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第2章
未完成⑥
しおりを挟む「私に、その〝浄化の力〟があるということ?」
「少なくともヨゼフ陛下はそう思ってるんだろう。
それでもーーだからこそ、ルア王国に行きリディが彼らに近寄るのは、危険だと、わたしは考えている」
私としても、今更ミミルとまた関わりたいと思えはしない。セレイア王国でのことは結構なトラウマと言っても過言ではないくらいで。
彼女にまた会いたいとは、流石にお世辞にも言えない。
私にとってもまた、ミミルは天敵なのだろうけれどこのまま私が何もしなければ、これから大変なことが起きそうだと言うのはわかってきた。
何よりもー…
(まだバンには言えてないけれど、私を好色王が探している。自分の代わりに地獄へ落とそうと)
「もしーー私の魔力に〝浄化の力〟があったとして、私がポーションを作ったとしたなら、この状況は変わるのかしら」
私の魔力を体内に取り込むことが有効であるとして、ルア王国でどれほどの人が魅了にかかっているのかは未知数だ。
セレイア王国での話や、魅了が成長するものであることを聞くと、ミミルや好色王に気取られないように、私のポーションを全員に飲ませて魅了を解くのは不可能にも思える。
ーー解けたとして、その先は?
ミミルと好色王はどうすれば良いの。
ルア王国の民をどうにかしても、放っておけば、また新しい場所で同じことを繰り返すだけ。
リディアは小刻みに震える手を落ち着けようと、太腿の上で重ねた手を握りしめた。
それを横目で見ていたバンリはポツリと言う。
「君が今すぐ逃げたいのなら、わたしは何処へでもついて行くよ」
「ーー」
「何か出来る力があるからと言って、君が必ず今のセレイア王国やルア王国の状況をどうにかする必要も無いと思う。
君は魔塔で経験も実績も積んだのだから、その身ひとつで他の国へ行って、薬師として小さな店を開いてもいいし、便利な王都にいたいなら王宮勤めの働き口もあるだろう。
わたしはその国の傭兵でも、冒険者としてギルドに登録して魔物討伐でも、身辺警護でも、他にも色々と仕事の当てはある。
出来れば身軽なものが良いな」
「……」
「2人で生きていこうよ。その方が、わたしは嬉しい」
今紡がれている言葉は、全部嘘では無いけれど、バンリの優しさであることにはすぐに気が付いた。
私を見つめるサファイアの瞳の中に、暖かな光を宿している。
その中に、セレイア王国にいた頃のバンリの面影をほのかに感じた。
私が今起きていることを知って、自分の出来ることの大きさも理解して、母国をどうにかしたい気持ちもあるけれど、同時にすごく怖いと思っている複雑な感情で震えていたことを、バンリはわかっているのだ。
私がルア王国へ行ったとしても、無意味に終わるかも知れない。
ーーだけど、今この時。
これから起こることを何か変えられる人がいるとしたら、それはきっと限られている人だけで、きっと私もその内の1人だ。
私が逃げたことで、〝かもしれない〟ではなく〝確実に〟待ち受ける未来が、神器の見せた予知夢なのだ。
私が逃げることを選んだら、その時点でセレイア王国は確実に好色王の支配下に置かれることを選んだことになる。
だからーー私が逃げやすいように、バンリが誘った形を取ろうとしてくれている。
リディアは手を強く握りしめて、心を落ち着かせるようにそっと瞼を閉じた。
そして、ゆっくりと睫毛をあげる。
「…もしーーもしもよ。
私がルア王国に行くことにしたら、私に何が出来ると思う?」
庭園の方を見ながら問いかけると、バンリは先程と変わらない様子で答えた。
「今の時点でわかっているのは、リディに〝浄化の力〟があることだけど。今わかっている以上に、他にもやりようはあると思ってる」
「そうね、私はさっきまでは〝浄化の力〟も思いつきもしなかったもの、他にも何か手段があるかも知れないわね」
「うん。
魅了の影響力は脅威ではあるけれど全く攻略しようの無いものと思えない。そもそも〝浄化の力〟が無くても、鍛えられた無効化や聖力でも一定のところまでは通用するしね」
今の段階でも結構な情報が揃っている。
近くに行けばもっと綻びが見えてくるだろうことは想像に難くなかった。それが臆病な気持ちを勇気づけて、奮い立たせる。
