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答案用紙は各教科の担当の先生に返してもらうよう説明した後、担任が各個人に成績表を配っていった。中間テストの成績表を受け取った生徒たちが顔をしかめて席に戻っていく。教室が次第に溜息で溢れていった。八教科、八百二十点満点で、平均点は丁度半分の四百十点。これまでより難解な問題が多く出題されたため、例年よりかなり低かったと担任が総評を述べた。
真司は席についた瞬間、頭を抱えて机に突っ伏した。そして、顔を上げて斜め後ろに座る恭平を見た。
「どうだった?」
恭平を見る真司の目には、落胆と絶望の陰が漂っていた。恭平はにやりと笑った。
「知りたいか?」
「いや、やめとく」
そういって、真司がため息をつく。
昼休みになり、恭平と真司が連れ立って食堂に向かっている時、玲がいつものように優希と愛美を連れて食堂に向かっているところに出くわした。玲が真司を見つけて手を上げた。
「テスト結果の話はするなよ」
何か言いかけた玲の切っ先を、真司が制した。
「どうせ、赤点のオンパレードだったんでしょ?」
「うるさい。お前はどうだったんだよ」
「内緒」
玲と真司がいつものようにじゃれあった。
「お前たちの中じゃ、まともな点取ったの、櫻井だけだろ」
「当たり」
真司の言葉に優希が答えた。愛美が恥ずかしそうに俯いた。
「愛美、七百点越えだもんね」
「うお! すげえ!」
真司が大声で唸った。
「人のテストの点、勝手にしゃべらないで!」
愛美が顔を真っ赤にして優希に抗議した。
「鵜飼君のおかげよ。試験前にテストのヤマ、教えてくれたから」
愛美は恥ずかしそうに恭平を見た。
「あたいらも一緒に聞いてたんだけど、その情報は十分生かせなかったわね」
「まったく生かせなかったの間違いだろ?」
茶化す真司の頭を玲が小突いた。
「鵜飼君、またトップだったんでしょ?」
愛美が恭平をそっと見た。
「鵜飼君は何点だったのよ」
優希も恭平の顔を覗き込んだ。
「そんなこと訊きたいか?」
「訊きたい。愛美の点教えたんだから、鵜飼君のも教えてよ」
「お前の点は?」
優希が手でばつを作り、苦笑いした。玲も意味ありげににっこり笑った。
「八百十三点」
「凄ぉい!」
四人が同じ言葉でハモった。
「あと七点で満点かよ。嫌味なやつ」
真司が毒づいた。
「ダントツで学年トップよね」と玲が言った。
「いや」恭平がつぶやくように言った。
「二番だったよ」
「誰が学年でトップだったと思う?」
ホームルームが終わり、帰る準備をしている恭平に真司が話しかけてきた。
「さあな。佐藤じゃねえのか」
恭平がそっけなく答えると、真司が携帯電話の液晶画面を見せた。玲からのメールに、一組の桐生が学年でトップだと書いてあった。
「へえ、あいつがか」
意外な結果に驚いた恭平が、周りを見てそっと囁いた。
「マリファナやると頭がよくなるのか?」
恭平の言葉に真司がにやりと笑った。
部活のため、真司が恭平と別れて道場に向かった。一人で正門を出ると、道の先で愛美が立ち止まってこっちを見ていた。恭平が手を上げて「よお」と声をかけた。
「今日は、部活は休みか?」
愛美がいつものように、はにかむ様な仕草で頷いた。
「残念だったね、テスト。去年はずっと学年で一番だったのに」
「別に気にしちゃいないよ。勉強なんて適当にしかしなかったし」
「あ、それって自慢?」
愛美の言葉に恭平が笑った。
「テスト、一組の桐生さんがトップなんだって。玲が言ってた」
「ああ、訊いたよ」
「桐生さんって、凄く綺麗で、大人っぽくって、男子にも人気あるんでしょ? その上勉強もできるなんて、凄いわね」
