ただ、愛を貪った

夕時 蒼衣

文字の大きさ
33 / 35

愛を貪った。

しおりを挟む
 母親がもう帰ってこないと、心配する子供のようだった。そんな時にどうすればいいのか。答えは簡単だ。安心させてあげればいいのだ。優しく抱きしめて、大丈夫だよと、そう言ってあげればいいのだ。
「私はどこにもいかないよ。ずっとそばにいるから。」
 そう、だから大丈夫。
「それに私は、あなたが私を愛していなくても、あなたを愛しているから。」
 そうして、私は彼の頬を流れていた、涙にキスを落とした。見上げた彼の目はわたしの知っている彼の目になっていた。透き通るように冷たい目。私が愛した彼がそこにはいた。
 彼は微笑んでいた。いたずらっぽく、満足そうに微笑んでいた。彼の目にはきっと私は映っていない。それでも、私は彼を愛している。むしろ私はここにいる、この彼を愛しているのだ。私のことを必要としてくれる。私を求めて、彼の心は満たされていった。求められる、それこそが私にとっては愛だった。彼の心が満たされる代わりに私の身体が傷つけられるのだったら、本望だった。もっともっと、私を求めてほしい。もっと、もっと、もっと。ただひたすらに、彼の心を満たしたい。彼にもっと、必要とされたい。彼を、私は彼を愛した。ひたすらに彼を愛した。
 彼の大きな手が、私の首に触れた。彼の手は、ごつごつと骨ばっていて、男の人のものなのだと感じられた。この手が欲しい。あなたが、あなたの愛がほしい。永遠と続く愛が。 
「悟さん。おねがい。私を殺して。私を、あなたのものにして。」
 愛が欲しい。私に向けられた愛じゃなくていい。ただ、あなたが欲しい。
 私は幸せだった。彼といるこの瞬間が幸せだった。嬉しかった。やっと、本物の愛が手に入る。悟さん。わたしはあなたを、私のことを愛していないあなたを一番に愛しています。
 意識が遠のくなかで、私は彼と出会うきっかけになった、あの本を思い出した。主人公の男は最後にこう言うのだ。「それでも、私は生きている。こんな私でも生きている。ちっぽけな私たち人間はこんな風にしか、生きていることを証明できない。それでも、わたしは今、胸を張って言える。私は生きていると。」
 ただ一人の力のない男が訴えても、何も社会は変わりなんてしなかった。いつものように、日常は始まる。私もきっと、同じなのだ。影響力もなければ、有名人でもない。それでも、ただこの瞬間、私はここに生きていると、そう、誰かに伝えたかっただけなのかもしれない。ほんの少しの愛と、生きている証を。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...