前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)

miy

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第10章

149 ジュリオン・トラス

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ラスティア国の大公執務室。

珍しく…昼食の時刻よりも早くに仕事が片付いたある日、確認のサインを待つ書類の束を手元に引き寄せたアシュリーは、ペンを持ってぼんやりとする。



    ♢



頭に思い浮かんでいたのは、茶会のあった夜に刻印を承諾した時の愛らしいレティシアの顔。

青く透き通る瞳は潤んで光沢つやがあり、薔薇のようにピンク色をした頬の上で美しく煌めいていた。
唇を少し窄め“運命”という言葉を口にして、照れた表情を隠せない彼女がどれ程に可愛かったことか。


『刻印を受けます』


そうしなければ前へは進めない…と、迷いのない明瞭な声を耳にした瞬間、胸の内に渦巻いていた小さな不安が消え去る。

レティシアを伴侶とし、生涯番う未来へ一歩近付く。
喜びがグッと迫り上がって、天にも昇る心地とはこういうものかと…満たされた幸せな感情に恍惚としながら、しばらく彼女を胸に抱いていた。


刻印の力が備わってからは、つがいであるレティシアへの想いと、未だ知らぬ快楽を求める欲が強くなるばかり。



    ♢



「…ふぅ…今が…私の頑張り時だ…」


実は、ヴィヴィアンとの婚約を待たず早々に刻印を与えていたという…アヴェルの衝撃的な暴露話がアシュリーの頭を過る。


「その書類なら、別に午後からでもいいと思いますよ…?」

「あ…あぁ、そうするか」


首を傾げたパトリックの声でアシュリーが我に返ると、室内の護衛を担当するカインがもう一人の騎士を先に休憩へと送り出し、廊下で立つ騎士たちにも交代をするよう命じているところだった。


「レイ、何か考え事か?…そういえば、最近は邸が騒がしいらしいな。父上が、大公妃を迎えるんじゃないかと言っていた」

「邸は、使用人を増やすために改装中だが…大公妃とは…伯爵も気が早いな」

「この前の夜会でレイに会って、そう思ったらしい。レイが恋してるってさ。父上はレティシアちゃんが気に入ったみたいで、賛成していたぞ」

「…………」

「毎日一緒に菓子食うのに、部屋に閉じ込めて独り占めするくらい大好きだろ」


アシュリーは、不覚にもカインの言葉に反応してしまう。

公認の恋人である事実は、レティシアの身体が落ち着いてからでも遅くはないため…まだ話していなかった。


「…今さら、頬を染める話でもないだろうに…。全く羨ましいな、黒コゲにさえならなきゃ俺だってアプローチできたのに…」

「ならなくても駄目だ。お前のような尻軽男、絶対に許さん」

「俺だけじゃない、チャンスさえあればお近付きになりたいって…その辺の男たちは皆そう思ってる。あんなグラマラスな美人は滅多に歩いてないからな」

「…何っ?!」

「おっと…そんな嫉妬深い顔もするようになって。はぁ~レイが女性に夢中になる日がやって来るとは…」

「…カイン、一言いいですか?私はレティシアがいくらグラマラスな美人であろうと、彼女に懸想したりはいたしません。
あなたや周りの男たちと一緒ではないので、殿下に誤解されるような発言はよしてください」


眼鏡をグイッと持ち上げたパトリックは、冷静に話に割り込む。
カインはしかめっ面をするが、常日頃からアシュリーに睨まれているパトリックにとっては、その線引きが非常に大事なのである。


「殿下、レティシアを大公妃になさるおつもりでしたら、早く婚約をして公言なさるべき…あぁ、刻印の前には清めの儀式がありましたよね、国王陛下にもご報告が必要かと。大公邸の準備だけしていてよろしいのですか?」

「パトリック…たとえ私がレティシアを妃にと望んでも、叶うかは分からない。異世界人である彼女の考え方が我々と同じでないことは、お前もよく知っているはずだ。しかし…そうだな、清めの儀式は時期を見て受けるとしよう」

「「えっっ!!」」

「何だ…二人して煽っておいて、どうしてそんなに驚く?」

「…で、殿下が…遂に刻印を…?!」

「ははぁ…つまり、好い仲ではあると?」

「…む…まぁ…そうだな。
レティシアとの関係は、父上と母上に認めていただいた。今は…刻印の件も含めて、極力そっとしておいて貰えると助かる」


アシュリーは恋愛初心者、初恋相手に大きな進展もなく足踏みしている状態ならば…多少の挑発は悪くない。
ところが、予想外にレティシアと親密になっていたと知って、パトリックは夢か?と頬をつねり、カインは引きつった笑みを浮かべていた。


