バージン・クライシス

アーケロン

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 この車はアクセルを踏み込んで加速をするとき、車内のどこかが細かく振動して耳障りな音をたてる。製造後十五年は経っている中古の大衆車だが、音原はこの車が気に入っているようだった。
「訊いていいか?」
「なに?」
「もしかして、たまにその恰好で街や学校の中をうろついているのか? 趣味として」
「人聞きの悪いことを言わないでよ。僕に本当に女装趣味があると疑っているのかい?」
 音原が笑った。こうして女装して彼の横に座っているのを外から見れば、チンピラと遊びまわっている女子高生に見られるだろう。
 桐生美里の追跡を始めて一週間が過ぎた。一組と二組が体育の時間のとき、教室を抜け出して学校の女子トイレで女装して二年一組の教室に向かった。途中、授業中なのに教室を抜け出してタバコを吸っている生徒がいた。有名な進学校にも、道を外れる者はいる。
 教室に入り、美里のカバンを開けようとした。鍵がかかっていたが、学生カバンの鍵など簡単に開けられる。鞄に盗聴器を仕掛け、鞄の中の携帯に登録されている番号を調べた。
 それから音原とふたりで美里の行動を観察し、盗撮を続けた。
 依頼を受けたのは十日前だった。神戸愛和学園に通うある美少女の生態が知りたいから、彼女の日常を盗撮してくれとのことだった。どこかの女子高生マニアだろう。この手の仕事は過去に二度ほど受けたことがある。神戸愛和に通う女子生徒にあこがれるマニアは多いと聞いているが、大金を叩いてまであこがれの女子生徒のプライベートな動画を手に入れたいものなのか。同じマニアだが、そんな連中の心の奥が理解できない。
 桐生美里とは接点も無く、普段は何をしているかわからない女子生徒だったが、調べているうちに面白いことがわかってきた。あの鵜飼恭平を蹴落として学年トップの座を射止めた才女だと思っていたが、実は夜になると繁華街を遊び場にしている不良少女で、ヤクザの下請けの武藤という男と未成年のふたりのチンピラと連れ立っていることがわかった。
 武藤という男が女子高生を風俗に落としているという噂があるが、それに桐生美里が関わっているのは間違いなさそうだった。
 桐生美里のカバンに仕掛けた盗聴器からは、友人とのたわいのない会話が聞こえてくるだけで有力な情報が入ってこなかった。横で盗み聞きされるのを嫌って、人身売買に関わる仲間との連絡を避けているのか。用心深い女だ。肝心の電話は部屋の中からしているかもしれないと思い彼女の家の前で張ったが、電波が家の外まで飛んでこなかった。
「じゃあ、打つ手なしだな」
 佐藤の説明を聞いた音原が顔をしかめたので、だからこいつを仕掛けるんだ、といって置時計を見せた。
 この置時計には、高感度高出力の盗聴器と盗撮カメラが内蔵されている。高価な機械だが、今回の仕事で使えば回収は不可能だ。
「十万はかかったんだ。元をとらねえとな」
「とれるさ。依頼料は一〇〇万だし、それに人身売買の証拠映像が得られたら大スクープだよ。マスコミにも高く売れる。いわゆる一挙両得って奴だ」
「しかし、依頼人に黙って勝手なことをしていることがばれると信用に関わるぜ」
「あの女が人身売買にかかわっているって証拠を、クライアントが望んでいるわけじゃないよ。女が風呂に入っているとかトイレで用を足してるとか、着替えているとか男に抱かれているとか。そんな映像さえあれば文句は言わないさ」
「そりゃそうだが、肝心の証拠の映像は取れるかね」
「絶対に決定的な映像を撮ってやるから。僕たちはプロの盗撮屋なんだ」
 そういって佐藤は膝の上の特製の置時計を見た。音原の知り合いに頼んで文字盤に彼女の妹の顔写真をプリントした。妹を連れ歩く美里の幸せそうな姿も確認しているし、目に入れても痛くないほど妹を可愛がっているということはわかっている。きっと気に入るはずだ。
 コンセントから電源をとり時間をセットすると、セットした時刻になると時計の文字盤にちりばめてある色とりどりの発光ダイオードが綺麗に光る仕組みになっている。妹に見せようとするだろうから、彼女は時計をコンセントにつなぐはずだ。コンセントにつないでくれれば強力な電波が出せるので、家の外まで電波を飛ばすことができる。彼女の家のそばに受信機を置いて音声と映像を拾えばいい。
 女子高生を風俗に落とす組織を暴く。もし実現すれば大スクープだ。覗き動画じゃない。マスコミが高値で買いたがる。女子高生をどのように飼い馴らし、やくざに渡すのか。それらの決定的瞬間をスクープするのだ。
 美里の屋敷の手前で音原の車から降りる。塀に沿って表玄関に向かう。大きな屋敷だ。かなり裕福な生活を送っているのだろう。いったい何が不満でぐれているのか。年頃の少女の心の中は同じ歳の男子ではわからない。
 呼び鈴を鳴らす。
「はい」
 インターフォンから若々しい女の声が聞こえてきた。彼女の母親か、家政婦だろう。桐生美里本人ではない。彼女はまだ学校だ。
「あのう、私、神戸愛和高校の二年なんですけど、美里さんにプレゼントを渡したくって」
 少し高めの作り声。こちらの姿はカメラで見えているはずだ。
「ちょっと待っていてね」そういって、インターフォンが切れた。あの砕けた口調は母親だ。
 大きな門の横にある勝手口が開いて派手な女が顔を出した。彼女の母親なのだろうか。特に似ているようには思えないが。
「すみません、突然お邪魔して。私、美里さんの隣のクラスなんですけど、彼女にこれを渡したくって」
 そう言って、ピンクのハートをちりばめたビニールのラッピング包装を母親に渡した。
「あら、雪菜ちゃん?」
 彼女の母親が透けて見える文字盤を見て目を丸くした。「よくできてるわねぇ。美里さん、きっと喜ぶわ」
 自分の娘をさん付けで呼ぶとは変わった母親だ。それとも、娘をさん付けで呼ぶ母親は結構いるものなのか。
「美里さんはまだ帰っていないんだけど」
「いいんです。これを渡していただければ」
「えっと、お名前は?」
「それは……」恥ずかしさを装って下を向いた。「私、実は美里さんとはまだ話したことが無いんです。でも、ずっと前から彼女のファンなんです。それで、その……」
「じゃあ、あがっていけば? もうすぐ帰ってくると思うわ」
「そ、それはちょっと! 心の準備が……」
「いいじゃない。これをきっかけにお友達になればいいのよ」
「すみません、また今度来ます。それ、渡しておいてください」
 佐藤が慌てて深く頭を下げるのを見て、母親はニコリ笑った。
「今度、ぜひいらっしてくださいね」

