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「まだ寝ててもよかったんじゃないのか?」
大きな欠伸を見られてしまった。元恋人とはいえ、不覚だった。
「私だけ仮眠室で寝てるわけにはいかないでしょ?」
事務所に残っている他のメンバーはパソコンの前に座って、例の掲示板を見つめている。もうすぐ午前八時。真犯人を名乗る男が被害者の女性の身体を抉った凶器の隠し場所を書き込む時間だった。
「真犯人は約束を守ってくれるかしら?」
「反故にしやがったらぶん殴る」
「そのときは俺にも声をかけてくれ」
井川の言葉に、他のメンバーが追随する。
「出たな」
一輝の言葉に、みなが一斉にパソコンの画面を見た。
神社の裏の軒下、北から三番目の柱の傍。真犯人の予告通り、約束の時間に掲示板に凶器の隠し場所が掲載された。
「あとは、この書き込まれた場所に凶器があるかどうかだな」
マスコミ各社が見守る中、被害者女性の身体を抉ったと思われる凶器が警察によってすぐに掘り起こされ発見された。マスコミ各社は朝九時のニュースで速報を発表し、特番を組んだ。
官房長官は事実関係を確認中というだけでコメントは避けた。警察についても動きはあったが、きつく箝口令が敷かれているらしく、捜査官からコメントを得たマスコミはまだない。無実の人間を国家権力が殺してしまったのだ。迂闊なことを話すことはできないだろう。
九時の特番を見終わったものから、各々取材に出て行った。
「どうして俺に同行するなんて言い出したんだ。風俗嬢にあたるんじゃないのか?」
車を運転しながら、一輝が不服そうに聞いてきた。
「嬉しくないの?」
「なんで俺が喜ぶと思う?」
「私のこと、口説くんじゃなかったの?」
「今は仕事中だ。仕事じゃお前もライバルだからな」
「固いこと言わないの。被害者が殺された近所で何か手がかりが得られればと思ったの。夜の女たちはまだ夢の中よ。私の方は夕方まで暇だから、時間を無駄にはできないでしょ?」
エリカと会うのは彼女が仕事に出る前になった。その前に藤森氏のところにも訪問したかった。午後から忙しくなるが、午前中は時間がある。
「痩せた男の足取りを探すのは、俺の仕事だ」
「あなたの仕事の邪魔はしないわ。私は別のところで当時の目撃者を捜すの」
「当時の目撃者って?」
「七年前にコンビニに出入りしていた人物よ。宮崎恵美のアパートの近くにコンビニがあるの。調べてみたら、七年前もそこにあったの。もしかしたら、宮崎恵美と一緒に店に来ていたかもしれないわ」
「そんな何年も前に店に来ていた客のことなんて、店員が覚えているわけないだろ」
「宮崎恵美はかなり派手な少女だったわ。目を引いたはず。客に気を配る店長なら絶対に覚えているわよ。そして一緒にいた男が派手なら派手で覚えているだろうし、地味なら彼女と不釣合いなので覚えていると思うの」
「そう都合よくいくかね」
宮崎恵美のアパートの近くまで来て、一輝は車をコインパーキングに入れた。目の前にコンビニエンスストアが見えている。他で買い物をするとすれば駅前のスーパーまで足を運ぶ必要がある。夜型の生活を送っていた宮崎恵美は、あのコンビニエンスストアを普段から利用していたはずだ。
一輝と別れて店内に入ると、店長らしき男と目があった。アポは取ってある。数人の客がいる。
「先ほど電話しました桐原と言います」
レジの前で名刺を差し出すと、男は慌てて頭を下げ、両手で名刺を受け取った。ずいぶん真面目そうな男だ。
「お忙しいのにすみません。お客さんが帰ってからにしましょうか?」
「結構ですよ、バイトもいますから」
奥の事務所に案内された。事務机がひとつ置いてあり、その上が書類で埋まっている。
「七年前のことを聞きたいとおっしゃってましたが、よく覚えていないんですよ」
「被害者のことは覚えていますか?」
「派手な女の子だったということくらいです。事件のあった当時にも警察に事情を聞かれましたが、写真を見せられても顔も思い出せませんでしたよ」