「えぇぇ…あの豊満な肉体がレイのものに……痛っ!」

「…そのイヤらしい手つきをやめろと、前にも言ったが…」

「ゴミを投げるなよ。彼女の身体が魅力的だと褒めてるだけ…はっ…もしかして、もう見たり弄ったりしたのか?!……痛っ!!」

「知らん。スタイルがいいのは、レティシアが日々努力をしているからだ。女性らしい身体つきでも、鍛えて綺麗に引き締まってる」

「はぁ?!十分知ってるじゃないか!…くぅっ…何か悔しい…」


丸めた紙に魔力を込め、再びカインに投げつけようとするアシュリーを、パトリックが止めた。


「執務室の床が、ゴミ箱になりますよ」




──────────




「レイのやつ、昼も食べずに…カリムを連れてすっ飛んで行ったぞ」

「王宮からの呼び出しか…国王陛下だな」


カインは、仕事を終えて戻って来たゴードンと共に私兵待機室で昼食を食べていた。


「何か知ってるのか?」

「ルブラン王国から、使者として魔法使いが来ていた」

「…使者?ルブランとはそんなに交流がないよな。あ、レティシアちゃんの母国か。レイが呼ばれたってことは、それ絡み…」

「多分、ジュリオン・トラスの『レティシアに会いたい』という嘆願に、ルブランの国王が手を貸したんだろう」

「トラス?縁を切った家族か。ゴードン…何でそんな顔…」


カインは、ゴードンの冷ややかな表情を目にして…疑問に思う。


「トラス家の嫡男、レティシアの兄で…妹の侯爵令嬢を溺愛していた男だ」

「なぁ、ゴードン」

「…ぅん?」

「貴族令嬢は、いずれ何処かへ嫁いで家を出る。それならばと…親は娘に価値のある結婚相手を探すんだ。貴族社会では、他家との繋がりを明確に示す姻戚関係は重要。言い方は悪いが…大切に育てられたその身は、家門の利益のための道具とされる。
兄ぐらい、妹にたっぷりの愛情を注いだっていいと思わないか?レティシアちゃんが妹なら、俺はそうする」

「…なるほど。…ところで…カインは、自分の姉の頬や髪に口付けて抱き締めたり、腰を撫でたりするか?」


カインは、口に含んだばかりの水を吹き出しそうになる。


「…っ…ね、姉さんの腰を?!…意味が分からん。抱きたい女になら、そりゃそうするが」

「…だろうな」

「その兄だった男が、レティシアちゃんにそんな振る舞いをしていたって話?」

「あぁ、この目で見た。妹を愛し、執拗に求めていたように思う」

「…オイオイ…だとしたら…妹を喪った悲しみを、レティシアちゃんを愛でることで補おうとしていたのか。
家族愛以上の想いがあった?…いや、それは…かなり複雑な心境だろう。気の毒とさえ思えるな、そのジュリオンとやらは…」


カインの言葉にゴードンは目を伏せ、ピクリと眉を動かす。


「…気の毒か…。私は、あまりレティシアに執着されては面倒になる、殿下のためにも排除すべき危険な男だと思った。
念のため、関わらないようにトラス侯爵家に契約をさせ、接触を避けてルブラン王国を出たのに…」

「それでも追っかけて来るなら、別れの時間くらい与えておけばよかったのかもな」

「…………」

「ゴードン、レイに対してだけ…理解が深く忠実で有能なのは相変わらずか。
俺たちみたいな立場の人間は他人の感情に振り回されては問題だが、端から切り捨てるばかりがいいとも限らないぞ。まぁ…俺はそんなお前も嫌いじゃないけど」


ゴードンは、フンと小さく鼻を鳴らした。


「記憶のないレティシアには、どうにも応えてやれない話だ」

「まぁな、実の兄妹では禁忌タブーだから。…一体どんな男だ?」

「栗色の髪に翡翠色の瞳をした、優しげで物腰が柔らかい美形」

「レティシアちゃんの兄…当然美形か。俺より格好いい?」


窓ガラスに映る自分の姿を無意識に目で捉えるカインを、ゴードンは『ナルシストめ』と思いながら見る。


「格好いいと言ってもタイプが異なるな。殿下やカインのように力強い男らしさとは違って、細身で色白…見るからに貴族という感じがする。明るく人当たりもいいが、要は世渡り上手なんだろう」

「ルブラン王国からの正式な使者なら、トラス侯爵家が国王を動かしたってことだな。先ずはレティシアちゃんの意思、後は聖女様が何と言うか…さて、レイはどうするのかねぇ…」


食事を終えたカインは、ボトルの水をグッと呷った。










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読んで頂きまして、ありがとうございます。






    
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