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第21話:ねじれた線
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翌朝、宴会疲れで家族はぐっすりと眠り込んでいた。リオは一人、早起きをして、台所からかぼちゃを一玉、選び取った。末の子が気付いて、分厚い布団から聞いてくる。
「リオねえちゃん、どこ行くの?」
「山、行ってくる」
道に迷わないように、木の枝に目印の布を結びつけながら、リオは山道を登っていった。空気は冷たく、吐く息が白い。舗装された村の道とは違い、山道は昔のままだった。湿った土や突き出した木の根を避けて歩く。
夜明けと同時に出発したのに、目的の崖に着いたときには、もう日が暮れる頃だった。
リオは崖の縁に立ち、下を覗き込んだ。深い谷には霧が立ち込め、底は見えない。
「まだ怒ってるんですかあ」
リオは手を合わせ、かぼちゃを投げた。
「ごめんなさい! たくさん助けてくれたのに、裏切ってごめんなさい!」
叫びながら、涙が出た。誰に許してほしいのか、自分でもよくわからなかった。龍が起こした不十分な奇跡に文句をつけ、別の神様に祈ったこと。ウトを助けられなかったこと。命の恩人を信頼できないこと。そして、傷付けた親友の顔がよぎった。
目を開けるといつかのように、崖下には白銀の鱗を光らせた龍がうねっていた。夕日の神々しい橙色を帯びて、一回り小さい龍が行くのも見える。気持ちのいい風がぶわっと吹いて、リオの涙を乾かしていく。
リオは立ち上がり、空へと消えていく龍を見送って、山を下り始めた。眼下には、灯りのともり始めた初頭村が見える。温かな光の粒だ。あの中で、家族が待っている。ご馳走が、温かい布団が、リオを待っている。
「これでいい」
リオは声に出して言った。
「これでいいんだ」
自分に言い聞かせる。自分はこの道を選んだ。零の位様の手を取り、物語を書き、村を救う道を選んだ。もう後戻りはできない。みんな幸せになった。誰も凍えず、誰も飢えていない。他に願いはなにもないはずだ。リオは着物の裾を払い、歩き続けた。
ふと、脳裏にカトラの顔がちらついた。怒った顔に呆れた顔、そして、最後に見せた、冷たく突き放すような目だ。
『お前は、そっち側の人間だったんだな』
カトラの声が、風に混じって聞こえた気がした。リオは足を止めた。この痛みは、きっと一生消えないだろう。
満たされた腹、温かい着物、家族の笑顔、それらを手に入れる代償として、リオは一番の親友を失った。
リオは一歩、足を踏み出した。村へ戻ろう。待っている人たちの元へ帰ろう。月が、静かに山道を照らしていた。
村の空気は、春のように穏やかだった。道端の雪はきれいに掃かれ、軒先には色鮮やかな飾りが揺れる、めでたい正月だ。
リオは新しく建った土産物屋の前を通りかかった。真新しい木の香りがする店先には、都から仕入れた珍しい品々が並べられている。
その中でも、ひときわ目立つ場所に平積みされた読み物が、目に飛び込んできた。表紙には金箔が施され、雪の結晶の模様が描かれている。
『零物語』
リオが書いた、零の位様の幼少期の物語だった。
「いらっしゃい! これ、今、町で一番、売れてる本だよ!」
店主が愛想よく声をかけてきた。リオ本人だとは気付いていないらしい。
「なんでも、うちの村出身のリオちゃんっていう子が書いたんだって! すごいよねえ、元々は貧乏な家の子が、こんな立派な本を書くなんて。読んでみなよ。涙なしじゃ読めないよ。貧しくても清らかに生きる、美しい家族の愛の物語さ」
押し付けられた本は、ずしりと重かった。
『お前、おかしくなってるよ』
カトラの言葉が、まだ胸を刺す。この痛みは、ご馳走では埋められない。金でも、名声でも、癒せない。
「……帰らなきゃ」
リオは呟いた。
「え?」
店主が怪訝な顔をする。
「宮へ戻ります! 今すぐに!」
リオは本を棚に戻し、弾かれたように走り出した。早く、一刻も早く、カトラに会いたい。会って、謝らなければ。土下座してでも、罵倒されてでも。自分が間違っていたと伝えよう。そして、もう一度、友だちに戻りたいと泣いて詫びよう。戸口を閉められたくらいで、諦めるべきじゃなかった。
リオは着物の裾を握りしめ、村の出口へと駆けていった。
数日後、リオを乗せた馬車が、宮の門をくぐった。
まっすぐにカトラに会いに行って、謝ろう。そう考えると、手に汗がにじむ。一度ではダメだろう。でも何度も、何度でも、しつこいくらいに謝ろう。零の位様にもお話しして、側付きの件は諦めてもらおう。あんなに優しい方なんだから、根気強く話せばきっとわかってくれるはず。
リオは体がこわばるのを感じながら、馬車を降りた。目指すは、カトラの屋敷だ。
飴でも作っているのだろうか、甘い匂いがする。しかし角を曲がると、目に入ったのは立派な屋敷の門ではなく、黒く焼け焦げた巨大な残骸だった。柱は炭化し、無残に折れ曲がっている。壁は崩れ落ち、瓦礫の山となっている。
番をしていた衛兵を見つけると、リオは噛みつくように駆け寄った。
「ここの、ここの屋敷は? カトラは、三の位はどうなったんですか? このあいだまでここに屋敷があって、カトラがいて、住んでたはずなんです、どこに行ったんですか? 無事ですか?」
「落ち着いてください!」
リオの形相に気圧されたのか、衛兵は言葉を選びながら、慎重に言った。
「三日前、こちらの三の位様のお屋敷で火の手が上がりました。室内には一の位様と三の位様がおりまして……一の位様はお亡くなりになりました。三の位様は、薬院で治療中ですが、意識不明です」
噛み締めた歯のあいだから、息が漏れた。音がぐわんと歪んで、遠くなる。
「大丈夫ですか?」
「薬院に行きます」
カトラは生きている。きっと一の位様が守ってくれたんだ。だからカトラは死なない。意識は戻る。大丈夫。リオはめまいをこらえて、冷たい空気に肺が破れそうになりながら、薬院まで走った。
「リオねえちゃん、どこ行くの?」
「山、行ってくる」
道に迷わないように、木の枝に目印の布を結びつけながら、リオは山道を登っていった。空気は冷たく、吐く息が白い。舗装された村の道とは違い、山道は昔のままだった。湿った土や突き出した木の根を避けて歩く。
夜明けと同時に出発したのに、目的の崖に着いたときには、もう日が暮れる頃だった。
リオは崖の縁に立ち、下を覗き込んだ。深い谷には霧が立ち込め、底は見えない。
「まだ怒ってるんですかあ」
リオは手を合わせ、かぼちゃを投げた。
「ごめんなさい! たくさん助けてくれたのに、裏切ってごめんなさい!」
叫びながら、涙が出た。誰に許してほしいのか、自分でもよくわからなかった。龍が起こした不十分な奇跡に文句をつけ、別の神様に祈ったこと。ウトを助けられなかったこと。命の恩人を信頼できないこと。そして、傷付けた親友の顔がよぎった。
目を開けるといつかのように、崖下には白銀の鱗を光らせた龍がうねっていた。夕日の神々しい橙色を帯びて、一回り小さい龍が行くのも見える。気持ちのいい風がぶわっと吹いて、リオの涙を乾かしていく。
リオは立ち上がり、空へと消えていく龍を見送って、山を下り始めた。眼下には、灯りのともり始めた初頭村が見える。温かな光の粒だ。あの中で、家族が待っている。ご馳走が、温かい布団が、リオを待っている。
「これでいい」
リオは声に出して言った。
「これでいいんだ」
自分に言い聞かせる。自分はこの道を選んだ。零の位様の手を取り、物語を書き、村を救う道を選んだ。もう後戻りはできない。みんな幸せになった。誰も凍えず、誰も飢えていない。他に願いはなにもないはずだ。リオは着物の裾を払い、歩き続けた。
