前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注：期間限定)

ラスティア国２

129 平和？２

今日も、執務室にはアシュリーの爽やかな香りが満ちている。
彼が健康で大変喜ばしい。レティシアは満面の笑みで挨拶をした。


「殿下、おはようございます」

「おはよう、レティシア」


アシュリーも笑顔でレティシアに挨拶を返す。


「アンダーソン卿、おはようございます。仕分け書類をお預かりいたします」

「レティシア、おはよう。実は、今朝は量が多かったので…私が部屋までお運びしておきました。よろしくお願いします」



　　　　♢



パトリックと初対面で挨拶をした時、事務机の書類が山積みなのが非常に気になった。

彼なりに書類の在所ありかを把握していると思われる…が、雑然とした机は見た目的に問題あり。

執務室に運ばれる重要書類の多くは、文書内容の保持…改ざん疑惑を起こさないようにすため、処理を終えて確定魔法を施すまでは魔法で扱うことを禁止されている。
片付けができる高度な生活魔法を使えない、というのが難点。


報告書類や資料、複数部署からの提出物が整理されていない雑多な状態を見兼ねたレティシアは『書類整理をしたい』と申し出て、パトリックに大歓迎される。

元事務職としては、どうにも目について仕方がなかったのだ。
仕事の作業効率を上げるには、整理整頓と分業は基本。多忙なパトリックを手助けするのは最早使命だった。


今現在、パトリックの事務机上には必要な書類のみが置かれていてスッキリ。
その代わり、レティシアの発案により事務机の奥に新たに書類整理専用のラックを設置。ラベリングされたラック棚の扉は不透明で、機密情報を守りつつ書類の嵩は見て取れる優れもの。
部署分けと重要度や緊急性を考慮してレティシアが仕分けしているため、必要な文書や優先度の高い案件資料がどこにあるのかは一目瞭然。


誰が見ても区別できるように分類することで、雑務を手伝うユティス公爵はどの事務処理が滞っているのか？すぐに確認できる。緊急時の引き継ぎにも役立つ。
レティシアが不在でも、整理が楽になったパトリックは大喜び。

また、持ち込む報告書が書類の山に埋もれないと知った担当者が、提出物を丁寧により解りやすく仕上げるきっかけにもなった。

こうして、周りにいい影響を与えつつ…作業効率をグッと向上させることに成功。

アルティア王国から戻って以降は、各国から届く郵送物もレティシアが国別に仕分けして秘書官室まで運んでいる。
これは単なるついで・・・。レティシアにとっては、文字色を見てパパッと分けるだけの超簡単な作業でしかないのだから。



そう多くない数とはいえ、今までは単に一塊で置き去られていた郵送物が、国毎に綺麗に揃えられ書類棚に並び、個人宛のものは手元まで届くようになった秘書官室内は一時ザワつく。

細やかな気配りをみせる美貌の女性秘書官が存在するメリットを、密かに実感し始める秘書官室勤めの面々。
その多くは未だ“顔合わせ”のミスを深く引きずっており、レティシアには挨拶のみで声をかけられずにいる。


それもそのはず…聖女主催の感謝祭を大々的に取り上げた新聞に、神獣サハラや聖女サオリと共に、正装した美しいレティシアの写真がドーンと掲載されているのを見た後なのだ…恐れ多いと尻込みしてしまうのは当然だった。



　　　　♢



「承知しました。急ぎの書類からお持ちいたします。外出のご予定があるのでしたら、お時間をお聞きしても？」


パトリックが執務室にいる時間内に、レティシアはできる限り多くの仕分け書類を渡してしまいたい。


「今のところ、ありませんよ」


ゆっくりと首を左右に振るパトリックに向かって、思わず『へぇ』と声を漏らしそうになる。


「…珍しいですね。それでは、失礼いたします」


二人にきちっとお辞儀をしてから、レティシアは個人秘書官室へ通じる扉を開けた。




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「仕事中、長時間部屋に籠もっているのは変わりませんが、近ごろのレティシアは適正な勤務時間を守っているようですね。
こちらが激務で乱れまくっていたので…あまり姿を目にしなかったですけれど。
それにしても、どこか余所余所しくありませんか？」


