幻のスロー

道端之小石

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7月校内戦2日目 その2

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6回の表、ピッチャーとして光希がマウンドに立つ。
空には少し雲がかかり太陽を隠す。強すぎる夏の日差しもいくらか和らぐ。
守備につく時にスミダ達は『打たれてもとってやるから思いっきり行けよ!』と励ましている。同じように将也も光希を励ましながらマウンドに送り出した。
しかし光希の耳にはどの言葉も入っていない。
極限まで集中した光希の視界にはストライクゾーンとバッターしか入っておらずそんな言葉を聞き取れるほど余裕がなかった。

将也のサインをガン見して首を縦に振る。
そして第1球目。
カーブがバッターに当たるような際どいところを通過する。
判定はボールだ。将也がバッターに聞こえるような独り言を永遠と続けている。
将也はボールを投げ返し、ミットを構えてサインを出した。
要求されたのはツーシーム。将也は首を縦に振る。
アウトローに投げられた球はバッターの手前で少し変化する。
バットが振られボールが飛ぶ。しかし芯を捉えていないカス当たりのような打球は一二塁間を抜けることはなかった。
その後、ライトへの浅いフライでランナーが1人。レフトへの浅いフライでランナー、一二塁のピンチになった。

将也は喋り続けながらもどう乗り切るか思考を巡らせる。

『ベース側にだいぶ近いところに立ってる。バットは長めに持っている……か』
「光希、頼むから先輩に当てないでくれよー」

将也がそう呟いても左バッターボックスに立った先輩は動かなかった。
将也はストライクゾーンより少し高めのボール球を要求する。
光希は首を縦に振りボールを投げた。手元が少し狂ったのかストライクゾーンの高めにボールが飛ぶ。しかしバットは振られずセーフ。

第2投目、将也はリードするランナー達を見て盗塁される予感を感じた。
将也には先輩達のリードしている姿が盗塁する前の秋山と澄田にダブって見えている。

アウトローギリギリにストレートを要求する。
光希がボールを投げると同時にランナーが2人ともスタートする。

ボールはストライクゾーンに入っていない、
しかし今の将也にはそれはどうでもいいことだった。
今の将也は盗塁絶対刺すマンなのだ。

三塁へ走るランナーは余裕を持ってフットスライディングをした。
しかしその時にはランナーと三塁ベースの間にドンピシャでボールが送球されていた。

「アウト!」

2アウト二塁。カウントは1ストライク1ボール。
将也はここでカーブを要求する。将也は首を縦に振りクイックモーションで投げる……が光希はバッターに違和感を感じた。
それはバッターのタイミングの取り方のズレ。
それは速球ではなく遅い変化球を狙ったものだった。

『マズイ!』

腕は振り始めた。もう止めることはできない。
時間がゆっくりと流れるような感覚と、ボールが手から離れていくその瞬間を光希は感じ取っていた。

『打たれてたまるか!』

光希はボールが手から離れていくのを気合いで少し遅らせた。
頑張って遅らせたのである。
その結果ボールは将也の指示とは全く違うところへ飛んで行った。
アウトロー低めのはずがインロー低めギリギリに飛んで行ったのだ。

バットが空を切る。
光希の投げたカーブはストライクゾーン前で落ちてワンバウンドしてキャッチャーミットに収まる。
将也は冷や汗を流しまくっている。

三投目、チェンジアップを要求する。将也はチェンジアップを要求する。
一度、サインを出して首を横に振られたがもう一度将也はサインを出した。

そして光希の手からボールが高速ですっぽ抜けた。
そのボールはシンカー系の軌道を描き、アウトロー低めに入る。

「チェンジ!」

そしてベンチへ走って戻っていくが光希は将也に話しかけられた。

「あの変化球サイン決めないか?さっきはチェンジアップのサインで考えを汲み取ってもらえて助かった!ありがとう!」
「いや、でもまだ投げようと思って投げられるわけじゃないし。さっきのもまぐれだし」
「え?……ガチで?」
「うん、マジで。チェンジアップミスった」

光希は胸をなでおろしながら、将也は冷や汗をダラダラと流しながらベンチで打撃を見守る。その横で新野が純に言われるがままに動的なストレッチをしていた。純はその横で冷却スプレーをしてから静的なストレッチをしている。

「ほら、ちゃんと体を温めろ」
「これで疲れたら本末転倒だろ?!」
「そんなやわな奴は……だから抑えなのか」
「うるせえ!貧弱でもしっかり抑えるから文句言うな!」
「……そんな貧弱が怪我しないようにやってんだから文句言うなって」

そんな光景を見て光希の緊張も少しばかり取れてきたようだ。
将也がタオルで顔を拭う。タオルは汗でビショビショになっている。
さりげなくマネージャーから、そのタオルを隔離しろ、と言わんばかりにビニール袋を手渡され将也は少し傷ついた。

「光希はちゃんと水分取っておけよー。さっきから水飲んでなさそうだし汗結構流してるから……将也もな」
「俺はついでか?!」
「あぁ」
「えぇ……まぁ、あれだ。光希もなんか飲もうぜ」
「うん、そうだね。そうする」

がここで問題が発生する。光希の飲み物がない。
全部飲みきってしまったらしい。
部でスポーツドリンクを買っていないのでマネージャーからペットボトルを渡される、なんてこともなく光希は途方に暮れていた。

「温くてマズイけど、これ飲む?」
「いいのか?」
「うん、マズイから」

純がそこへ常温のスポーツドリンクを差し入れた。
純は少し多めにスポーツドリンクを持ってきたはいいものの少し余っていたのだ。
というかそれはスポーツドリンクと言うよりは経口補水液といった方が正しいものだった。
砂糖が入って飲みやすくなっているものではない。
水に塩やらミネラルがバランスよく溶かしてあるブツだ。