「可愛さじゃ、お前のほうがずっと上だよ。あいつなんかより、お前のほうがずっといい女だ」
「そ、そんなことないよ」
愛美がどもりながら答えた。動揺している様子で、顔を真っ赤にしていた。本当にわかりやすい女だ。
「あのさ、鵜飼君、今流行ってる、モッブスってグループ知ってる? 今度の日曜日、須磨海岸で野外イベントやるんだって」
「へえ。モッブスなら知ってるよ。CDも持ってるし。須磨か。近いな」
「この前、和歌山の実家に帰ったとき、お母さんにチケットもらったの。お父さんの取引先からいただいたんだって。三枚もらったから、玲と優希を誘ったんだけど、ふたりとも都合が悪くって。それで、玲から聞いたんだけど、鵜飼君と池澤君、モッブスのファンなんだって?」
「まあ、ファンってほどじゃないけど、あのノリのいいサウンドは好きだな」
「それで、よかったらなんだけど、鵜飼君と池澤君、どうかなって思って。玲に聞いたら、池澤君、日曜日は空いてるみたいだし」
「俺と真司?」
「うん。二人には何かと世話になっているし、御礼したいなって思って」
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらうよ。真司も誘っといてやろうか」
「うん」
愛美の顔がぱっと明るくなった。
「ロン」
待ちに待ったイーピンを捨てたのは、対面のケンジだった。
「悪いな。親の役満だ」
恭平が目の前に並んだ牌を倒した。国士無双をあがるのは今年で二度目だ。
「くそっ!」
ケンジが箱に入った点棒をテーブルの上にぶちまけた。耳のピアスが鈍く光る。
四人の男たちが吐きだすタバコの煙が部屋に充満していて、対面に座るケンジの顔も霞んで見える。
「煙てえな。窓開けるぞ」
リョウタが顔をしかめ、茶色に染めた長髪を掻いて立ち上がった。
寮に戻ってきたばかり真司が、ケンジの部屋のドアを開けた。
「おいおい、廊下まで匂ってるぞ」
そういって、恭平の横に座った。
「なんだよ、恭平の一人勝ちか」
箱の中の点棒を数えながら、真司が言った。
「こいつ、イカサマしてやがんだよ」
ケンジが忌々しそうに言う。短い金髪をツンツンに逆立てたいかつい表情は、あの佐川に似ていた。
「お前らよ。周りに女いっぱいいるんだから、たまには俺たちにも回せよ」
横にいるヒデツグが煙たそうにタバコの煙を吐きながら恭平と真司を見た。
「この前紹介してやったばかりだろ」
恭平が麻雀の牌を並べながらヒデツグを見た。
「あんなクラブで遊んでるようなスベタじゃなくって、清くて可愛い女がいいんだよ」
「なにが清くて可愛いだ。女なんて下半身にしか用がないくせに」恭平が吐き捨てるように言った。
「この前紹介してやった女はどうしたんだ?」
真司の言葉に卓を囲んでいた三人がにやにや笑い始めた。
「三人ともやったのか?」
「あたりめえだろ」
ケンジが残り二人を代表して言った。
「時々呼び出してはめてるんだ」
ケンジは口元をにやつかせながら新しいタバコに火をつけた。
「でも、今日は逃げられたんだよな?」
リョウタがそう言って、うっとおしそうに長髪を後ろに束ねる。
「ホテル代がなかったんで、公園の茂みに連れ込んで押し倒したんだ。誰もいなかったし、すぐに終わるからって言ってよぉ。それで女のパンツに手ぇ突っ込んでこねくり回してると、女が急にこんなところでするのは嫌だと言って、ごねだしたんだよぉ」
「それで結局できなくって、こいつ、指についた女の匂い嗅ぎながらこの部屋で抜いたんだってよ」
ヒデツグがケンジを見て言った。皆が大笑いした。
