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第二章 執念の後、邂逅へ臨む

第30話 魂を与える社

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 *

「……っ!」

 急激に意識が引き戻され、葉雪は敷布の中で身体を堅くする。部屋はまだ真っ暗で、夜明けはまだ遠い時刻のようだ。

 横になったまま周囲を警戒するが、部屋の中に不穏な動きはない。

 側には丸まった神獣が二匹。寝息は規則正しく、深く寝入っているようだ。

(神獣は気付いてないか……となると、外だな……)

 常に神経を尖らせるのが当たり前だった葉雪は、未だに小さな異常にも反応してしまう。

 神獣らを起こさないように寝台を出て、外被をすっぽりと被る。仮面もつけて扉を開けると、月明かりがじんわりと廊下を照らしていた。

 冥府の敷地には水場が多く、廊下の下には川が流れている。月と星を映した川を横目に、葉雪は廊下をゆっくりと進んだ。

 感じるのは『消された気配』だ。
 隠密などは気配を消して目的地へ忍び込むが、葉雪にはその気配も手に取るように感じ取れる。

(……この夜中に気配を消すなど、明るい案件ではないだろうな……。もしかして魂与殿か?)

 冥府の要所といえば、運命簿を保管する魂与殿だ。
 冥王と禄命星君しか入ることが出来ない場所で、四方を池で囲ってある場所である。

 橋は一か所しかなく、常に文衛が入口を固めて護っている。強力な結界も張ってあり、容易には入れないはずだ。 

 しかし感じる胸騒ぎは、確実に魂与殿へ向けられているような気がした。

(……っ、やはり……!)

 橋の入口まで走ると、見張りの文衛が座り込んでいるのが見えた。争った形跡は無く、5人全員が身を寄せるようにして気を失っている。

 念のため呼吸を確認したが、全員眠り込んでいるだけだった。しかし彼らの背後にある結界には、大きな亀裂が入っている。

 魂与殿の結界は、四帝と冥王が昊力を合わせて構築したものだ。突破できる者など限られている。

 音もなく橋を疾走していると、今まさに魂与殿に入ろうとしている人影を捉えた。

 大きな体格、揺れる群青色の髪。
 ____ 鵠玄楚だ。

「……!! 待て!」
 
 止めようとして跳躍すると、鵠玄楚が剣を抜きながら振り向いた。葉雪は空中で短剣を抜き、鵠玄楚の剣に叩きつける。

 魂与殿に焚かれた青い篝火で、鵠玄楚の顔が怪しく影を落とす。口端は吊り上がっていて、笑っているように見えた。

「……っ黒羽王! ここがどこかご存じのはず!!」
「知っているさ、勿論な」

 鵠玄楚が剣をいなすと、葉雪は後方へ弾き飛ばされた。
 咄嗟に身体を捩って橋の手すりを蹴り上げ、鵠玄楚から距離を置いた場所へと着地する。

 葉雪の動きを見てか、鵠玄楚の眉尻がぴくりと動く。

「……ほお、良い動きだ。入口に居た文衛とは大違いだな」
「……っあなたは、分かっているのか!? ここに入ったことが露見すれば、黒羽と昊穹の関係は……っ!」

 言葉半ばで、鵠玄楚は動いた。

 橋の上で剣を合わせているため、相手の動きは直線的だ。しかし大きな体躯から繰り出されたのは、予想を遥かに越える早い斬撃だった。

(……っ、速い!! しかもかなりの強打だ………!)

 身体を捩り短剣でいなし、寸でのところで彼の剣を避ける。
 まだ調子の戻っていない身体では、防ぐことが精一杯だ。反撃なんて考える暇もない。

 身は切られていないが外被は裂け、切れ端が空を舞う。
 荒い息をついて鵠玄楚を睨むと、彼は一つも息を乱さないまま、薄い口端をついと上げる。

「お前、本当にやるな。……しかし、身体の動きが鈍い」
「……っあ……!」

 鵠玄楚の腕がぬっと伸びてきて、外被の胸元を掴まれる。抗う間もなく引き上げられ、次いで地面へと叩きつけられた。

 肺が押しつぶされ、激痛とともに息が詰まる。
 構わず地面を蹴って体勢を立て直そうとしたが、その足を掴まれた。

「活きのいい文衛だ」
「……っ!?」

 ぐるりと視界が回ったかと思えば、胸に鵠玄楚の腕が回っていた。
 葉雪を俵のように抱きかかえたまま、鵠玄楚は悠然と魂与殿へと足を進めていく。

 抵抗しようと思ったが、先程の一撃で肺を強かに痛めてしまったようだ。
 鵠玄楚の腕が胸に巻きついているため、痛みが引いていかない。
 
 忙しなく咳をしながら、葉雪は目の前に迫った魂与殿の扉を見た。昊黒烏だった時代でさえ入ることの無かった場所だ。

 黒冥府の長である鵠玄楚だからこそ、この場所の神聖さが解っているはずだった。しかし彼は一つも焦りを見せないまま、目の前に迫った扉を見上げる。

「ここに許可なく立ち入れば、誰であろうと罰せられる。……共に入れば、共犯だな?」
「……っな……! や、め……!」

 抗議の声も空しく、魂与殿の巨大な扉は開かれた。
 そして葉雪は、初めて目にする光景に目を見開く。

 円柱型の造りになっている魂与殿は、内部は空洞になっていた。内部の壁に貼り付くようにして設置された本棚に、びっしりと運命簿が天井まで並んでいる。

 壁に沿うように造られた螺旋階段は、まるで天に向かう龍のように見えた。

「ここが魂与殿か。黒冥府と変わらんな」

 鵠玄楚がしらけ顔で言い放ち、中央に置かれた卓の下に葉雪を降ろした。間髪入れず葉雪を後ろ手で縛り上げ、卓の足へと固定する。

 書見台が置かれている卓は、立ったまま運命簿を読むために設置されたものだろう。
 通常よりも丈の高い卓は、安定させるために地面へと埋め込まれている。
 葉雪が力を込めても、卓は少しも動かない。

 鵠玄楚は葉雪から離れ、階段をゆっくりと上り始めた。指は運命簿の背表紙を辿っている。

 仕草からすると、彼は誰かの運命簿を探しているように見えた。魂与殿や運命簿に害を成そうとしている訳では無さそうだ。

 葉雪は未だ痛む肺を無視して、彼に声を放つ。
 
「……っ、だれのを、探している……?」
「昊黒烏殿のものだ。追放されたのだろう?」

 鵠玄楚は隠すことなく、葉雪の問いに答えた。目線は運命簿を辿ったままだ。
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