嘘が愛を試す時 〜君を信じたい夜に〜

月山 歩

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1.不貞の証拠

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「今日はどのような要件でお越しでしょうか?」

  ハンプトン侯爵であるマリウス様と共に、妻であるサラは、突然邸に訪れたホルダー侯爵に戸惑っていた。

 応接室にお通ししたホルダー侯爵は、ソファに並んで腰かける私たち夫婦をじっと見据えている。
 そして、その瞳には、何故かただならぬ静かな恐れの色が宿っていた。

 ホルダー侯爵は私の親しい友人ルヒィナ様の夫に当たる方であり、ルヒィナ様とは、仲良くさせていただいているが、夫であるホルダー侯爵とは、挨拶程度の関わりしかなかった。

「実はハンプトン侯爵に、どうしてもお伝えしなければならないことがありまして…。」

「はい、どのようなことでしょう?」

 私の夫であるマリウス様は、ホルダー侯爵とはたまに夜会で顔を合わせることがある程度で、まともに話すのは今日が初めてというぐらい接点がなかった。

「誠に申し上げにくいのですが、僕とサラは密かに付き合っておりました。
 …男女の関係という意味です。」

「…何だって?」

「…嘘よ。」

 マリウス様の眉が険しく寄り、私の顔をまっすぐに見つめ、はっきり怒りを伝えてくる。

  私は衝撃で言葉を失い、ただ首を小さく振り、違うと必死にマリウス様へ訴えていた。

「申し訳ありませんが、これは事実です。
 そして、その証拠もお持ちしました。」

 ホルダー侯爵は神妙な面持ちで、一冊の日記帳をマリウス様の前に差し出した。

 マリウス様は無言でそれを受け取り、ページをめくりながら目を走らせる。
 しかし読み進めるにつれ、その表情は徐々に険しさを増していった。

「これは…。」

「違うわ、そんなの嘘よ。」

 思わず声が漏れる。

 そこには、ルヒィナ様のお茶会へ出かけていたはずの日の記録が、まるでホルダー侯爵と密会していたかのように詳細に記されていた。
 天候や時間帯、二人の会話、そして、どれほど愛し合ったかまで、細かに書かれている。

「申し訳ありません。
 ですが、僕はサラをずっと愛してきました。」

 その言葉に、マリウス様の目がさらに鋭く細まる。

「自分が今、何を口にしたのか、本当に理解しているのか?」

「マリウス様信じないで。」

「わかっています。
 すみません、自分の心をこれ以上誤魔化すなんてできない。
 再会してから、隙を見つけては身体を重ねているのに、ハンプトン侯爵は本当に気がつきませんでしたか?」