「でも、右手の匂い嗅ぎながら左手で扱くだろ? 気持ちよくねえんだよなぁ。左手だと微妙な動き出来ねえから。それに、俺、カソウ包茎だろ。昨日風呂で洗ってなかったから、左手がやたら男臭くなってよぉ」
そう言って、ケンジが左手を匂って顔をしかめた。
「どうしようもねえな。お前は……」
恭平が笑いながら新しいタバコに火をつけて牌を掴んだが、次の瞬間、ハッとして手に持っていた牌を離した。ケンジがにやりと笑った。
「お前! 汚ねえことするなよ!」
恭平がどなった。ケンジが、自分の目の前の麻雀牌を取り、わざと匂う仕草をして、「うっ! イカ臭せえ」と呟いた。両脇にいた二人も牌を手に取って匂い始めた。
「真司、代われ」
恭平はむっとした表情で席を立った。
「なんだよ、からかわれているだけだろ。マジになるなよ」
そう言って、席に戻るように真司が床を指差したが、恭平はケンジを睨んで部屋から出ていった。ケンジは笑いながら恭平の背中に向かって、もう一度「臭せえ!」と叫んだ。
「点棒全部もらうぞ」
そう言って、真司が恭平に代わって席に着いた。
洗面所で念入りに手を洗ってから、気を静めようと部屋に戻ってCDラジカセのスイッチを入れ、ベッドに横になった。恭平が潔癖症なのを知っているケンジの策略だとは分かっていたが、本当に牌から匂いが漂ってきそうに感じて我慢できなくなったのだ。
親父の言うとおりだ。男の潔癖症ってのは、結構厄介なのかもしれない。
音楽を聴いていると、ブザーが鳴って、ドアの横の緑のランプが光った。
「鵜飼先輩、お客さんです」
応対に出た下級生の声がマイクから聞こえた。「わかった」といって、部屋を出て階段を降りた。
階段の踊り場から玄関を見ると、そこに佐藤が立っていた。
「やあ、今、出られるかな?」
まるで、いつも顔を出しにきている友人のようなさりげなさで恭平に声をかけた。
「どうしたんだ?」
「近くまで来たもんだから」
「あがれよ。この前クアーズにいた連中もいるぜ」
「いや、賑やかのはちょっと苦手かな」そういって、笑い声が聞こえてくる二階を見上げた。
「じゃあ、外にいこう。待っててくれ」
一度部屋に戻ってジャンパーを羽織り、ズボンのポケットにタバコを押し込んだ。冷蔵庫から缶入りのチューハイを二つ持って部屋を出た。
恭平が靴を履いている間に、佐藤は外に出て待っていた。玄関の外に出ると、恭平がタバコを咥えて火をつけた。
「ほれ」
恭平が冷えた缶入りのチューハイを佐藤に渡した。佐藤が缶を見て苦笑いした。
「これは違法だよ」
「ワルの高校生は、タバコを吸って酒を飲むもんなんだよ」
「違うよ」佐藤が笑顔の残った顔で答えた。「本当のワルは法すれすれの行為こそすれ、法は犯さないもんなんだよ」
「ほう」恭平は感心したように深い瞳で佐藤を見た。「法すれすれね」
「そう、法すれすれだ」
その言葉は、強調して恭平に言い聞かせるようにも聞こえたし、自分にいい聞かすようにも聞こえた。このまじめな優等生がそんなことを言うのは意外だった。
「お前のような人間にとって大事なのは、決して罪を犯さないってことなんだよ、鵜飼。ワルっていうのは、そうじゃない奴より守るべきルールが多いんだよ。そのルールを破れば、ただの犯罪者に落ちぶれてしまう」
「へえ、お前、結構いいこと言うんだな」
「でも、これはもらっておくよ」そういって佐藤が缶チューハイをポケットに押し込んだ。
二人は暗い道を並んで歩いた。寮の二階から麻雀牌をかき混ぜる音とともに、ケンジが大声で笑う声が聞こえてきた。恭平がいなくなってからツキが回ってきたのかもしれない。