そんなブツを光希は口にして一言。

「なんだろう……もらって悪いんだけどすげぇマズイ」
「だろ?冷やすと多少はマシになるんだけどな……」

その頃バッターボックスに立っていた奴らは無念の二者連続で三振とセカンドフライ。

「当たらない!」
「わからない!」
「飛ばない!」

将也が手早く防具をつけて走り出す。
光希もそれに続く。

そして光希が何回か投げるといつのまにか1アウト一、三塁のピンチを迎えていた。しかもすでに一失点をしている。

『あのヘンテコ変化球がチェンジアップに化けてるじゃねーか!……ということはチェンジアップを指示するとあの魔球的なサムシングが来るわけだな?』

将也がチェンジアップを求める。すると光希は混乱する。

『チェンジアップがチェンジアップじゃなくて、チェンジアップじゃないのがチェンジアップになるから、今はチェンジアップじゃないのを投げればいいんだな?』

2人の思いがすれ違い、投げられたボールはチェンジアップ。
その結果、センター前への強い当たりが生まれる。

『死ぬかと思ったら死んでなかった』
『センターに誘導するなんてさすが将也だなぁ』

スミダトライアングルを信用しきっている光希と将也だがスミダトライアングルとてミスくらいはする。
ただどうやらそれは今ではないらしい。

ライナー性の超低弾道の打球が光希の左側を飛んでいく。

セカンドのスミダはボールが地面に衝突する少し前に動き始めショートのスミダが二塁のカバーに入る。
地面ではなくマウンドに衝突して跳ねたボールの先にはスミダが待ち構えている。
ボールは捕球されると素早く二塁へ投げられ、その後一塁へ。
結果はダブルプレーでチェンジ。

「ここへきて同点になった。それと同時に一年選抜にとってはチャンスでもある。打順は1番から、どうにか秋山までつなげたい。

その思いでバッターボックスに立つ竹内。
どうにか影の薄さを克服したいと竹内が願う中での池上の一投目。
……148キロのストレートが内角ギリギリに決まる。
今までの訓練の成果を見せる時と竹内が意気込む中での二投目。

竹内、カーブにバットを振っていくがタイミングが合わずファール。
2ストライクで追い詰められた竹内。
ここまで3打席、三振、ライトフライ、セカンドゴロといいところなしだが爪痕を残せるのか。影が薄いままかどうかの瀬戸際、三投目。

竹内、インハイへの直球を真芯で捉えた。ボールはサード頭上を越えフェンスまで転がっていく。竹内、一塁踏んで二塁へ。レフトが捕球して送球。
結果はツーベースヒット。竹内は爪痕を残すことに成功したが依然影の薄さは変わらない。

続くは澄田。本日は三打席、1安打。
バントをすれば打率7割のバント職人がバットを構えます。

守備は急遽澄田シフトに変更。
サードとファーストがバントを許さんとばかりにプレッシャーをかける。
しかしバント職人はバントの構えを崩さない。
彼はベンチで語っていました。『バントで切り抜けられない場面はないんじゃないか』と。
伝家の宝刀のバントが繰り出されるのか、池上先輩がクイックピッチ、142キロのスライダー。澄田、冷静にバットを引いてボール。

第2投目……澄田がバントした。プッシュバントだ。
セカンドゴロ……いや、セカンドがファーストのカバーに向かっていて逆を取られている。竹内も反応できていない。今からの進塁は無理だ。センターが前進して捕球するが既に澄田は一塁ベースを踏んでいる。

それに続くのは鎌瀬。本日3打席1安打。
強打者のオーラを纏った小心物です。ガタイもいいのに小心者です。

一投目。外角低めのカーブ。ストライク。手を出しません。
緊張で固まっているのだろうか。

二投目、内角高めのストレート。
空振り、タイミングが全く合わない。
豪快なスイングではなく結構コンパクトなスイングですが当たりません。

三投目、内角低めのストレート。引っ張った。三塁頭上を越えようとするが三塁手がジャンプしながら取ってアウト。ここでフライング気味に走り始めていた竹内が挟まれた。
これでツーアウト。

ここで満を持して我らが主砲、秋山。
ホームランでも打ってくれないだろうか。

1球目。内角低めのスライダー。思いっきり引っ張った。
球はグングン伸びて……ファール。
期待してしまったのは仕方がないと思う。

2球目。内角低めストレート。バットを思いっきり振っていく。
甲高い音とともにボールは左中間へ。
深めに陣取っていたレフトが飛びつく……ここはレフトのファインプレーでアウト。……まじか」

「なぁ純、将也がなんか実況みたいなことしてるんだけど」
「ダメです!見ちゃいけません!」
「そうだぞ、光希!聞いちゃダメだ。若干捏造されてる!」

将也は実況風の独り言で楽しんでいたのだが注意されては仕方ない、と泣く泣く防具をつけながらグラウンドに走っていった。

ピッチャーは交代し新野。
その第1投目、手汗でボールがすっぽ抜けてストライクゾーン中央へ。

ボールが綺麗なアーチを描く。

「……握力強化だな」
「……だな」

その後9回まで両チーム得点できず1対2で一軍チームの勝利に終わった。
純は三年から『将也の独り言はどうにかならないのか?』と苦言を呈された。
どうやら8回から将也が実況風の独り言を始めて、余計にバッターは集中できなかったらしい。
これには純も匙を投げた。

「耳栓してください。気にしたら負けです」
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