「つまり、完全に対応出来ない力じゃない。まだ知らない沢山の制約も綻びがあると言うことよね」
希望が無いわけではないから、先程よりも明るい声になる。
そんなリディアを見て、バンリは深く頷く。
「それに。もしわたしの仮説が正しくて、〝悪役令嬢〟というものが、ミミルの天敵として排除されると言うのならーー」
言わんとしてることを拾って、リディアが続けていった。
「ルア王国の、侯爵令嬢にも、魅了を退ける何かの能力があると言うことなのかしら」
「おそらくはだけどね。だから行くのであればやはり、侯爵令嬢が処刑される前の方が良いだろう。その方がリディの負担が少なくなりそうだ」
(………)
「…ちゃんと考えるほど、ここで行かなければ、セレイア王国のことを抜きにしても今逃げると言うことを後悔してしまうのかもしれないわね。
だって放っておくほど、他の対処方法があっても知らずのうちに葬られて打てる手立ては少なくなると言うことだもの」
他国に逃げたとしても、少なくとも3国が戦火に包まれてしまえば、何らかの影響を受けることもあるだろう。
これから出会い大切になる人達が、その為に不幸になったら。
その時にはもうなす術もないほどに魅了が広がっている世界になっていたらーー今の自分が逃げることを選択したことを、その時の私は、どう思うのか。
「そろそろ、部屋に戻ろっか」
未だに怯えを滲ませながらも、小さく決意を固めつつあるリディアに、バンリは何も言うことはなく頷いた。
元きた道を戻るように、屋根の平坦な道を歩き進める。
一歩後ろを黙って歩いていたバンリが、「リディ」と名前を呼びかけてくる。
声に反応して振り返ると、バンリは真っ直ぐな眼差しでリディアを見据えていた。
「君がルア王国に行くことを選ぶのなら、その時には必ずわたしも連れて行くと約束してくれないか」
真剣な声に、リディアが考えていたことを見透かされたようで狼狽える。
「でも…バンはセレイア王国に行かないとそれこそ後悔するんじゃないの?その為に神官長がバンを呼びに来たんじゃーー」
そう。リディアの父が戦争をする政策を順調にとれているとするのなら、現在セレイア王国の幼き王として君臨しているアンリ殿下は傀儡の王様になっていると言うことだ。
神官長が何処にいるかもわからないバンリを僅かな情報や手掛かりをもとに、法を犯してまで異国に探しに来たと言うことはーーかなり切迫している。
つまり、こうした決め事をする複数ある議会で根回しされており、王であるアンリ殿下が何と言おうとも順調に可決されつつあるのだろう。
話の経緯から説明されずとも、そう言う状況が、容易に想像できる。
でも。
もしもバンリが今からセレイア王国に戻り、王座に返り咲くか、アンリ殿下の側で後ろ盾として存在し行動すれば、これまでのように父の思い通りにもいかないはずだ。
「わたしはもう既に選んだ。セレイア王国の王では無く、それが復讐だとしても君のためだけに生きることを」
リディアは紫の瞳を見開いて、息をのんだ。
「でも、あの時と今とでは状況が…」
「かわらないよ。
わたしは国が滅びるより、君がまたわたしの知らないところで傷ついた挙句に消えてしまうのが1番恐ろしいんだ」
「ーーバン」
その瞬間風が強く吹いて、右の手で髪をおさえて耳にかける。
譲らないと言う声音に、自制しなければと思いながらもリディアは心が暖かく灯りがともった気がした。安堵したのだ。
バンリの今の言葉に心底ホッとしている自分がいる。自分1人で行くとしたら、上手く行く想像も予感も微塵もしないのに。不思議と、昔から。
バンリがいたらどんな時も私は前を向いて頑張ろうと思えてしまう。
セレイア王国のことを考えると、後回しにしては良くない采配だと思いながらも、バンリがついてきてくれたらどれほど心強いのかと考えてしまう自分がいた。
「ーー私に、ついてきてくれる?」
やっと絞り出したリディアの素直な気持ちを聞いて、バンリは口元に弧を描いた。
片膝をついたバンリはリディアを仰ぎ見て、右手を差し出す。
そのままリディアが差し出した右手の甲に口付けて言った。
「我が主人の仰せのままに」
その時、バンリに握られたリディアの手の震えは、消えていた。
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