三年の想いは小瓶の中に

月山 歩

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15.湖の見える別邸

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 目が覚めるとアレシアは、湖を見渡せる別邸のベッドに横たわっていた。

 白く可愛らしい寝室には、自分が寝ている大きなベッドがあり、目の前には陽の光に照らされてキラキラ輝く湖が広がっている。

「やあ、目覚めたかい?
 僕の眠り姫。
 何をしても起きないから、驚いたよ。
 眠りが深いのは、相変わらずなんだね。」

 お兄様がベッドサイドの椅子に腰掛けて、微笑んでいる。

「最近、トラヴィス様を想って眠れなかったから、余計に寝てしまったのね。
 でも、眠りが深いのは変わらずなの。

 それに良く寝たから、元気が出て来たわ。
 ここがお兄様の言っていた湖の見える別邸なのね。
 とても綺麗だわ。」

「そうだよ。
 この別邸を初めて見た時から、アレシアをずっとここに連れて来たかったんだ。」

「嬉しいわ。
 ありがとう。」

「ここで二人で暮らそう。」

「よろしくお願いします。
 あれ?
 このベッドの頭の所に掛かっている大きな絵は私?」

 ベッドの頭側の壁に、両手を広げるほどの絵画が飾られていて、そこには椅子に座り微笑んでいる私が、描かれている。

 おそらく、私の結婚前の頃の絵ね。
 どうしてここにあるのかしら。

「そうだよ。
 綺麗だろ?」

「こんな絵をいつ書いてもらったのかしら?
 全然覚えていないわ。」

「邸にいた者で絵の才能があるやつがいたんだ。
 その者に書かせたよ。
 それよりお腹が空いただろう?
 食事にしよう。」

「はい。」

 二人は湖の見える庭で、朝食を食べる。
 テーブルには、パン、スープ、果実水が並ぶが、どこか違和感がある。
 何だろう?

