無窮の騎士

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第一章

第七話〜戦技教導官補佐〜

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 三割。
 これは東のプロエリウム王国、西のリベリタス共和国、南のフルゴル王国、北のルードス王国の四ヵ国が統治するテンプルム大陸における人類の領土だ。
 残る一割をいくつかの小国家が治め、六割は大陸中央に位置する未開拓の領域で、遺跡や地下迷宮が確認されている。しかし、凶暴な魔物と自然の脅威に阻まれ調査自体は進んでおらず、冒険院において開拓こそが最重要課題だと言えるだろう。
 それだけでなく治安維持や魔物の討伐なども平行して行っているのだから万年人手不足に悩まされ、それは国に仕える騎士にも同じことが言えた。
 だからこそ、各国がこぞって教育機関の充実を図り冒険者ないし騎士の育成に力を注いできた過去がある。
 そんな中で新たな国家資格として設けられたのが戦技教導官だ。強さと教養、そしてなにより重要なのが指導力。それらを全て高水準で兼ね備えて初めて認められる冒険者にとって討伐者セイバーと対を成す花形だ。
 称号でしかない討伐者セイバーと違い国家資格なのはそれだけ人手不足に悩まされてきたからだろう。強大な力を持っていても一人で全てを護ることなどできはしない。小さくともより多くの力が必要なのだ。
 もっとも戦技教導官の中には傲慢であったり、色欲に溺れたり、なぜ資格が剥奪されないのか疑問に尽きない輩もいるが、冒険院が直接運営するアクアビット訓練校に所属するイリスは、正に国の理想を描いたかのような戦技教導官であった。

「反応が遅れてきましたよ。疲れた時こそ集中してください。対人でも対魔でもほんの少しの油断が命取りです」

 場所は訓練所。踏み固められたグラウンドで今正に生徒と激しい戦闘を繰り広げるイリスは妥協しない厳しい姿勢を見せつつも、笑顔を絶やさずその瞳には慈愛が感じられる。
 武術にも魔術にも精通し、その実力は間違いなく一流。そして万人受けする愛嬌のある容姿と、抜群のスタイル、淡い茶色の長く美しい髪が人気を博し度々ファッション誌の表紙を飾るモデル。それがイリスだ。
 そんな老若男女問わず大抵の人が見惚れるであろう彼女は、戦技教導官の洗練されたデザインである白を基調とした制服も相まってまるで舞っているような美しさがあった。

「飛ばしてるなぁ」

 だが、アヤトに容姿の良し悪しなど興味はなく、グラウンドに設置されたベンチで訓練の様子を眺める姿には親が子を見るような温かさが滲み出ている。
 アヤトもまた制服を来ているが、イリスとは対照的な黒を基調とした補佐の制服であり着られている感が拭えない。
 怪我人の救護のために待機しているのだが、堂々とサボっているようにも見えてしまうのは何故だろうか。
 もっとも、アヤトの後ろに敷かれたブルーシートに横たわる怪我人に巻かれた包帯や額に置かれた冷やされたタオルを見る限り、真面目に働いているのは間違いはないのだろう。

「おっ、一人追加かな?」

 イリスが視線を向けてきたので、怪我人が追加されることを察知し腰を上げると、案の定ベンチに生徒が一人吹き飛ばされてきた。
 目の前の筋肉質な大男は多少の打ち身はあるもののそれ以外に目立った外傷はない。だが、明らかに顔が赤く体から力が抜けていた。熱中症と思われる。

「こんなになるまで頑張るやる気は認めるけど、無茶すんなよ」

 すまねぇ、と言葉が出てきた辺り意識はまだしっかりしているようだ。水分補給も自力でできたため、軽く服を緩めてやりブルーシートに寝かせ、体を冷やす為濡らしたタオルを首や脇の下に置いていく。

「しばらく安静にしてろよ。訓練が見れそうなら見ても良いけど、起き上がるのは禁止な」

 素直に頷くのを確認し、他の怪我人を見渡すも、幸い悪化した者はいないようだ。ふと時計を見れば長針も短針も真上で重なろうとしていた。間もなく訓練終了の時間となる。
 未だ訓練に耐えている生徒は五人。限界を迎えるのが先か、それとも時間まで粘るのかを予想しつつ再びベンチに腰掛けるアヤト。
 怪我人に気を配りながらも、まだな生徒達の成長が見れることを楽しんでいるアヤトに対して、イリスはその成長を直に感じていた。