寮の近くの公園に入り、ふたりはベンチに並んで腰かけた。曇天の空に街の街明かりが反射している。恭平は持っていた缶を開けて口をつけ、一口飲んだ。佐藤も同じように一口飲んだ。
「うわっ」佐藤がしかめっ面をした。
「こんなの、ジュースみたいなもんだよ」恭平は笑った。「酔いつぶれたら俺の部屋に泊めてやるよ」
二本目のマルボロを口にくわえ、ライターで火をつける。公園の外を歩いていた主婦がこちらを見ていた。
「寮生活は楽しいかい?」
佐藤はチューハイの缶を揺らしながら聞いてきた。
「まあ、退屈はしないところだ。不潔なのを我慢できりゃあな」
「不潔って、何だい?」
「盛りのついた男が集まりゃ、そこらじゅうでゴミや埃はたまるは異臭はするわ、そりゃ、凄まじいもんだ。綺麗好きならノイローゼになるね。まあ、有名スポーツ選手を多く輩出している寮なんだ。メンタルが鍛えられるのは保証するぜ」
佐藤が笑った。
「いわくつきだからね、大蔵寮は。だから玄関でお前を呼び出してもらう前に外で様子を伺っていたんだけど、突然お前の怒鳴り声が聞こえてきたのでびっくりしたよ」
「ケンジが汚ねえ事しやがるから頭に来たんだ」
「なんだい、イカサマかい? 麻雀、してたんだろ?」
「まあ、そんなところだ」
「お前はたぶん綺麗好きなんだろうな」
恭平が苦笑した。適当に誤魔化したつもりだったが、佐藤は気づいている。勉強ができるだけじゃなく、意外と鋭い男だ。
「でもまあ、僕の家に比べりゃ、まだまだまともだよ、あの寮は」
「なんだそりゃ、お前、どんな所に住んでんだよ。あの寮より汚ねえところなんてそうあるもんじゃないぜ」
佐藤が声をあげて笑った。この男がこれほど陽気にふるまうのは珍しい。
「何かあったのかい?」
「どうして?」
「お前みたいなやつがあんな吹き溜まりをふらっと訪ねたりはしないだろ」
佐藤が微笑みながら、手に持った缶を見た。どこかで犬が吠えた。毎朝通学時に吠えてくる柴犬だ。
「鵜飼はやりたいことを我慢したことはあるのかい?」
「どういうことだ?」唐突な問いかけに恭平は佐藤の顔を見た。
「今しなくてもいいんじゃないかって自分で言い訳して、やりたいことを先延ばしにしたりしたこと」
「記憶にねえなあ、そんなこと。やりたいことがあれば、俺は堪えることができないんだ。すぐに身体が動いちまう」
「僕はついつい考えすぎちゃうんだ。今はこうするのが一番いいと思っていても、大人になればたいしたことないと思うかもしれないってね」
「でも、今やりたいと思っていることをやる。それが大事だと思うぜ。今感じる興奮、感動は歳をとっちまったら味わえないだろ」
「そうだな、そういう考え方もありだな。でも、足を一歩踏み出したら、もう後戻りできない場合だってある」
「お前、何がやりたいんだ?」
「たいしたことじゃない」そういって、顔をしかめながら缶チューハイを喉に流し込んだ。
「そんなときは、自分を信じるしかないな」恭平がぽつりと言った。「そんなときは自分を信じて一歩踏み出す。落とし穴があるのか、地雷があるのか、神のみぞ知るだ。ここぞというときは腹を括る。そして、どんな結果が出ても後悔しないと心に誓う」
「ありがとう。僕もそう思っていたところだ」そういって佐藤は缶チューハイを飲み干した。
「この前のパーティー、楽しかったよ」
「そうか? 迷惑そうな顔してたぞ」恭平に言葉に佐藤がにやりとした。
「僕、結構好きかも。ああいうの」
「そうか、あのモエカて女、お前のこと気に入っていたみたいだぞ」
「僕にしがみついてきた女の子だね。でも、ヒデツグって人がどこかにつれていってしまったね」
「お前ももっと積極的になれよ」
「女の子はどうも苦手だね」
「モエカ、佐藤っちの童貞は私がもらうとか言ってたぜ」
