23 / 28
第22話:黒幕を見る
しおりを挟む
薬院の門の前に、二の位様が側付きと共に座り込んでいた。ぼうっとしていると思ったのに、リオが目の前を通ると、「まだ会えないわよ。医者に話しかけたりして、治療の邪魔しないでよね」と声をかけてきた。張りのない声だった。
振り返ると、二の位様は目の下のクマを化粧で隠すこともせず、脇には稲穂の小鉢を置いている。大粒の米がついた、立派な稲だ。彼女はそれを示して言う。
「わかる? わたしにできるのはこれだけ。あんたはどうでしょうね」
二の位様は、リオを睨み上げた。射るようなまなざしの中に、きらりと暖かい光が潜んでいる。そうだ。巫女は祈る力で、稲穂に実をつけることができる。国に富をもたらすことができる。そして、怪我を治すことができる。
初頭村に帰ったとき、龍は姿を見せてくれた。抱きしめてもらったわけではないが、もう怒っていないはずだ。
「それ貸してください!」
リオは二の位様から稲穂を半ば奪い取るようにした。二の位様の側付きが怪訝そうに口を開きかけたが、主に手で制されて押し黙った。リオは手を合わせ、胸の内から震えるほど強く祈った。
カトラを助けて。唯一無二の親友の、命を助けて。誰よりも正しい人を、この世に繋ぎ止めて。
零の位様の屋敷は、外の煤臭さや悲劇とは無縁の、百花繚乱の別世界だ。窓の外には白い花畑が広がり、甘い香りに満ちている。
側付きたちが驚いた顔でリオを見るが、誰も声をかけてこない。それほどの覚悟と気迫が、今のリオにはあった。居室の扉の前に立つと、中からは、優雅な琴の音色が聞こえてくる。
「失礼いたします。古巣リオです。ただいま、戻りました」
琴の音が止まる。窓辺の長椅子に、零の位様は座っていた。
「あら、お帰りなさい。早かったのね」
零の位様は琴をしまうように側付きに命じ、いつものように微笑みかけた。
「お願いがあるんです!」
リオが叫ぶと、零の位様は「なにかしら?」と少しびっくりしたように目を見開いた。
「カトラが、三の位が火事で、大怪我をして……」
「聞いたわ。不審火だそうね。運が悪かったわねえ」
まるで『春の雨に濡れた』ほどの軽さで、零の位様が目尻を下げる。リオは構わず、懐に手をやり、いっぱいになった小袋を取り出した。
「これを見てください!」
そこには、リオの胸で熱くなった砂金、それも大粒が重い輝きを放って煌めいている。
「砂金?」
「祈りの稲に手を合わせたら、砂金がなったんです。零の位様! お願いです、私を巫女にしてください! これほど祈る力があれば、カトラは助かるかもしれない」
零の位様はリオに押し付けられた砂金を手の中で転がしながら、静かに言う。
「そんなこと、しなくていいのよ」
ああ、そうか、とリオは早合点した。きっと零の位様はもう、カトラのために大神様に祈ってくれている。
「あっ、そうですよね。もう祈ってくださっているんですよね! ありがとうございます、零の位様のおかげで……」
しかし、彼女は口の端を上げて言葉を漏らした。
「誰も祈ったりしないわ……あら、やだ」
口が滑った、とでもいうように、零の位が息を吐く。リオの視野が、零の位を中心にぐっと狭くなる。リオに返された砂金の大粒たちが、小袋の中で泣いている。察しが悪く、たくさんの警告を無視し続け、事態が本当に悪くなるまで気付きもしない自分の代わりに、現実を嘆いている。
部屋の空気は、熟れ過ぎた果実のように甘く、そして息が詰まるほどに重苦しい。いつからこうだったのか、前からこうだったのか。外の世界では木枯らしが吹き荒れているはずなのに、この部屋だけは狂ったような春の陽気に支配されている。金と銀で彩られた調度品が、ぎらりとリオを睨んでいる。
もはやリオは、部屋の主である零の位を直視することができなかった。
「リオ、こっちを見てちょうだい」
彼女は窓辺の豪奢な長椅子に腰掛け直し、水の入った器に触れた。溶けた飴のような甘い匂いが部屋に満ち、湯気がのぼる。零の位は湯を注ぎ、リオの分も茶を入れた。その指先は白く、細く、とても数日前に狼を焼き殺し、カトラの屋敷を燃やした手とは思えないほどに美しい。
「ねえ、やだわ。勘違いしてるでしょう?」
ふう、と茶の湯気を吹き払い、彼女が言った。その声は、障子紙の上を歩くように繊細で、どこか悲しげだった。
「わたくしがそんなこと、するわけないでしょう? 一の位も三の位も、大切な部下よ。わたくしも胸を痛めているの。これでも、夜も眠れないほど心配しているのよ」
彼女の瞳の奥には、『証拠もないのに、何が言えるの?』という冷徹な嘲笑が見え隠れしていた。
狼を焼いたときの甘い匂いと、カトラの燃えた屋敷に残っていたそれ、そして湯を沸かしたこの香りが同じものだと、もしここで零の位に告げたなら、自分はどうなるだろうか。
振り返ると、二の位様は目の下のクマを化粧で隠すこともせず、脇には稲穂の小鉢を置いている。大粒の米がついた、立派な稲だ。彼女はそれを示して言う。
「わかる? わたしにできるのはこれだけ。あんたはどうでしょうね」
二の位様は、リオを睨み上げた。射るようなまなざしの中に、きらりと暖かい光が潜んでいる。そうだ。巫女は祈る力で、稲穂に実をつけることができる。国に富をもたらすことができる。そして、怪我を治すことができる。
初頭村に帰ったとき、龍は姿を見せてくれた。抱きしめてもらったわけではないが、もう怒っていないはずだ。
「それ貸してください!」
リオは二の位様から稲穂を半ば奪い取るようにした。二の位様の側付きが怪訝そうに口を開きかけたが、主に手で制されて押し黙った。リオは手を合わせ、胸の内から震えるほど強く祈った。
カトラを助けて。唯一無二の親友の、命を助けて。誰よりも正しい人を、この世に繋ぎ止めて。
零の位様の屋敷は、外の煤臭さや悲劇とは無縁の、百花繚乱の別世界だ。窓の外には白い花畑が広がり、甘い香りに満ちている。
