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第6話:側付き生活の幕開け
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一晩が終わると、東の障子が開け放たれ、庭から吹き込む風は爽やかな柑橘類を思わせた。朝露に濡れた草木の香りが、清々しく鼻をくすぐる。庭の木々は青々と茂り、葉の隙間から差し込む朝日が、床に揺れる影を落としていた。遠くで鳥が鳴いている。
広間の天井は高く、太い梁が組まれていた。壁には金粉の装飾が施され、朝日を受けてきらきらと輝いていた。床の畳は鮮やかな緑色で、踏むとふかふかと柔らかく、リオはこんな上等な畳の上を歩いていいのかと、思わず足を止めそうになった。
兎の神様に祈る巫女が集められた宮には、大きな広間がある。カトラたち、兎の神様に祈る巫女たちは、今日も見上げるほど巨大な兎の石像を中心に手を合わせる。彼女たちの目の前には、それぞれが大事に育てる稲が、小さな鉢植えの中で風にそよいでいる。この稲の出来が、そのまま巫女の技量を意味していた。
巫女と側付きは、その祈りの場の近くの建物で寝起きして、一階で食事を受け取ったり、身を清めたりする。二階は生活の場として、それぞれ個室が与えられていた。
「あたし、兎の神さんに気に入られて、もっと位を上げて、そしてリオの初頭村を見つけるよ」
澄んだ瞳に、リオは微笑んで返した。
それからカトラは、兎の神様にもっと好かれて、一の位を目指したいとまで言った。
「位はいくつまであるの?」
「百八つ」
「……カトラは何番目?」
「上から九十番目。まあ、まだ入ったばっかりだし」
「一番になるまで、いつまでかかりそう?」
兎の神様に仕える一の位様は、高齢女性だ。リオは自分の顔が、どんどん渋くなっていくのを感じた。カトラは明るく言う。
「あのね、一の位ともなると、稲に大粒の米をつけられるんだって。そしたらきっと、初頭村ごと裕福になれる! 二人で頑張ろう!」
こうして、兎の神様を攻略するための作戦会議が始まった。
「どうやったら一の位になれるの?」
「うーん、難しいけど……」
カトラは、とにかく兎の神様の好きな物を差し出すことが肝要だと繰り返す。
「あ、でも十二の神様を率いている『大きな神さん』に好かれるという手もあるな。でもこっちはあんまり現実的じゃないかも」
「どうして?」
「『大きな神さん』は、一人の巫女しか愛さないんだ。あたしじゃきっと無理だよ。山を動かして、光で大地を焼くくらい強い神様だから……」
「じゃあ、兎の神様に好かれるほうが先だね。一の位のおばあさんは、どうやったのかな」
「それがわかれば、苦労しないよ」
「じゃあ、それが私の仕事ってことね」
リオはさっそく、他の巫女たちを探ることにした。本当は一の位の巫女を調べたかったが、彼女は会うことも叶わない宮の最奥にいる。
側付きの仕事は多岐にわたっていた。
朝は巫女より早く起きて、着物を用意する。祈りに使う白い着物は、前日のうちに洗って干しておかなければならない。シワがあってはならないから、丁寧に畳んで押しをかける。帯も、髪を結う紐も、全て側付きが用意した。
巫女が起きると、顔を洗う水を汲んでくる。夏は井戸から冷たい水を、冬は温めた湯を用意する。髪を梳かし、結い上げるのも側付きの役目だ。リオは最初、カトラの髪を結ぶのに四苦八苦した。
祈りが終われば、食事の用意だ。一階で受け取った膳を、二階の部屋まで運ぶ。そして、巫女が口をつける前に、必ず毒見をする。リオは箸を取り、ご飯を一口、汁物を一口、おかずを一口ずつ食べる。しばらく待って、何も起こらなければ、カトラが食べ始める。
「はああ、こんなことしなくたっていいのに。あたしに毒を盛りたい奴なんかいないよ……」
お腹が空いているのに待たされて、カトラは不服そうだった。
食事のあとは、部屋の掃除だ。畳を箒で掃き、乾拭きする。障子の桟も、丁寧に拭き上げる。夏は風通しをよくするために窓を開けているが、冬は隙間風が入らないように目張りをすることもあるらしい。
巫女が勉学をするときは、筆や硯を用意し、使い終われば片付ける。巫女が手紙を書けば、それを使いに出しに行く。買い物を頼まれれば、都の市場まで走る。
夜、巫女が寝る前には、布団を敷く。枕の位置を整え、掛け布団のシワを伸ばす。そして巫女が眠りについたあとも、側付きはしばらく起きていて、何か用事がないか気を配る。
それだけではない。巫女が他の巫女と話すとき、側付きは後ろに控えて、必要があれば口添えをする。巫女が上位の巫女に呼ばれれば、一緒について行く。巫女が病気になれば、看病をする。
そして何より大切なのは、巫女の心を支えることだった。
リオは他の巫女と側付きを見て、すぐに気が付いた。みんな、とても仲がいい。
廊下ですれ違う巫女と側付きは、小声で笑い合っている。祈りが終われば、二人で肩を並べて歩いている。食事のときは、向かい合って座り、楽しそうに話している。
ある巫女は、側付きに「ありがとう」と何度も言っていた。ある側付きは、巫女の肩を揉んであげていた。ある二人は、姉妹のように手を繋いで庭を散歩していた。
九十から上の位になったことのある巫女だけが、側付きを置くことを許されていた。仮にそれより順位が後退しても引き続き置いておくことはできるが、ほとんどは体裁を気にして側付きに暇を出すのが主だった。
