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第一章
第一話〜旅立ちの騎士〜
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「何卒、何卒騎士団の派遣をお願い致します!」
身なりの良い男性は座っていた椅子から立ち上がると、頭を床に擦り付けるように土下座した。新調されたばかりの回転椅子が虚しく回っている。執務室の外にまで響くような声量、そして態度から懇願していることが見て取れた。
「どうか顔を上げてください」
対して部屋の主は、包み込んでくれるような安心させる穏やかな声で語りかける。
白く気品ある鎧を身につけた、頼りなく感じられるほどの優男。銀髪の前髪はきっちり切り揃えられどこかの国の御曹司にも見える。
およそ争い事とは無縁そうでありながら、若くして国の武力を統括する騎士団長に就くアイギスは、動こうとしない男性へ次の言葉を口にする。
「話を伺うかぎりもはや一刻の猶予もない。陛下からも迅速な対応を仰せつかっています。すぐに部隊を向かわせますので、ご安心ください」
驚愕、歓喜、懐疑
土下座から勢いよく顔を上げた男性の顔にはそれらの感情が入り混じっていた。
だが、アイギスの自信に溢れた雰囲気が彼の不安を取り除き、残ったのは自国が助かることへの安堵だけだった。
「馬を用意させます。急いで国へ知らせてください。もう心配はいらない、と」
「お……おぉ!ありがとうございます!」
男性は憑き物が落ちたかのような晴れやかな顔をしていた。
アイギスは後ろで控えていた副官へ馬の準備とその場所への案内を指示する。
「騎士団長殿、突然の訪問にも関わらずの寛大な対応、誠にありがとうございます。この礼は国が落ち着きしだい必ずさせていただきます」
「ゆっくりで良いですので、無理だけはされないでくださいね」
「気をつけましょう」
副官に連れられ男性が執務室を退室すると、用意していたアイスコーヒーの氷が溶ける音が鳴る。
慌てふためいていたのだろう、一切手がつけられていない。
それなりに高い位置にある執務室は窓を開ければ風が暑さを和らげてくれるものの、外から聞こえる蝉の鳴き声が暑さを増長させ実務を妨げる。
それでも仕事はしなくてはいけない。
机の上に積まれた書類の束が、無言の圧をかけてくるが、まずは騎士団の派遣についてだ。
団長だからといって自由に部隊を動かせるわけではない。急ぎ一枚の書類にペンを走らせはじめた。トップだからこそ書類の大切さは重々承知している。
「少しは休んだらどうだ」
アイギスの後ろからかけられる心配の声。そこには窓枠に腰をかけ、多くの人々が行き交う街並みを眺めている青年が誰にも気付かれることなく佇んでいた。
「これが終わったらね」
いつものことと言わんばかりに、動揺することなく実務を続けるアイギス。
また窓から入ってきて、という言葉は呟くだけに留められた。
「アヤトもそんなところにいないで中で休憩したらどうだい?」
「そうさせてもらうかね」
アヤトと呼ばれた青年は素直に窓枠から室内へ入り、あくびを一つする。
アイギスと違い鎧ではなく、ラフな格好に黒いコートを羽織った今時の若者といった雰囲気をしているが、その瞳はどこか達観しているようで芯の強さが感じられる。
テーブルの上に置かれたままのアイスコーヒーを執務室に備えられているシンクへ流し、代わりに二つの紅茶を用意し一つをアイギスへ手渡すと隅のソファーへと腰掛けた。
慣れた様子から、二人の距離の近さが見て取れる。
「何か時間つぶせるものはないか」
「これなんかどうだい?」
アイギスが投げ渡してきたのは分厚い封筒であった。
「これは……諜報か」
「うん。タイムリーな内容だよ」
「まあ確かに時間はつぶせるけど、俺が読んでいいのか?」
「まだ大丈夫だよ」
「言質はとったからな」
中身は数十枚の書類の束、それを紅茶を片手に読み込んでいくアヤトであったが、読み進めるほどに童顔とも中性的とも取れる整った顔立ちが、呆れたものへと変わっていく。
「随分とまあ……」
