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学園編

1. 大人の嗜みと子供の嗜み

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 広原の向こうから、砂煙を上げこちらに向かう影が見える。鮮やかな緑の軍服。それがウェリンク軍であることを、タールマには一瞬で認識した。

「偵察隊!」
 ウェリンク校の誇る偵察隊は、隊列を崩すことなくこちらに向かってくる。出発時と姿が変わらぬ事から全員ケガもなく無事のようだ。

 偵察隊にも教え子を持つタールマは、心から安堵の表情を浮かべながら彼らを称えようと歩を進め、偵察隊はタールマの前でバイクを降りる。
「よく戻った。……状況は?」
「それが……」



「なに!?ダイス軍が全滅?」
 耳を疑うようなその言葉に、生徒たちは思わず車両から身を乗り出す。それをタールマは咎めることなく、視界の端に捕らえながらも続けた。

「我々が最初の報告を学園に伝え、もう一度戻ったときにはダイス軍は全滅しておりました」
「数百という兵だったと、聞いていたが?」
「推定、800です」
「800が、全滅?シライシにでもあったのか?」

 シライシとは古くから存在する巨大な異形で、それに立ち向かうのは不可能だと言われていた。
 一瞬で何百もの人間が消し飛び、全滅に追いやってしまう。そんな生き物が、昔この世界にはゴロゴロといたらしい。

 冗談を言ったつもりのタールマだったが、偵察隊は至極真剣な眼差しで続ける。
「死んでいたのは、推定700あたりの異形です。その他の兵は撤退したものと思われ……」
「異形!?」
 異形と聞いて、タールマは血の気が引いた。あんなものに、生徒を立ち向かわせようとしていたのか。当然そんな報告は聞いていなかった。

 役員は知っていたのか?校長は?湧き上がる疑問とともに、役員たちへの怒りが込み上げてくる。
 そして、一つの疑問が浮かんだ。

「撤退?シライシならありえない」
 あれが、獲物を逃すはずが無い。
「じゃあ、何が……」

 唇に指を当てタールマはしばらく考えるが、眉を寄せ生徒たちが乗る車両を振り返る。生徒全員がタールマを見つめ、発する言葉を聞き逃さないよう身を乗り出していた。

「敵、壊滅につき、そのまま教室に戻って待機。荷解きはまだするな」

「壊滅?……了解。えっと、タールマ先生」
 車両の奥から金糸の髪を後ろに流したセラが、顔を覗かせていた。

「何だ。セラ」
「今日は、新しい担任が赴任すると聞いてますが……」

 今日の騒ぎでタールマも忘れていたが、新任の教師が来る予定だった。ツヴァイの後釜を決める会議の際、校長が独断で決めた人物。

 役員にも了承を取っていないとの噂まであった。__そして、まったくの無名。
 学年主任も反対したが頑として聞かなかった校長推薦の後任は、初日に見事に遅刻している。

「そうだったな……報告は後にする。全員を教室に引率せよ」
「了解」
 戸惑ったようにセラが答えると、彼らの下で唸っていたトラックも静かになった。


__________

『彼が来るのが楽しみだ』
 御年90歳近い校長が、目を細め言ったことをタールマは覚えている。

 老いてはいるが、只者ではないと思わせる校長のオーラにはタールマも会うたび圧倒されていた。その校長が、その瞳に尊敬という想いを溢れるほどに満たせながらその男を語る。