「あらあ、巫女になった途端に側付きを置くなんて、カトラのねえさまは張り切っていらっしゃるのね」
「ええ、巫女の勤めに精を出すためですから」
嫌味を言われても、カトラは持ち前の気の強さで跳ねのける。それを見るのは清々しい。
広間の天井は高く、太い梁が組まれていた。壁には金粉の装飾が施され、朝日を受けてきらきらと輝いていた。床の畳は鮮やかな緑色で、踏むとふかふかと柔らかく、リオはこんな上等な畳の上を歩いていいのかと、思わず足を止めそうになった。
兎の神様に祈る巫女が集められた宮には、大きな広間がある。カトラたち、兎の神様に祈る巫女たちは、今日も見上げるほど巨大な兎の石像を中心に手を合わせる。彼女たちの目の前には、それぞれが大事に育てる稲が、小さな鉢植えの中で風にそよいでいる。この稲の出来が、そのまま巫女の技量を意味していた。
巫女と側付きは、その祈りの場の近くの建物で寝起きして、一階で食事を受け取ったり、身を清めたりする。二階は生活の場として、それぞれ個室が与えられていた。
「あたし、兎の神さんに気に入られて、もっと位を上げて、そしてリオの初頭村を見つけるよ」
澄んだ瞳に、リオは微笑んで返した。
それからカトラは、兎の神様にもっと好かれて、一の位を目指したいとまで言った。
「位はいくつまであるの?」
「百八つ」
「……カトラは何番目?」
「上から九十番目。まあ、まだ入ったばっかりだし」
「一番になるまで、いつまでかかりそう?」
兎の神様に仕える一の位様は、高齢女性だ。リオは自分の顔が、どんどん渋くなっていくのを感じた。カトラは明るく言う。
「あのね、一の位ともなると、稲に大粒の米をつけられるんだって。そしたらきっと、初頭村ごと裕福になれる! 二人で頑張ろう!」
こうして、兎の神様を攻略するための作戦会議が始まった。
「どうやったら一の位になれるの?」
「うーん、難しいけど……」
カトラは、とにかく兎の神様の好きな物を差し出すことが肝要だと繰り返す。
「あ、でも十二の神様を率いている『大きな神さん』に好かれるという手もあるな。でもこっちはあんまり現実的じゃないかも」
「どうして?」
「『大きな神さん』は、一人の巫女しか愛さないんだ。あたしじゃきっと無理だよ。山を動かして、光で大地を焼くくらい強い神様だから……」
「じゃあ、兎の神様に好かれるほうが先だね。一の位のおばあさんは、どうやったのかな」
「それがわかれば、苦労しないよ」
「じゃあ、それが私の仕事ってことね」
リオはさっそく、他の巫女たちを探ることにした。本当は一の位の巫女を調べたかったが、彼女は会うことも叶わない宮の最奥にいる。
側付きの仕事は多岐にわたっていた。
朝は巫女より早く起きて、着物を用意する。祈りに使う白い着物は、前日のうちに洗って干しておかなければならない。シワがあってはならないから、丁寧に畳んで押しをかける。帯も、髪を結う紐も、全て側付きが用意した。
巫女が起きると、顔を洗う水を汲んでくる。夏は井戸から冷たい水を、冬は温めた湯を用意する。髪を梳かし、結い上げるのも側付きの役目だ。リオは最初、カトラの髪を結ぶのに四苦八苦した。
祈りが終われば、食事の用意だ。一階で受け取った膳を、二階の部屋まで運ぶ。そして、巫女が口をつける前に、必ず毒見をする。リオは箸を取り、ご飯を一口、汁物を一口、おかずを一口ずつ食べる。しばらく待って、何も起こらなければ、カトラが食べ始める。
「はああ、こんなことしなくたっていいのに。あたしに毒を盛りたい奴なんかいないよ……」
お腹が空いているのに待たされて、カトラは不服そうだった。
食事のあとは、部屋の掃除だ。畳を箒で掃き、乾拭きする。障子の桟も、丁寧に拭き上げる。夏は風通しをよくするために窓を開けているが、冬は隙間風が入らないように目張りをすることもあるらしい。
巫女が勉学をするときは、筆や硯を用意し、使い終われば片付ける。巫女が手紙を書けば、それを使いに出しに行く。買い物を頼まれれば、都の市場まで走る。
夜、巫女が寝る前には、布団を敷く。枕の位置を整え、掛け布団のシワを伸ばす。そして巫女が眠りについたあとも、側付きはしばらく起きていて、何か用事がないか気を配る。
それだけではない。巫女が他の巫女と話すとき、側付きは後ろに控えて、必要があれば口添えをする。巫女が上位の巫女に呼ばれれば、一緒について行く。巫女が病気になれば、看病をする。
そして何より大切なのは、巫女の心を支えることだった。
リオは他の巫女と側付きを見て、すぐに気が付いた。みんな、とても仲がいい。
廊下ですれ違う巫女と側付きは、小声で笑い合っている。祈りが終われば、二人で肩を並べて歩いている。食事のときは、向かい合って座り、楽しそうに話している。
ある巫女は、側付きに「ありがとう」と何度も言っていた。ある側付きは、巫女の肩を揉んであげていた。ある二人は、姉妹のように手を繋いで庭を散歩していた。
九十から上の位になったことのある巫女だけが、側付きを置くことを許されていた。仮にそれより順位が後退しても引き続き置いておくことはできるが、ほとんどは体裁を気にして側付きに暇を出すのが主だった。
「あらあ、巫女になった途端に側付きを置くなんて、カトラのねえさまは張り切っていらっしゃるのね」
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