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第2章
17 お帰りください
しおりを挟む「…キャアッ!!」
レティシアは、従者によってアシュリーの右手から引き剥がされ…勢いよく弾き飛ばされる。
「アッシュ様!大丈夫ですかっ!!」
「…クソッ…!」
苛立つアシュリーと、慌てる従者。
その大袈裟なやり取りを、レティシアは床に転がったまま呆気に取られて見ていた。
「…………」
レティシアの身体はレイヴンの魔術で守られているため、床に打ちつけた軽い衝撃はあっても、強い痛みや怪我はない。
しかし、心が傷ついた。…が、立ち直りは早かった。
「ちょっと、そこの従者!『大丈夫ですか』は、私に言うべきではなくって?!」
「お前っ…アッシュ様に何をする!!…この不届き者が!控えろっ!!」
(はあぁぁぁ~!!!!平民は、お貴族様に少しも触れたらイカンのかいっ?!)
「……ルーク……やめろ……」
「しかし、この女のせいで……あ……あれ?!」
(従者の名前は“ルーク”か…呪いの人形を見つけたら、絶対にお前の名前を書く!!)
「…私の身体は…何の問題もない…みたいだ…」
(でしょうね。この状況で問題があるとしたら脳みそよ!)
「えぇっ?!…あっ、もしかして…この者は?!」
「…世の中には、いろんな人間がいるものだな…ルーク」
二人の言動全てがレティシアには意味不明だが、勝手に事態を終結させていることだけは分かった。
♢
「取り乱して申し訳ない。名は…レティシア…だったか?」
アシュリーは、まだ床に座った状態のレティシアに手袋をはめた左手を優雅に差し出し、紳士的に振る舞う。
レティシアはその手をしばらく眺めた後、一人で立ち上がり…スカートの汚れを叩いた。倉庫の床は綺麗ではないのだ。
「…………」
「…また…突き飛ばされてはかないませんので…」
普段、周りから好意を寄せられるばかりで拒絶された経験などないのだろう…左手を出したままキョトンとするアシュリー。
その横で、従者のルークが毛を逆立てた獣のように鼻息を荒くしてこちらを睨んでいた。
レティシアも負けずに、思いっ切り睨み返しておく。
「シリウス伯爵様、こちらにお座りください」
レティシアは自分を落ち着かせる気持ちで小さく息を吐き出し、荷物受け渡しのカウンター前に置かれた椅子にアシュリーを座らせ、右手を出すように言う。
「…あ、あぁ…」
「他国からの輸入品には、どんなバイ菌が付着しているか分かったものではありません。やはり、小さな傷口でも消毒はしておくべきです。ご心配なく、御身には絶対に触れないと誓いますから」
レティシアは綿花とピンセットを器用に使い、アシュリーの手に一切触れず処置を済ませ、右手の手袋を返した。
「…………」
「もう、当店の閉店時間を過ぎております。商品の運び出しも終えていますので、どうぞそのままお引き取りください。
商品の温度管理については申し上げた通りです。後は、そちらでお気をつけいただくようお願いいたします」
「…………」
「荷馬車が待っているみたいです。お帰りはあちらですよ」
「アッシュ様、さぁ…早く行きましょう!」
なぜか喋らなくなった主人を立ち上がらせ、急かす従者のルーク。アシュリーはレティシアが指差す出口を見てはいるものの、立ったまま動かずにいる。
「…すまなかった…」
「ちょっ…アッシュ様?!」
「…謝罪なら結構です。平民が出過ぎた真似をいたしまして、こちらこそ大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げるレティシアの全身からは“さっさとお帰りください”という無言のオーラが滲み出ていたに違いない。
──────────
翌日は、レティシアの週に一度の休みの日。
次の仕事を探すため、朝早くから職業斡旋所に出掛けた。
レティシアは宿なしの平民。
住み込みの仕事を求めて探せば、その多くは貴族の邸での下働きとなる。
レティシアのような平民の未経験者は、使用人として最下層のため、誰もやらない雑用を任される係。
当然ながら受け入れ先の貴族のランクも低く、その場合、特に見目よい下女は邸の主人や上級使用人たちに目をつけられ、立場が弱いばかりに襲われたというケースも少なくないらしい。
レティシアの美貌ではほぼ確定だと、初回に担当した職員からは『お勧めできない』と物凄い勢いで止められてしまった。
身分のある男性の子供を孕むのが目的という平民女性もいるが、それがシンデレラ・ストーリーになるかといえば…そんなことは滅多にない。
(…はぁ…今日もいい仕事は見当たらないな…)
「お針子や料理人をするには能力不足だし…国外へ出るほどのお金も貯まってない。仕事を探しつつ、商店で働くしかないの?…雇用更新かぁ…妥協して変な仕事を掴むより、身の安全のためにもそれが一番マシなのかな」
壁に貼り出してある求人募集を一通り見た後、いつも相談に乗ってくれる職員の空きを待ちながら…レティシアは、職業斡旋所の隅に設けられた狭い休憩所で考えを巡らせていた。
頬杖を付くと、耳にかけていた髪がハラリと顔にかかる。
侯爵家を出る時、レティシアは腰まであった長い髪を肩より少し下の辺りで切り揃えた。切ってくれたのはカミラ。
床に散らばる髪を見ながら、身も心も軽くなっていった感覚を思い出す。
(短い間だったけど、カミラにはよくして貰ったわ…髪を切りながら泣いていたし…元気だといいな)
♢
「…ここ…座ってもいいか…?」
(ん?いくら狭いといったって、他にも席は空いているでしょう?)
顔を上げたレティシアの目の前には、背筋をピンと伸ばして立つ…アシュリーがいた。
「………お断りします」
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