星降る真夏の夜に、妖精の森で迷子になる。

折原ノエル

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魚の温室

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 その日は朝早くに目が覚めて、支度を整えて部屋を出た。もう既に働いている人に会って、朝食を早目にご用意しましょうかと恐縮する事を言われたが、まだ空腹ではないので腹ごなしに散歩をして来ると丁寧に断って外に出た。外と言っても敷地内だ。

 厩舎で馬でも見ようかなとも思ったが、多分絶対働いてる人が居て気を遣わせ通常業務を滞らせてしまう怖れがあるので、一度も行ったことのない温室に行く事にする。温室だったら仕事している人が居ても邪魔をする事はないと思ったのだ。厩舎の方は馬にお乗りになりますかと訊かれる可能性大だが、温室で俺のやる事は植物鑑賞しかまず無い。それなら働いてる人たちが居たとしても邪魔にはならないだろう。

 温室までも結構距離があって良い運動だ。
 タウンハウスでこの大きさ。もう飛行船の残骸はない。飛行船が不時着炎上しても困る事のない余裕の庭に、厩舎は自家専用のだけでなく来客用の物まであり、他にも家みたいのがあったのでお客様用のゲストハウスかなと思ったら使用人の住居だという。元の世界の俺の家の数倍の大きさの。かなり地位が上の妻帯して子供の居る者に限られるとの事だが。そうでない者は俺たちと同じ建物の下に部屋があるそうだ。クライヴさんは一番偉いが独身なのでこっちだ。本人が遠慮したのだという。クライヴさんらしい。俺らもそっちの従業員用の部屋でいいだろうという気がするんだが、何も出来ないので逆にお客として踏ん反り返っている。開き直った方が精神安定上良い。一部ではーー一部と思いたいーーお坊っちゃまの恋人とその友人という事になっている。聞いて聞かないふりをしてると、「いい加減覚悟を決めろ」とグエン、ライトに言われた。

「恋人だからっておんぶに抱っこはーーいや違う、恋人と認めてどうする」

 慣れない事に勝手に逆上せていると温室が見えて来た。
 冬の朝の光をキラキラと反射させている、そこにあるだけで美しい温室を大分手前から暫く堪能して中に入る。
 閉め切ったドアを開ける。個人の部屋でなければ、鍵が開いている部屋はどこでも入って良いと言われているが少し躊躇する。大きく横に開ける扉はそれ程力を入れてないのに難なく開いた。
 中からの暖かい空気と外の冷たい空気が入れ換わるのを真ん中で感じてから入り扉をきっちり閉める。

 楽園だ。
 ガラスの建物は太陽の光を遮る事なく取り込み、緑で覆い尽くされた内部は外同様キラキラと輝いている。
 緑と花の香りを大きく吸い込み体の中をいっぱいにすると、悪いものは全部外に出ていく気がした。
 歩を進めると生い茂った緑の露に服が濡れるが、それも浄化されている様で気持ちが好い。
 真ん中辺りまで来て驚いて足を止める。
 地面に蹲り作業してるのが前当主だと気付いたからではない。それにも驚いたがもっと驚いたのは……。

「おはよう、リョウ」
「ーーお爺ちゃん、おはよう」
 こちらの世界に来て一番驚いてるかも。

 空中に魚が浮いている。

 花や木々の間を色とりどりの魚がゆったりと、塊になっている小さな魚の群れは忙しく鋭角的な動きで泳いでいる。
 
 そのままーー驚いたまま、お爺ちゃんの傍に近付く。
「美しいだろう。昔私の妻が造ったんだ」

 お爺ちゃんを見ると、汗と泥に塗れていたが、とても嬉しそうだ。
「……そう。お婆ちゃんは芸術家だね」

 ヒヨリとライトにも見せたいと言ったら、朝食はここで摂ろうという事になった。ここまで運ぶのは大変だろうと思ったが、この幻想的に美しい温室で食事する誘惑に勝てなかった。

 最初から比較的俺たちに友好だったメアリという若いメイドさんが、
「ここに入ったの初めてです」
 と、耳打ちして来た。
「遠くて迷惑じゃなかった?」
「いいえ、毎日でも。毎食こちらでも構いませんわ」
 本当に嬉しそうに言ってくれたので誘惑に負けるのもいいもんだな。

 低血圧でいつも眠そうにしてるヒヨリもライトと一緒に目を見開いている。

「魔法って凄いね」
 ライトが言う。
「こっちの方が正しいんじゃないかと思うよね」
 俺にヒヨリも同意してくれる。
「美し過ぎてね」

 でさ。
「何で、リロイは俺の頭撫でてんの?」
 非常に恥ずかしい。逃れようとしてももっと恥ずかしい事になるので堪える。
「公爵家始まって以来の快挙だ」
 それは何となく分かるんだけれどもさ。こういう行動が、恋人だと言われてしまう要因だとーーぶちぶち言ってると、着替えてさっぱりしたお爺ちゃんがやって来て俺の隣に座る。大きな丸テーブルをぐるっと、ライト、ヒヨリ、グエン、キール、リロイ、俺、お爺ちゃん。繰り返しになるが俺はお爺ちゃんとリロイに挟まれている。この家の人間に挟まれているのだ。
 俺はまた席取りに負けたらしい。
「こういうのが……」
 溜息吐いてしまった。

 それでも、天国の様な空間での時間はうっとりとした感覚をもたらしてくれる。
「食事時に味わう感覚じゃないな」
 目の前を赤い尾っぽがひらひらの金魚が横切るのを眺めながら、トマトを頬張る。 勿論息はできる。でも魚の口から泡ぶくがぷくぷく上に漂っていく。魔法に俺たちの物理を当てはめるのも無粋だと思うが、それにしても。
 ライトが俺たちの言葉を代表して言ってくれた。
「不思議だね~」


 そしてそろそろ食事を終えようとした頃。
「何をしている!!」
 怒鳴り声が響いた。
「いきなり大きい声するとびっくりするよね~」
 ヒヨリはやっぱり低血圧でちゃんと目が覚めてなかったのだと思う。
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