒美が先に根を上げたほどだった。
「パンツ、履かせて」
 玲奈はため息をつくと、床に落ちていたショーツを拾い上げた。奈緒美がベッドに仰向けになったまま両足を上げると、彼女がショーツを脚に通した。尻を持ち上げると、するっと尻にショーツをくぐらせた。
「ほら、起きなさい」
 奈緒美の腕をつかみ上体を引き起こす。
「はい」
 今度は両腕を上げた。彼女がTシャツを拾い上げて奈緒美に投げつけた。
 自分でTシャツを着て玲奈の部屋を出る。キッチンのテーブルに、トーストと目玉焼きとサラダが皿に盛られていた。
「紅茶でいい?」
 寝ぼけ眼で頷くと、「先に顔を洗ってきて」といって、椅子に座ろうとした奈緒美の手を引っぱった。
 洗面所で顔を洗い、乱れほつれた髪にブラシを入れる。髪を後ろにひっ詰めてヘアバンドで束ねた。
 リビングに戻ると、ちょうど紅茶の用意が出来たときだった。
「シャワーを浴びなかったの?」
「面倒くさい」
「汚いわよ」
 昨夜は玲奈に全身を舐められ、指で何度もいかされた。そして最後はシリコン製のおもちゃで身体の奥を攻められたのだ。
 昨夜、彼女が情熱的だった理由に、心当たりがあった。
「どうだったの?」
 席に着いた奈緒美が玲奈を見た。
「えっ?」
「会ってきたんでしょ?」
 玲奈の目が、少し鋭くなった。
「隠してたわけじゃないわ。疚しいことなんてしてないし」
「わかってるわよ。あなたは隠れてこそこそするタイプじゃないもん」
 彼女が奈緒美から目を離さない。勝気な彼女らしい強い視線に、ぞくっとくる。彼女の手が動きそうにないので手を伸ばしてポットを引き寄せ、カップにふたり分の紅茶を注いだ。
「無事に生まれたわ。元気な男の子だった。母親も元気よ。赤ちゃん、抱かせてもらったの。可愛かったわ」
「男の子か。ホワイト・リリーで聞いた通りだったね」
 玲奈の目に、まだ力がこもっている。
「彼女たちの生き方は、性的マイノリティーの新しいライフスタイルなの。話をしているととても参考になるわ。家族を持ちたいと思うのは、同性愛者も異性愛者も同じよ」
「昨日の夜、どうして話してくれなかったの?」
「あなたが、普段から彼女たちの話を避けているから」
「そんなことないわ」
「子供は嫌い? それとも、私の口から結婚の話が出るのが怖いの?」
 彼女の目に、すっと翳が走った。奈緒美は黙って紅茶を啜った。
「あなたのことが好きよ、誰よりも」
 玲奈の言葉に、顔をあげた。
「私だって」
「でもあなたは、私と違って男を受け入れることが出来る。だから迷ってるのよ」
「そんなことないわよ」
 玲奈が拗ねた顔をした。
「早く食べましょ」
 奈緒美がトーストを齧った。会話のない重苦しい朝の時間は苦手だった。これまで何度も喧嘩して、同じような朝の時間を過ごしてきた。しかし、今朝はいつもと違っていた。
 沈黙に耐えられなくなり、奈緒美がテレビのリモコンに手を伸ばした。朝の情報番組が映し出されているテレビ画面を、ただ眺めているだけだった。
 いつの間にか、画面が変わっていた。原稿を手にした女性キャスターが、深刻な顔をこちらに向けている。
「法務省は本日十八日、女性二人を殺害した事件で殺人罪などに問われ、死刑が確定していた田島仁志死刑囚の刑を東京拘置所で執行したと発表しました。昨年九月以来、約五か月ぶりの執行で、現政権発足以来、三度目、執行されたのは六人になります」
 奈緒美はテレビのほうに身を乗り出した。
「田島仁志死刑囚は七年前に女性二人を殺害し、最高裁で死刑が確定していましたが、確定から一年の早い執行となりました。刑の早期執行を求め被害者の遺族が国を相手に訴訟を起こしていましたが、その判決が出る前の刑の執行に、各方面から批判の声が上がっています」
 キャスターが最後に付け加え、別のニュースに移った。
「あなたが調べている死刑囚じゃないの?」
 玲奈の声が震えている。
「あの男は犯人じゃないかもしれないのに」
 もしそうなら、大変なことになる。死刑は刑を執行した後、冤罪が明らかになっても取り返しがつかないのだ。
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