バージン・クライシス

アーケロン

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 クラブ・ダイナマイトはピンクプッシーの入っていたビルより通りを二つ隔てたところにある。ピンクプッシーの周りには風俗店や外国人が出入りする怪しげなバーが軒を連ね、よそ者の入店をためらわせるような一種独特のいかがわしい雰囲気を漂わせていたが、ダイナマイトはスタイリッシュバーやファッショナブルなブティックが並ぶ一角にあり、オフィス街にも近いことから、若者が集う健全な社交場としての地位を保っていた。
 恭平は真司を伴ってダイナマイトの店内に入った。平日の夜、時間が早かったこともあり、客はまばらだった。
 店内には静かな音楽が流れていて、フロアで踊っている客はまだいなかった。OL風のグループが何組かテーブルで食事をしていた。
 席に着くなり、真司が大きな欠伸をした。せっかくの休日だからといって、徹夜明けなのに碌に眠りもせずに夕方まで遊んでいたらしい。恭平は寮に戻るなりベッドに入ったが、早紀の顔がちらついてぐっすりと眠ることができなかった。
「なんか調子狂うぜ。ここじゃ、マリファナなんて無縁なんだろうな」
 真司がため息交じりにぼそりと呟いた。そして、恭平の肩をたたいて、正面のカウンターを見て顎をしゃくった。
 レイヤードカットの髪を揺らしながら、若い女がカウンター内で忙しそうに動き回っていた。新垣早紀。大学を一年で中退した、恭平より三つ年上の二十歳の女だ。
「なんか注文してこいよ」
 真司がタバコに火をつけて、にやっと笑った。恭平は苦笑いすると椅子から腰を上げ、ゆっくりとカウンターのほうに歩いていった。
 カウンターの中の早紀と視線が合う。早紀はしばらく恭平を見ていたが、やがて視線をそらし、カウンターの中の長身の店員と親しそうに二、三言、言葉を交わした。女のような顔をした、色白でほっそりしたバーテン。名前の由来は知らないが、ここではルビーと呼ばれている。身長が百八十近くなければ女と間違えそうな奴だ。
 突然、胸に抉られるような鈍い痛みを感じた。
 あいつが早紀を抱いたのか。
「私はしたいときにしたい相手と寝る。あんたが駄目だって言っても他の人と寝る。それが嫌なら別れて」
 早紀にそう言われ、生まれて初めて女の頬を本気で張り倒した。
「すっきりした?」
 早紀の冷めた言葉が今もなお耳に残っている。
「有名私立高校に通う、頭の回転が速くてハンサムで、スポーツ万能で喧嘩の強い男の子。どんな女でも尻尾振ってくれると思ってた?」
 早紀がセーラムライトを吹かしながら冷たく言った。
「あんたは私とは違う人種なの。いい大学出て、そこそこの会社に入って、可愛い奥さんをもらう。子供は二人産んで、こつこつ貯金してマイホームを買って。あんたはそう言う生活がお似合いなの。自分で気づいていないだけ。いくら悪ぶっていても、結局は安全地帯から出てこられない優等生なのよ。安全な所に身を置いて、そこから必死で首を伸ばしてちょっと珍しい汚れた世界を覗いているだけ。決して中に入ってこない。どっぷり漬かろうとしない。所詮はお坊ちゃまなのよ、あんたは」
 早紀が赤く腫れた頬を掌で撫でながら言った。
「私には無理。そんな退屈な人生。毎日生きてるって実感が欲しいの」
「スリリングに生きたいだなんて、世間知らずのガキみたいなこといってんじゃねえよ。本当に怖いものが何かも知らないくせに、知ったような口をきくんじゃねえ」
「じゃあ、あなたはどうなの。あんたこそ、まだガキの癖に」
 もう一度早紀の頬を張り倒した。そして、早紀の部屋を出て行った。
 いつまでも自分を見つめる視線に気づき、早紀が視線を上げてカウンターの中から恭平を見た。
「何見てるの? 注文しないなら向こうに行って、仕事の邪魔だから」
 冷たい態度で恭平をあしらいながら、グラスを洗い始めた。
「ワイルドターキーのダブル、ストレートで」
「気取るんじゃないわよ、ガキの癖に」
「ワイルドターキーが好きなだけさ」
 早紀はスコッチをシングル分グラスに注ぎ、ソーダで割って氷を放り込むと、恭平の前に差し出した。
「オーダーを間違えてるぜ。ハイボールを頼んだ覚えはない」
「これにしておきなさい」
 恭平は苦笑いして金をカウンターに置くと、グラスを持って一口飲んだ。
「本当だ。こいつはうまいや。さすがは俺の女。俺の好みをよく分かっている」
 早紀が恭平を睨みつけた。
「彼女と寝たんだって?」
「彼女?」
「とぼけてもだめよ。涼子って女。彼女、わざわざここに来て私に言うのよ。あなたに抱かれたって」
「寝たさ。俺も好きな時に好きな女を抱くのさ」
「あんな女にちょっかい出すなんて、あんたも落ちたもんよね」
「そう悪くもない女だ。お前とどっこいどっこいだったよ」
 突き刺さるような早紀の鋭い視線をかわして恭平は背中を向けた。
 席に戻ると、真司はフロアにおいてある自動販売機でバドワイザーを買って飲んでいた。恭平は真司と並んで席に腰掛けると、ハイボールを飲みながらカウンターの早紀を見た。早紀がルビーと楽しそうに話している。
「あいつか? 弱そうな男だな。なんか、女みたいになよっとして。待ち伏せして焼きいれりゃ、びびって早紀さんと別れるんじゃないのか? あんなのに早紀さんが惚れるなんて信じられねえや」
「俺への当てつけだよ」