 音原のアパートに戻ると、これまで盗撮してきた桐生美里の動画の編集作業を始めた。学校で友人たちと談笑する姿や、体操服でグラウンドを駆け回る姿。そして、そんな弾けるような瑞々しい昼の姿からは想像できない、夜の街を危険な男たちと連れ立って歩く、娼婦のように性的な匂いを漂わせる桐生美里。
 古いアパートの天井と四方の壁に仕掛けたカメラが鮮明な映像をとらえていた。街で声をかけた女子高生をアパートに連れ込んで裸にし、性器に何かを塗り付けている。桐生美里の指の動きに合わせて少女が腰をくねらせ喘ぎ声をあげている。依頼通り、クライアントの美少女マニアが喜びそうな動画が撮れたわけだ。
 桐生美里が覚せい剤を使って少女たちを飼いならそうとしているのは間違いない。覚せい剤がもたらす快感にはだれも逆らうことができないと聞いている。少女はあっという間に桐生美里の虜になるだろう。
 少女の顔も鮮明にとらえられている。見たこともない制服。どこかの街からやってきた家出少女だ。公安当局の行方不明者リストを探れば見つけることができるかもしれない。
 しかし、この映像だけでは桐生美里の人身売買の証拠をつかんだとはいえない。レズビアン同士のプレイだといわれればそれまでだ。もっと決定的な映像を手にしなければ。
「この女、バージンのオークションに出てねえかな」
 画面の中で桐生に弄ばれる少女を覗き込みながら、音原が言った。
「この子はバージンじゃないよ」
「バージンじゃない女の子をバージンと偽って出品することもよくあるんだ。相手が大がかりな人身売買組織なら、十分考えられる」
 音原は手帳を取り出すとアドレスを入力してサイトにアクセスした。IDとパスワードを入力するログイン画面が出てきた。
「IDとパスワードを買ったのかい?」
「まさか。そんな金持ってねえよ。ダチに頼んでハッキングしてもらったんだよ」
 音原がIDとパスワードを入力すると、黒とワインレッドの品の悪い背景の中に女の子たちが浮かび上がった。目障りな広告など一つもない。少女の笑顔と全裸姿と広げた性器を写した画像が並んでいる。国籍が国旗で示されている。白人、黒人、東南アジア人。さまざまな人種の少女がいる。
 身の毛もよだつ、少女のネットオークション会場だ。この少女たちは楽しく華やかな日常から無慈悲に切り離され、今頃暗い地下室で麻薬を覚えさせられて男たちの玩具にされようとしているのだ。
 音原が検察画面で「Japan」を選ぶと、日本人の少女たちが画面に溢れた。
「ほう、どれも一千万を超えてるな」
 音原が画面をスクロールさせながらにやけている。海外より日本人の女の子のほうが高い値がつけられている。
「こいつなんてすごいぜ、アップされてまだ二日なのに三千万まで跳ね上がってる。確かに可愛いよな。本物のバージンなら値打ちものなんだが」
 興味はなかったが、音原が背中を叩いて急かせるので画面を覗き込んだ。
「どうだ? こういうの、好みなんじゃないのか。この清楚な雰囲気、男の永遠の憧れだろ」
 肩を叩く音原の横で佐藤は息をのんだ。顔を画面に近づける。他人の空似かと思ったが間違いない。二年二組の櫻井愛美だ。
「学校の同級生だ」
「はあ、本当か?」
「間違いないよ」
「この子、攫われちまったのか」
「いや……」
 たしか学校に来ていた。今日も顔を見たような気がするが、クラスが違うのではっきりとは覚えていない。しかし、昨日、廊下で会ったのははっきりと覚えている。あの桐生美里と話し込んでいた。
「しかし、こんなにあそこおっぴろげた写真晒されてんだ。普通に学校に通ってるなんてこと、あんのかよ」
 彼女の全裸姿と、まだ処女膜の残っている性器の拡大写真。あの櫻井愛美が普通に生活していてこんな写真を撮らせるはずがない。
 桐生美里……。
 そう言えばあの女、最近やけに櫻井愛美と一緒にいる。さっき見ていた桐生の盗撮画像にも、櫻井愛美が写っていたような気がする。桐生は覚せい剤を持っている。それを使って櫻井愛美を手懐けている可能性は高い。
「まさか……」
「どうした?」
 佐藤の呟きを聞いた音原が怪訝な表情を向けた。
「桐生の奴、櫻井を売りとばすつもりなんだ」
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