 タールマはまだ見ぬ英雄に、密かに胸を躍らせていた。
(しかし、歳はいくつになるのだろうか)
 前任のツヴァイと変わらぬ歳だったらそれこそ意味が無い。

 報告に向かう偵察隊を見送り、自分も報告に戻ろうと時計から目をはずした時だった。

 一陣の風が、吹くのを感じた。暖かく、乾いていてそして、鼻をくすぐる香り。

 先程までの鋭い風とは違う穏やかな風に、気持ちを宥められた気がしてタールマはふ、と息をつく。

 とにかく生徒たちが戦場に行かなくて良かったことは喜ばしいことだ。
 いつかは行かねばならぬ初陣を、何かの身代わりのようなことに飾らせたくはなかった。

 頬をくすぐる自分の髪を梳くってタールマが目線を戻すと、そこには男がいた。

 タールマは混乱する。

 自分の目の前に立つこの男の気配にまったく気がつかなかった事実に。そして、意思に反して流れ込んでくる感情、

 それは、紛れもない『畏れ』という念。


 男はこちらを見ておらず、レダ平原の方を遠く見つめているようだ。タールマと視線は合ってはいない。

 しかし強大なまでの存在感に、タールマは飲み込まれそうになっていた。
 とっさに握りこんだ剣の柄がカタカタと音を立てる。するとその音に気付いたように、初めて男はタールマに視線を投げた。

 男はタールマを見つけると、片方の眉を吊り上げ口を開いた。

「……ああ、ごめん。怖がらせたかな、大丈夫?」
 男は栗色の髪をかき回しながら穏やかに笑う。
「……?」
 自分が陥っている畏れの感情と、男の反応のギャップにあまりの差を感じてしまったタールマの脳内は、更なる混乱を招いた。


__________

「あ、チャイム鳴った」
 今日の授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響き、鉄が目を擦りながらぼやいた。
 
 セラは眉根を寄せ、考え込むように頭を抱えて何やら呻いている。待機命令は解除されていないし、その後の情報も何一つ入ってきていなかった。

 またいつ出撃命令が出されるか分からないといったピリピリとした空気で待ってはいたが、まだ10代の生徒たちだ。
 それぞれ居眠りをしたり、話をしたりと落ち着きがないまま教室にいた。

 教室の外が騒がしくなり、Bクラス以外の生徒は授業から解放されたようだ。
 その音を聞きながら、教室全体がうんざりした空気に包まれている。
 
 しばらく考えた後、セラは顔を上げて立ち上がった。
「解散しましょう。教室には私が残っておくから」
「それ、お前が怒られないか?」
 道元が前髪をかきあげながら横目で聞いてくるが、セラは続ける。
「大丈夫。召集がかかったらまた連絡するから、今日は皆部屋にいてね。解散」
 同時にガタガタと椅子の音が響き、明るい声が飛び交う。

 部屋を出て行くクラスメイトを笑顔で見送り、セラはゆっくりと腰掛ける。
 指揮官というものがまだ良く解らない。こんなときどんな命令がベストなのか、いつもセラは判断に迷っていた。

(ああ、こんな結果を出すんだったら早めに部屋に帰すんだった。皆、慣れない事で疲れているだろうに…)
 考えを巡らせていたセラだったが、自分の机に何やら甘そうな菓子が並べられているのに気付く。

 袋を破り食べ始めているのは、いつのまに自分の隣に腰掛けたのか、陸だった。
「はい」
 せわしなく口をモゴモゴさせながら棒状のチョコを、セラの前に差し出してくる。
「ありがと…」
 セラが一本受け取ると、陸はニコリと笑った。
「お菓子食べながら先生待とう」

 次の袋を開けながら陸が言うと、後ろから鉄と道元が椅子を持って菓子に手を伸ばす。教室には4人しか残っていなかった。セラは幸せな笑みを浮かべ陸の頭を撫でる。

 同い年の者からこんな行為をされると大抵の人間は怒りそうなものだが、陸は怒ることもなく大人しく撫でられている。
 同い年ながら陸の幼い体格と言動に、セラは妹のように可愛がっていた。