内容は隣国についての調査報告が記されていた。
国上層部の不正の数々。
戦争を引き起こそうとしていたこと。
そのために軍備の拡張としてドラゴンの素材を求めたこと。
そして、ドラゴンの逆鱗に触れ群れが王都へ向かっていることが昨日の日付で記されていた。
武具の素材として最高の品質を持つドラゴンだが、入手しようとすれば甚大な被害を想定しなくてはいけない。魔物の中でもトップクラスの力を持つのだから当然だろう。
たとえ弱い個体でも鍛えられた小隊が半壊することすらある。それ以上の個体が含まれる群れが押し寄せてくるなど、悪夢としか言いようがない。
「自業自得としか言えないのが悲しいな。さっきのお偉いさんは?」
「彼は宰相だよ。上層部唯一の良心だったみたいだね」
「それならあの低姿勢も納得だな。随分苦労してきたんだろ」
アヤトは書類を読み終えると、封筒に戻しテーブルの上に放り投げた。
最後のページには不正を行っていた上層部が保身のため我先にと国外へと逃げ出したと記されていたが、善政を布こうと奮闘していた宰相にとってはメリット以外のなにものでもない。
「これからあの国とは積極的に関わっていこうと思ってるんだ」
「宰相がトップに立つのを見越して恩を売っておくってとこか」
アヤトの確信をついた言葉にアイギスは返事をするわけでもなく少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺が口出しすることじゃねえけど、逃げ出した上層部が戻ってくるんじゃないか?私兵を抱えてるやつらも多いみたいだし、フォローが大変だろ」
「ああ。そのためにも精鋭を送るつもりだよ」
アイギスのペンの動きが止まる。出来上がったばかりの指令書を手に取るとちょうど窓からやってきた鳩へ括り付け、飛び立たせた。
先の宣言通りに休憩するのだろう、アヤトの淹れた紅茶を片手にアヤトの向かいのソファーへと腰をかける。
「特務隊か」
「迅速かつ確実に、さらに相手がドラゴンの群れとなると他の部隊では手に余るからね。二人行ってもらうことにしたよ」
対モルブス特殊討伐部隊、通称特務隊。
部隊の特徴として通常の治安任務は一切行わず、その全てを鍛錬に費やす六人のみで構成された究極の戦闘集団だ。
五年前。小型でも魔物とは別格の脅威となるモルブスから民を確実に守るために設立され、結果として個人個人の力量が他の部隊とは一線を画す程にまで成長したのだった。
それを証明したのが、中型モルブスの単独撃破だ。近隣の国家の中では比較的栄えたウェンディアが一個中隊で挑んだモルブスであったが、生き残ったのはたった一人。その女性兵士が応援を求め辿り着いたのはウェンディアではなかったが、その応援要請にアイギスはすぐに応じた。
もっとも、出撃したのは特務隊の一人のみ。だがそのたった一人で、ウェンディアの一個中隊を壊滅させた化け物を仕留めてしまったのだ。
これには生き残った女性兵士も唖然とするしかなかった。
「ウェンディアの件があってからあいつらも忙しくなったもんだ」
「部隊の有用性を証明できたからね。今までは他所からの圧力で派遣したくてもできなかったんだ。今後は存分にその力を示してもらわなきゃいけない」
「たまにはしっかり休ませてやれよ」
「もちろん。実は言うとその休暇が今日なんだ。六人揃ってるんだけど……彼らに挨拶は済ませたかい?誰が行ってくれるかは任せたけど、出撃まではまだ少し時間がかかるだろうしまだなら今のうちに行っておいで。教え子たちなんだ、何も言わないままってのはだめだよ」
「お節介どうも」
特務隊の特性上、他の部隊では変わりは務まらない。部隊自体を活動できない状況にするメリットもない。休暇であるはずの彼らの内二人へ任務が下されたのが良い証拠だろう。
不測な事態に対応できないのが分かりきっていて、それでも六人全員を休暇にした理由はと言えば、師弟関係であるアヤトと特務隊へのアイギスからの優しさでしかない。
「けどあいつらにも陛下にも挨拶はしてきたから安心してくれ」
「そうなのかい?いや、それはそれで良いんだけど、問題なのは陛下を差し置いて最後が私ってことだね」