「事件の真犯人と思われる男のことが報道されていますが、テレビで男の顔を見ましたか?」
「ええ。でも、あんな男見覚えありませんな。テレビで見た男は痩せ方が病的でしたけど、あんな特徴的な人を見たら、微かにでも覚えていると思いますよ」
「彼女が誰かと一緒に店に来たことがあったとかは?」
「いえ、覚えていません」
「では、この男に見覚えはないですか?」
エリカに見せたのと同じ、藤森の写真を店長に差し出したが、それを見た彼が頭を振った。
「いえ、申し訳ないが。それに、私はその当時、夜はほとんどアルバイトに任せていたんですよ。家庭の事情で早く帰宅しなくちゃならなかったんで。なんなら、その時のバイトに話を聞いてみてはどうですか? 少なくとも、私なんかよりはずっと気の付く子ですから、いろいろ思い出してくれると思いますよ」
「七年も前のバイトの居場所がわかるんですか?」
「私のご近所なんですよ。いい娘さんです」
「これって、やっぱり今朝からニュースで騒いでいる事件ですよね」
赤ん坊を抱いた若い主婦だった。
「ええ。あなたが七年前、現場付近のあのコンビニでアルバイトをしていたと店長さんから聞いたので、話を聞きに来たんです」
「そうですか。あの店長さんは近所の人なので、良く知っているんです」
痩せた若い男の写真を見せると、主婦が好奇の目を光らせた。
「当時は大学生だったと伺いましたが、何か思い出すことはありませんか?」
「七年も前のことですからねえ……」
「加害者は被害者の周辺を下調べしていたと思うんです。その時にコンビニに買い物に来ていたかもしれないんです。何か思い出すことはありませんか?」
「その写真の男の人については、多分、顔も見たことないと思います。殺された女の子はよく覚えています。夜中にお酒とか買いに来たことありましたから。未成年かなって思ったんですけど、わざわざ身分証まで確認しませんでした」
「その被害者の少女のことで気づいたこと、ありませんでしたか?」
「さあ……」
「友人とか大勢できたことはなかったですか?」
「いえ、いつも一人でした。引っ越したばかりの時に殺されたと当時新聞か何かで読んだことがあると思います。友達にも教える前だったのかしら」
「じゃあ、この人に見覚えは?」
藤森俊夫の写真を手に取って主婦がじっと眺めていた。
「見たことあるような……身体の大きな人ですか?」
「そう、その通りよ。見たことあるの?」
「この人だとは断言できませんが、こんな雰囲気の男の人が何度か顔を出していたと思います。タバコを買いに来ていました。外国のタバコの……」
「ラッキーストライク!」
「あ、それそれ。あまり買う人のいないタバコだから。あ、そういえば、殺された女の子も同じタバコを買っていった時がありました」
「彼女、喫煙者だったの?」
「はい。でも、いつもは違う銘柄を喫っていたように思います。女性がよく喫っているもっとおしゃれな……」
「メンソール入りのタバコね」
「あ、多分それ。殺される直前くらいだったかな」
赤ん坊がぐずりだした。貴重な証言が得られた。何か思い出したら連絡をしてほしいといって名刺を渡し、彼女を解放した。
彼女は店でタバコを買った男が藤森とは断言しなかったが、彼である可能性は高い。事件関係者が被害者の住んでいた傍のコンビニに偶然姿を見せる確率など、ゼロに近いことなのだ。
車に戻ると、一輝がもう戻ってきていた。
「収穫は?」
「そっちは?」
一輝が頭を振る。
「私の方はあったわ」
「どんな情報だった?」
「さあ」
「意地悪だな」
「お腹が空いたわ」
「わかったよ。昼飯奢るから」
近くの寿司屋に入る。途中で連絡が入り、エリカに会うのは結局、彼女が仕事を終えた深夜になってしまった。夕方に藤森俊夫を訪ねるまで、このまま一輝と一緒に痩せた男の目撃情報を探すことにした。
食事をしながら、奈緒美は主婦の証言を一輝に説明した。
「コンビニで働いていた当時のアルバイトに聞くって作戦が、功を奏したな」
「藤森俊夫が関わっている可能性はこれでますます高くなったわ」
「でも、真犯人はどう見てもあの痩せた若い男だ」