「美味しいかい?」

「ええ、自然の中だと食欲が湧くわ。
 最近、食事が喉を通らなかったから。」

「だったら、もう少し運んで来ようか?」

「いいえ、これだけで十分よ。
 近くで湖を見てもいいかしら?」

「もちろんだよ。
 一緒に行こう。」

 二人は並んで静かな湖の景色を眺めている。

「とっても綺麗、水が透き通っているのね。」

「そうだ。
 湖はとても深いことを知っているかい?」

「そうなの?
 知らなかったわ。」

「湖はね、深いし、広いから泳いで渡ることは不可能なんだ。」

「ふふ、向こうの岸さえ微かに見える程度なのよ。
 ここを泳ごうとする人なんていないわ。」

「そうだね。」

 邸に戻ると、寝室のベッドは乱れたままだった。

「あら?
 お兄様、何かおかしいと思ったけれど、侍女や使用人達はどこに行ったのかしら?
 朝食もお兄様が準備してくれていたわね。」

「ここはね、湖の向こう側に使用人はいるけれど、基本的に僕達二人だけで過ごす邸なんだ。」

「そうなの?
 つまり何でも自分達ですると言うこと?」

「そうだよ。
 僕達の邪魔をしてほしくないからね。」

「そんな、邪魔だなんて。
 でも、わかったわ。
 私はお兄様にお世話になるのだから、お兄様の方針に従うわ。」

「良い子だね。」

 お兄様は嬉しそうに、私の頭を撫でる。

「お兄様ったら、私は子供じゃないのよ。」

「ここは二人だけなんだ。
 アレシアが子供でも構わないだろう?」

「そう言われればそうね。
 誰も咎める人はいないわね。」




 数日後、私達は協力しながら新しい生活を始めていた。

 私はお料理は初めてなので、野菜を切るのさえ一苦労だけれど、少しずつ上達することに決めた。
 私にだってできるはず、少しずつうまくなって行こう。

 それに比べて、お兄様はとても上手に食事を作る。

「お兄様、いつお料理の勉強をしたの?」

「騎士団の訓練の時かな。
 隊では、遠征中は自分達で作るのが基本だから。」

「そうなのね。
 すごいわ。」

「そんなことはないさ。
 僕は結局、騎士にはならず、父上の執務の手伝いをしているからね。」

「それは仕方がないわ。
 お兄様はビットナー侯爵家を継いでいかないといけないんだから。
 ところで、お兄様はいつ結婚するの?
 縁談の話を聞かないわね。」

「僕の結婚する人は、ずっと前からすでに決めていて、ついに手に入りそうなんだ。」

「何だか物に対する言い方のようね。
 でも、お兄様が幸せになれるのなら、私は応援するわ。
 じゃあ、私、近々ここに一人になってしまうのかしら?」

「大丈夫、アレシアのことはいつも僕が思っているから。」

「ありがとう。
 私はお兄様に従うわ。」

「いい子だね。」

「ふふ、お兄様、そのセリフは今日二回目よ。」

 洗濯物がいつの間になくなっており、気がつくと戻って来ている。
 きっと、通いの使用人がやってくれているのだろう。
 一度も会ったことがないけれど。




 湖の静寂に包まれて、日々を過ごす内に、少しずつ元気を取り戻すと、次第にモナンジュが心配になって来る。

「お兄様、そろそろモナンジュに行きたいのだけれど?
 馬車を呼びたい時は、どうしたらいいのかしら?」

 私はいつものように朝食を食べた後、お兄様に尋ねる。

 この邸には馬車がある様子もないし、手配するためには人手が必要だと思ったのだ。

「アレシアはどこにも行けないよ。
 ここは二人だけの楽園だから、出て行けないんだよ。」

「えっ、お兄様、何かの冗談でしょう?」

 お兄様の言葉に、私は一抹の不安を覚える。

「冗談などではないさ。
 この邸はね、湖の中にある島に建っているんだ。
 だから、君はどこにも行けないんだ。」

「でも、私達はここに来たのだから、帰る方法もあるはずよ。
 それに食料も洗濯だって、誰かが持って来てくれているのよね?」

「僕が信号を発したら、船に乗って来ることになっているけど、アレシアは出て行けないよ。」

「そんな…。」

「だってアレシアは二人で生きていくと、僕と約束したよね?
 僕は約束通りここで、君と一生一緒にいるつもりだ。」

「お兄様にお世話になるつもりでいたけれど、二人きりという意味で言ったのではないわ。

 もちろん、なるべく負担をかけないように自分のことは自分でするつもりよ。
 モナンジュを続けて、自分の分の生活費も工面しようと思っていたの。

 それに、お兄様はもう少しで結婚するって言っていたわ。
 その方はどうするの?」

「それはアレシアだよ。
 あいつとの離縁が片付き次第、君は僕と結婚するんだ。」

「無理よ。
 私達は兄妹よ。」

「それがね、僕達は血が繋がっていないから、できるんだ。
 でも、父上は僕達が兄妹だから醜聞だと認めてくれなかった。

 だから僕は、三年もの間、アレシアが離縁するのを待っていたんだ。

 ここで二人で生きるなら、周りの目など気にしなくていいから、構わないはずだ。」

 その言葉が私の心に重くのしかかり、全身が震える。

 お兄様の目は、どこか冷たく、強引な決意を感じさせて、さらに私を追い詰める。

「無理よ。
 私、お兄様と結婚だなんて、男性だと思ったことすら無いのよ。」

「それはゆっくり慣れていけばいい。
 僕は待つことには寛大なんだ。」

「お兄様、もうやめて。
 お兄様とこんな話をするだなんて、信じられないわ。
 ここから出て行く方法がどこかにあるはずよ。」

 私はお兄様から離れて、勢いよく邸を飛び出した。
 そして、湖畔をひたすら歩き、何か船などが隠されていないかと、探し回った。

 けれども、次第に足が疲れてもつれだし、ふらふらと太い木に寄りかかるとついに動けなくなり、その場に立ち止まる。

 どこまで歩いても湖の淵しかなく、ここはお兄様のいう通り湖の中の孤島だった。
 長い時間をかけてぐるりと一周しても、湖を渡る船や橋など何処にも無かった。

 これは現実なの?
 どうしてお兄様がここに私を閉じ込めるの?

 唯一の信頼できる家族だと思っていたお兄様を、いつの間にか失っていたのだった。

 私はこの先、狂ってしまったお兄様と、ここに閉じ込められて生きるしかないのね。

 それとも、お兄様は狂ってなどいないの?
 最初から私を一人の女性として見ていたの?

 もしそうだとしたら、私達は最初からすれ違っていて、それに気づかずお兄様の想いを踏みにじっていたのは私かもしれない。

 お兄様が言っていた「大好きだよ。」とか、「僕のお姫様」というあの優しい言葉たちは、家族としての言葉ではなかったと言うこと?

 でも、お兄様だって早くからそのような気持ちを伝えてくれたなら、私はたとえ一人きりになったとしても、少しずつ距離をとる努力をしたはずだ。

 これからもお兄様を兄と思って生き続けたかった。
 こんな形で嫌いになどなりたくない。

 お兄様に大切にされたという思いが、私の心の支えだったのに。

 それらはすべて兄妹愛ではなく、恋愛としての愛だったの?

 私にはわからなかった…。

 お兄様は私の思いを知りながら、あえてこの時まで、自分の気持ちもこの計画も隠していたのね。

 血が繋がっていないのに、兄妹だからと甘え過ぎた私がいけなかったの?

 二人で過ごした数々の思い出が、まるで砂のように流れ落ちていく。

 私は、お兄様について来る道を選んだことで、とうとう一人きりになってしまった。

 この変えようも無い現実に、目の前に広がるキラキラと輝く湖を見ながら、堪えきれない孤独感が押し寄せ、初めて涙を流した。




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