「未来の英雄の首途は昔馴染みのお前に見てもらおうと思ってな」
「アヤト……わかった。私が騎士としての終わりと英雄としての始まりを目に焼き付けておくよ」
「久しぶりだな、その胡散臭い笑顔」
「立場が立場だからね」
騎士団長として政治に携わるようになってきてからのアイギスの笑顔、優しげで皆を安心させるそれがアヤトには作り笑いにしか見えなかった。
だが、今目の前にあるのは騎士団長のアイギスではなく昔馴染みのアイギスの笑顔だ。
懐かしさを感じアヤトは気怠げに瞳をゆっくり閉じ過去を思い返す。だが、アイギスとの思い出はどれだけ振り返ってもモルブスとの死闘ばかりが浮かび、一人苦笑してしまった。
「どうしたんだい?」
「いや……なんでもねえよ。ただ俺たちって戦ってばかりだなって思ったんだ」
「それはこれからも変わらないよ。私たちは道を違えてもモルブスと戦い続ける。奴らが滅びるまでね」
「そうだ。だから俺は行くんだよ」
残り少なくなった紅茶を一気に煽り、部屋へ入ってきた時と同じ窓へと向かうアヤト。
カーテンを全開にすると、一陣の風が無造作に切られた黒髪を揺らし、太陽の光が二人を分つように室内へ降り注ぐ。
同じく立ち上がったアイギスが振り返り見たアヤトの姿は後光が指しているようだった。
「正直に答えてほしい。奴らを見つけたとして勝てる見込みはどれぐらいだい?」
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
「……どうしたいんだろうね。安心したいのかな。私にもわからないけど、聞く必要のないことだったかな」
「一人で納得してんなよ、わけわかんねえよ」
「君は必ず勝つ。だろ?」
「はは、信頼が重いったらありゃしねえな」
二度と会えないかもしれないことを理解しながらも、二人の会話に悲しみの色は見て取れない。
「さて、そろそろ行くとするよ。締めを頼めるか?」
「わかった」
互いに顔を引き締め、アイギスが騎士団長として告げる。
「特殊戦技教導官、アヤト。只今を以て全ての任を解く。在任中の特務隊への教導、モルブスの殲滅、実に見事であった。これから先の貴殿の活躍を願っている。以上だ」
「承知致しました」
敬礼をする姿はアヤトらしからぬ凛とした表情と相まって実に様になっている。今この瞬間、騎士としての終わりを迎え、そしていつ終わるとも知れない旅路が始まった。
「それじゃあ、世界を見て回ってきますかね」
「いってらっしゃい。武運を祈ってるよ」
「ああ」
背中を向け、手をヒラヒラと降ると窓から軽やかに飛び立つアヤト。
音も衝撃も起こさずに地面に降り立つと、後ろを振り返ることなく市街地へと消えていく。
呆気ない別れであったがそれでよかった。互いに今生の別れのつもりなどないのだから。
まずは街を出ようと足を検問に向けるが、見慣れた街並みで顔馴染みの人々がいつもと変わらない生活を続けている景色に少しの寂しさを覚えてしまう。
これから騎士団にも街にも、そもそもが帝都に自分はいないのだと、その事実を否が応でも叩きつけられる。
それでもアヤトの歩みに迷いは見えない。心の芯に宿る決意はただ一つ。
———モルブスを殲滅する
その先の平和な世界を夢見て今確かな一歩を踏み出し——すると世界が歪み崩壊を始めた。
「……ああそうか」
同時に意識が今のものへと切り替わっていくことを自覚しつつ、後ろを振り向けば先ほど歩いてきた道が全て炎に包まれていた。城は跡形もなく破壊され、無事な場所を探す方が苦労する程だ。
現状を打開する方法などない。
行動に移すことができないことを、変えられない結末を、そして今の自分がかりそめの存在だと知っているからだ。
だからこそやるせなくて、目を逸らしたくなる。逸らしたところで崩壊していく光景に変わりはないが。
「みんな……おやすみ」
城も街も山も平野も森も何もかもが崩れ落ちていき、残るはアヤトの周辺のみとなった頃。ただ立ち尽くしていたアヤトは瞳を閉じ、それと同時に身体が崩壊を始めていく。世界の一部であるかのように、或いは背景の一部であるかのように。
