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第9章
130 変化
しおりを挟む「ん?ヘイリー、それは何?」
その日の昼食タイム。
食事を終えたばかりだというのに、鞄の中から“デザート”ではなく“サンドイッチ”を取り出したヘイリーの手元を見て、レティシアが声を掛けた。
周りの女子たちと、護衛中のルークも注目する。
「ふふん…レティシア様、気になります?これ、隣国で流行っている栄養価の高い果物で作ったサンドイッチですのよ」
「果物?ってことは、フルーツサンドってやつ?」
「……なっ、なぜご存知ですの!」
少々大袈裟に驚いてみせるヘイリーは、明るくて話しやすく面白い…とても可愛らしいレティシアの一番の友人だ。
大きな商家の生まれで、おそらくは裕福。優秀な兄セオドアが文官になったツテを辿って、宮殿勤めを始めた。最初、一般的な下働きをしていたであろう彼女は努力家で物知り。今では、物資の管理をする部署で活躍している。
「うちの商店で扱うかどうか、一番上のお兄様が目下思案中の超新作サンドイッチですのにぃ…異世界には、このサンドイッチがあるんですか?」
「何かごめんね…あったわ。私はいただいて食べた記憶しかないけれど、甘いクリームと果物を挟んで、冷やして食べるおやつじゃないかしら?」
「ほぅ…クリーム…もっと、そこんとこを詳しく」
新聞で『異世界から来た聖女の妹』であると知れ渡ってしまってからも、レティシアの態度は何も変わらない。何なら以前よりずっと砕けた雰囲気の昼食タイムを過ごしており、女子たちとの関係は良好。ヘイリーが鼻息荒くレティシアに詰め寄る姿に、周りは半ば呆れ顔で笑う。
そんな、いつも通りの昼下がり…のはずだった。
♢
「お楽しみの最中に大変申し訳ない…私の秘書官を返していただいても構わないだろうか…?」
木陰で輪になって座り込む五人の女子の前に、白いコートを羽織り、長い黒髪を結いもせずサラサラと風になびかせたアシュリーが現れる。
髪と瞳の色を見ただけで高貴な身分だと分かるその麗しき姿。絵姿か遠目で眺めたことしかない自国の君主をいきなり間近で目にしたレティシアの昼食仲間たちは、飛び上がったり腰を抜かしたり…一時騒然となった。
「たっ、たっ、大公様?!」
「た…大公殿下にご挨拶申し上げますっ!」
「…大公…殿下…様…?」
「レティシア様はこちらです!どうぞご自由に!!」
宮殿の中庭で、アシュリーを前にした女子たちは大慌て。最後のヘイリーなど、レティシアの背中を押して差し出す勢い。
「…皆の休憩中にすまない…楽にしてくれ…」
困ったように目線を逸らしながら照れ笑いをするアシュリーは、顔よし声よし立ち姿よしで…女子たちの心を一瞬でギュギュッと鷲掴みにしてしまう。
当然、レティシアもその一人だ。アシュリーが登場してから心臓がバクバクと忙しないのに、ヘイリーに押し出されて真正面から向き合う羽目になる。
(ちょーっと、押さないでっ!)