 菓子袋の中身も半分以上減ったとき、タールマが教室に入ってきた。セラが勢い良く席を立ち、敬礼する。

「自分の判断で一時解散しました。全員異常なし」
「……そうか。待たせてすまなかった。判断は正しい」
 ふう、と息をついてタールマが答える。

「どうか、されましたか?」
 いつになく疲弊した様子のタールマに、セラが尋ねるが、タールマは答えることなくセラたちの机の上の菓子を頬張る。

「……美味しい」
 心ここにあらずといった感じで タールマは呟いた。
 普段の厳格なタールマからは想像できない表情を見て、4人は顔を見合わせた。



 夜。

 陸が目を開けると、見慣れたの天井と黄色い電球が自分を見下ろしている。テッサが真っ暗の中では怖くて眠れないと、いつも点けている小さな明かりだ。

 ぼんやりとしていたその輪郭がハッキリと形を成してきたときに、陸は自分が起床時間より何時間も前に起きてしまったのだと気付く。
 少しずれてしまっていた毛布を自分の方に引っ張りながら、陸はもう一つの事に気がついた。

(のど、かわいた)
 塩辛いスナック菓子なんて食べるんじゃなかった。と後悔はするが、改善はしない。
 いつもは夜中に起きることなんて無いのに起きてしまったことが、更に喉の渇きを加速させる。

(コーラ飲みたい)
 喉に弾ける炭酸に、陸にとっては控えめな甘み。飲むには自販機コーナーまで買いに行かなければいけない。

 深夜に出歩くのは禁止かどうかは陸は知らないが、学園規則を読み直せば禁止と記載されているに違いない。読み直す気は全く無いが、躊躇させるには充分だった。
(でも飲みたい)
 葛藤の決着はすぐについた。



 部屋を出て細い廊下を抜けると、少し開けたスペースにコミュニケーションフロアがある。テレビとソファと自販機があり、昼間は生徒たちが楽しげに談話する場所となっているのだ。
 コーラが買えるだけの小銭を握りしめて、陸はフロアに入った。

 昼間とは違い、静まり返ったフロアを横目に早足で自販機に向かう。自販機の明るい照明にホッとしながらも、小銭を入れようとしたその時だった。

 ピィィィン-----。
 聞きなれない音が響き渡り、陸は身を震わせた。

 フロアには誰もいなかったはずだ。
 気配も感じなかった。
 先生かもしれない。
 怒られる。
 いや、先生ならまだいい。
 ---その他だったら……。

 陸は振り向き、自販機を背にした。

 フロアには確かに人がいた。男だ、ということは認識できた。
 その男は金属の箱のようなものを指で弾いて音を立てていたが、陸の視線に気付いてこちらを見た。

 緑色の瞳。

 仄暗い照明の中で、それだけ際立って浮かんでいた。
 見たことも無い顔だ。
 陸は警戒し、身体を強張らせる。
 武器はもちろん無いし、魔法だって使えるかどうか解らない。
(どうしよう、どうすればいい?)

「小銭、落ちたけど」
「??」
「お金だよ。今自販機の下に滑り込んでいった。気付かなかった?」
 男は立ち上がり、陸に向かってくる。

「……!??」
 驚く陸をよそに、自販機の下を男は覗きはじめた。
 警戒心で自分の周りを覆っている陸の足元で、男は無防備な姿で自販機の下を探り、くぐもった声を漏らす。

「暗くてみえんね。照明が無いと難しいな」
 そう言うと立ち上がり、膝の埃を払い始めた。陸は自分を纏う警戒心を消そうか、消すまいか判断に迷っていた。

 長い手足、陸より頭幾分か大きい身長、そして何よりも男が纏う空気は、何故か心地良い。警戒心が削ぎ落とされていくようだ。

「警戒しなくていい。信じられないかもしれないけど、この学校の関係者だ」
「……関係者?」
「うん。当然危害は加えない。安心して。武器とかもってないし」
 そう男は言うと、自販機に小銭を入れ始めた。自販機が明るくなり、購入可能のボタンが光る。

「子供は遠慮無用。押せ」
「でも……」
「押して」
「…………」

 男から目を離さずに目当てのボタンを押すと、ガコンと取り出し口から音が響き、目の前の男は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「コーラ!将来が楽しみだ!」
「あなたは……。何を、してるんですか?」
「何って喫煙と飲酒。大人の醍醐味だろ」

