9 / 9
9.二人の夜
しおりを挟む
ある夜、いつものようにマリウスはサラを寝室に呼んでいた。
「やあ、ここに座って。」
「はい。」
静まり返った部屋の中、あえて向かい合うソファを勧める。
さすがに、以前のように横に並んで酒を飲めるほど、僕はまだサラを許していない。
それでも、一緒に飲みたくてサラの前に置かれたグラスにワイン注ぐ。
「ありがとう。」
サラが僕をチラリと見て、短く礼を言う。
「…飲みやすいといいけれど。」
そう言って、自分のグラスにも注ぎ、静かに手に取った。
「…。」
けれどそれ以降、お互いに言葉は続かない。
二人きりでいるのだから、話したいことは山ほどあるのに、口に出せる言葉は限られている。
サラがワインをひと口含む。
そのわずかな喉の動きに、僕の視線が自然と吸い寄せられる。
侍女の手を借りてから、彼女の肌は柔らかく戻り、可愛らしさが増している気がした。
本当は、今すぐサラに触れたい。
抱きしめて、撫でて、唇を重ねたい。
何も知らなかったあの頃のように。
今こんなことを考えてはダメだと理性が訴えても、彼女のすべてが僕を惹きつける。
「姉上の侍女達は、良くしてくれているようだね。
以前の君に戻ったようだよ。」
「はい、すべてローサ様のおかげです。」
そう言いながら、サラは片方の手を上げ、肌の状態を確かめるように、撫でている。
その動きがあまりにも自然で、思わず僕も手を伸ばしそうになる。
でも、僕達はあの日から、話はするものの一切の接触を絶っていた。
以前は当たり前にできていたことが、今ではできずにいることがこれほどの苦痛を伴うとは…。
抱きしめることも、しようと思えばできるけれど、彼女の口から何の説明も謝罪もないまま元に戻るのは、どうしても自分の中の何かが受け入れられなかった。
サラがふと、ワインを見ながら今気づいたかのように囁く。
「ちょっと甘いですね。
今日のは。」
「…そうだね。
君が気にいるかと思ってね。」
こんな時でも、彼女に喜んでほしいと、ワインを真剣に選ぶ僕は何がしたいのだろう?
騒動の直後より、サラの表情は少しだけ柔らかくなっている。
わかるよ。
僕も知り合ったばかりの頃のように気を使い合うのは、正直終わりにしたい。
だからと言って、二人でこうして過ごすだけで、過去のすべてが帳消しになるわけじゃない。
けれども、そんなことを言うと、気まずさが残るだけだから、口を閉ざす。
二人でいること自体は一歩前進だが、核心をつく話は、したくない。
サラが目の前にいて、同じ空間でグラスを手にしている。
一人この部屋の中で、寂しさを抱えながら、君に会えないでいるよりずっといい。
「一つお願いがあるの。」
突如紡ぎ出す彼女の言葉に、僕の心は途端に警戒し出す。
「何だい?」
それとなく問うが、きっと僕がのめないような話を振ってくるに違いない。
「ルヒィナ様が、修道院に入っていることがわかったわ。
お願い、どうしても、直接会ってお詫びがしたいの。
お手紙を書いているけれど、読んでくれているかもわからないから。
私は彼女の誤解も解きたいし、友人として心配なの。
だからお見舞いに行ってもいいかしら?」
「ダメだ。」
即座に返すと、サラは驚いた顔で僕を見る。
今まで彼女のお願いを断ったことはなかったな。
でも、僕は以前と同じには、もう戻らない。
僕の甘さが、君の間違いの原因かもしれないのに。
「どうして?
私はあの人に会いに行くわけじゃない。
ルヒィナ様に会うだけよ。
ローサ様に一緒について行ってもらってもいいし、あなたが同伴してくれても構わない。
傷つけてしまっているのに、謝りもできないなんて、申し訳ないわ。」
「サラが謝って、その女性は喜ぶかな?
