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5. vs GANS ①
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「───まだ、夜は少し冷えますね」
テーブルの真向かいに座っている真吾が、ホットコーヒーに口をつけながら私に言った。
「そうかなー?わたしは全然平気だけどねー?」
彼の隣に座る妹の明莉が、ホットココアのカップを両手で抱えるように飲みながら反論する。
「明莉、俺は牧野さんに言ったんだよ」
「えー、何それー?真吾兄にぃ、わたしの心配もしてくれたっていいんじゃないの?」
「何言ってるんだ。心配してやってるだろ、いつも」
ため息をつく真吾に、膨れっ面の明莉。
深夜にも関わらず、目の前で戯れる兄妹を私は内心微笑ましく───しかし顔には出さず───眺めていた。
「私も大丈夫ですよ、ご心配なく」
口をつけた紅茶をティーカップに戻しながら、そう真吾に答えた。
───私たち『Bチーム』の三人は、都内のとある24時間営業の喫茶店に集合していた。
時刻は、すでに午前0時を過ぎている。
成人している私と真吾はともかく、本来高校生である明莉が出歩くような時間ではないが、夜の街にはまだ十代らしき若者の姿も多く、事前に心配していたほど明莉を連れていることで周囲から浮いて見える、ということはなかった。
もっとも念の為、明莉にはマスクとパーカーのフードを被ってもらい、さりげなく外見から年齢がわかりにくいように小細工をしているのだが、もしも彼女が警察に補導されそうになったら、私が責任をもって保護監督者だと言うつもりではあった。
自分の心配が杞憂に終わりそうなことに少しほっとしたが、こんな段階で気を抜いてはいられなかった。本番は、まだまだこれからなのだから。
───私が参加した異能組織の『会合』から、今日ですでに二日が経っていた。宝石強盗を繰り返す異能窃盗集団『GANS』を捕らえるための現場待機は、私たちBチームとしてはこの日が初日になる。
Aチームの参謀役、梓が立てた強盗グループの捕縛作戦は、いたってシンプルなものだった。
『宝石店に現れるはずの彼らの犯行現場を押さえ『現行犯』でそれを捕らえる』
それだけならチームに関係なくメンバー全員で待ち構えてもよさそうなものだが、《電脳者》・遊佐の情報網をもってしても、窃盗団の具体的な犯行予定日だけはどうしてもわからなかったのだ。
料亭の別室での、遊佐の言葉を思い出す。
『こいつらさ、スカスカの頭でも一応用心してるのか、SNSでも襲撃する日時の情報だけは漏らしてないんすよね。おそらく、決行日の直前か当日になってから通話で直接連絡をするとか、そんな感じのルールを敷いてる形跡があるっすね』
遊佐の【違法接続】によって得た確かな情報は、異能窃盗団が「近いうちに」「ヴィーナスジュエリーという宝石店を」「強盗する」というもの。
この3つのキーワードから私たちが導き出した作戦は、A・Bチームが日替わりで犯行予想時間に張り込みを行う───というものだった。
遊佐からの意見で、連中の居所を突き止め、有無を言わさず捕まえた上で拷問でも何でもして、それから窃盗犯としての証拠を掴めばよいのでは───?という過激な提案もあったが、梓はそれをよしとせず、それは本当に手を尽くした後の最後の最後の手段だと言った。
彼女───というより、幹部の有馬の意向として、我々自身が積極的に違法な手段をとることは、いずれ組織そのものの首を締めることになる───とのことだ。その考えについては、私も全面的に賛同したいと思う。
そういうわけでこの待ち伏せ案が採用されたのだが、さすがに連日全員で張り込みをしては、それが空振りだった時の疲労が大きい。であれば、チームで日を分けて担当した方が負担軽減や疲労回復の効率の面で都合ががよいだろうと梓は判断し、私たちもそれに同意した。
昨日から早速、その作戦でAチームの三人が件の宝石店近くで明け方まで待ち構えていたのだが、残念ながら窃盗団によるこの日の犯行はなかった。そうして、今度は交代で私たちBチームの出動となったわけだ。
夜が明けて、張り込みが空振りだったという報告の連絡をくれた梓は、さすがに疲れを感じさせつつ悔しそうな口調だったが、冗談まじりに『気が立っている志麻子さんが、遊佐くんにかなり当たってますね♪』と現場の様子を教えてくれた。
勇んで出動したものの、志麻子はそれが徒労に終わった責任を遊佐にぶつけたらしい。携帯端末越しに『遊佐ぁ、なんだいこのザマはッ!今度からはもっとマシな情報を寄越すんだよッ!』『ひぇーー、そんなこと言われても、こればっかりはオレのせいじゃないっすよぉ?!どうかご勘弁!』などと賑やかな声が聞こえてくる。私はくすっと口元を緩めたが、携帯越しの梓は声をあらためた。
『───牧野さん、くれぐれもお気をつけてくださいね。緊急時はわたしか志麻子さんにいつでもご連絡くださって結構ですが、窃盗団と遭遇した時の現場でのご判断は、全て牧野さんに委ねますので。色々とお任せしてしまって申し訳ありませんが、藤野兄妹のことも合わせてよろしくお願いいたしますね』
私は、梓を安心させるように力強く言った。
『はい、万事お任せください』
───そういうやりとりがあって、私たちBチームの面々は二日目の現場待機の態勢に入っていた。
私は腕時計で時間を確認して、真吾と明莉に促した。
「そろそろ、現場の店舗近くに移動しましょうか」
伝票を手に取って、私たちは揃ってレジに向かった。
───今までの犯行では、窃盗団はいずれも人通りが最も少なくなる午前2時から4時頃を狙って店舗に侵入している。そこから長くても5分足らずの時間で貴金属を強奪し、警察や警備会社が駆けつける前に彼らは逃走を果たしていた。敵ながら、なかなか見事な手際だと言えるだろう。
予想される犯行時間を考慮して、私たちは少し早めに張り込むために『持ち場』へと向かう。
今回、窃盗団にターゲットにされた『ヴィーナス・ジュエリー』は、都内の繁華街のメインストリートに面したビルの一階に入居している高級宝石店だ。ビルの二軒隣には老舗の高級百貨店が鎮座しており、この一帯は歩道や並木などもしっかり整備された、非常に洗練された区画である。
繁華街だけあって昼間は人の往来が多いが、近隣に24時間営業の店はなく、今は周辺の店舗やビルが閉まった深夜の時間帯だ。歩いている人影はほとんどなく、交通量もたまに深夜タクシーが通りかかる程度のもの。
さりげなく強盗団のターゲットとされる宝石店の前を一度通りすぎてから、喫茶店から移動した私たちが腰をすえたのは、通りを挟んで店舗の向かい側に位置するビルのエントランス付近だ。
入口のシャッターは閉まっているが、通りから少し内側に窪んだ形状のため、そのエリアにいればヴィーナス・ジュエリー側からは死角になる。昨日、梓たちが陣取っていたこの場所を予め聞いておいたので、私たちはスムーズに『配置』につくことができた。
私はハンドバッグから、グリップのついた黒い棒状の物体を取り出した。長さは20cm程度だが、重量はそこそこある。明莉が興味深そうに覗き込んできた。
「それ、この間の会合で、梓さんから渡されていた物ですよね?」
「ええ。アリマ製の『強化特殊棍』です」
先日の会合の際、私は梓を通して組織から護身用の新たな『武器』を提供されていた。
それがこの『強化特殊棍』だ。通常は短い警棒のような形状だが、手元グリップのボタン一つで複数の関節から最大で5倍以上の長さに伸ばすことができる。アリマ独自の最新技術であり、それだけの長さに伸ばした状態でも、チタン合金を精製して造られたこの棍には十分な強度が保たれているというから、非常に高品質な護身具だ。
あの監察官とやりあった時に使った杖術が、私の『生身』での唯一の特技だが、武具として『棍』も『杖』もそれほど違いがないので、扱いに困ることはない。
周りに人気がないことを十分に確認してから、私はグリップのボタンを押した。
シャキンッ!と、澄んだ金属音がして強化棍が最大の長さまで伸びる。
真吾と明莉にわざわざ見せるのは、もちろん自慢などではなく、『棍の間合い』を事前に把握してもらうためだ。
「わぁー!牧野さん、かっこいーー!!」
二人の前で棍を構え、『本手打ち』と呼ばれる杖術の基本的な型を軽くしてみせると、明莉が羨望の眼差しを向けてきたが、私は自嘲気味に答えた。
「私の異能には攻撃力がありませんからね───それより、お二人とも段取りは大丈夫ですか?」
棍を元の長さに戻しながら、いつ事が起こってもいいように、二人に最終確認を行った。
「大丈夫です」
「が、頑張りますっ!」
真吾と明莉が答える。
二人とは、すでに個々の能力の特徴や連携方法などはすでに話し合い済みだ。
『相手がこう来たら、こう対応する』───などと、常に予想外の事が起きやすい現場では、そんな型にはまったような対応はできないだろうが、少なくともそれぞれの役割分担は事前に決めておいた方が動きやすいのは確かだ。
「もう、いつ窃盗団が現れてもおかしくない時間帯ですからね───」
そこまで言った時、三人の携帯端末が同時に震えた。
───この合図は!
「牧野さん、本番です!」
真っ先に端末画面を確認した明莉が叫ぶ。
続いて自らも確認すると、私の端末にも『ビンゴ』という三文字のショートメッセージが届いていた。
この合図は待機している遊佐から、リアルタイムで『GANSのメンバーが“本日決行”の連絡をとり合った証拠を掴んだ』時にすぐに送られることになっていたものだ。
それはすなわち、ヴィーナス・ジュエリーが今日襲われることが確定した瞬間でもある。
「お二人とも。絶対に店から目を離さないでください───窃盗団が現れたら、打ち合わせ通りにお願いしますね」
二人が無言で頷く。しかし、特に明莉がひどく緊張している様子だったので、私は安心させるように言った。
「明莉さん、大丈夫ですよ。まずは私と真吾さんで前に出ます。あなたは打ち合わせ通りに動いてくだされば結構ですからね」
真吾も続けて言う。
「明莉、肩の力を抜いてリラックスしてろ。大丈夫、お前ならちゃんとできるはずだ」
「う、うん」
明莉が勇気を振り絞って頷く。
強化棍を手に取り、三人分の手荷物を目立たない場所に置いて、私の異能・《偽装》をかける。これで、一般の人間には私たちの手荷物は、ビルの『鉢植え』にしか見えない偽装になったはずだ。
───それから待つこと、十数分ほど。
遠くから重低音の、車のエンジン音が耳に響いてきて、やがてここからやや離れた位置で止まる気配がした。
この区画の歩道には街灯が多く、夜でも比較的視界が保たれている。
目を凝らしていると、ヴィーナス・ジュエリー店舗のシャッターに、二つの影が近づくのが見えた。
彼らは手慣れた様子で辺りを何度か見渡すと、人がいないのを確認したのか、一人がシャッターに手をかけた。そしてもう一人が、シャッターに手をかけた人物に密着する。
すると二人の姿が、まるで手品のように忽然と消えた!
「────!」
まるで動画を不自然に編集したかのような、完全なる人間の消失風景。おそらく、片方が噂の『壁抜け』の異能を使ったのだろう。
間違いなく、今のが異能を使う窃盗団のメンバーに違いなかった。
真吾が目で私に合図を送ってくる。私は言葉に出さず頷き、指で『真吾と二人で店舗に向かう』『明莉はこの場で待機』の指示を二人に送った。
それぞれが頷き合い、私を先頭に行動を開始する。
待機場所から道路を渡り、静かにヴィーナス・ジュエリーに近づく。
シャッターの前まで移動すると、真吾に左を指差し、自分は右に行く合図を送る。
私たちが到着するのとほぼ同時に、シャッターの内側からは警報音が鳴り響き始めていた。窃盗団が『事』に及んだのだろう。
入口シャッターの両端で、私と真吾が身構える。
向かい合った真吾と目があった。
修羅場を前に緊張しているかと思ったら、彼は私に『安心してください』とでも言うかのように、穏やかな笑みを浮かべていた。
私は何とも言えない気分になったが、その感情を隠すように眼鏡のブリッジを持ち上げ、手にした強化棍を最大の長さにした。
───時間の経過が、長く感じる。
私自身の緊張のせいか、窃盗団が逃走のために再び店の現れるまでの時間が、普段よりゆっくりと流れているかのような錯覚を感じていた。
だが、その時は唐突にやってきた。
シャッターの内側、店内の方からドタドタと複数の足音が聞こえはじめ、やがてそれはすぐ近くで止まった。
───来る!
そう思って棍を持つ手に力を込めた瞬間───、私と真吾のちょうど真ん中付近の空間に、店内から『抜けてきた』二人組の影が現れた!
「───そこの二人、止まりなさいっ!」
機先を制し、まだ状況を把握する前の二人組に私は鋭く呼びかけた。
テーブルの真向かいに座っている真吾が、ホットコーヒーに口をつけながら私に言った。
「そうかなー?わたしは全然平気だけどねー?」
彼の隣に座る妹の明莉が、ホットココアのカップを両手で抱えるように飲みながら反論する。
「明莉、俺は牧野さんに言ったんだよ」
「えー、何それー?真吾兄にぃ、わたしの心配もしてくれたっていいんじゃないの?」
「何言ってるんだ。心配してやってるだろ、いつも」
ため息をつく真吾に、膨れっ面の明莉。
深夜にも関わらず、目の前で戯れる兄妹を私は内心微笑ましく───しかし顔には出さず───眺めていた。
「私も大丈夫ですよ、ご心配なく」
口をつけた紅茶をティーカップに戻しながら、そう真吾に答えた。
───私たち『Bチーム』の三人は、都内のとある24時間営業の喫茶店に集合していた。
時刻は、すでに午前0時を過ぎている。
成人している私と真吾はともかく、本来高校生である明莉が出歩くような時間ではないが、夜の街にはまだ十代らしき若者の姿も多く、事前に心配していたほど明莉を連れていることで周囲から浮いて見える、ということはなかった。
もっとも念の為、明莉にはマスクとパーカーのフードを被ってもらい、さりげなく外見から年齢がわかりにくいように小細工をしているのだが、もしも彼女が警察に補導されそうになったら、私が責任をもって保護監督者だと言うつもりではあった。
自分の心配が杞憂に終わりそうなことに少しほっとしたが、こんな段階で気を抜いてはいられなかった。本番は、まだまだこれからなのだから。
───私が参加した異能組織の『会合』から、今日ですでに二日が経っていた。宝石強盗を繰り返す異能窃盗集団『GANS』を捕らえるための現場待機は、私たちBチームとしてはこの日が初日になる。
Aチームの参謀役、梓が立てた強盗グループの捕縛作戦は、いたってシンプルなものだった。
『宝石店に現れるはずの彼らの犯行現場を押さえ『現行犯』でそれを捕らえる』
それだけならチームに関係なくメンバー全員で待ち構えてもよさそうなものだが、《電脳者》・遊佐の情報網をもってしても、窃盗団の具体的な犯行予定日だけはどうしてもわからなかったのだ。
料亭の別室での、遊佐の言葉を思い出す。
『こいつらさ、スカスカの頭でも一応用心してるのか、SNSでも襲撃する日時の情報だけは漏らしてないんすよね。おそらく、決行日の直前か当日になってから通話で直接連絡をするとか、そんな感じのルールを敷いてる形跡があるっすね』
遊佐の【違法接続】によって得た確かな情報は、異能窃盗団が「近いうちに」「ヴィーナスジュエリーという宝石店を」「強盗する」というもの。
この3つのキーワードから私たちが導き出した作戦は、A・Bチームが日替わりで犯行予想時間に張り込みを行う───というものだった。
遊佐からの意見で、連中の居所を突き止め、有無を言わさず捕まえた上で拷問でも何でもして、それから窃盗犯としての証拠を掴めばよいのでは───?という過激な提案もあったが、梓はそれをよしとせず、それは本当に手を尽くした後の最後の最後の手段だと言った。
彼女───というより、幹部の有馬の意向として、我々自身が積極的に違法な手段をとることは、いずれ組織そのものの首を締めることになる───とのことだ。その考えについては、私も全面的に賛同したいと思う。
そういうわけでこの待ち伏せ案が採用されたのだが、さすがに連日全員で張り込みをしては、それが空振りだった時の疲労が大きい。であれば、チームで日を分けて担当した方が負担軽減や疲労回復の効率の面で都合ががよいだろうと梓は判断し、私たちもそれに同意した。
昨日から早速、その作戦でAチームの三人が件の宝石店近くで明け方まで待ち構えていたのだが、残念ながら窃盗団によるこの日の犯行はなかった。そうして、今度は交代で私たちBチームの出動となったわけだ。
夜が明けて、張り込みが空振りだったという報告の連絡をくれた梓は、さすがに疲れを感じさせつつ悔しそうな口調だったが、冗談まじりに『気が立っている志麻子さんが、遊佐くんにかなり当たってますね♪』と現場の様子を教えてくれた。
勇んで出動したものの、志麻子はそれが徒労に終わった責任を遊佐にぶつけたらしい。携帯端末越しに『遊佐ぁ、なんだいこのザマはッ!今度からはもっとマシな情報を寄越すんだよッ!』『ひぇーー、そんなこと言われても、こればっかりはオレのせいじゃないっすよぉ?!どうかご勘弁!』などと賑やかな声が聞こえてくる。私はくすっと口元を緩めたが、携帯越しの梓は声をあらためた。
『───牧野さん、くれぐれもお気をつけてくださいね。緊急時はわたしか志麻子さんにいつでもご連絡くださって結構ですが、窃盗団と遭遇した時の現場でのご判断は、全て牧野さんに委ねますので。色々とお任せしてしまって申し訳ありませんが、藤野兄妹のことも合わせてよろしくお願いいたしますね』
私は、梓を安心させるように力強く言った。
『はい、万事お任せください』
───そういうやりとりがあって、私たちBチームの面々は二日目の現場待機の態勢に入っていた。
私は腕時計で時間を確認して、真吾と明莉に促した。
「そろそろ、現場の店舗近くに移動しましょうか」
伝票を手に取って、私たちは揃ってレジに向かった。
───今までの犯行では、窃盗団はいずれも人通りが最も少なくなる午前2時から4時頃を狙って店舗に侵入している。そこから長くても5分足らずの時間で貴金属を強奪し、警察や警備会社が駆けつける前に彼らは逃走を果たしていた。敵ながら、なかなか見事な手際だと言えるだろう。
予想される犯行時間を考慮して、私たちは少し早めに張り込むために『持ち場』へと向かう。
今回、窃盗団にターゲットにされた『ヴィーナス・ジュエリー』は、都内の繁華街のメインストリートに面したビルの一階に入居している高級宝石店だ。ビルの二軒隣には老舗の高級百貨店が鎮座しており、この一帯は歩道や並木などもしっかり整備された、非常に洗練された区画である。
繁華街だけあって昼間は人の往来が多いが、近隣に24時間営業の店はなく、今は周辺の店舗やビルが閉まった深夜の時間帯だ。歩いている人影はほとんどなく、交通量もたまに深夜タクシーが通りかかる程度のもの。
さりげなく強盗団のターゲットとされる宝石店の前を一度通りすぎてから、喫茶店から移動した私たちが腰をすえたのは、通りを挟んで店舗の向かい側に位置するビルのエントランス付近だ。
入口のシャッターは閉まっているが、通りから少し内側に窪んだ形状のため、そのエリアにいればヴィーナス・ジュエリー側からは死角になる。昨日、梓たちが陣取っていたこの場所を予め聞いておいたので、私たちはスムーズに『配置』につくことができた。
私はハンドバッグから、グリップのついた黒い棒状の物体を取り出した。長さは20cm程度だが、重量はそこそこある。明莉が興味深そうに覗き込んできた。
「それ、この間の会合で、梓さんから渡されていた物ですよね?」
「ええ。アリマ製の『強化特殊棍』です」
先日の会合の際、私は梓を通して組織から護身用の新たな『武器』を提供されていた。
それがこの『強化特殊棍』だ。通常は短い警棒のような形状だが、手元グリップのボタン一つで複数の関節から最大で5倍以上の長さに伸ばすことができる。アリマ独自の最新技術であり、それだけの長さに伸ばした状態でも、チタン合金を精製して造られたこの棍には十分な強度が保たれているというから、非常に高品質な護身具だ。
あの監察官とやりあった時に使った杖術が、私の『生身』での唯一の特技だが、武具として『棍』も『杖』もそれほど違いがないので、扱いに困ることはない。
周りに人気がないことを十分に確認してから、私はグリップのボタンを押した。
シャキンッ!と、澄んだ金属音がして強化棍が最大の長さまで伸びる。
真吾と明莉にわざわざ見せるのは、もちろん自慢などではなく、『棍の間合い』を事前に把握してもらうためだ。
「わぁー!牧野さん、かっこいーー!!」
二人の前で棍を構え、『本手打ち』と呼ばれる杖術の基本的な型を軽くしてみせると、明莉が羨望の眼差しを向けてきたが、私は自嘲気味に答えた。
「私の異能には攻撃力がありませんからね───それより、お二人とも段取りは大丈夫ですか?」
棍を元の長さに戻しながら、いつ事が起こってもいいように、二人に最終確認を行った。
「大丈夫です」
「が、頑張りますっ!」
真吾と明莉が答える。
二人とは、すでに個々の能力の特徴や連携方法などはすでに話し合い済みだ。
『相手がこう来たら、こう対応する』───などと、常に予想外の事が起きやすい現場では、そんな型にはまったような対応はできないだろうが、少なくともそれぞれの役割分担は事前に決めておいた方が動きやすいのは確かだ。
「もう、いつ窃盗団が現れてもおかしくない時間帯ですからね───」
そこまで言った時、三人の携帯端末が同時に震えた。
───この合図は!
「牧野さん、本番です!」
真っ先に端末画面を確認した明莉が叫ぶ。
続いて自らも確認すると、私の端末にも『ビンゴ』という三文字のショートメッセージが届いていた。
この合図は待機している遊佐から、リアルタイムで『GANSのメンバーが“本日決行”の連絡をとり合った証拠を掴んだ』時にすぐに送られることになっていたものだ。
それはすなわち、ヴィーナス・ジュエリーが今日襲われることが確定した瞬間でもある。
「お二人とも。絶対に店から目を離さないでください───窃盗団が現れたら、打ち合わせ通りにお願いしますね」
二人が無言で頷く。しかし、特に明莉がひどく緊張している様子だったので、私は安心させるように言った。
「明莉さん、大丈夫ですよ。まずは私と真吾さんで前に出ます。あなたは打ち合わせ通りに動いてくだされば結構ですからね」
真吾も続けて言う。
「明莉、肩の力を抜いてリラックスしてろ。大丈夫、お前ならちゃんとできるはずだ」
「う、うん」
明莉が勇気を振り絞って頷く。
強化棍を手に取り、三人分の手荷物を目立たない場所に置いて、私の異能・《偽装》をかける。これで、一般の人間には私たちの手荷物は、ビルの『鉢植え』にしか見えない偽装になったはずだ。
───それから待つこと、十数分ほど。
遠くから重低音の、車のエンジン音が耳に響いてきて、やがてここからやや離れた位置で止まる気配がした。
この区画の歩道には街灯が多く、夜でも比較的視界が保たれている。
目を凝らしていると、ヴィーナス・ジュエリー店舗のシャッターに、二つの影が近づくのが見えた。
彼らは手慣れた様子で辺りを何度か見渡すと、人がいないのを確認したのか、一人がシャッターに手をかけた。そしてもう一人が、シャッターに手をかけた人物に密着する。
すると二人の姿が、まるで手品のように忽然と消えた!
「────!」
まるで動画を不自然に編集したかのような、完全なる人間の消失風景。おそらく、片方が噂の『壁抜け』の異能を使ったのだろう。
間違いなく、今のが異能を使う窃盗団のメンバーに違いなかった。
真吾が目で私に合図を送ってくる。私は言葉に出さず頷き、指で『真吾と二人で店舗に向かう』『明莉はこの場で待機』の指示を二人に送った。
それぞれが頷き合い、私を先頭に行動を開始する。
待機場所から道路を渡り、静かにヴィーナス・ジュエリーに近づく。
シャッターの前まで移動すると、真吾に左を指差し、自分は右に行く合図を送る。
私たちが到着するのとほぼ同時に、シャッターの内側からは警報音が鳴り響き始めていた。窃盗団が『事』に及んだのだろう。
入口シャッターの両端で、私と真吾が身構える。
向かい合った真吾と目があった。
修羅場を前に緊張しているかと思ったら、彼は私に『安心してください』とでも言うかのように、穏やかな笑みを浮かべていた。
私は何とも言えない気分になったが、その感情を隠すように眼鏡のブリッジを持ち上げ、手にした強化棍を最大の長さにした。
───時間の経過が、長く感じる。
私自身の緊張のせいか、窃盗団が逃走のために再び店の現れるまでの時間が、普段よりゆっくりと流れているかのような錯覚を感じていた。
だが、その時は唐突にやってきた。
シャッターの内側、店内の方からドタドタと複数の足音が聞こえはじめ、やがてそれはすぐ近くで止まった。
───来る!
そう思って棍を持つ手に力を込めた瞬間───、私と真吾のちょうど真ん中付近の空間に、店内から『抜けてきた』二人組の影が現れた!
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