まどろむ宝石、もの言う鏡

くさなぎ秋良

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無防備なアクアマリン

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 アクアマリンは透き通った淡い水色の緑柱石です。緑柱石といえばエメラルドのことだと思っていましたが、鉄を含むことによって色と宝石名が変わるのだそうです。『海の水』という名がぴったりの美しい色です。

 もう7年ほど前のこと。北海道の実家にオッドアイのメス猫が顔を出していたことがありました。白の多い三毛猫で、とても美しい顔立ち。おまけに右目が琥珀で左目がアクアマリンのような神秘的な色なのです。

 私は里帰りするたびにこの猫に会うのを楽しみにしていました。両親は野良猫に名前をつけることはしません。でもなんとなく私は心の中で勝手に『アレク』と呼ぶことにしていました。オッドアイだったアレクサンドロス大王にちなんだのです。

 そんなある日、母がアレクにキャットフードをあげているのです。

「あんまり野良猫に無責任にあげないほうがいいんじゃないの。保護するの?」とたずねると、母は渋い顔をしました。

「そうなんだけどねぇ。あの子、妊娠しているみたいなのよね。大人の猫はすばしっこくて捕まえるのは難しいけど、少しは懐いてくれればさ、子猫と一緒に保護できるかもしれないから」

 アレクはキャットフードをもらうまで、窓のそばでずっと待っています。そして目の前にキャットフードが出てくると、こちらに向かって唸りながらわしわしと急いで頬張ります。飲み込むたびに顔を上げ、宝石のような目で呪いをかけんばかりに睨みつけ、そしてまたがっつくのです。

「まぁ、こんなに目の前でご飯食べておきながら唸るなんて、警戒しているのか気を許しているのかわからないね」と、母は呆れていました。

 それからほどなくして、庭や窓のそばに可愛らしい子猫を従え、母になったアレクがやってきました。心なしか、あの美しい顔にも慈愛のようなものが。ガラス越しに目が合うと、宝石の目がこちらをじっと見つめてきます。けれど窓を開けると低く唸る。なのに逃げない。

「なんだい、うちの子になりたいのかい、なりたくないのかい?」そう問いかけても、知らん顔。

 三毛猫好きの母はこの猫が気に入っていたようですが、結局子猫ともども保護に失敗したようです。今ではどうしているのやら。

 よく「あの子にはこの世界がどう見えているのかな」と考えていたものです。色が違うということは眩しさの加減も違うかもしれない。ということは色も違って見えるのかも。

 現在、我が家には水色の目をした猫はいません。そのかわり、猫に関する物で毎日、目にしている水色があります。

 それは『おしっこボール』と呼ぶ猫砂の塊。我が家で愛用している猫砂は尿を吸収すると青くなって固まるのです。こんなことを言うとアレクに叱られそうですが、この水色がアレクの目の色を思い出させます。

 トイレには実に個性が出ます。几帳面な姫はこれでもかというくらい山盛りに砂をかけます。小町は隠すのが下手なので、周囲に砂が飛び散りまくり。天は上手に隠すけれど、がさつすぎてやっぱり砂が星屑のように散らかります。そして凪はなんと隠しません。あなたは猫の本能をどこに忘れてきたのかと問いただしたいくらい、堂々と置かれたままのおしっこボール。隠そうとする仕草をしても、のろのろとやる気のないフォームで全然砂をかいていない有様。

 昔、何かで『排泄物を隠さない猫は自分が一番強いと思っている』という記事を読んだことがあります。これを知ったとき、凪の顔が浮かんでなるほどと納得したものです。

 猫がトイレで踏ん張っている姿は実に愛おしいものです。なぜなら、それが家族にしか見せない無防備な姿だからだと思っているから。猫がトイレで用をたす姿をご覧になったことがあるでしょうか。砂の中で目を閉じて腰を下ろしていたり、縁に立って踏ん張っていたり、とにかく無防備なのです。だからこそ、可愛い。

 そして同時に決して触ってはいけない瞬間なのです。健康のために大事でデリケートなトイレの瞬間、猫は何者にも干渉されない最強の存在になります。誰も猫の邪魔をできないのです。

 猫のトイレが無防備なのに誰にも屈することのない時間なのだと気付くと、アレクがご飯を食べる姿を思い出します。アレクはご飯に対して無防備であり、けれど何人たりとも彼女を捕獲することはできなかった。弱さと強さを同時に抱えているような矛盾。

 でも命ってそういう矛盾を孕むものですよね。赤ん坊だって誰かに世話をしてもらわなければ生きていけない最弱の存在でありながら、誰も抗うことのできない最強の存在でもあるんですから。

 だから私は猫にしろ人にしろ、無防備な姿をさらしてくれることに喜びを感じます。それは私がその無防備に触れることを許された最高の存在だということ意味しているからです。アクアマリンを山ほどもらうよりもありがたいじゃありませんか。相手が猫なら特に、ね。

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