「当てつけ?」
「俺の一番嫌いなタイプの男とわざと寝たのさ」
「それって、最悪じゃん。修復不可能だな」
「修復? だれが。やり直してくれって土下座されてもごめんだね」
 恭平はハイボールを一気にあおった。
 九時を回ると、静かだったフロアに一気に客が押し寄せた。静かに流れていた曲がアップテンポなビートに変わった。テーブルに座っていた客たちが席を立って次々フロアに出ていった。ピンクプッシーの客層と比べると、たしかに上品な客が多かった。
 真司が恭平の肩を叩いた。
「うまそうな二人組がいる」
 真司の視線を追うと、スタイルのいい二人連れの女が空いた席に座ろうとしていた。頭も弱そうだ。
「どうせ暇だし、声をかけてお持ち帰りしようぜ」
「寮の門限に遅れる」
「女をホテルに連れ込むのに門限なんか気にしてどうするんだよ」
 真司はテーブルの上のバドワイザーを持って席を立った。
「ふたり? ちょっと話していいかな?」
 向かい合ったまま黙ってカクテルを飲んでいた二人は、真司に声をかけられて顔を上げた。二人はそれぞれ女の横のいすに腰掛けた。
「ここ、よく来るの?」
 二人の女は品定めするように真司と恭平を交互に見ていたが、恭平の横の女がにっこり笑いながら、連れの女を見た。どうやら合格のようだ。
「週に二、三回はきてるわ」と、恭平の横の女がいった。
 しばらく四人で喋った後、真司と恭平は女たちを引き離す前準備として、自分の隣の女とだけ話すようにした。そうしておくと、店を出た後、その女と一対一になりやすい。恭平がカウンターを見ると、早紀がこちらを見ていた。
「ここにはよく来るの?」
 横に座っている女が恭平に聞いてきた。恭平はわざと早紀に見えるように、女の髪を撫でた。
「久しぶりに覗いたんだ。今までピンクプッシーで遊んでいたんだけどね」
「あ、知ってる。あそこ、警察の手入れあったんでしょ? 一回だけ入ったことあるけど、なんか雰囲気悪くって、うるさくって怖そうなところだったわ」
 そういって、女は恭平に顔を寄せた。香水の香りが鼻腔を刺激した。なんという香水かは知らないが、若い女がよくつけているものだ。
 恭平がフロアを見ると、誠がひょこひょこ歩いていた。赤い髪を逆立てて、フロアで踊る女たちを物色していた。
「おい、誠だ」
 恭平の声に真司がフロアを見た。
「あいつもピンクプッシーがつぶれたんで、こっちに進出しだしたな」
 誠の後ろから見覚えのある男が現れた。先日、北野坂のファーストフード店にやってきた武藤だ。
「あいつ等に見つかる前に、さっさとこいつら連れ出そうぜ」
 真司が恭平に顔を寄せて囁いた。その時、武藤と一緒にいる女が恭平の目に入った。
「真司、あいつらと一緒にいるの、桐生美里じゃないのか?」
 真司がフロアの方を振り向き、美里を見つけて驚きの声を上げた。
「あの女、誰だか知ってる?」
 恭平が横の女に訊いた。
「さあ。名前は知らないけど、最近良くここに来ているよ。すごくきれいな子だから顔は知っている。でも、いつも柄の悪そうな連中と一緒にいるので、誰も声をかけないわね」
 そういって、女がタバコを取り出した。恭平がライターで火をつけてやると、女はありがとうといってほほ笑んだ。
「ピンクプッシーが無くなったんで、最近、ここにも柄のよくないのが来るようになったのよ」
 そういって、女は恭平の腕に自分の腕をからめた。
 店の中で一時間ほど話した後、二人はそのまま女を外に連れ出した。店から出る時、カウンターの早紀と目があったが、早紀は不機嫌そうに視線を逸らした。
「飲み直そうよ。いい店知っているから」
 真司は自分の横に座っていた女の肩を抱きながら、振り向いて恭平に目で合図した。二人は女と話を合わせながら歩いてホテル街へ向かって行った。
「恭平」
 真司の視線の先を見た。通りの向こう側に佐藤浩太の姿があった。手に大きなボストンバッグを持っている。佐藤は恭平たちに気づかず、大通りのほうに向かって歩いていった。
「誰、知り合い?」
「ああ、同級生だ」
「彼、こんな暗い所で一人で何しているの?」
 この女の言う通り、この先にはホテルしかない。
「その辺で立ちんぼを漁ってたんじゃねえのか? 風が吹いても溜まる歳なんだから」
「あの真面目男がか?」
「そうだな。あいつ、まだ童貞かもな」
 真司がいやらしくにやけた顔で言うと、女たちが声をそろえてキモいと言った。この辺りは中国人の娼婦が多いところだ。
「なあ、次の店に行く前に少し酔いを覚まさないか。海でも見ながら」
 女たちの返事も聞かずに、高台にある公園に連れていった。いつものように、女を連れて公園に入り、そこで二人の女を引きはがす作戦だ。
 公園から見る神戸の夜景は美しかった。
「これからどうする?」恭平が訊いた。
「どうしよう」
「ホテルに泊ろうよ、もう電車ないし」
「ええっ?」
 女が手で口を押さえたが、表情はまんざらでもなさそうだった。
「大丈夫、何もしないよ」
「でも、朋子が」
「向こうは向こうでうまくいってそうじゃないか。邪魔しちゃ悪いよ」
「でも……」
「いいから、いいから。本当に何もしないよ。部屋でビデオでも見ながら飲み直すだけだよ。約束する」
 躊躇する女の腕を引っ張って、恭平は公園を出た。
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