身なりの良い男性は座っていた椅子から立ち上がると、頭を床に擦り付けるように土下座した。新調されたばかりの回転椅子が虚しく回っている。執務室の外にまで響くような声量、そして態度から懇願していることが見て取れた。
「どうか顔を上げてください」
対して部屋の主は、包み込んでくれるような安心させる穏やかな声で語りかける。
白く気品ある鎧を身につけた、頼りなく感じられるほどの優男。銀髪の前髪はきっちり切り揃えられどこかの国の御曹司にも見える。
およそ争い事とは無縁そうでありながら、若くして国の武力を統括する騎士団長に就くアイギスは、動こうとしない男性へ次の言葉を口にする。
「話を伺うかぎりもはや一刻の猶予もない。陛下からも迅速な対応を仰せつかっています。すぐに部隊を向かわせますので、ご安心ください」
驚愕、歓喜、懐疑
土下座から勢いよく顔を上げた男性の顔にはそれらの感情が入り混じっていた。
だが、アイギスの自信に溢れた雰囲気が彼の不安を取り除き、残ったのは自国が助かることへの安堵だけだった。
「馬を用意させます。急いで国へ知らせてください。もう心配はいらない、と」
「お……おぉ!ありがとうございます!」
男性は憑き物が落ちたかのような晴れやかな顔をしていた。
アイギスは後ろで控えていた副官へ馬の準備とその場所への案内を指示する。
「騎士団長殿、突然の訪問にも関わらずの寛大な対応、誠にありがとうございます。この礼は国が落ち着きしだい必ずさせていただきます」
「ゆっくりで良いですので、無理だけはされないでくださいね」
「気をつけましょう」
副官に連れられ男性が執務室を退室すると、用意していたアイスコーヒーの氷が溶ける音が鳴る。
慌てふためいていたのだろう、一切手がつけられていない。
それなりに高い位置にある執務室は窓を開ければ風が暑さを和らげてくれるものの、外から聞こえる蝉の鳴き声が暑さを増長させ実務を妨げる。
それでも仕事はしなくてはいけない。
机の上に積まれた書類の束が、無言の圧をかけてくるが、まずは騎士団の派遣についてだ。
団長だからといって自由に部隊を動かせるわけではない。急ぎ一枚の書類にペンを走らせはじめた。トップだからこそ書類の大切さは重々承知している。
「少しは休んだらどうだ」
アイギスの後ろからかけられる心配の声。そこには窓枠に腰をかけ、多くの人々が行き交う街並みを眺めている青年が誰にも気付かれることなく佇んでいた。
「これが終わったらね」
いつものことと言わんばかりに、動揺することなく実務を続けるアイギス。
また窓から入ってきて、という言葉は呟くだけに留められた。
「アヤトもそんなところにいないで中で休憩したらどうだい?」
「そうさせてもらうかね」
アヤトと呼ばれた青年は素直に窓枠から室内へ入り、あくびを一つする。
アイギスと違い鎧ではなく、ラフな格好に黒いコートを羽織った今時の若者といった雰囲気をしているが、その瞳はどこか達観しているようで芯の強さが感じられる。
テーブルの上に置かれたままのアイスコーヒーを執務室に備えられているシンクへ流し、代わりに二つの紅茶を用意し一つをアイギスへ手渡すと隅のソファーへと腰掛けた。
慣れた様子から、二人の距離の近さが見て取れる。
「何か時間つぶせるものはないか」
「これなんかどうだい?」
アイギスが投げ渡してきたのは分厚い封筒であった。
「これは……諜報か」
「うん。タイムリーな内容だよ」
「まあ確かに時間はつぶせるけど、俺が読んでいいのか?」
「まだ大丈夫だよ」
「言質はとったからな」
中身は数十枚の書類の束、それを紅茶を片手に読み込んでいくアヤトであったが、読み進めるほどに童顔とも中性的とも取れる整った顔立ちが、呆れたものへと変わっていく。
「随分とまあ……」
内容は隣国についての調査報告が記されていた。
国上層部の不正の数々。
戦争を引き起こそうとしていたこと。
そのために軍備の拡張としてドラゴンの素材を求めたこと。
そして、ドラゴンの逆鱗に触れ群れが王都へ向かっていることが昨日の日付で記されていた。