「昨日よりも今日、今日よりも明日強くなれるよう常に全力を意識してください」

 しかし今はまだ訓練中であり面と向かって誉めるわけにはいかない。あくまでも厳しく、それがイリスが自ら課した制約だ。
 攻めあぐねる生徒達に自らゆっくりと歩いていくイリスに尻込みするしかなかった彼らだが、続けて放たれた言葉に自然と体は動いていた。

「逃げたいのならどうぞ。逃げれるのならですけど」

 剣、拳、槍、魔術。それぞれの得意とする生徒達の攻撃が一斉にイリスへと向かっていく。わかりやすい挑発だが、効果は充分にあったようだ。
 だが、それらを全て紙一重で躱し、すれ違いざまに拳打を叩き込み吹き飛ばしていく。
 そこに背後から叫び声と共に大剣の刃が迫りくる。
 回り込んでいた生徒の渾身の一撃であったが、それすらもイリスには届かない。体勢はそのままに後ろを見ることもなく指で白刃取り、そのまま苦も無く薙ぎ払ったのだ。
 同時に奪い取った大剣を地面に突き立てると直線上の地面が連鎖的に爆発。これには生徒達は距離を取らざるを得なくなった。

「全力とは言いましたが奇襲時に叫ぶのはどうかと思います」

 馬鹿にされてもおかしくはない至極当然のアドバイスだが、その声色にトゲトゲしさはない。
 その間も当然ながら皆動きまわっており魔術も入り乱れた攻防が続くが、掠ることすらなく、その細い腕から放たれる拳打だけで次々に人が吹き飛んでいく。
 既に大剣は投げ捨てられ、腰に差された剣も寂しそうに揺れていた。
 訓練を開始して二時間余り。イリスの体感ではまだまだ序の口だが、倒れた者もいるように生徒達にとってはそうではなかった。炎天下の中で、更に相手が格上ということもあり、残った五人の体力にも限界が近づいているのは火を見るより明らかだ。

「時間も時間ですしそろそろ終わりにしましょう。今から追い込みをかけますので最後まで意識を保ってくださいね」

 これはあくまでも訓練であり今回は受け身に回っていたイリスだが、区切りをつけるため内包する魔力を全て解き放った。
 優しさを取り払い、本当の意味で戦闘用の意識に切り替えたことで表情もそれに伴い鋭さが増す。
 刺すような威圧感を伴う魔力は、それそのものが脅威となり生徒達の消耗した体力と気力を削ぎ落としていった。

「うん……皆さんよく頑張りました」

 攻撃的な魔力を展開したのはほんの僅かな時間であったが、生徒達の消耗の程度は異常に尽きる。
 肩で息をし、汗が吹き出し、体が震えてしまう。皆が同じような状態に陥り、けれど誰も意識を失うものはいなかった。これには厳しく接していたイリスが称賛の言葉を送ったのも頷けるものだ。
 耐え切った彼らの根幹にあるのは、実力もさることながらプライドが大きかったのだろう。そう、現役の冒険者というプライドだ。
 学生達がじっくりと学んでいく学園と違い、訓練校では現役の冒険者や傭兵などが修行という形で短期間だけ通うのが通例となっており、今回イリスが受け持っている生徒達も例に漏れず冒険者で占められていた。ただしただの冒険者ではない。
 討伐者セイバー選抜試験の受験資格を持つ、凄腕揃いの十人。その最終調整の為の超短期での教導だ。

「倒れてしまった方々も含めて技術も精神力も及第点です。他所のレベルがどれほどのものかはわかりませんが、これなら自信を持って試験に送り出せます」

 そんな彼らを相手にしていたにも関わらず、イリスに疲労の様子はない。息が切れるどころか汗ひとつかいていない事が、力の差を物語っている。
 そんなイリスだが、実は討伐者セイバーの称号は持っていない。自ら戦うのではなく他者を育てることを望んだ彼女は、過去に受験資格を放棄していた。
 大切な人達を護れるのであれば、それが自分の力でなくとも良い。そんな考えからか自らの強さはさして重要ではなかったのだ。