 その瞬間、マリウス様は素早く立ち上がり、ホルダー侯爵に拳を振るった。

 ソファに座っていたホルダー侯爵は、床に倒れ込み、殴られた頬を押さえ、痛みに耐えている。

「やめて、マリウス様。」

「サラは、この男を庇うのか?」

「違います。
 でも、暴力は…。」

「うるさい。」

 そう言って、マリウス様を抑えようと手を触れると、彼は私を汚いものでも見るように眉をひそめ、手を払った。

 そんな仕打ちを受けたのは初めてで、私はただ彼を見つめたまま、言いようのない衝撃に呑まれていた。
 彼は、私に触れられることを拒んだのだ。
 すべては誤解なのに。

「聞いて、マリウス様、私は決して…。」

「今、この男と話している。
 サラは黙ってろ。」

 マリウス様は私の言葉を遮り、背を向けた。
 あんなに優しかった私のマリウス様が…。

「ハンプトン侯爵、今日はこれをお持ちしました。
 5千万ゾルクで、この件を収めていただき、サラを私に譲ってはいただけませんか?」

「人の妻を何だと思っている?」

「申し訳ありません。
 ですが、私は心から彼女を愛しているのです。」

「ホルダー侯爵には夫人がいたはずだが?」

「妻にはすべて話ました。
 彼女は僕の気持ちを理解してくれ、離縁に応じ、邸を出て行きました。」

 ホルダー侯爵はなおも床にひれ伏し、マリウス様に頭を下げる。

「この男がここまで言っても、サラは認めないのか?」

「だって、違うもの…。
 嘘つかないで、ホルダー侯爵様。」

 次々と語られる彼の虚偽の告白に、これ以上心をかき乱されたくなくて、私は両手で顔を覆った。

 ホルダー侯爵は、まるで昔からの恋人であるかのような距離感でそっと近づいてきて、優しく言い聞かせるように語りかけてくる。

「サラ、もう素直になろう。
 本当の気持ちを認めて、二人でやり直そう。
 君の背中の真ん中にあるほくろ。
 そこに口づけせずにいられないと言っても、まだ否定するのかい?」

「やめて、勝手なことを言わないで。
 もう出て行ってください。」

「ここまで話しても認めようとしないんだね。
 二人の時はとても素直なのに。
 ハンプトン侯爵、僕はあなたに渡す金銭の準備も、彼女を迎える準備もできている。
 それでもなお、離縁に応じていただけないのだろうか?」

「突然現れて、すぐに離縁などできるはずがないだろう?
 とにかく、今日はもう帰ってくれ、後日、連絡する。」

「承知しました。
 必ずご連絡ください。
 彼女を迎えに参ります。
 この度は申し訳ありませんでした。」

 ホルダー侯爵はマリウス様に深々と頭を下げると、ちらりと私に視線をよこし、ニヤリと笑いながら、部屋を後にした。

 その様子を見ていたマリウス様は、手元のカップを掴むと、無言のまま壁へと叩きつけた。

  ガシャン、と激しい音が響き、砕けたカップの破片が床を跳ね、お茶が壁に飛び散る。

 彼は今や悪魔のような形相で、砕け散ったカップを睨みつけていた。
 こんなにも怒ったマリウス様を見るのは、初めてだった。

 私は震えながら、その彼の怒りは私に向けられたものだと理解する。
 私を殴れないから、マリウス様はカップにその怒りをぶつけたのだ。

 マリウス様は無言で立ち上がり、応接室を出て行こうとドアに足を向ける。

「待って、マリウス様、私の話を聞いて。
 本当にあの方とは何もないの。
 昔、婚約の打診をされたことはあるけれど、その時お断りしているわ。
 でもそれは、マリウス様と出会うよりずっと前のことよ。

 今はルヒィナ様の夫だから、会った時には挨拶をする。
 それだけの関係なの。
 誓ってあの方のいうような関係ではないわ。」

「昔、関わりがあっただなんて、そんな話は聞いていない。」

「だってそれは、遠い昔の話だもの。
 お断りしたすべての方の名を言うべきだったの?」

「そうではない。
 だが、かつて関わりがあって、今も顔を合わせる仲なのは、事実なんだな。
 そんな大事なこと、一言も聞いていないのに。」

「さっきも言った通り、彼に会いに行っているわけじゃないもの。」

「だか、君がホルダー侯爵の邸に足を運んでいたのは事実だ。
 夫人との約束と言いつつ証拠がある以上、ホルダー侯爵と密会することが目的だったとも言える。」

「そんな…、ルヒィナ様がいるのに、その夫とだなんて、不可能だわ。」

「夫人には帰ると言って邸を出て、すぐにホルダー侯爵と合流して愛し合ったと記されている。
 確かにこれなら夫人にも、僕にも怪しまれず、誤魔化せるな。」

「絶対に違うわ。」

「そうだとしても、今これ以上話をする気になれない。
 冷静でいられる自信がないんだ。
 はっきり言って、僕は今、君の顔を見たくない。
 もう何もかも信じられなくなった。

 だがいいか、今日から一歩も邸を出るな。
 もし、また密かにホルダー侯爵に会っていたら、その瞬間に離縁だ。」

 そう言い捨てて、マリウス様は足音も荒く、部屋を後にした。

 その背中を呆然と見つめる私は、この悪夢のような出来事がどうして起きたのかさえ、全くわからなかった。

 ただ一つ確かなことは、マリウス様に拒まれた自分自身と、もう決して元通りにはならないであろう二人の結婚生活が荒野に横たわる。
 そんな予感がして、私はその場から一歩も動けなかった。






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