武具の素材として最高の品質を持つドラゴンだが、入手しようとすれば甚大な被害を想定しなくてはいけない。魔物の中でもトップクラスの力を持つのだから当然だろう。
たとえ弱い個体でも鍛えられた小隊が半壊することすらある。それ以上の個体が含まれる群れが押し寄せてくるなど、悪夢としか言いようがない。
「自業自得としか言えないのが悲しいな。さっきのお偉いさんは?」
「彼は宰相だよ。上層部唯一の良心だったみたいだね」
「それならあの低姿勢も納得だな。随分苦労してきたんだろ」
アヤトは書類を読み終えると、封筒に戻しテーブルの上に放り投げた。
最後のページには不正を行っていた上層部が保身のため我先にと国外へと逃げ出したと記されていたが、善政を布こうと奮闘していた宰相にとってはメリット以外のなにものでもない。
「これからあの国とは積極的に関わっていこうと思ってるんだ」
「宰相がトップに立つのを見越して恩を売っておくってとこか」
アヤトの確信をついた言葉にアイギスは返事をするわけでもなく少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺が口出しすることじゃねえけど、逃げ出した上層部が戻ってくるんじゃないか?私兵を抱えてるやつらも多いみたいだし、フォローが大変だろ」
「ああ。そのためにも精鋭を送るつもりだよ」
アイギスのペンの動きが止まる。出来上がったばかりの指令書を手に取るとちょうど窓からやってきた鳩へ括り付け、飛び立たせた。
先の宣言通りに休憩するのだろう、アヤトの淹れた紅茶を片手にアヤトの向かいのソファーへと腰をかける。
「特務隊か」
「迅速かつ確実に、さらに相手がドラゴンの群れとなると他の部隊では手に余るからね。二人行ってもらうことにしたよ」
対モルブス特殊討伐部隊、通称特務隊。
部隊の特徴として通常の治安任務は一切行わず、その全てを鍛錬に費やす六人のみで構成された究極の戦闘集団だ。
五年前。小型でも魔物とは別格の脅威となるモルブスから民を確実に守るために設立され、結果として個人個人の力量が他の部隊とは一線を画す程にまで成長したのだった。
それを証明したのが、中型モルブスの単独撃破だ。近隣の国家の中では比較的栄えたウェンディアが一個中隊で挑んだモルブスであったが、生き残ったのはたった一人。その女性兵士が応援を求め辿り着いたのはウェンディアではなかったが、その応援要請にアイギスはすぐに応じた。
もっとも、出撃したのは特務隊の一人のみ。だがそのたった一人で、ウェンディアの一個中隊を壊滅させた化け物を仕留めてしまったのだ。
これには生き残った女性兵士も唖然とするしかなかった。
「ウェンディアの件があってからあいつらも忙しくなったもんだ」
「部隊の有用性を証明できたからね。今までは他所からの圧力で派遣したくてもできなかったんだ。今後は存分にその力を示してもらわなきゃいけない」
「たまにはしっかり休ませてやれよ」
「もちろん。実は言うとその休暇が今日なんだ。六人揃ってるんだけど……彼らに挨拶は済ませたかい?誰が行ってくれるかは任せたけど、出撃まではまだ少し時間がかかるだろうしまだなら今のうちに行っておいで。教え子たちなんだ、何も言わないままってのはだめだよ」
「お節介どうも」
特務隊の特性上、他の部隊では変わりは務まらない。部隊自体を活動できない状況にするメリットもない。休暇であるはずの彼らの内二人へ任務が下されたのが良い証拠だろう。
不測な事態に対応できないのが分かりきっていて、それでも六人全員を休暇にした理由はと言えば、師弟関係であるアヤトと特務隊へのアイギスからの優しさでしかない。
「けどあいつらにも陛下にも挨拶はしてきたから安心してくれ」
「そうなのかい?いや、それはそれで良いんだけど、問題なのは陛下を差し置いて最後が私ってことだね」
「未来の英雄の首途は昔馴染みのお前に見てもらおうと思ってな」
「アヤト……わかった。私が騎士としての終わりと英雄としての始まりを目に焼き付けておくよ」
「久しぶりだな、その胡散臭い笑顔」
「立場が立場だからね」
騎士団長として政治に携わるようになってきてからのアイギスの笑顔、優しげで皆を安心させるそれがアヤトには作り笑いにしか見えなかった。