「その痩せた若い男に、藤森が殺させたと考えることはできない?」
「どうして?」
店に別の二人組が入ってきた。お互い目が合い、どちらからともなく逸らせる。同業者だ。向こう様も取材に来たのだろう。奈緒美が一輝に顔を寄せた。
「単なる思い付き。でも、何かあるはずよ。藤森を嗅ぎつけているのは私たちだけ。今日彼にあってはっきりさせるわ」
「俺も行こうか?」
「あなたは痩せた若い男の目撃者を探す仕事があるでしょ? 私だって七年前の貴重な証言をゲットしたんだから、あなたもがんばんなさい」
「へいへい」
ガリを齧りながら、一輝が拗ねた顔をした。
機械オイルの匂いとは無縁の、清潔で綺麗なオフィスだった。
事務室には藤森俊夫しかいなかった。従業員は全部で四人。部品を集め修理業者に売りまわるのが従業員の仕事だと、藤森は説明した。
「近くに小さな倉庫を借りてるんです。部品はそこに保管しています。中古といってもかなり高価な部品もあるので、セキュリティーのしっかりしたところを選びました」
奈緒美にソファを勧めると、淹れたばかりのコーヒーをテーブルに置いた。ブルーマウンテンの芳醇な香りが辺りに漂う。
「藤森さんは、犠牲者の宮崎恵美さんの自宅近くのコンビニエンスストアに、行ったこと、ありますよね」
いきなり核心をつく質問をした。藤森が顔をあげて奈緒美を見た。まるで商談でもしているかのような顔をしている。不意を突いたつもりだったが、うまく感情を隠したようだ。
「おタバコは吸わないんですか?」
「息子が逮捕されたときに、やめました。息子もヘビースモーカーだったんですが、息子も喫えなくなるなら私も辞めようと思ったんです」
「銘柄はラッキーストライクじゃなかったんですか?」
藤森は奈緒美のいうことが聞こえなかったかのように、澄ました顔でコーヒーを啜った。
「田島という死刑囚、無実の罪で処刑されたのだと、ニュースで騒いでいました。真犯人が出てきたそうですね。テレビに出ていた男が犯人じゃないんですか?」
「藤森さんは、彼のこと、ご存じじゃないんですか」
「もちろん、知りませんよ」
冷めないうちにどうぞ。奈緒美にコーヒーを勧めてから、彼がまたカップを啜った。
「どうして私が、あの事件に関係があると疑っているんです?」
「疑っているだなんて……」
「隠さなくてもいいですよ、別になんとも思っていませんから」
藤森がまたコーヒーを啜った。
「今はまだ分かりません。取材から得た情報を組み合わせて導きだした推測にすぎません」
「でたらめもいいところだ」
全く感情が読めない。まだ怒鳴られた方がましなくらいだ。しかし、余裕のある表情が逆に不自然に感じる。
「逆に私から聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「私が田島氏と共謀して若い女性を殺すことに、どんな理由があると考えているんです?」
「それはわかりません。先ほど申しましたように、取材で得られた情報を組み合わせて導いた推察ですし、何も藤森さんが共犯者だとも言っていません」
「でも、先ほどの口調では、そうおっしゃっているようでしたけど」
「酷い聞き方をしてしまって、すみませんでした」
「いえいえ。隆弘が逮捕された時にマスコミ関係者には酷い目にあわされていますから、それに比べれば大したことないですよ。あのときは、そりゃひどかった。世間もマスコミも、容疑者の家族は容疑者と同様に罰せられて当然だという雰囲気でしたから。結局、家族は崩壊し私は仕事を失い、住み慣れた家も手放さなくてはならなくなった」
凶悪事件の犯人が逮捕された場合、犯人の家族がどういう運命をたどったか、関心を持つものが多い。もちろん望んでいるのは加害者家族の不幸だ。事件を無視してこれまで通り普通に生活しようものなら、居場所を嗅ぎつけた自称自警団によって陰湿な仕打ちを受ける。マスコミも言葉で自警団の行為を非難はするが、糾弾までしようとはしない。マスコミも自称自警団も、本質は同じなのだ。
「私はね、もし息子が罪を犯していたら、罪を償うことを息子に訴えたいと思っているんです。女性を二人も殺した罪は、たとえ息子であっても免れるべきではないと思っています」