側付きたちが驚いた顔でリオを見るが、誰も声をかけてこない。それほどの覚悟と気迫が、今のリオにはあった。居室の扉の前に立つと、中からは、優雅な琴の音色が聞こえてくる。
「失礼いたします。古巣リオです。ただいま、戻りました」
琴の音が止まる。窓辺の長椅子に、零の位様は座っていた。
「あら、お帰りなさい。早かったのね」
零の位様は琴をしまうように側付きに命じ、いつものように微笑みかけた。
「お願いがあるんです!」
リオが叫ぶと、零の位様は「なにかしら?」と少しびっくりしたように目を見開いた。
「カトラが、三の位が火事で、大怪我をして……」
「聞いたわ。不審火だそうね。運が悪かったわねえ」
まるで『春の雨に濡れた』ほどの軽さで、零の位様が目尻を下げる。リオは構わず、懐に手をやり、いっぱいになった小袋を取り出した。
「これを見てください!」
そこには、リオの胸で熱くなった砂金、それも大粒が重い輝きを放って煌めいている。
「砂金?」
「祈りの稲に手を合わせたら、砂金がなったんです。零の位様! お願いです、私を巫女にしてください! これほど祈る力があれば、カトラは助かるかもしれない」
零の位様はリオに押し付けられた砂金を手の中で転がしながら、静かに言う。
「そんなこと、しなくていいのよ」
ああ、そうか、とリオは早合点した。きっと零の位様はもう、カトラのために大神様に祈ってくれている。
「あっ、そうですよね。もう祈ってくださっているんですよね! ありがとうございます、零の位様のおかげで……」
しかし、彼女は口の端を上げて言葉を漏らした。
「誰も祈ったりしないわ……あら、やだ」
口が滑った、とでもいうように、零の位が息を吐く。リオの視野が、零の位を中心にぐっと狭くなる。リオに返された砂金の大粒たちが、小袋の中で泣いている。察しが悪く、たくさんの警告を無視し続け、事態が本当に悪くなるまで気付きもしない自分の代わりに、現実を嘆いている。
部屋の空気は、熟れ過ぎた果実のように甘く、そして息が詰まるほどに重苦しい。いつからこうだったのか、前からこうだったのか。外の世界では木枯らしが吹き荒れているはずなのに、この部屋だけは狂ったような春の陽気に支配されている。金と銀で彩られた調度品が、ぎらりとリオを睨んでいる。
もはやリオは、部屋の主である零の位を直視することができなかった。
「リオ、こっちを見てちょうだい」
彼女は窓辺の豪奢な長椅子に腰掛け直し、水の入った器に触れた。溶けた飴のような甘い匂いが部屋に満ち、湯気がのぼる。零の位は湯を注ぎ、リオの分も茶を入れた。その指先は白く、細く、とても数日前に狼を焼き殺し、カトラの屋敷を燃やした手とは思えないほどに美しい。
「ねえ、やだわ。勘違いしてるでしょう?」
ふう、と茶の湯気を吹き払い、彼女が言った。その声は、障子紙の上を歩くように繊細で、どこか悲しげだった。
「わたくしがそんなこと、するわけないでしょう? 一の位も三の位も、大切な部下よ。わたくしも胸を痛めているの。これでも、夜も眠れないほど心配しているのよ」
彼女の瞳の奥には、『証拠もないのに、何が言えるの?』という冷徹な嘲笑が見え隠れしていた。
狼を焼いたときの甘い匂いと、カトラの燃えた屋敷に残っていたそれ、そして湯を沸かしたこの香りが同じものだと、もしここで零の位に告げたなら、自分はどうなるだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。
四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」
突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。
愛しの第一王子殿下
みつまめ つぼみ
恋愛
公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。
そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。
クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。
そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。
愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます
天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。
王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。
影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。
私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~
白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。
王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。
彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。
#表紙絵は、もふ様に描いていただきました。
#エブリスタにて連載しました。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
好きな人ができたなら仕方ない、お別れしましょう
四季
恋愛
フルエリーゼとハインツは婚約者同士。
親同士は知り合いで、年が近いということもあってそこそこ親しくしていた。最初のうちは良かったのだ。
しかし、ハインツが段々、心ここに在らずのような目をするようになって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる