【完結】泥中の蓮

七咲陸

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3章

渡る世間に鬼はなし

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「えええ、またノアを怒らせたの?グウェンは本当にノアに関してはポンコツだね」


俺は非番だが、なんとなく屋敷には居づらくなり、どんよりと雲を背負って元婚約者の家に上がり込んだ。

レイは執務中で、机に向かったままだが、俺の話を聞いて呆れた様な声を出す。


「おい、レイ……本気で落ち込んでるんだ、やめてやれよ」


その執務を手伝いながらルークがレイを宥める。レイはふんっと言って続ける。


「あのね。ノアが怒ってんのに、僕が味方するわけないでしょ」
「いや…まぁ、そうだな……」
「だいたいどうして怒ったか分かってんの?」


レイにズカズカと遠慮ない言葉を浴びせられると、少しだけ気が楽になる。俺は昨日自分が言った言葉を心の中で反芻して考える。

ノアは連日辛そうだった。アイリスとスイレンからも報告は受けていて、正直無理するくらいなら辞めればいいと思っていた。

そもそも公爵夫人になったからと言って、ノアをあまり表舞台に立たせるつもりはなかったし、最低限でいいと思っていたからだ。

けれど、頑張りすぎているノアを見て、辞めた方がいいと思った。あんなオーバーワークはいつか身体を壊す。


「…いや、俺は疲れてるなら辞めればいいと思っただけなんだ…」
「うわ……全然わかってないじゃん。言ってて分かってる?それノアの気持ちじゃなくて自分の考えだって」


レイに鋭く指摘されて、ノアの気持ちを考えていなかったことを思い知らされ、更に落ち込んだ。


「お、おいレイ。もう少しオブラートに包んで……」
「はぁ?この朴念仁がオブラートに包んで分かると思う?!」


ルークが更に宥めようとするも、レイは更に熱くなった。この双子は、お互いのことになると途端に他人に冷たくなる。それはノアのルークへの態度でよく分かっていた。


「い、いいんだルーク…ちゃんと言ってもらった方が分かる」
「はぁ……もうしっかりしてよ、グウェン」


またしても呆れられてしまった。書類を見る手を止めて、レイは続ける。


「まず、夫人のレッスンを続ける理由は、公爵夫人として何も分からない自分が不甲斐ないと思ってるから」
「いや、そんな」
「そんなことないって? 失敗して学ぶこともあると思うよ。でもそれで1番傷つくのは自分自身だ。今夫人が元気なうちに学んでおけば、失敗したとしても傷は浅く済むし、自分で挽回することだってできる」


公爵夫人としてやるべき事は多い。領地の運営は当主の仕事だが、小さな些事や屋敷内部のこと、パーティーを行う時の管理などあるだろう。


「教室のことは人脈作りだよ。王女って後ろ盾が出来たんだ、活用しない手はない。しかもそれが先生として派遣されてるなら尚更だよ。刺繍をしている間はどうやったって目立つから王女の次に中心になり得る」
「あーだから無理して行ってんのか」
「元々引きこもりには友人なんて居ないんだから、いざと言う時に頼れる人脈作りだよ。僕だって無理してでも行くね」


王女の他には公爵家侯爵家、伯爵家など、色んなご令嬢が来ると言っていた。刺繍をタダ同然で教えて恩を少しでも売っておくという打算が含まれていた。


「学園のことだって、宰相閣下に恩を売りたいからだよ。国のブレーンに恩が売れるなんて本来だったらノアの立場じゃ有り得ないんだから」


言われれば、普通の女性だったら有り得ないくらい精力的に活動している。それもこれも、自分の地位を確立する為だった。


「大体ねぇ」


レイが可愛らしい顔を更に呆れたような怒っているような形に歪ませて続ける。


「もうグウェンが居なくたって、ノアは生活できると思わないの?」
「え」
「そもそも刺繍作家としては成功してる。刺繍を買ってくれるのなんて貴族以外ありえない。しかもソフィア王女は収集してるレベルで買ってくれてる。もうノアはグウェンと離縁したって普通に暮らせるんだよ」


俺にクリーンヒットした。まさか離縁しても平気だと言われるとは思っていなかった。俺は全力で暗い顔をして落ち込んだ。


「だから本来ならそんなに頑張らなくても良いんだよ」
「……」
「けどさ、ノアは王女がまだ操られてる時に言ってた言葉を気にしてるんだよ」


後から聞いたのは、王女は、子爵家と公爵家では釣り合いが取れない、刺繍を趣味以上にしている卑しい人間だと言ったと聞いた。

どれも俺にとったらそんなこと気にしなくていいと一蹴出来るものだが、ノアにとってはそうではなかった。


「今の王女はそんなこと思ってないだろう」
「うん、でもさ、それがノアの貴族社会での評価だ」


魔法を使えないノアは肩身が狭い。貴族は多かれ少なかれ、魔力を持っている。魔力がゼロというのは前代未聞だ。

貴族としてはやっていけない、そう思って1度は家を出ていた。そして自分の特技でこの世界を渡っていこうと刺繍をしていた。


「その評価を少しでも覆すには並々ならぬ努力が必要だよ」
「だから、無理してると?」
「そうだよ。はぁ……グウェンはそれをぜーんぶ踏み潰したの!分かる?一つ一つブチブチ踏み抜いたの!」