ふと、脳裏にカトラの顔がちらついた。怒った顔に呆れた顔、そして、最後に見せた、冷たく突き放すような目だ。
『お前は、そっち側の人間だったんだな』
カトラの声が、風に混じって聞こえた気がした。リオは足を止めた。この痛みは、きっと一生消えないだろう。
満たされた腹、温かい着物、家族の笑顔、それらを手に入れる代償として、リオは一番の親友を失った。
リオは一歩、足を踏み出した。村へ戻ろう。待っている人たちの元へ帰ろう。月が、静かに山道を照らしていた。
村の空気は、春のように穏やかだった。道端の雪はきれいに掃かれ、軒先には色鮮やかな飾りが揺れる、めでたい正月だ。
リオは新しく建った土産物屋の前を通りかかった。真新しい木の香りがする店先には、都から仕入れた珍しい品々が並べられている。
その中でも、ひときわ目立つ場所に平積みされた読み物が、目に飛び込んできた。表紙には金箔が施され、雪の結晶の模様が描かれている。
『零物語』
リオが書いた、零の位様の幼少期の物語だった。
「いらっしゃい! これ、今、町で一番、売れてる本だよ!」
店主が愛想よく声をかけてきた。リオ本人だとは気付いていないらしい。
「なんでも、うちの村出身のリオちゃんっていう子が書いたんだって! すごいよねえ、元々は貧乏な家の子が、こんな立派な本を書くなんて。読んでみなよ。涙なしじゃ読めないよ。貧しくても清らかに生きる、美しい家族の愛の物語さ」
押し付けられた本は、ずしりと重かった。
『お前、おかしくなってるよ』
カトラの言葉が、まだ胸を刺す。この痛みは、ご馳走では埋められない。金でも、名声でも、癒せない。
「……帰らなきゃ」
リオは呟いた。
「え?」
店主が怪訝な顔をする。
「宮へ戻ります! 今すぐに!」
リオは本を棚に戻し、弾かれたように走り出した。早く、一刻も早く、カトラに会いたい。会って、謝らなければ。土下座してでも、罵倒されてでも。自分が間違っていたと伝えよう。そして、もう一度、友だちに戻りたいと泣いて詫びよう。戸口を閉められたくらいで、諦めるべきじゃなかった。
リオは着物の裾を握りしめ、村の出口へと駆けていった。
数日後、リオを乗せた馬車が、宮の門をくぐった。
まっすぐにカトラに会いに行って、謝ろう。そう考えると、手に汗がにじむ。一度ではダメだろう。でも何度も、何度でも、しつこいくらいに謝ろう。零の位様にもお話しして、側付きの件は諦めてもらおう。あんなに優しい方なんだから、根気強く話せばきっとわかってくれるはず。
リオは体がこわばるのを感じながら、馬車を降りた。目指すは、カトラの屋敷だ。
飴でも作っているのだろうか、甘い匂いがする。しかし角を曲がると、目に入ったのは立派な屋敷の門ではなく、黒く焼け焦げた巨大な残骸だった。柱は炭化し、無残に折れ曲がっている。壁は崩れ落ち、瓦礫の山となっている。
番をしていた衛兵を見つけると、リオは噛みつくように駆け寄った。
「ここの、ここの屋敷は? カトラは、三の位はどうなったんですか? このあいだまでここに屋敷があって、カトラがいて、住んでたはずなんです、どこに行ったんですか? 無事ですか?」
「落ち着いてください!」
リオの形相に気圧されたのか、衛兵は言葉を選びながら、慎重に言った。
「三日前、こちらの三の位様のお屋敷で火の手が上がりました。室内には一の位様と三の位様がおりまして……一の位様はお亡くなりになりました。三の位様は、薬院で治療中ですが、意識不明です」
噛み締めた歯のあいだから、息が漏れた。音がぐわんと歪んで、遠くなる。
「大丈夫ですか?」
「薬院に行きます」
カトラは生きている。きっと一の位様が守ってくれたんだ。だからカトラは死なない。意識は戻る。大丈夫。リオはめまいをこらえて、冷たい空気に肺が破れそうになりながら、薬院まで走った。
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