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ルブラン王国
26 レティシアと伯爵4
しおりを挟むアシュリーは、レティシアの座るソファーの隣にゆっくりと腰かける。
「ならば、私と一緒にこの王国を出る選択肢も加えてくれないか?」
「…伯爵様は、触れても大丈夫な女性として…私を連れて帰りたいだけでしょう…?」
唯一の存在であるレティシアを手に入れたいと思っていることは、隠しようのない事実。
「…否定はしないが…そればかりではないんだ…」
♢
初めて商店で会った時、レティシアの飾らない美しさと高貴な色合いの瞳が魅力的だと思った。
そして、珍しい言語を理解する能力の高さに…アシュリーは注目する。
女性であるため、残念ながら自分の側には置いておけない。
それでも、自国へ連れ帰り仕事を与えてみたい…そんな思いが湧き上がったところで、あの出来事が起きた。
待ち望んでいた“運命の人”にやっと出会えたというのに、率直な想いをレティシアに示すことがひどく難しいものに感じられる。
──────────
「レティシア…私は、君が商店の倉庫で働くには勿体ない…素晴らしい語学力の持ち主だと思ったんだ。
あの時、何事もなく商品の受取りを済ませていたならば『レティシアを引き抜きたい』と…商店のオーナーに即交渉していただろう」
「…え?」
「見ての通り私は貴族だ。妙にへりくだった態度を取られたり、過度に怯えられてしまう場合も少なくない。だから、誰に対しても物怖じしない君の姿に好感を持った。
客への対応も言葉遣いも丁寧で問題はないし、人に話を上手く伝える伝達力も優れている。それに…トゲの刺さった私を放置しなかった。君は、親切で行動力のある人物だと思う」
「…………」
「つまり、何が言いたいかというと…私にとってレティシアは欲しい人材なんだ。君なら、貿易の盛んなラスティア国で活躍してくれると…私はそう見込んで……レティシア…?」
アシュリーは、話の途中で急に黙って俯いてしまったレティシアに気付く。
無粋な行為だと分かっていながら、どうしても顔を覗き込まずにはいられなかった。
「…なぜ…泣いている…」
「………伯爵様の言葉が…胸に染みたからです…」
「…ほ…本当か?…私といるのが嫌なのでは…」
「…いいえ…」
今のレティシアの人格を形成する土台となっているのは“前世の記憶”。しかし、その記憶も時折霞んで途切れてしまい…自分を見失うことがある。
アシュリーの言葉は、そんな不安定な“前世の記憶”を一瞬鮮明なものにした。
『ズケズケと物を言うな』『奥ゆかしさが足りない』と上司に叱責を受けた日々、語学を学んで外国の人と交流してみたいと留学を決めた気持ち…“有栖川瑠璃”として生きていた懐かしい記憶の片隅を刺激され、涙が頬を伝い落ちる。
「嫌ではありません」
(伯爵様は、私をちゃんと見てくれていた…嫌だなんて思わないわ)
♢
『商店を辞めて、ラスティア国で働かないか?』
再度説得を試みるつもりだったアシュリーは、無意識のうちにレティシアの頬に手を伸ばしていた。
強引に話を進めようとした自覚はある。
嫌な思いをさせたのかもしれない…涙で濡れた目元を優しく拭えば、レティシアは『いいえ』と弱々しく首を振る。
潤んだ青い瞳と無防備な表情は儚く物憂い…レティシアを守ってあげたくて堪らない衝動に駆られたアシュリーは、胸に引き寄せ両腕で包み込む。
興奮して熱い血が脈打つ心臓は、爆音を鳴らし激しく飛び跳ねた。
──────────
「…あっ…」
レティシアは、突如としてアシュリーに抱き寄せられる。
何が起こったのか?
今まで女性に触れてこなかったアシュリーが、レティシアを抱擁するなど…全くの予想外。レティシアの涙も、どこかへ引っ込んでしまった。
(…伯爵様の…ドキドキがすごい…)
強く拘束したり身体を擦り寄せることもなく、ただじっと大切に囲われている…純粋に、レティシアを慰めるための精一杯の行動であると理解をする。
今まで、元・兄ジュリオンに散々抱き締められてきたせいか、貴族の正しい触れ合い方と距離感が分からない。
(…あれ?…これって…)
香水を振った直後かと思うくらいに、強く爽やかな香りが漂っている…ベッドと同じ匂いに思えた。
香りの元を確かめたくなったレティシアは、アシュリーの首筋辺りをスンッと嗅いでみる。吸い込んだ香りは、不思議とレティシアの気分を良くしていく。
「…っ……んっ…?!」
腕の中のレティシアの鼻先と髪が、首や頬にわずかに触れてこそばゆく感じたアシュリーは、弾かれたようにパッと背を反らす。
レティシアの手は逃げたアシュリーを追いかけ、後ろで束ねられた藍色の長い髪を一房掴んだ。
──────────
アルティア王国では髪は“魔力の象徴”。
強い魔力を持つ者は、安易に髪を切ったり他人に触らせたりはしない。
何も知らないレティシアは、その髪に触れてしまった。
アシュリーの身体の奥深くにある、魔力の源がビリビリと痺れる。
得も言われぬ快感。
どこかがむず痒くてもどかしいのに…逃げ出せない。
形容し難い高揚感が一気に押し寄せてきて、クッと堪えた声を漏らす。
「…やっぱり…髪から強い香りがする…」
アシュリーのことなどお構いなしのレティシアは、ゆっくりと髪の香りを嗅いだ後にそう言って頷く。
「…っ…か、香り…?!」
レティシアが髪を手放した時には、アシュリーの顔はもう真っ赤になっていた。
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