ぐ、と言葉が詰まった。ここまで言われないと分からない自分を恥じた。俺がやった事は、ノアに言ってはならないことを浴びせ、怒らせてしまった。

レイはまた呆れたような顔から、少しだけ優しい顔をして言う。


「ま、ちゃんと話し合うしかないね。ノアもちゃんと理由を言わなかったのが悪いし、お互い様じゃない?」
「ノアは思い込んだら一直線だからなぁ、綺麗な顔してやる事なす事男前だよなぁ」
「それがノアの良い所じゃん?」
「……ありがとう、ちゃんと話し合ってみる」


2人の軽口に少し救われながら、俺はノアと話し合う決意をする。ノアがまだ怒っていようとも、ちゃんと謝罪が必要だ。話し合って、ちゃんとノアの意見を尊重したい。

俺は2人に再度礼を言って子爵家を出た。






「なーんで、分かんないかな。ノアが無理してるのって、結局のところ全部グウェンの為なのに」


休憩中、レイは菓子を頬張りながら呟く。俺は隣にレイのための紅茶を置いた。

公爵夫人のレッスンを受けているのは、グウェンの横に立ち続けるため。刺繍教室は、人脈を広げ続けていれば、グウェンに何かあった時に直ぐに対応できるようになるかもしれない。宰相閣下への恩を売っているのも、グウェンが困った時にいつか恩を返してもらえるかもしれない。


「それ、言ってあげれば良かっただろ?」
「やだよ。元婚約者に頼ってくる奴に喜ばれる言葉かけなんて」


レイは自分を棚に上げているのは覚えているのだろうか、なんて少し思ったが、それは口にしなかった。












俺は昨日の怒りをそのままに、刺繍教室に来た。王女は俺の様子を見て、あらあらとちっとも困ってなさそうに困ったわ、とポーズを取っていた。


「グウェン様と喧嘩なさったの?」
「俺のこの数週間の努力を全部必要ない扱いされたら、ムカつかないわけないですよね!」


はしたなくも、机をバンッと叩きながら叫んだ。


「あらノア様、そんな怖い顔してたら綺麗なお顔が歪んだまま固まってしまいますわ」
「そうですわよ、ささ、お菓子でもお食べになって落ち着いてくださいな」


王女やご令嬢達に囲まれて、ささくれだった気持ちがほんの少しだけ和らぐ。進められたお菓子を口にしながら、収まりきらない怒りをお菓子に注いだ。


「ふふ、冷静で騎士団最強の漆黒の騎士と名高いグウェン様もノア様が関わるとただの男に成り下がるんですのね」


なんだその2つ名は。グウェンが自分から言い出さないあたり、恥ずかしいんだろうな、と考えた。


「ノア様もお忙しいでしょうけども、グウェン様もお忙しいと思いますわよ?」


ご令嬢の言葉に、忙しいのは知ってるけど、と言い訳をしそうになったが、ぶっちゃけ何が忙しいのか聞いたことがなかったなと思う。

俺が複雑な顔をしていると、ご令嬢は続ける。


「だって、公爵当主となれば、領地も広大で管理するのには相当苦労しますわ」

「領民の意見だって聞いたり、領民で流行病があったり農作物の不作があれば対応しなくてはなりませんしね。」

「それに今の公爵当主様が引退なさるということは、全騎士団の統括も引退なさりますわよね?それをきっとグウェン様は引き継いでおりますでしょうし、第1騎士団の次の団長への引き継ぎだってありますわ」

「その上今まで通り、討伐も演習もこなすんですのよ?」

「仕事も討伐も全てにおいて完璧だと騎士団員の弟が言ってましたわ」

「グウェン様が完璧だと、言われ続けているということは、文字通り完璧にこなしているからお忙しいでしょうね」


ご令嬢方から言われた言葉に、俺はお菓子をはしたなく、ポロッと零した。考えただけでめちゃくちゃ忙しそうである。レイだって忙しそうにしていたが、子爵家と公爵家の領地では天と地の差だ。


「ふふ、ノア様。喧嘩両成敗という言葉がございましてよ」


王女にそう言われ、俺はさっきまでの怒りはどこへやらだ。

だいたい、グウェンは本気で俺の身体を心配している口ぶりだった。グウェンだって忙しいのに、俺は、俺だけが忙しいと言わんばかりにメイドに世話され、悠々と過ごしていたではないか。 

そんな風に過ごせるのも、グウェンがメイドを雇ってくれているからで、俺を労わるように2人に仕事をさせているからだ。


「グウェン様も、構って貰えなくてきっと寂しかったんですわ」
「ささ、ノア様は本日これで終了ですわ」
「そうそう、早く帰って差し上げなくては」
「グウェン様はきっとお家で1人寂しくお待ちしていますわよ」


まだ来たばかりだというのに、ご令嬢方にグイグイと扉の方に背中を押される。


「で、ですが……」
「ふふ、夫婦喧嘩は犬も食いませんことよ。ちゃんと話し合えば、分かり合えますわ」
「ソフィア殿下……すみません、今日はこれで帰ります」
「ファイトですわ、ノア様」
「頑張ってくださいな!」
「ノア様なら大丈夫ですわ」


女性陣に応援されながら、俺は教室を後にした。
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