君は愛する夫を奪った憎き友人だよ。
僕なら君にだけは会いたくない。
君の勝手な気持ちを押し付けるのはどうかと思うよ。」
「そうね…。
確かに私にだけは会えないって聞いているわ。」
「それが答えさ。」
僕がそう言った瞬間、顔を背けるサラの表情が曇っているのに気がついた。
僕の言葉がまた彼女を傷つけてしまった。
サラの気持ちが少しでも軽くなるような何かを言おうと思って口を開いても、その「何か」が見つからない。
しつこく彼女を責めるつもりじゃなかったのに、どうして僕はこうも不器用なんだろう。
サラは今、ワインを見つめ、黙っている。
もちろん泣いているわけじゃない。
でも、僕の言葉は君の心を刺したことに気づく。
ごめんね。
もう、僕と話すのも、会うのさえ嫌になったかい?
それともなにか、反論の言葉でも良いから僕に言いたいことがある?
彼女に対する問いが、胸の中でいくつも渦を巻く。
僕はこんな時ですら、彼女の中に積もる言えない何かを知りたいと待っている。
でも、それを聞いたら、また僕達は、このままそばにいられない。
だから、今日もそこに踏み込めない。
言葉にならない愛情が、二人にはまだ確かにあるのにね。
口を開くと、二人を壊したあの時と変わらない関係に、一瞬にして戻ってしまう。
君の裏切りを知ってから、僕は沈黙以上の愛を君にあげることができない。
こんなに傷つけても君は、また僕と過ごしてくれるのだろうか?
「やあ、ここに座って。」
「はい。」
静まり返った部屋の中、あえて向かい合うソファを勧める。
さすがに、以前のように横に並んで酒を飲めるほど、僕はまだサラを許していない。
それでも、一緒に飲みたくてサラの前に置かれたグラスにワイン注ぐ。
「ありがとう。」
サラが僕をチラリと見て、短く礼を言う。
「…飲みやすいといいけれど。」
そう言って、自分のグラスにも注ぎ、静かに手に取った。
「…。」
けれどそれ以降、お互いに言葉は続かない。
二人きりでいるのだから、話したいことは山ほどあるのに、口に出せる言葉は限られている。
サラがワインをひと口含む。
そのわずかな喉の動きに、僕の視線が自然と吸い寄せられる。
侍女の手を借りてから、彼女の肌は柔らかく戻り、可愛らしさが増している気がした。
本当は、今すぐサラに触れたい。
抱きしめて、撫でて、唇を重ねたい。
何も知らなかったあの頃のように。
今こんなことを考えてはダメだと理性が訴えても、彼女のすべてが僕を惹きつける。
「姉上の侍女達は、良くしてくれているようだね。
以前の君に戻ったようだよ。」
「はい、すべてローサ様のおかげです。」
そう言いながら、サラは片方の手を上げ、肌の状態を確かめるように、撫でている。
その動きがあまりにも自然で、思わず僕も手を伸ばしそうになる。
でも、僕達はあの日から、話はするものの一切の接触を絶っていた。
以前は当たり前にできていたことが、今ではできずにいることがこれほどの苦痛を伴うとは…。
抱きしめることも、しようと思えばできるけれど、彼女の口から何の説明も謝罪もないまま元に戻るのは、どうしても自分の中の何かが受け入れられなかった。
サラがふと、ワインを見ながら今気づいたかのように囁く。
「ちょっと甘いですね。
今日のは。」
「…そうだね。
君が気にいるかと思ってね。」
こんな時でも、彼女に喜んでほしいと、ワインを真剣に選ぶ僕は何がしたいのだろう?
騒動の直後より、サラの表情は少しだけ柔らかくなっている。
わかるよ。
僕も知り合ったばかりの頃のように気を使い合うのは、正直終わりにしたい。
だからと言って、二人でこうして過ごすだけで、過去のすべてが帳消しになるわけじゃない。
けれども、そんなことを言うと、気まずさが残るだけだから、口を閉ざす。
二人でいること自体は一歩前進だが、核心をつく話は、したくない。
サラが目の前にいて、同じ空間でグラスを手にしている。
一人この部屋の中で、寂しさを抱えながら、君に会えないでいるよりずっといい。
「一つお願いがあるの。」
突如紡ぎ出す彼女の言葉に、僕の心は途端に警戒し出す。
「何だい?」
それとなく問うが、きっと僕がのめないような話を振ってくるに違いない。
「ルヒィナ様が、修道院に入っていることがわかったわ。
お願い、どうしても、直接会ってお詫びがしたいの。
お手紙を書いているけれど、読んでくれているかもわからないから。
私は彼女の誤解も解きたいし、友人として心配なの。
だからお見舞いに行ってもいいかしら?」
「ダメだ。」
即座に返すと、サラは驚いた顔で僕を見る。
今まで彼女のお願いを断ったことはなかったな。
でも、僕は以前と同じには、もう戻らない。
僕の甘さが、君の間違いの原因かもしれないのに。
「どうして?