藤森の言葉に、奈緒美は静かにうなづいた。
「まさか、私がその痩せた男に手を貸して一緒に女性を殺したとはお考えではないんですね。もしそうお考えなら、アリバイを証明せねばいけませんから」
「そこまでは」
「今になって犯人が名乗り出たのはどういう理由だと思いますか?」
「田島仁志が無実の罪で処刑されたということを世間に知らしめるためです。そのために、犯人はずいぶん手の込んだことをやっています。二人の女性をわざわざ金で雇って、部屋まで貸し与えている」
「部屋を?」
「はい。二人の被害者は殺される直前に、アパートの部屋を借りていたんです。そして、その部屋で殺された。先に殺した宮崎さんの死体を部屋に残したまま鍵をかけたのも、死体が見つかって被害者が一人の段階で田島氏が逮捕されないようにするためです。あの事件には、真犯人の描いたシナリオがあったんです」
藤森がため息をついた。
「とにかく、あの痩せた男の正体をつきとめるのが先決ですな」
「男は、多分名乗り出てくると思います」
藤森が口に運びかけていたカップを持つ手を止めた。
「まあ、あそこまで顔をはっきり映しているんだから、ある程度は覚悟の上なんでしょうね」
「いいえ。あの男は無実の人間を国に処刑させて死刑制度に反旗を翻したいんです。世間に出てきて、その趣旨を国民に問いかける必要があります」
「ずいぶんスケールの大きな話だ」
「はい。だから、単独犯ではないんです。あの犯行は一人では無理なんです。必ず共犯者がいます」
藤森は奈緒美の顔をちらっと見てから、カップのコーヒーを飲み干した。
「その共犯者って、もしかして私だといいたいわけですか?」
「いいえ、そんなことは」
「先日訪ねてきた男にも言われましたよ、お前、女を殺しただろって。私を脅そうとしたんですよ。その男と関係があるんですか?」
「え?」
「その男、死んだんです。ビルから落ちたと聞きました。警察が私のところに事情を聴きに来たんです。最後に会ったのは私らしいということで。しかし、アリバイがあったので疑いは晴れましたが。結局、事故だということになりました」
斉藤カイのことだ。
藤森が突然腰をあげたので、思わず身構えた。
「コーヒー、冷めてしまいましたね。新しいのを淹れましょう」
大きな欠伸を見られてしまった。元恋人とはいえ、不覚だった。
「私だけ仮眠室で寝てるわけにはいかないでしょ?」
事務所に残っている他のメンバーはパソコンの前に座って、例の掲示板を見つめている。もうすぐ午前八時。真犯人を名乗る男が被害者の女性の身体を抉った凶器の隠し場所を書き込む時間だった。
「真犯人は約束を守ってくれるかしら?」
「反故にしやがったらぶん殴る」
「そのときは俺にも声をかけてくれ」
井川の言葉に、他のメンバーが追随する。
「出たな」
一輝の言葉に、みなが一斉にパソコンの画面を見た。
神社の裏の軒下、北から三番目の柱の傍。真犯人の予告通り、約束の時間に掲示板に凶器の隠し場所が掲載された。
「あとは、この書き込まれた場所に凶器があるかどうかだな」
マスコミ各社が見守る中、被害者女性の身体を抉ったと思われる凶器が警察によってすぐに掘り起こされ発見された。マスコミ各社は朝九時のニュースで速報を発表し、特番を組んだ。
官房長官は事実関係を確認中というだけでコメントは避けた。警察についても動きはあったが、きつく箝口令が敷かれているらしく、捜査官からコメントを得たマスコミはまだない。無実の人間を国家権力が殺してしまったのだ。迂闊なことを話すことはできないだろう。
九時の特番を見終わったものから、各々取材に出て行った。
「どうして俺に同行するなんて言い出したんだ。風俗嬢にあたるんじゃないのか?」
車を運転しながら、一輝が不服そうに聞いてきた。
「嬉しくないの?」
「なんで俺が喜ぶと思う?」
「私のこと、口説くんじゃなかったの?」
「今は仕事中だ。仕事じゃお前もライバルだからな」
「固いこと言わないの。被害者が殺された近所で何か手がかりが得られればと思ったの。夜の女たちはまだ夢の中よ。私の方は夕方まで暇だから、時間を無駄にはできないでしょ?」
エリカと会うのは彼女が仕事に出る前になった。その前に藤森氏のところにも訪問したかった。午後から忙しくなるが、午前中は時間がある。
「痩せた男の足取りを探すのは、俺の仕事だ」
「あなたの仕事の邪魔はしないわ。私は別のところで当時の目撃者を捜すの」
「当時の目撃者って?」
「七年前にコンビニに出入りしていた人物よ。宮崎恵美のアパートの近くにコンビニがあるの。調べてみたら、七年前もそこにあったの。もしかしたら、宮崎恵美と一緒に店に来ていたかもしれないわ」
「そんな何年も前に店に来ていた客のことなんて、店員が覚えているわけないだろ」
「宮崎恵美はかなり派手な少女だったわ。目を引いたはず。客に気を配る店長なら絶対に覚えているわよ。そして一緒にいた男が派手なら派手で覚えているだろうし、地味なら彼女と不釣合いなので覚えていると思うの」
「そう都合よくいくかね」
宮崎恵美のアパートの近くまで来て、一輝は車をコインパーキングに入れた。目の前にコンビニエンスストアが見えている。他で買い物をするとすれば駅前のスーパーまで足を運ぶ必要がある。夜型の生活を送っていた宮崎恵美は、あのコンビニエンスストアを普段から利用していたはずだ。
一輝と別れて店内に入ると、店長らしき男と目があった。アポは取ってある。数人の客がいる。
「先ほど電話しました桐原と言います」
レジの前で名刺を差し出すと、男は慌てて頭を下げ、両手で名刺を受け取った。ずいぶん真面目そうな男だ。
「お忙しいのにすみません。お客さんが帰ってからにしましょうか?」
「結構ですよ、バイトもいますから」
奥の事務所に案内された。事務机がひとつ置いてあり、その上が書類で埋まっている。
「七年前のことを聞きたいとおっしゃってましたが、よく覚えていないんですよ」
「被害者のことは覚えていますか?」
「派手な女の子だったということくらいです。事件のあった当時にも警察に事情を聞かれましたが、写真を見せられても顔も思い出せませんでしたよ」
「事件の真犯人と思われる男のことが報道されていますが、テレビで男の顔を見ましたか?」
「ええ。でも、あんな男見覚えありませんな。テレビで見た男は痩せ方が病的でしたけど、あんな特徴的な人を見たら、微かにでも覚えていると思いますよ」
「彼女が誰かと一緒に店に来たことがあったとかは?」
「いえ、覚えていません」
「では、この男に見覚えはないですか?」
エリカに見せたのと同じ、藤森の写真を店長に差し出したが、それを見た彼が頭を振った。
「いえ、申し訳ないが。それに、私はその当時、夜はほとんどアルバイトに任せていたんですよ。家庭の事情で早く帰宅しなくちゃならなかったんで。なんなら、その時のバイトに話を聞いてみてはどうですか? 少なくとも、私なんかよりはずっと気の付く子ですから、いろいろ思い出してくれると思いますよ」
「七年も前のバイトの居場所がわかるんですか?」
「私のご近所なんですよ。いい娘さんです」
「これって、やっぱり今朝からニュースで騒いでいる事件ですよね」
赤ん坊を抱いた若い主婦だった。
「ええ。あなたが七年前、現場付近のあのコンビニでアルバイトをしていたと店長さんから聞いたので、話を聞きに来たんです」
「そうですか。あの店長さんは近所の人なので、良く知っているんです」
痩せた若い男の写真を見せると、主婦が好奇の目を光らせた。
「当時は大学生だったと伺いましたが、何か思い出すことはありませんか?」
「七年も前のことですからねえ……」
「加害者は被害者の周辺を下調べしていたと思うんです。その時にコンビニに買い物に来ていたかもしれないんです。何か思い出すことはありませんか?」
「その写真の男の人については、多分、顔も見たことないと思います。殺された女の子はよく覚えています。夜中にお酒とか買いに来たことありましたから。未成年かなって思ったんですけど、わざわざ身分証まで確認しませんでした」