アシュリーが座るすぐ側で、パトリックはやや小声で話す。


「パトリックは、レティシアに興味があるのか？」

「同僚として好意はありますが、これは当たり前目線の発言です。変に勘ぐるのはお止めください。…睨むのも止めて。
興味があるという話なら、宮殿で働く男性はほとんどがそうですよ。レティシアは今や大注目の女性ですから。
秘書官や文官たちは特に重症みたいですね。カインが言うには、廊下ですれ違っただけで『女神だ』と呟く輩が増殖中らしいです」

「レティシアは、私の『女神』だが？」

「………真顔で彼女を私物扱いとは…殿下が最も重症…」

「うるさい」


アシュリーは、パトリックのキラリと光る眼鏡を指で弾いた。

ここで『ブハッ』と…堪えきれずに吹き出して笑ったのは、執務室内で見張りに立つカイン(＝護衛失格)。
アシュリーとパトリックから冷たい視線を向けられ、石像と化す。


「レティシアが目立っているのは前からですが…どこか雰囲気が変わりました。前はもう少しフワフワと、少女らしかったというか」

「レティシアは今の身体との一体化が進んでいる。雰囲気が変わったのはそのせいだ」

「なるほど。でも、殿下もお変わりになりましたからね。
ところで、お忙しいのは私も存じておりますが…どうして彼女と必要以上に距離を取っていらっしゃるのですか？」　

「……っ……」


アシュリーの身体の変化について全てを知っているパトリックからの容赦ない問いかけに、一瞬言葉が詰まる。


「以前の殿下ならば、一緒に過ごす時間を意地でも作っていた気がいたしますが？」

「…彼女を守ると決めたはずの私が…襲ったのだぞ…」


自分がレティシアに何をしたのか？
曖昧な記憶しかないアシュリーは、ラスティア国へ戻った後、ゴードンやルークから事情聴取をし、さらに聖女宮のメイドたちにも話を聞いた結果…ことさら酷く落ち込んで、それが未だに尾を引いていた。


初恋が男の人生を左右する…確かそんな格言があったなと、パトリックは精神メンタルの弱った主人をどう励ますべきか？恋愛ほぼ未経験者なりに知恵を絞る。


「…二度と、レティシアを傷つけたくない…」

「今のお気持ちを伝えるのが、一番ではありませんか？」

「彼女は私からの謝罪を受け入れた後だ、話を蒸し返されたくないかもしれないだろう。
私だって、レティシアに触れて抱き締めたいが…あの甘美な香りを嗅ぐとそれ以上も考えてしまう。耐えることはできても、想いが滲み出そうになる。私は、まだまだ未熟なんだ」


パトリックが思うに、アシュリーはレティシアを微塵も怯えさせたくないのだ。暴れる熱い男心の扱いに手を焼いている状態では、彼女の前に出られない。


「恋とは、人をおかしくする魔法だな……はぁ…」


憂い顔で恋を詠うアシュリーの甘ったるいため息が、室内の空気をピンク色に染めた。


「要するに、殿下は恋愛の醍醐味を味わっている真っ最中なんですね」

「…味わうなど…そんな余裕はない…」

「運命のお相手がいるというだけでも、私からすれば大変に羨ましい話デスヨ。オメデトウゴザイマス」

「…驚くほど感情が伝わってこないな…」


再び『ブハッ』と吹き出すカインを見る者は、誰もいなかった。




「とにかく…“刻印”を完全に制御するためにも、魔力の捻れはしっかりと解いておきたい。
ということで、私は治療へ行って来る。昼には戻る」

「分かりました」

「聖女宮にはゴードンを同行する。カイン、お前は今日の給料なしだ。帰っていいぞ」

「はっ？何でっ?!ヒドい！」

「自分の胸に手を当てて考えろ」

「えーーっ!!」

「ご愁傷様です」

「パトリックゥ～～…お前の感情はどこだ？」



　　　　♢



「イグニス卿が騒いでいるのかしら？彼は賑やかねぇ」


お隣の執務室が騒々しい…と思うレティシアであった。










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