番に忘れられたけど、推しとして支える事にした ~16年越しの巣作りを~

墨尽(ぼくじん)

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 その日から、ロジェの日常は一転した。ルキウスの秘書官として側に置かれることとなったのだ。
 しかしそれは肩書きだけで、文官としての職務は引き継いだままだ。単に仕事をする場所がルキウスの執務室に変わっただけである。

 多忙は相変わらずだったが、ルキウスが近くにいると諸々の仕事が捗った。面倒な中間手続きが必要なくなったことが一番大きいだろう。
 そして数日間ルキウスの近くで過ごすうち、色んなことが分かってきた。

「ザザド、東南の関所に兵を送れ。もうすぐケルピーの繁殖期だ。今年は早い方が良い」
「了解いたしました。軍部へ指示を送ります」
「午後の会議までに対策を練ってくるように言え。俺も出席する」
「御意。午前の会議の予定ですが……」

(……おいおい、一日何回会議するんだよ……)

 ロジェの予想以上に、ルキウスは多忙だった。信じられないほどの仕事量をこなしつつ、律儀に各方面の会議に参加する。
 ルキウスの厳しさに怯える部下も多いようだが、彼の丁寧な仕事ぶりを見れば誰も文句は言えないようだ。

 ルキウスはどんな案件でも軽んじない。その真摯な姿勢は部下にも伝わり、彼を敬愛し支えようとする者たちは増えているようだ。脱落する者も多いが、それに比例して忠臣が多いという。

(それにしても、忙しすぎだよなぁ……。夜も仕事しかしてないし……)

 この間までは世伽役と過ごしていた時間も、ルキウスは仕事に充てるようになった。
 思えばルキウスにとってあの行為は、仕事の一環だったのかもしれない。
 毎夜用意される夜の相手を無下にも出来ず抱いていたとしたら、何とも不器用な人だと再認識せざるを得ない。

(……そういえば俺も、あれから抱かれてないな……)

 ルキウスの秘書官になってから、どうしてか抱かれることも無くなった。代わりに毎晩のように馬小屋に呼び出され、散々撫でまわされている。
 最初はロジェも戸惑っていたが、子猫らの可愛さも相まって、ルキウスの奇行に慣れつつあった。
 黙々と書類を捌くロジェの耳に、ルキウスの怒号が飛び込んでくる。

「あれほどの任務で死傷者を出すなどと、お前の指揮はガキの遊びと一緒か⁉」
「っも、申し訳ございません!」

 深く頭を下げる騎士と、まったく動じないザザドとルトルク。この光景も見慣れてきた。

 ルキウスが怒ると、その場は比喩でもなく凍り付く。冷気が床を這って広がり、ロジェまでガタガタと震えそうになるのだ。
 冷徹、厳格な将軍とはまさにその通りで、ルキウスは非常に怒りっぽい。

 ロジェは立ち上がり、例のバーカウンターへ足を向ける。酒ばっかりだったこのカウンターにも、ロジェが来てからは茶器が並ぶようになった。
 寒さに震えながら茶を用意し、未だに怒号を飛ばすルキウスの下に向かう。

「閣下、お茶を淹れました」
「……後にしろ」

 一瞥もくれず、ルキウスは言い放つ。しかしロジェは怯まない。

「閣下。……ルキウス様」
「……チッ」

 噛みつくように舌打ちし、ルキウスはロジェへと顔を向ける。美麗な眉は波立って、眉根には渓谷のような皺が刻まれていた。

 美男の憤怒顔というのは非常に迫力がある。ロジェも以前だったら怯えていただろう。
 しかし今、ロジェは彼に寵愛されている立ち位置なのだ。たとえそれが偽だとしても、ここは怯むべきではない。

 ルキウスの執務机にティーカップを置き、ロジェは可憐に微笑んで見せる。すると彼はぐっと言葉を飲み込んだあと、無言でティーカップを手に取った。
 カップに口を付けると、ルキウスの眉根の皺が解けていくのが見て取れる。

(……よかった。正解みたいだ……)

 ルキウスは昔、ロジェに様々な種類の茶を飲ませてくれた。彼は意外にもお茶が好きで、紅茶や当時まだ珍しかった珈琲にも手を出していたのだ。

 ルキウスと一緒にカフェに通い、茶葉や珈琲豆を売る店には何度も行ったことがある。今ではロジェもすっかりお茶通になってしまった。
 今回ルキウスに出した茶も、彼好みのものだ。お茶を飲めば心も落ち着くだろう。
 
 ロジェは黙って頭を下げ、自分の机へ戻る。
 耳を傾けたが、もう怒号は聞こえる事はなかった。ほっと息をついて、ロジェは目の前の書類へと集中した。


*****

 最近妙に仕事が捗る。そう気付いたのは、華奢猫を秘書官に迎えてから数日が経った頃だった。

 執務机を見下ろして、ルキウスは何とも言えない感情を持て余す。

 優先順位に並べられた書類、羽ペンはいつも使い勝手が良いように整備されている。インク瓶すらも拭きあげられていると気付いた時は、思わず頬が緩んでしまった。

 ルキウスは基本、自分の持ち物を他人に触られるのが苦手だ。
 側近の二人はそれを熟知しており、余計な事は一切しない。ルキウスが秘書官を置かないのも、他人に干渉されるのが煩わしかったからだ。
 しかしどうしてか、シン・アースターには拒否感を覚えない。

 シンは朝一番に執務室を訪れ、全てのカーテンを開け放つ。窓を開けて淀んだ空気を追い出し、爽やかな空気を執務室へ取り入れるのだ。

 本来、ルキウスは窓を開けるのが嫌いだった。
 陽の光は頭痛を呼び起こし、緑の香りはいつかどこかで失ったものを思い出しそうになるからだ。 
 しかしそこにシンがいれば、なぜか満たされるような感覚が沸き出してくる。そして胸の奥が、くすぐったくなるのだ。
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