「その被害者の少女のことで気づいたこと、ありませんでしたか?」
「さあ……」
「友人とか大勢できたことはなかったですか?」
「いえ、いつも一人でした。引っ越したばかりの時に殺されたと当時新聞か何かで読んだことがあると思います。友達にも教える前だったのかしら」
「じゃあ、この人に見覚えは?」
藤森俊夫の写真を手に取って主婦がじっと眺めていた。
「見たことあるような……身体の大きな人ですか?」
「そう、その通りよ。見たことあるの?」
「この人だとは断言できませんが、こんな雰囲気の男の人が何度か顔を出していたと思います。タバコを買いに来ていました。外国のタバコの……」
「ラッキーストライク!」
「あ、それそれ。あまり買う人のいないタバコだから。あ、そういえば、殺された女の子も同じタバコを買っていった時がありました」
「彼女、喫煙者だったの?」
「はい。でも、いつもは違う銘柄を喫っていたように思います。女性がよく喫っているもっとおしゃれな……」
「メンソール入りのタバコね」
「あ、多分それ。殺される直前くらいだったかな」
赤ん坊がぐずりだした。貴重な証言が得られた。何か思い出したら連絡をしてほしいといって名刺を渡し、彼女を解放した。
彼女は店でタバコを買った男が藤森とは断言しなかったが、彼である可能性は高い。事件関係者が被害者の住んでいた傍のコンビニに偶然姿を見せる確率など、ゼロに近いことなのだ。
車に戻ると、一輝がもう戻ってきていた。
「収穫は?」
「そっちは?」
一輝が頭を振る。
「私の方はあったわ」
「どんな情報だった?」
「さあ」
「意地悪だな」
「お腹が空いたわ」
「わかったよ。昼飯奢るから」
近くの寿司屋に入る。途中で連絡が入り、エリカに会うのは結局、彼女が仕事を終えた深夜になってしまった。夕方に藤森俊夫を訪ねるまで、このまま一輝と一緒に痩せた男の目撃情報を探すことにした。
食事をしながら、奈緒美は主婦の証言を一輝に説明した。
「コンビニで働いていた当時のアルバイトに聞くって作戦が、功を奏したな」
「藤森俊夫が関わっている可能性はこれでますます高くなったわ」
「でも、真犯人はどう見てもあの痩せた若い男だ」
「その痩せた若い男に、藤森が殺させたと考えることはできない?」
「どうして?」
店に別の二人組が入ってきた。お互い目が合い、どちらからともなく逸らせる。同業者だ。向こう様も取材に来たのだろう。奈緒美が一輝に顔を寄せた。
「単なる思い付き。でも、何かあるはずよ。藤森を嗅ぎつけているのは私たちだけ。今日彼にあってはっきりさせるわ」
「俺も行こうか?」
「あなたは痩せた若い男の目撃者を探す仕事があるでしょ? 私だって七年前の貴重な証言をゲットしたんだから、あなたもがんばんなさい」
「へいへい」
ガリを齧りながら、一輝が拗ねた顔をした。
機械オイルの匂いとは無縁の、清潔で綺麗なオフィスだった。
事務室には藤森俊夫しかいなかった。従業員は全部で四人。部品を集め修理業者に売りまわるのが従業員の仕事だと、藤森は説明した。
「近くに小さな倉庫を借りてるんです。部品はそこに保管しています。中古といってもかなり高価な部品もあるので、セキュリティーのしっかりしたところを選びました」
奈緒美にソファを勧めると、淹れたばかりのコーヒーをテーブルに置いた。ブルーマウンテンの芳醇な香りが辺りに漂う。
「藤森さんは、犠牲者の宮崎恵美さんの自宅近くのコンビニエンスストアに、行ったこと、ありますよね」
いきなり核心をつく質問をした。藤森が顔をあげて奈緒美を見た。まるで商談でもしているかのような顔をしている。不意を突いたつもりだったが、うまく感情を隠したようだ。
「おタバコは吸わないんですか?」
「息子が逮捕されたときに、やめました。息子もヘビースモーカーだったんですが、息子も喫えなくなるなら私も辞めようと思ったんです」
「銘柄はラッキーストライクじゃなかったんですか?」
藤森は奈緒美のいうことが聞こえなかったかのように、澄ました顔でコーヒーを啜った。
「田島という死刑囚、無実の罪で処刑されたのだと、ニュースで騒いでいました。真犯人が出てきたそうですね。テレビに出ていた男が犯人じゃないんですか?」