だが、今目の前にあるのは騎士団長のアイギスではなく昔馴染みのアイギスの笑顔だ。
懐かしさを感じアヤトは気怠げに瞳をゆっくり閉じ過去を思い返す。だが、アイギスとの思い出はどれだけ振り返ってもモルブスとの死闘ばかりが浮かび、一人苦笑してしまった。
「どうしたんだい?」
「いや……なんでもねえよ。ただ俺たちって戦ってばかりだなって思ったんだ」
「それはこれからも変わらないよ。私たちは道を違えてもモルブスと戦い続ける。奴らが滅びるまでね」
「そうだ。だから俺は行くんだよ」
残り少なくなった紅茶を一気に煽り、部屋へ入ってきた時と同じ窓へと向かうアヤト。
カーテンを全開にすると、一陣の風が無造作に切られた黒髪を揺らし、太陽の光が二人を分つように室内へ降り注ぐ。
同じく立ち上がったアイギスが振り返り見たアヤトの姿は後光が指しているようだった。
「正直に答えてほしい。奴らを見つけたとして勝てる見込みはどれぐらいだい?」
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
「……どうしたいんだろうね。安心したいのかな。私にもわからないけど、聞く必要のないことだったかな」
「一人で納得してんなよ、わけわかんねえよ」
「君は必ず勝つ。だろ?」
「はは、信頼が重いったらありゃしねえな」
二度と会えないかもしれないことを理解しながらも、二人の会話に悲しみの色は見て取れない。
「さて、そろそろ行くとするよ。締めを頼めるか?」
「わかった」
互いに顔を引き締め、アイギスが騎士団長として告げる。
「特殊戦技教導官、アヤト。只今を以て全ての任を解く。在任中の特務隊への教導、モルブスの殲滅、実に見事であった。これから先の貴殿の活躍を願っている。以上だ」
「承知致しました」
敬礼をする姿はアヤトらしからぬ凛とした表情と相まって実に様になっている。今この瞬間、騎士としての終わりを迎え、そしていつ終わるとも知れない旅路が始まった。
「それじゃあ、世界を見て回ってきますかね」
「いってらっしゃい。武運を祈ってるよ」
「ああ」
背中を向け、手をヒラヒラと降ると窓から軽やかに飛び立つアヤト。
音も衝撃も起こさずに地面に降り立つと、後ろを振り返ることなく市街地へと消えていく。
呆気ない別れであったがそれでよかった。互いに今生の別れのつもりなどないのだから。
まずは街を出ようと足を検問に向けるが、見慣れた街並みで顔馴染みの人々がいつもと変わらない生活を続けている景色に少しの寂しさを覚えてしまう。
これから騎士団にも街にも、そもそもが帝都に自分はいないのだと、その事実を否が応でも叩きつけられる。
それでもアヤトの歩みに迷いは見えない。心の芯に宿る決意はただ一つ。
———モルブスを殲滅する
その先の平和な世界を夢見て今確かな一歩を踏み出し——すると世界が歪み崩壊を始めた。
「……ああそうか」
同時に意識が今のものへと切り替わっていくことを自覚しつつ、後ろを振り向けば先ほど歩いてきた道が全て炎に包まれていた。城は跡形もなく破壊され、無事な場所を探す方が苦労する程だ。
現状を打開する方法などない。
行動に移すことができないことを、変えられない結末を、そして今の自分がかりそめの存在だと知っているからだ。
だからこそやるせなくて、目を逸らしたくなる。逸らしたところで崩壊していく光景に変わりはないが。
「みんな……おやすみ」
城も街も山も平野も森も何もかもが崩れ落ちていき、残るはアヤトの周辺のみとなった頃。ただ立ち尽くしていたアヤトは瞳を閉じ、それと同時に身体が崩壊を始めていく。世界の一部であるかのように、或いは背景の一部であるかのように。
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眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
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