彼が特別な存在だと気付いてから、どうしても意識してしまう。今まで通り自然に振る舞えず、アシュリーの側では常時仕事モードオンになっていた。
昼食中で気が緩んでいたこともあって、焦ったレティシアはアシュリーの顔をまともに見れない。
「…殿下、私に何か急用でもございましたか…?」
「うん、君のドレスを選びに街へ行かなければならないんだ。一緒に行ってくれないと困る。午後からの仕事は、パトリックに任せておけばいい」
「はい?……今、ドレスと仰いました?」
話の意味がよく分からず、青い瞳を瞬かせたレティシアはキョトンとする。
「詳しくは後で話そう。悪いが先を急ぐ…すまない、彼女はここで失礼させて貰うよ。ルークはレティシアの荷物を頼む。…行こう」
「は…はい」
アシュリーはレティシアに手を差し出し、歩み寄った小さな身体を大事に囲うと素早く連れ去った。
♢
中庭に残されたのは、女子たちとルーク。
アシュリーとの出会いに夢心地な表情の女子四人を放置して、ルークは手早くレティシアの荷物を回収するとその場を離れる。
「ねぇ…絵姿より実物が綺麗だなんてことがあり得る?」
「大体は…絵師が手を加えるって聞くのに」
「大公様って、優しい物言いをされるお方なのね」
「うちの管理官のほうがよっぽど偉そう。大公殿下は紳士なのよ、生まれながらにして王子様…後ろ姿まで素敵だった」
「秘書官って、エスコートされるものなの?」
「…さぁ?レティシア様は一人で走って行きそうなお方…逆にそれが心配だとか?…それより、見た?あの身体つき!」
「見たわよ!」
「…女性の目を引くお方よねぇ…」
短時間で印象付けられたアシュリーの逞しい体躯のどこを思い出しているのか、ホウッと三人が頬を染めてため息をついていると、黙り込んでいたヘイリーが口を開く。
「…大公様…レティシア様のお隣にあのお方なら文句ないわ…私、許そうと思う!」
「「「…ヘイリー…」」」
レティシアのことが大好きなヘイリーは、視点が微妙におかしかった。
──────────
──────────
…ガタゴト…ガタゴト…
(初めて馬車に乗った時みたいに…ドキドキしているわ)
馬車に揺られて街へ向かう道中、レティシアには二人きりの空間が酸素不足のように感じられる。息遣いや心臓の音が伝わってしまう気がして、気を紛らわせるために窓へ近付いて外の景色を眺めた。さり気なく横を向いているものの…アシュリーの熱い眼差しを避けきれてはいない。
いつも、こんな風に見つめられていたのだろうか?心の在り方が変わると、今まで何とも思っていなかった彼の行動一つ一つが気に掛かる。
(今の空気を変えるには…やっぱり、会話よね?)
「…殿下、どうして私にドレスが必要なのかをお伺いしても?」
「…あっ…」
レティシアが問い掛けると、アシュリーが我に返ったようにハッとして身体を揺らす。その様子から、彼も緊張していたのだと気付く。
「そうだったな…実は、レティシア宛に母上から茶会の招待状が届いたんだ」
「私に?お茶会ですか?」
「大魔女殿と聖女様も招かれている。勿論私も一緒に行く。茶会は五日後…母上は大魔女殿が山奥へ戻ってしまわれる前にとお考えのようだ」
「…五日後、それって…」
「あぁ、私のために力を尽くしてくれた方々へ…父上と母上が感謝の気持ちを直接伝えたいらしい。君も参加してくれるだろう?」
社交を嫌うレティシアを案じて不安そうな顔を向けながら、気心の知れたスカイラとサオリが同席すれば参加は確実だと確信している顔付きに見えた。
(これは、TPOを弁えないと…ドレスはそのためね)
馬車に乗った時点で、茶会への参加もドレスの購入も『NO』とは言えない状況にある。尤も、謝意を伝えたいと望む前国王夫妻の気持ちを考えれば、アシュリーを救おうと力を出し合った二人と共に行くべきで…レティシアも元より断るつもりはなかった。
「はい、喜んで」
「よかった…レティシアのドレス選びは、私に任せてくれないか?」
「え?」
「…感謝祭ではドレスを贈れなかった…茶会まで日数がないから既製品にはなるが、是非プレゼントさせて欲しい」
「…殿下…」
(…何だか…申し訳ないわ…)
主従関係や対面を保つ理由ではなく『ドレスを贈りたい』という彼の純粋な想いを感じる。とはいえ、ドレスを着るのはおそらく茶会の一度きり…箪笥の肥やしになる未来が目に見えていた。
「この秘書官の制服も、殿下が私のために考えて作ってくださった素敵な贈り物ですよ」
「………うん…」
「その上、今度はドレスまで…ありがとうございます。ドレス選びは経験がないので、殿下を頼りにしております」
制服の胸元にそっと手を押し当てるレティシアを、アシュリーは眩しそうに目を細めて眺めた。
「慎ましくて…君のそういうところが、本当に可愛い」
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