「藤森さんは、彼のこと、ご存じじゃないんですか」
「もちろん、知りませんよ」
冷めないうちにどうぞ。奈緒美にコーヒーを勧めてから、彼がまたカップを啜った。
「どうして私が、あの事件に関係があると疑っているんです?」
「疑っているだなんて……」
「隠さなくてもいいですよ、別になんとも思っていませんから」
藤森がまたコーヒーを啜った。
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「でたらめもいいところだ」
全く感情が読めない。まだ怒鳴られた方がましなくらいだ。しかし、余裕のある表情が逆に不自然に感じる。
「逆に私から聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「私が田島氏と共謀して若い女性を殺すことに、どんな理由があると考えているんです?」
「それはわかりません。先ほど申しましたように、取材で得られた情報を組み合わせて導いた推察ですし、何も藤森さんが共犯者だとも言っていません」
「でも、先ほどの口調では、そうおっしゃっているようでしたけど」
「酷い聞き方をしてしまって、すみませんでした」
「いえいえ。隆弘が逮捕された時にマスコミ関係者には酷い目にあわされていますから、それに比べれば大したことないですよ。あのときは、そりゃひどかった。世間もマスコミも、容疑者の家族は容疑者と同様に罰せられて当然だという雰囲気でしたから。結局、家族は崩壊し私は仕事を失い、住み慣れた家も手放さなくてはならなくなった」
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「私はね、もし息子が罪を犯していたら、罪を償うことを息子に訴えたいと思っているんです。女性を二人も殺した罪は、たとえ息子であっても免れるべきではないと思っています」
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「部屋を?」
「はい。二人の被害者は殺される直前に、アパートの部屋を借りていたんです。そして、その部屋で殺された。先に殺した宮崎さんの死体を部屋に残したまま鍵をかけたのも、死体が見つかって被害者が一人の段階で田島氏が逮捕されないようにするためです。あの事件には、真犯人の描いたシナリオがあったんです」
藤森がため息をついた。
「とにかく、あの痩せた男の正体をつきとめるのが先決ですな」
「男は、多分名乗り出てくると思います」
藤森が口に運びかけていたカップを持つ手を止めた。
「まあ、あそこまで顔をはっきり映しているんだから、ある程度は覚悟の上なんでしょうね」
「いいえ。あの男は無実の人間を国に処刑させて死刑制度に反旗を翻したいんです。世間に出てきて、その趣旨を国民に問いかける必要があります」
「ずいぶんスケールの大きな話だ」
「はい。だから、単独犯ではないんです。あの犯行は一人では無理なんです。必ず共犯者がいます」
藤森は奈緒美の顔をちらっと見てから、カップのコーヒーを飲み干した。
「その共犯者って、もしかして私だといいたいわけですか?」
「いいえ、そんなことは」
「先日訪ねてきた男にも言われましたよ、お前、女を殺しただろって。私を脅そうとしたんですよ。その男と関係があるんですか?」
「え?」
「その男、死んだんです。ビルから落ちたと聞きました。警察が私のところに事情を聴きに来たんです。最後に会ったのは私らしいということで。しかし、アリバイがあったので疑いは晴れましたが。結局、事故だということになりました」
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しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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