恭平の言葉に佐藤が恥ずかしそうに笑った。
真司は席についた瞬間、頭を抱えて机に突っ伏した。そして、顔を上げて斜め後ろに座る恭平を見た。
「どうだった?」
恭平を見る真司の目には、落胆と絶望の陰が漂っていた。恭平はにやりと笑った。
「知りたいか?」
「いや、やめとく」
そういって、真司がため息をつく。
昼休みになり、恭平と真司が連れ立って食堂に向かっている時、玲がいつものように優希と愛美を連れて食堂に向かっているところに出くわした。玲が真司を見つけて手を上げた。
「テスト結果の話はするなよ」
何か言いかけた玲の切っ先を、真司が制した。
「どうせ、赤点のオンパレードだったんでしょ?」
「うるさい。お前はどうだったんだよ」
「内緒」
玲と真司がいつものようにじゃれあった。
「お前たちの中じゃ、まともな点取ったの、櫻井だけだろ」
「当たり」
真司の言葉に優希が答えた。愛美が恥ずかしそうに俯いた。
「愛美、七百点越えだもんね」
「うお! すげえ!」
真司が大声で唸った。
「人のテストの点、勝手にしゃべらないで!」
愛美が顔を真っ赤にして優希に抗議した。
「鵜飼君のおかげよ。試験前にテストのヤマ、教えてくれたから」
愛美は恥ずかしそうに恭平を見た。
「あたいらも一緒に聞いてたんだけど、その情報は十分生かせなかったわね」
「まったく生かせなかったの間違いだろ?」
茶化す真司の頭を玲が小突いた。
「鵜飼君、またトップだったんでしょ?」
愛美が恭平をそっと見た。
「鵜飼君は何点だったのよ」
優希も恭平の顔を覗き込んだ。
「そんなこと訊きたいか?」
「訊きたい。愛美の点教えたんだから、鵜飼君のも教えてよ」
「お前の点は?」
優希が手でばつを作り、苦笑いした。玲も意味ありげににっこり笑った。
「八百十三点」
「凄ぉい!」
四人が同じ言葉でハモった。
「あと七点で満点かよ。嫌味なやつ」
真司が毒づいた。
「ダントツで学年トップよね」と玲が言った。
「いや」恭平がつぶやくように言った。
「二番だったよ」
「誰が学年でトップだったと思う?」
ホームルームが終わり、帰る準備をしている恭平に真司が話しかけてきた。
「さあな。佐藤じゃねえのか」
恭平がそっけなく答えると、真司が携帯電話の液晶画面を見せた。玲からのメールに、一組の桐生が学年でトップだと書いてあった。
「へえ、あいつがか」
意外な結果に驚いた恭平が、周りを見てそっと囁いた。
「マリファナやると頭がよくなるのか?」
恭平の言葉に真司がにやりと笑った。
部活のため、真司が恭平と別れて道場に向かった。一人で正門を出ると、道の先で愛美が立ち止まってこっちを見ていた。恭平が手を上げて「よお」と声をかけた。
「今日は、部活は休みか?」
愛美がいつものように、はにかむ様な仕草で頷いた。
「残念だったね、テスト。去年はずっと学年で一番だったのに」
「別に気にしちゃいないよ。勉強なんて適当にしかしなかったし」
「あ、それって自慢?」
愛美の言葉に恭平が笑った。
「テスト、一組の桐生さんがトップなんだって。玲が言ってた」
「ああ、訊いたよ」
「桐生さんって、凄く綺麗で、大人っぽくって、男子にも人気あるんでしょ? その上勉強もできるなんて、凄いわね」
「可愛さじゃ、お前のほうがずっと上だよ。あいつなんかより、お前のほうがずっといい女だ」
「そ、そんなことないよ」
愛美がどもりながら答えた。動揺している様子で、顔を真っ赤にしていた。本当にわかりやすい女だ。
「あのさ、鵜飼君、今流行ってる、モッブスってグループ知ってる? 今度の日曜日、須磨海岸で野外イベントやるんだって」
「へえ。モッブスなら知ってるよ。CDも持ってるし。須磨か。近いな」
「この前、和歌山の実家に帰ったとき、お母さんにチケットもらったの。お父さんの取引先からいただいたんだって。三枚もらったから、玲と優希を誘ったんだけど、ふたりとも都合が悪くって。それで、玲から聞いたんだけど、鵜飼君と池澤君、モッブスのファンなんだって?」
「まあ、ファンってほどじゃないけど、あのノリのいいサウンドは好きだな」
「それで、よかったらなんだけど、鵜飼君と池澤君、どうかなって思って。玲に聞いたら、池澤君、日曜日は空いてるみたいだし」
「俺と真司?」
「うん。二人には何かと世話になっているし、御礼したいなって思って」
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらうよ。真司も誘っといてやろうか」
「うん」
愛美の顔がぱっと明るくなった。
「ロン」
待ちに待ったイーピンを捨てたのは、対面のケンジだった。
「悪いな。親の役満だ」
恭平が目の前に並んだ牌を倒した。国士無双をあがるのは今年で二度目だ。
「くそっ!」
ケンジが箱に入った点棒をテーブルの上にぶちまけた。耳のピアスが鈍く光る。
四人の男たちが吐きだすタバコの煙が部屋に充満していて、対面に座るケンジの顔も霞んで見える。
「煙てえな。窓開けるぞ」
リョウタが顔をしかめ、茶色に染めた長髪を掻いて立ち上がった。
寮に戻ってきたばかり真司が、ケンジの部屋のドアを開けた。
「おいおい、廊下まで匂ってるぞ」
そういって、恭平の横に座った。
「なんだよ、恭平の一人勝ちか」
箱の中の点棒を数えながら、真司が言った。
「こいつ、イカサマしてやがんだよ」
ケンジが忌々しそうに言う。短い金髪をツンツンに逆立てたいかつい表情は、あの佐川に似ていた。
「お前らよ。周りに女いっぱいいるんだから、たまには俺たちにも回せよ」
横にいるヒデツグが煙たそうにタバコの煙を吐きながら恭平と真司を見た。
「この前紹介してやったばかりだろ」
恭平が麻雀の牌を並べながらヒデツグを見た。
「あんなクラブで遊んでるようなスベタじゃなくって、清くて可愛い女がいいんだよ」
「なにが清くて可愛いだ。女なんて下半身にしか用がないくせに」恭平が吐き捨てるように言った。
「この前紹介してやった女はどうしたんだ?」
真司の言葉に卓を囲んでいた三人がにやにや笑い始めた。
「三人ともやったのか?」
「あたりめえだろ」
ケンジが残り二人を代表して言った。
「時々呼び出してはめてるんだ」
ケンジは口元をにやつかせながら新しいタバコに火をつけた。
「でも、今日は逃げられたんだよな?」
リョウタがそう言って、うっとおしそうに長髪を後ろに束ねる。
「ホテル代がなかったんで、公園の茂みに連れ込んで押し倒したんだ。誰もいなかったし、すぐに終わるからって言ってよぉ。それで女のパンツに手ぇ突っ込んでこねくり回してると、女が急にこんなところでするのは嫌だと言って、ごねだしたんだよぉ」
「それで結局できなくって、こいつ、指についた女の匂い嗅ぎながらこの部屋で抜いたんだってよ」
ヒデツグがケンジを見て言った。皆が大笑いした。
「でも、右手の匂い嗅ぎながら左手で扱くだろ? 気持ちよくねえんだよなぁ。左手だと微妙な動き出来ねえから。それに、俺、カソウ包茎だろ。昨日風呂で洗ってなかったから、左手がやたら男臭くなってよぉ」
そう言って、ケンジが左手を匂って顔をしかめた。
「どうしようもねえな。お前は……」
恭平が笑いながら新しいタバコに火をつけて牌を掴んだが、次の瞬間、ハッとして手に持っていた牌を離した。ケンジがにやりと笑った。
「お前! 汚ねえことするなよ!」
恭平がどなった。ケンジが、自分の目の前の麻雀牌を取り、わざと匂う仕草をして、「うっ! イカ臭せえ」と呟いた。両脇にいた二人も牌を手に取って匂い始めた。
「真司、代われ」
恭平はむっとした表情で席を立った。
「なんだよ、からかわれているだけだろ。マジになるなよ」
そう言って、席に戻るように真司が床を指差したが、恭平はケンジを睨んで部屋から出ていった。ケンジは笑いながら恭平の背中に向かって、もう一度「臭せえ!」と叫んだ。
「点棒全部もらうぞ」
そう言って、真司が恭平に代わって席に着いた。
洗面所で念入りに手を洗ってから、気を静めようと部屋に戻ってCDラジカセのスイッチを入れ、ベッドに横になった。恭平が潔癖症なのを知っているケンジの策略だとは分かっていたが、本当に牌から匂いが漂ってきそうに感じて我慢できなくなったのだ。
親父の言うとおりだ。男の潔癖症ってのは、結構厄介なのかもしれない。
音楽を聴いていると、ブザーが鳴って、ドアの横の緑のランプが光った。
「鵜飼先輩、お客さんです」
応対に出た下級生の声がマイクから聞こえた。「わかった」といって、部屋を出て階段を降りた。
階段の踊り場から玄関を見ると、そこに佐藤が立っていた。
「やあ、今、出られるかな?」
まるで、いつも顔を出しにきている友人のようなさりげなさで恭平に声をかけた。
「どうしたんだ?」
「近くまで来たもんだから」
「あがれよ。この前クアーズにいた連中もいるぜ」
「いや、賑やかのはちょっと苦手かな」そういって、笑い声が聞こえてくる二階を見上げた。
「じゃあ、外にいこう。待っててくれ」
一度部屋に戻ってジャンパーを羽織り、ズボンのポケットにタバコを押し込んだ。冷蔵庫から缶入りのチューハイを二つ持って部屋を出た。
恭平が靴を履いている間に、佐藤は外に出て待っていた。玄関の外に出ると、恭平がタバコを咥えて火をつけた。
「ほれ」
恭平が冷えた缶入りのチューハイを佐藤に渡した。佐藤が缶を見て苦笑いした。
「これは違法だよ」
「ワルの高校生は、タバコを吸って酒を飲むもんなんだよ」
「違うよ」佐藤が笑顔の残った顔で答えた。「本当のワルは法すれすれの行為こそすれ、法は犯さないもんなんだよ」
「ほう」恭平は感心したように深い瞳で佐藤を見た。「法すれすれね」
「そう、法すれすれだ」
その言葉は、強調して恭平に言い聞かせるようにも聞こえたし、自分にいい聞かすようにも聞こえた。このまじめな優等生がそんなことを言うのは意外だった。
「お前のような人間にとって大事なのは、決して罪を犯さないってことなんだよ、鵜飼。ワルっていうのは、そうじゃない奴より守るべきルールが多いんだよ。そのルールを破れば、ただの犯罪者に落ちぶれてしまう」
「へえ、お前、結構いいこと言うんだな」
「でも、これはもらっておくよ」そういって佐藤が缶チューハイをポケットに押し込んだ。
二人は暗い道を並んで歩いた。寮の二階から麻雀牌をかき混ぜる音とともに、ケンジが大声で笑う声が聞こえてきた。恭平がいなくなってからツキが回ってきたのかもしれない。
寮の近くの公園に入り、ふたりはベンチに並んで腰かけた。曇天の空に街の街明かりが反射している。恭平は持っていた缶を開けて口をつけ、一口飲んだ。佐藤も同じように一口飲んだ。
「うわっ」佐藤がしかめっ面をした。
「こんなの、ジュースみたいなもんだよ」恭平は笑った。「酔いつぶれたら俺の部屋に泊めてやるよ」
二本目のマルボロを口にくわえ、ライターで火をつける。公園の外を歩いていた主婦がこちらを見ていた。
「寮生活は楽しいかい?」
佐藤はチューハイの缶を揺らしながら聞いてきた。
「まあ、退屈はしないところだ。不潔なのを我慢できりゃあな」
「不潔って、何だい?」
「盛りのついた男が集まりゃ、そこらじゅうでゴミや埃はたまるは異臭はするわ、そりゃ、凄まじいもんだ。綺麗好きならノイローゼになるね。まあ、有名スポーツ選手を多く輩出している寮なんだ。メンタルが鍛えられるのは保証するぜ」
佐藤が笑った。
「いわくつきだからね、大蔵寮は。だから玄関でお前を呼び出してもらう前に外で様子を伺っていたんだけど、突然お前の怒鳴り声が聞こえてきたのでびっくりしたよ」
「ケンジが汚ねえ事しやがるから頭に来たんだ」
「なんだい、イカサマかい? 麻雀、してたんだろ?」
「まあ、そんなところだ」
「お前はたぶん綺麗好きなんだろうな」
恭平が苦笑した。適当に誤魔化したつもりだったが、佐藤は気づいている。勉強ができるだけじゃなく、意外と鋭い男だ。
「でもまあ、僕の家に比べりゃ、まだまだまともだよ、あの寮は」
「なんだそりゃ、お前、どんな所に住んでんだよ。あの寮より汚ねえところなんてそうあるもんじゃないぜ」
佐藤が声をあげて笑った。この男がこれほど陽気にふるまうのは珍しい。
「何かあったのかい?」
「どうして?」
「お前みたいなやつがあんな吹き溜まりをふらっと訪ねたりはしないだろ」
佐藤が微笑みながら、手に持った缶を見た。どこかで犬が吠えた。毎朝通学時に吠えてくる柴犬だ。
「鵜飼はやりたいことを我慢したことはあるのかい?」
「どういうことだ?」唐突な問いかけに恭平は佐藤の顔を見た。
「今しなくてもいいんじゃないかって自分で言い訳して、やりたいことを先延ばしにしたりしたこと」
「記憶にねえなあ、そんなこと。やりたいことがあれば、俺は堪えることができないんだ。すぐに身体が動いちまう」
「僕はついつい考えすぎちゃうんだ。今はこうするのが一番いいと思っていても、大人になればたいしたことないと思うかもしれないってね」
「でも、今やりたいと思っていることをやる。それが大事だと思うぜ。今感じる興奮、感動は歳をとっちまったら味わえないだろ」
「そうだな、そういう考え方もありだな。でも、足を一歩踏み出したら、もう後戻りできない場合だってある」
「お前、何がやりたいんだ?」
「たいしたことじゃない」そういって、顔をしかめながら缶チューハイを喉に流し込んだ。
「そんなときは、自分を信じるしかないな」恭平がぽつりと言った。「そんなときは自分を信じて一歩踏み出す。落とし穴があるのか、地雷があるのか、神のみぞ知るだ。ここぞというときは腹を括る。そして、どんな結果が出ても後悔しないと心に誓う」
「ありがとう。僕もそう思っていたところだ」そういって佐藤は缶チューハイを飲み干した。
「この前のパーティー、楽しかったよ」
「そうか? 迷惑そうな顔してたぞ」恭平に言葉に佐藤がにやりとした。
「僕、結構好きかも。ああいうの」
「そうか、あのモエカて女、お前のこと気に入っていたみたいだぞ」
「僕にしがみついてきた女の子だね。でも、ヒデツグって人がどこかにつれていってしまったね」
「お前ももっと積極的になれよ」
「女の子はどうも苦手だね」
「モエカ、佐藤っちの童貞は私がもらうとか言ってたぜ」
恭平の言葉に佐藤が恥ずかしそうに笑った。
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でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
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