バージン・クライシス

アーケロン

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 昼休み。運動場でサッカーに興じる下級生の甲高い声が、二日酔いの頭に響いてくる。机に突っ伏していると、息がやたら酒臭いのがよくわかる。先生にばれると面倒なことになってしまう。
「調子はどうだい?」
 空いている前の席に真司が座った。
「絶好調だよ」
 顔を上げてそう応えると、再び机の上に再び突っ伏した。
「お前、櫻井に何をしたんだ?」
 真司の質問を不審に思ってまた顔を上げたが、すぐに面倒になって視線を逸らせた。
「ホテルに誘ってぶち込んでやったよ」
「真面目に答えろよ」
 真司の言葉が、いつに無く真剣だった。
「何かあったのか?」
「さっき、玲から訊いたんだけど、櫻井の奴、今週になって少し様子がおかしいらしい。美術部の方もサボってるみたいだし、毎日酒を飲んで帰ってくるんだとよ」
 恭平が驚いて上体を起こした。
「酒? あの櫻井がか? ありえねえだろ」
「でも、ルームメイトの滝井から聞いたって言ってたぞ」
「第一、櫻井って酒飲めねえじゃねえか。あいつ、去年の女子寮のクリパで、紙コップに半分のシャンペン飲んだだけでぶっ倒れたんだろ?」
「でも、事実らしい。それとよ、最近、えらく仲が良いんだとよ、あの桐生美里と」
 真司が眉を顰めながら囁いた。顔の筋肉に緊張が走る。
「玲が不思議がっていたよ。桐生とは今までまったく接点がなかったのにって。櫻井も、どうして桐生と仲良くなったのか、話そうとしないらしい」
 真司が険しい視線を向けてきた。
「桐生、櫻井にちょっかい出してるんじゃないのか。あいつ、やばいことやってるんだろ。お前、ちょっと様子探ってみろよ」
 恭平は胸に嫌な圧迫感を感じた。


 午後の授業が始まっても、身体に虫が這っているような不快感が無くならなかった。身体が震えてきて、椅子にじっと座っているのが苦痛だった。
 授業が終わるまで持ちこたえられるだろうか。授業が始まる前に玲に保健室に行くように言われたが、そうすればよかった。
 愛美は額を流れる汗を拭おうともせず、今にも爆発して走り出したくなる身体を、挫けそうになりながらも磨り減った精神力で必死で抑えていた。
 次々とイライラ感が襲ってきて、それが時折耐えがたい苦痛となって体中を駆け回った。心臓は高まり、叫びだしたくなる衝動に駆られる。
 頭の中は美里のことでいっぱいだった。美里に抱かれたときのあの快感を思い起こし、時折襲ってくる不快感を耐え忍んだ。
 早く美里に逢いたい。
 あの白い指で身体の中をかき回して欲しい。
 少しでも早く、あの快楽を与えて欲しい。
 さっきの休み時間、必死に探したが、教室にも図書室にも美里の姿はなかった。泣きそうになりながら校舎中を探し回ったのに、結局彼女を見つけることができなかった。
 美里が抱いてくれれば、この不快感もあっという間に消え去って、凄く気持ちよくなれるのに。
 愛美はぎゅっと両腿を閉じた。身体の中から染み出してくる粘液がショーツに滲みこんでいくのを感じたが、そんなことに構っている余裕など無かった。
 長かった授業がようやく終わった。愛美は教室を飛び出し、美里のいる隣の一組の教室に急いだ。教室を覗くと、美里が席に座っていた。逸る気持ちを抑えて、愛美が美里に近寄っていった。
「美里」
 愛美が声をかけると、美里が振り向いた。
「ちょっと、一緒に来て……」
 愛美は美里の腕をつかんで教室から連れ出し、誰もいない音楽室に連れていった。
「どうしたの、こんなところに」
 不思議そうな顔をする美里に愛美が抱きついた。美里はふっと笑って愛美の長い髪をそっと撫でた。
「抱いて欲しいの?」
 どこか勝ち誇ったような美里の言葉に、愛美は必死で首を縦に振って応えた。
「今から女子更衣室で……だめかな?」
 愛美が懇願するような目で美里を見た。そして、下腹部を美里の身体に押し付けた。
「授業が終わるまで待って」
「もう、我慢できないよぉ……」
 愛美は目に涙を浮かべて必死で訴えた。
「ダメよ」
 美里が冷たく突き放した。
「ここは学校よ。授業が終わったら私の部屋で抱いてあげるから、それまで我慢しなさい。あと一時間の辛抱だから」
 美里の強い口調に愛美は諦めて密着させた身体を美里から離した。額から流れ出る汗を美里がハンカチで拭った。
「は、早く授業終わらないかなぁ……」
 愛美は震える声で吐き出すように言った。引きつった顔に作り笑いを浮かべていたが、目に溜まっていた涙がまた流れ落ちた。


 終業のベルがなり、教室から生徒が吐き出されるように出て行く。恭平は愛美の様子を見るため、ホームルームが終わると急いで教室を飛び出した。廊下の先に愛美の背中を見つけた。
「櫻井」
 恭平が背中から愛美に声をかけた。振り向いた愛美を見て、恭平は息をのんだ。
 いつもは額にうっすら汗が浮いただけでハンカチで押さえるように拭うのに、目の前の愛美は顔中汗びっしょりで、顎を伝う汗に気を止めようともしない。
 愛美は目を細め、恭平を眩しそうに見た。
「な、なに、鵜飼君?」
 いつものはにかんだ様な物言いではない。気だるく面倒そうに、早く解放してくれといった投げやりな言葉だった。
「お、お前……だ、大丈夫か?」
 その言葉を吐き出すのがやっとだった。
「別に……大丈夫よ。じゃあ、急いでるから……」
 そういい残すと、愛美は背中を向けて急ぎ足で立ち去っていった。恭平は幻を見るような呆然とした眼差しを愛美に向け、その場に立ち尽くした。
 あの眩しそうな目つき。瞳孔が開ききっている証拠だった。
「あいつ……シャブを食ってやがる……」


 玄関のドアを開けると、中から父親の怒鳴り声が聞こえてきた。今日はずいぶん早い帰宅だ。リビングに向かうと、父親が怒り狂いながら、テーブルの上に山のように積まれた古新聞や菓子の箱や弁当の空容器を床に払い落としていた。
「どうして掃除ができないんだ! 働いていないのなら家事くらいちゃんとしろ!」
 家事をしない母に、父がついに切れたようだ。
「本当に散らかっているわねぇ」と他人事のように言う母親の言葉が、父の怒りに油を注いでいる。
 佐藤はその場から離れて自分の部屋に逃げ込んだ。あの場にいると、火の粉がこちらに飛んでくるのは明らかだった。
 学生鞄を床に放り出し、ヘッドフォンをつけてベッドに横になる。早くこんな家から出て行きたい。そして一人で生きていきたい。でも、生活をするには金が必要だ。稼げるだけ稼いで、こんな家とはおさらばしてやる。
 身体を起こすと、机の上に置いた携帯が光っているのに気付いた。ヘッドフォンをしていたので気が付かなかったのだ。慌てて手にとって耳に当てる。
「ヤクザから金が入った。ひとり百万だぜ」
 音原の声が、今日はやけに澄んでいる。女子大生の部屋に侵入して盗撮した件だ。依頼主はやはりヤクザだったのか。あの金持ち相手にこの何倍もの金をむしり取る気なのだろう。でも、百万は助かる。早く金を貯めてこの家を出たいと思っていたところだ。
「今夜、渡しにいくから、近くまで出て来いよ」
「今度会うときでいいよ」
「それが、俺にはあまり時間がないかもしれない。盗撮動画の販売業者が捕まったんだ」
 馴染みの業者の顔が頭に浮かんだが、音原の言葉を聞いても佐藤は特に驚かなかった。来るべきときがきたという感じだった。
「この商売も終わりだ」
「そうだね」
「お前は大丈夫だ。だが、俺のことはばれるかもしれない。他にもあの連中とは一緒にいろいろやってきたからな」
「そうか」
「お前ともお別れだ。楽しかったぜ」
「これからどうするの?」
「そうだな。東京のほうにでも逃げるか」
「お金はあるの? 逃亡生活には金がかかるよ」
「今まで贅沢三昧に暮らしてたんだ。手に入る金は全部使っちまうのが俺の主義だったからな」
「一緒に逃げよう。僕も家を出たい」
「お前はやめとけ。時間はあるんだ。金を溜めるだけ溜めて学校も卒業して、じっくり好機をうかがって慎重に行動すりゃいいんだ」
 慎重に行動とは、音原らしくない言葉だ。でも、この男はこの男なりに気を使ってくれているのだろう。
「じゃあ、最後にでかい仕事をしよう」
「人身売買組織の解明かい? マスコミに売るにはまだ情報不足だ」
「バージンをかっさらうんだ」
「バージン?」
「三千万円のバージンだよ」
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