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第8章
127 脱・期間限定3
しおりを挟むアシュリーは、誘拐されて呪いを受けた当時の記憶が未だ不鮮明だった。体調がよくなっても、心の傷まで癒えたかどうか…目には見えない。
「殿下、苦しい思いをされることがありましたら、遠慮なく吐き出してくださいね」
握った手を大事に胸に抱き締めるレティシアの自然な動きと胸の柔らかな感触に、アシュリーは目を見張る。
「…君は、私が眠っている間もずっと温もりを与え続けていてくれたんだな…ありがとう。身体もマッサージで解して貰えたお陰で助かった。私は…我を失ってレティシアを襲ったというのに…はぁ…」
「…………」
ため息と共に肺から大量の空気を押し出して萎んだアシュリーは、不安気に自分を見つめるレティシアの頬に触れた。
「………私のせいで…怪我をしたのか?」
「…そんなことは…」
「怖い思いをさせて…本当に申し訳なかった」
ベッドの上で、毛布に顔がつきそうなくらいに深々と頭を下げられてしまい…レティシアは焦る。責めるべきは目の前のアシュリーではなく、呪いなのだから。
「お顔を上げてください!見ての通り、私は平気です。殿下が気になさる程の過ちは何もありません。怪我も、自分で指を少し切ってしまっただけで…」
「…不可抗力だとしても…きっかけは私にあった。二度と同じ過ちを繰り返さないと誓う、約束する」
「…殿下…」
あの日、レティシアはアシュリーの異常行動に驚いて戸惑った。しかし、意識を飛ばして記憶すらない彼にそこまで深く罪の意識を感じさせてしまっては申し訳ない。
(刻印の能力で、過度な性欲を与えるエロ神も悪いわ)
♢
アシュリーは魔法薬を強制的に口移しさせた件についても謝罪して許しを得ると、ようやく胸のつかえが下りた表情を見せる。
「あの時は、ご自分のお身体の状態を何もご存知ない殿下からお話を聞くわけにいかないと思って…それで、私は薬を選びました」
「…あぁ…分かっている…」
「もしかして…殿下は怒っていらっしゃったのですか?」
濃い魔力香に耐え切れず気を失ったことを思い出し、アシュリーの感情が読み取れないままだったレティシアは小首を傾げた。
「いや…そうではない」
即否定したものの、頑なに話を聞くのを拒まれ、愛らしい唇をその代償とばかりに乱暴に貪ったアシュリーは…再び罪悪感を感じる。
「呪いが解けて、今度は刻印の力が色濃く現れるようになった。怒ったと思わせてしまったのは、私が君を強く求め過ぎてしまうが故だ…制御が不十分で、不快な思いをさせてすまない」
女性と契りを交わし、縁を結ぶのが“刻印”。レティシアはそれを求められては困ると思う一方で、アシュリーの好意が嫌だと感じたことはない。
誠実で常に人を思いやる優しい心を持つ美しい男性、嫌いになる部分が彼には存在しないのだと改めて思った。
「この先、殿下は多くの女性からアプローチを受けるでしょうね。今までできなかった令嬢たちとの交流や新たな出会いから、たくさん刺激を受けるはずです」
「アプローチは要らない」
「要らなくても、あちらから勝手にやって来ます」
顔を上げたアシュリーは、にこやかなレティシアをチラリと見て恨めしそうな目を向ける。
「殿下は、若くて魅力的な青年ですよ?大公として催事へ参加すれば、素敵な令嬢たちが接近して来るのは当然かと…」
「素敵な令嬢?…レティシアは少し誤解しているな」
「え?」
「私は女性との触れ合いを避けてはいたが、女性に見向きもしなかったわけではない。人間観察は抜かりなくしてきたつもりだ」
「…観察ですか?」
「夜会やパーティーに表向きは参加していなかったが、姿を変えたり…消したりして会場には情報収集のために行っていた。社会的影響を持つ貴族の動向は探る必要がある」
(姿を消したり?…殿下は透明人間なの?)
「名門家の令嬢たちなら数多く目にしてきた。人によって巧みに話題と態度を変え、上手くやっているように見えて…話の内容は、悪口と陰口と噂話が八割。高位貴族に尻尾を振りながら、水面下では隣の相手をどう蹴落とそうかと互いに腹を探り合うしたたかな生き物だ」
「…………」
「噂一つで立場が逆転する。素敵なご令嬢は、脆くて弱いから生き残れないな」
プリメラ2号、3号が、か弱き令嬢を虐める光景が安易に想像できた。
一族を繁栄させる目的で『他家へ嫁ぐ』のが貴族令嬢に与えられた役割。誰かが躓けば自ずと己の価値が上がる。より条件のいい嫁ぎ先を手に入れるために、他人を貶めることすら厭わない。社交の世界は弱肉強食だった。
「叔父上に任せっきりだった部分も含め、大公としてすべき範囲で異性とも関わってはいく。だが、私がアプローチしたい女性ならここにいる」
むくれた表情で呟くアシュリーの言葉は重く、レティシアの耳に長く余韻を残す。
──────────
──────────
「…月のもの…ですか?」
「そうだよ、レティシアは女の子だろう?」
アシュリーはパン粥を食べ終え、スカイラとサオリは菓子パンをレティシアにも勧め…ゆったりとお茶を飲んでいたところ『月のものがあるか?』とスカイラに尋ねられる。
(生理?あれ、言われてみれば……一度もない)
「女の子のはずなんですけれど、ないですね」
「えっ!…本当に?!」
女性ならばあって然るべきものが“ない”と聞いて、ギョッとしたのはサオリだった。緊張した面持ちで、スカイラとレティシアを交互に見つめる。
「はい、特に気にしていませんでした。身体が不完全だからでしょうか…それとも、ファンタジー的な現象?」
「ファンタジーが何かよくは分からないけれどね、月のものがないと赤ちゃんができないんだよ」
「それは…存じております…すみません」
「この世界で目覚めて五ヶ月目だろう?…うーん…魂と身体の同化は早ければ半年程度かねぇ、月のものが始まれば確定だ」
「…分かりました…」
「それから、月のものが確認できるまで交わりは禁止だよ」
「………交わり?」
「意味は分かってると思うが…ヤッてないだろうね?」
「…この身体は、処女(推定)なはずです…」
「いいかい、情を交わすってのは濃い魔力を引き入れることだ。長年慣らされた大魔術師の魔力なら抵抗ないとして、それ以外は今のレティシアには負担が大きい。加護があるから滅多なことはないと思うが、貞操を守るように」
魔力のないレティシアの身体は、一度魂を失って現在未完成。男性の精は魔力と同じで、それを体内に直接取り込む…つまり、躰を繋げる行為は危険だと理解をした。魔法王国とはいえ、お相手が魔力持ち限定なのが少々気にかかる。
避妊方法が薬や魔法だと言うロザリーの話からすると、避妊具を使用して未然に防ぐという思考はなさそうだった。
「おばあ様、指輪の効果も加護もすり抜けちゃう男がここにいるわ」
(そうです、サオリさん!殿下が無敵な件!!)
「大公、レティシアのために頼んだよ」
「肝に銘じます」
「安心しな、口付けやお触りは自由さ」
(……何て?)
三人が顔を寄せ合ってコソコソ話す。
アシュリーが女性とこんな風に内緒話をする姿を見れるとは…感慨深い思いに耽ると同時に、こっそり聞き耳を立てるレティシアに向かってサオリが微笑んだ。
「レティシアには、後でお話してあげるわね」
「…はい…」
────────── next 128 平和?
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
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