 そう言うと手にしていた銀色の小さな箱を陸に見せ、指で弾いた。ピィンと音が鳴り、箱の上部が弾かれる。
 と、同時に嗅いだことの無い香りが陸の鼻腔をくすぐった。

「タバコに火をつける道具だ。ジッポという」
「……じっぽ?」
「おう。まぁ座りな?」

 あまりにも自然な流れで相席を促され、さらに自分の手元には男に買ってもらったコーラを握り締めている。
 断るという行為を諦め、陸は男の前に浅く腰掛けた。


 フロアの窓は全面ガラス張りになっており、外は雪がチラついている。
 男は雪を眺めながら陸の目の前でビールを飲んでいた。
「いただきます」
 お礼も兼ねて言った陸の言葉に、男は妙に嬉しそうな表情を浮かべた。

 コーラに口を付けると刺激が口にパチパチと広がり、待ちかねた感触に陸はニコリと笑う。
 欲求に素直に応えそのまま喉に流し込むと、この状況に落ち着いてしまった自分がいることに陸は少し驚いた。

 普段は人見知りで、知らない人といると落ち着かないでオロオロするのだが今はそれがない。
 目に前にいる人間がそうさせているのか、陸は不思議な感覚でチラリと男を見やった。

(綺麗な顔……)
 フロア全体がほの暗くはっきりは見えないが、男が整った顔をしていることはわかる。
 存在する明かりは、外から漏れる月明かりのみ。
 青白く照らされた男の顔は、陸が今まで見た中で一番美しく見えた。

(セラやテッサが喜びそう)
 面食いの親友二人がキャアキャアと騒ぐ様を想像して、また更に顔を観察する。

「……ん?」
 視線に気付いた男がビールの缶に口をつけたまま声を漏らすと、陸は自分でも自然に口を開いた。

「誰ですか?顔見たこと無いんですけど……」
「そりゃあ、無いだろうな。今日来たもん」
「勤務員の方ですか?」
 ウェリンク校では警備員、調理師、清掃員など色々な職種の人間が働いている。

「まぁ、そんなもんだよ。……コーラ美味いか?」
「はい。美味しい、です」
 うまく話を逸らされた気がしたが、手元にある美味しいことに揺らぎが無いものを見つめた。

「そうか?昔はもっと美味しかった。今のはなんか、甘くて黒くて炭酸な飲み物だ」
「昔も今も同じ味ですけど……」
「ふむ、そうかな?」
 そう言うと、空になったビールの缶を握りつぶしながら男は陸に目を向ける。

「名前は?」
 人に名前を尋ねるときはまず自分から。
 という太古の教えが頭に過った陸だったが、兵士の卵のクセで即座に返事を返してしまう。
「クラスB。階級F。奥村陸…です」

 クラスから階級まで紹介してしまい、陸は少し恥ずかしくなり目を逸らした。その一連の動作を見て、男は優しい笑みを浮かべた。

「俺の名は『たつとら』。覚えやすいだろ?平仮名だし」
「たつとら?」
 たつとらは頷き、腰を上げる。
「ほら、部屋に戻ってもう一眠りしろ。夜明けまで時間がある」

 たつとらはコーラの空き缶を陸から受け取ると一緒にゴミ箱に投げ込んだ。
 缶が小気味の良い音を立てて見事にゴミ箱へ収まったのを確認すると、彼は生徒の寮とは反対側に歩き出した。

「……たつとら」
「んぁ?」

 無意識にたつとらの名を呼んでたことに陸は気付いて、自分のパジャマの裾を握り締める。
 子供のようだ、と陸は思った。でも、次に飛び出してくるであろう言葉を止める事が出来なかった。

「また、会える?」
 その言葉にたつとらは身体ごと振り返り、陸と向かい合った。
「会えるぞ。それも近いうちに」

 フロアの月明かりが届かない所まで進んで行ってしまっていた彼の表情を陸は読み取ることが出来ない。だがその返事だけで陸は心に灯が点った気がしていた。

 自身も知らぬ間に満面の笑みを浮かべ、陸は自室への道へ向かう。
 数歩進んでふと振り向いたときには、たつとらの姿はなかった。
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