私はあの人に会いに行くわけじゃない。
ルヒィナ様に会うだけよ。
ローサ様に一緒について行ってもらってもいいし、あなたが同伴してくれても構わない。
傷つけてしまっているのに、謝りもできないなんて、申し訳ないわ。」
「サラが謝って、その女性は喜ぶかな?
君は愛する夫を奪った憎き友人だよ。
僕なら君にだけは会いたくない。
君の勝手な気持ちを押し付けるのはどうかと思うよ。」
「そうね…。
確かに私にだけは会えないって聞いているわ。」
「それが答えさ。」
僕がそう言った瞬間、顔を背けるサラの表情が曇っているのに気がついた。
僕の言葉がまた彼女を傷つけてしまった。
サラの気持ちが少しでも軽くなるような何かを言おうと思って口を開いても、その「何か」が見つからない。
しつこく彼女を責めるつもりじゃなかったのに、どうして僕はこうも不器用なんだろう。
サラは今、ワインを見つめ、黙っている。
もちろん泣いているわけじゃない。
でも、僕の言葉は君の心を刺したことに気づく。
ごめんね。
もう、僕と話すのも、会うのさえ嫌になったかい?
それともなにか、反論の言葉でも良いから僕に言いたいことがある?
彼女に対する問いが、胸の中でいくつも渦を巻く。
僕はこんな時ですら、彼女の中に積もる言えない何かを知りたいと待っている。
でも、それを聞いたら、また僕達は、このままそばにいられない。
だから、今日もそこに踏み込めない。
言葉にならない愛情が、二人にはまだ確かにあるのにね。
口を開くと、二人を壊したあの時と変わらない関係に、一瞬にして戻ってしまう。
君の裏切りを知ってから、僕は沈黙以上の愛を君にあげることができない。
こんなに傷つけても君は、また僕と過ごしてくれるのだろうか?
11
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】花冠をあなたに ―信じ尽くした彼女の、最期の言葉―
桜野なつみ
恋愛
病弱な婚約者を支え続けた令嬢ミリアーナ。
幼いころから彼を想い、薬草を学び、研究し、元気になったら花畑で花冠を編ごう」と約束していた。
けれど、叔母と従妹の影がその誓いをゆがめ、やがて誤解と病に蝕まれていく。
最期に彼女が残したのは――ただ一つの言葉。
全十話 完結予定です。
(最初は全四話と言っていました。どんどん長くなってしまい、申し訳ありません。)
【完結】私が愛されるのを見ていなさい
芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定)
公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。
絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。
ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。
完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。
立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。
将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!
翠月 瑠々奈
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。
侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。
そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。
私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。
この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。
それでは次の結婚は望めない。
その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。
【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人
通木遼平
恋愛
アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。
が、二人の心の内はそうでもなく……。
※他サイトでも掲載しています
婚約七年目、愛する人と親友に裏切られました。
彼方
恋愛
男爵令嬢エミリアは、パーティー会場でレイブンから婚約破棄を宣言された。どうやら彼の妹のミラを、エミリアがいじめたことになっているらしい。エミリアはそのまま断罪されるかと思われたが、彼女の親友であるアリアが声を上げ……
侯爵様の懺悔
宇野 肇
恋愛
女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。
そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。
侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。
その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。
おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。
――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。
帰ってきた兄の結婚、そして私、の話
鳴哉
恋愛
侯爵家の養女である妹 と
侯爵家の跡継ぎの兄 の話
短いのでサクッと読んでいただけると思います。
読みやすいように、5話に分けました。
毎日2回、予約投稿します。
2025.12.24
誤字修正いたしました。
ご指摘いただき、ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる