無窮の騎士

KEC

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プロローグ

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 疲弊した兵士が、ガチガチと噛み合わない歯をならしながら緊張で凝り固まった腕で全身を抱き抱えている。
 周りの仲間たちは誰もがその様子を居た堪れないと思いつつ、自分も似たようなものだと気づいてしまう。
 我が身を守る盾が鎧が兜が、手にする剣や槍などの武器がひどく脆弱に見えてしまい、全身に不安がのしかかる。
 周囲には薙ぎ払われた木々が散乱し、広大な森は見る影もないほど荒廃していた。

「しっ!近くだ……」

 人の手が入っていない自然のままの森はいたるところに窪んだ場所ができていた。そこに偶然にも倒れた木々に覆われたことで死角が生まれ、皆がそこに隠れ息を潜める中、地震ではない揺れが徐々に大きくなっていく。
 誰かの喉が鳴った。

「く、来る」

 木々の隙間から何かの足が見え、徐々に全体が見えてくる。
 四足歩行で、鱗のような外皮に包まれた恐竜に似た姿だ。
 瞳は赤黒く、歯は鋭利に尖り獲物を仕留めることのみに特化しているように見える。
 こぼれ落ちる唾液は草花を溶かし、大地を汚染していた。
 奴らに決まった姿はない。一夜にして生まれ様々な姿で暴れ回る化物、名前はモルブスと呼ばれている。

「物音を立てるなよ。俺たちは生き残って本部に情報を届けなきゃいけないんだ」

「隊長……もし見つかったら」
 
「死ぬだけだ」

 死にたくない。生への執着は彼らにより強い不安を募らせた。
 街一つ破壊し、大勢の人々を蹂躙しただけでなく自然環境をも破壊し尽くしてきたモルブスに国が討伐の指示を出すのは当然であった。
 問題があったとすれば、その強さだ。一個中隊で挑んだ戦闘は瞬く間に死傷者を増やしていった。
 爪に切り裂かれる。
 足で踏み潰される。
 牙で喰い千切られる。
 見るも無惨な姿へと変わり果てていく仲間を前にして戦意喪失する兵士も出てきたが、それでモルブスが攻撃の手を緩めるわけもない。
 炎や冷気のブレスを吐いたかと思うと周囲に広がる衝撃波を放ち、ますます被害は拡大していった。
 こちらの攻撃は武器も魔術も何一つ効果はなかった。純粋に威力が足りなかったのもあるが、尋常ではない回復力が全ての攻撃の成果を無に帰してしまったのだ。
 そしてまた一人、また一人と被害は増えていく。
 結果、残ったのはここに隠れている十数名だけ。小隊長が一人、あとは末端の兵士のみであった。
 すぐにでも撤退したいと願いつつも、想像以上の体力の消耗がそれを許さない。
 濃厚な死の匂いが常に纏わり付き、モルブスが近づく程に濃ゆく重苦しくなっていく。
 それは兵士達の正常な判断を奪うには充分すぎる恐怖であった。

「うわあああああああああ!!!」

「何っ!?」

 誰か、などはどうでも良いことだ。一人の兵士が我を忘れモルブスの前に飛び出した。跳躍し頭上から剣を振りかぶる。
 隠れてやり過ごさなければいけないこの状況での愚行を、仲間たちは止める暇などなかった。
 隣にいた小隊長のみ行動に移したが、制止しようと伸ばした手が虚しくも空を切る。
 その視線の先ではモルブスが虫でも払うかのようにブレスを放ち、その灼熱の炎に焼き払われる彼の姿を兵士全員が顔を歪ませながら見ていた。
 そう、見ていることしかできなかったのだ。

「そんな……馬鹿野郎」

 原型は留めていない。ドロドロに溶けた肉が、所々に見える無骨な骨が、もう手遅れなのだと訴えてくる。
 それなのに、まだ生きようともがいているかのように体が痙攣していた。
 追い討ちをかけるように頭上から降り注がれる酸性の唾液。もはや肉塊でしかない彼は煙を立ち昇らせながらこの世から姿を消してしまった。
 同時にモルブスの大きく血走ったような目が残った兵士達に向けられる。隠れていた場所は、ブレスの余波で木々が燃え露出していた。

「……来るぞ」

 感情を押し殺した小隊長の一言で皆が武器を手に臨戦態勢へ移行した。
 恐怖は拭えない。だが、抗わなければただ殺されるだけなのは誰もが理解できた。一人飛び出した仲間への追悼はできそうもない。

「キョウ、お前は撤退だ。全ての情報を本部に届けろ」

「私……ですか?」

 生き残った中で最も小柄な兵士へそう告げる小隊長。
 現状を打破する方法などありはしない。一個中隊を壊滅させる相手をたった十数人で相手取るなど不可能だ。
 取れる手段は一つしかなかった。
 それは一人、たった一人で良いので撤退を成功させることだ。
 全員で攻撃ではなく防御に力を注げば少しの時間は持ち堪えられる、そんな甘い考えを前提としての選択だった。
 当然追撃で全滅する可能性は非常に高く、むしろ全滅するだろう確信がある。
 それでもやるしかない。国を守るため、次に繋げるため成功させるしか道はないのだ。
 ほんの少しの思考も許されない状況で瞬時に結論付けた小隊長は背水の陣を前にして小柄な兵士、キョウへ笑いかけた。

「そうだ。ここでは奴に電波を妨害されて通信魔道具は使えない。俺たちの中に魔術に精通した者もいない。この意味はわかるな?」

「……はい」

「お前は体力はないが、最も素早い。奴の射程範囲から抜け出せる可能性があるのはお前だけだ。頼む、俺たちのためにも行ってくれ」

「……わかりました。必ず本部へ伝えます!」

 キョウは一瞬戸惑うも、すぐに胸に手をあて敬礼、仲間を見渡すと撤退を開始した。
 多量の土煙をあげる程の脚力は凄まじく、全身を鎧で着込んでいるとは思えない程の速度だ。
 だが、それを見逃すモルブスではなかった。開いた口の中から紫の光が見え隠れして、何かを放とうとしている。

「あれは!?狙いはキョウか!」

「俺が行きます!」

 生き残りで一番の巨体である兵士は、モルブスへ向けて飛び上がり、前方に盾を構えて向かい合った。

「うおおおおおお!」

 巨大化する盾。魔力を通し高硬度の鉄壁と変貌させたのだ。
 だが、モルブスから放たれる光線には通じなかった。ブレスとは違い凄まじい速度と、そして貫通力。
 討伐初期に幾度も放たれ、その脅威は十二分に理解していたが対処のしようがなかった。
 兵士の腹には風穴が空き、臓器全てが消滅しているのが誰の目にも明らかだ。力無く落下する姿を尻目に小隊長以下全ての兵士は総攻撃に出た。

「これより先は死しかない!仲間の、友の屍を超えていけ!」

 怒声のような号令と、それに呼応する兵士達。ここを死地と定めた彼らと対照的にキョウは生き残るためにただ走っていた。
 先程横を通り過ぎていった光線を前に早くも死が過ったが、僅かに頬を掠めただけで済んだ。
 大地を抉り取っていくその威力に背筋が凍る。咄嗟に後ろを振り向くと、光線の延長線上に今まさに落下している仲間が見えた。
 何度も見たことがある鉄壁の盾、防ぐのではなく視界を奪ってくれたのだとすぐに気付く。わずかな発射位置のずれが生死を分けたのだ。
 生かされた。助けられた。その事実を胸に抱き再び走り出すがどうしても視界が濡れて歪んでしまう。
 兜を脱ぎ捨て長い髪を揺らしながら走る。
 鎧を脱ぎ捨て女性特有の膨らみを今だけは邪魔だと疎ましく思いながら更に走る。
 涙が止まらない。本当は死ぬ未来しかないとわかっていても皆と共に戦いたかった。
 だが、小隊長の死を覚悟した笑顔を見せられては断れない。
 今死ぬわけにはいけない。女性の兵士が冷遇される中、才能を見出してくれた小隊長の最後の願い。それを果たす為にもただ走り続けた。
 体内を巡る魔力が枯渇しかけ、身体強化魔術の維持が難しくなってきても走った。
 走って走って走り抜いて、気がつけば視界は大空を映し出していた。
 倒れ込んでいるのを大勢の人が囲んでいる。

「おい、あんた大丈夫か!?」

 ここがどこなのかは理解できない。だが、声をかけてきた男性の姿はどう見ても一般人。周りは店や民家が並んでいる。
 モルブスとの戦場付近に街などない。つまり、遠く離れた地まで逃げてきたことになる。

「この街の名前は!?いえ、それよりも軍に伝えたいことがあります!お願いします、私を駐屯所に連れて行ってください」

「それは良いけどあんたその怪我——」

「私のことは良いから早く!」

「……わかった」

 髪は乱れ、服もボロボロ。兵士である証明を何一つ身につけていなかったキョウであったが、あまりの剣幕に男性は他の住人と共に肩を貸し、軍の元へ向かった。
 疲れからか身体がうまく動かない。休息を必要とし、瞼が鉛のように重い。
 それでもキョウは歩みを止めない。
 モルブスの強さ、戦術を伝えるまでは倒れるわけにはいかなかった。
 ただごとではないことが起こっている。住人にそう感じさせるには十分な出来事だ。
 しかしこの世界、ファンタズマゴリアでは遥か昔から生きとし生きる全ての命とモルブスとの生存競争が繰り広げられてきた。
 これは、広大な世界の一つの大陸の一つの国の中で起こった出来事でしかない。
 ファンタズマゴリアは、今尚破壊を求める病魔に侵され続けている。
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