「というわけで、以上で訓練の全工程は終了とします。お疲れ様でした。院にはこちらから報告しますので解散してもらって大丈夫ですよ。なんならお昼まで食べていってくださいね」

 アクアビット訓練校での過酷な訓練の日々が終わる。そんなイリスの宣言を聞き気が抜けたのか、生徒達は糸が切れたように倒れ出した。誰一人として例外はなく、熱せられたグラウンドの地面に沈んでいく。

「最後のは張り切りすぎだったんじゃないか?」

「そうは言っても院の顔になるのならしっかり鍛えなきゃでしょ?将来的にはあれぐらいは軽く流せるぐらいになって欲しいです」

「求めるレベルが高いこった」

 タイミングを見計らいグラウンドに足を踏み入れたアヤトは、イリスに飲料水を渡しながら生徒達へ歩み寄る。

「ありがとうございます。訓練後の一杯は格別ですね」

「仕事だからな。おーい、生きてるか?」

 イリスが訓練を終えたのならここからは補佐の仕事だ。喉の渇きはあったのだろう、美味しそうに飲むイリスを尻目に倒れている一人一人に声をかけるアヤトであったが、返ってきたのは掠れた呼吸音だけだった。
 限界ギリギリまでしごかれていたのを見ていたのだから、この状況はわかりきっていたがあえて質問したのは様式美といえば良いのか。
 このままでは脱水症状の恐れがあるので、それぞれの手の届く範囲に冷えた飲料水を置いてみれば、貪るように飲みだした。

「おいおい、そんながっついたら腹壊すぞ……って聞いちゃいねえ」

「皆さん頑張りましたからね。とりあえず日陰を作っときましょ」

 生徒達の中央辺りから頭上まで土が盛り上がると、円形状に薄く広がっていき彼らを日照りから守る傘のような形になっていく。
 最後まで諦めずに訓練についてきてくれたことがよほど嬉しかったのだろう、普段のイリスならばまずしないウインクまで披露していた。
 治療中も含め生徒達全員が動けるようになったのはそれから三十分後。まだ回復しきったわけではないが、空腹には勝てなかったようだ。皆重い体を引きずりながら、けれどウキウキとした様子で食堂へと消えていく。
 その後ろ姿を見送るイリスは、大きく背伸びをし、一仕事やり終えた満足感に包まれていた。

「ん~、終わりましたね」

「お疲れさん。候補生の担当なんて大変だったな」

「ですね。でもやりがいはありましたよ。みんな磨けば光る原石とでも言えば良いんでしょうか、鍛えていて楽しかったです。あっ、いつもの教導がつまらないわけじゃないですからね」

「誰もそんなことつっこまないって」

 慌てふためくイリスに心底どうでもよさげな視線を向けるアヤト。普段から楽しげに仕事をこなしている様子を見ていれば否定せずとも理解できるものだ。
 と、そこでふと伝えておかなければいけない事を思い出す。

「あぁ、そうだ。一応報告しとくけど明日から半年ぐらい新人冒険者の教導で院に出向だから、今日はもうこれであがらせてもらうな」

「急すぎません?」

「初耳みたいな反応してんじゃねえよ。確かに決まったのは少し前だったけどちゃんと伝えたぞ。まぁ忘れてると思ったから今言ったんだけどな。代わりの補佐はリフィルに頼んどいたから迷惑かけるなよ。特に予定を忘れるとか」

 何かを言いたげなイリスだが、口をパクパクするばかりで一切反論の言葉は出てこない。

「うぅ……正論すぎて言い返せない。わかりました、気を付けます。でもアヤトさんも院に迷惑かけないでくださいね」

「はいはい、気をつけますよ。……なんかイリスに言われると複雑だな」

「だって私だけ言われるのって何だか悔しいんですもん」

「なんの対抗意識を燃やしてんだか」

 暑い日差しの中、談笑は続く。
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