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Ep.8 婚約破棄の影
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冬の気配が早く訪れた年だった。
王都の風は乾き、空気は薄く張りつめていた。
城の石壁に当たる風が、冷たい音を立てる。
クラリッサは執務室の窓辺で、積まれた書簡の束を整えていた。
「殿下は、今日もロシュフォール邸へ向かわれたそうです」
リアの声は、静かな報告の形をしていた。
クラリッサは頷きだけで答えた。
「お茶を淹れて」
「はい」
湯気が立ち上る。
香りは柔らかいが、冷えた心を温めるには足りなかった。
――“王太子殿下、婚約を見直すご意向”
その文言が、宮廷内で囁かれ始めていた。
出所は誰にも分からぬが、最初に口にしたのはロシュフォール家の執事だという。
噂は翼を持ち、瞬く間に形を変える。
◇◇◇
午後、王宮の庭園。
噴水の音が静かに響く。
ルーファスは、側近二人と歩いていた。
彼らの会話は軽く、しかしその中に毒があった。
「殿下、殿下のような方には、
もっと温かく接してくださる女性がよろしいのでは」
「エインズワース嬢は才気がおありですが……」
「冷たい、という評判もございます」
ルーファスは足を止めた。
「……そうか」
その背後で、マリアンヌが通りかかった。
白いマントの裾が、ふわりと揺れる。
「殿下」
「マリアンヌ嬢」
「お寒いのに、お出ましですのね」
「少し歩きたくて」
「どうか、お体を冷やされませんように」
その声はやわらかく、
まるで春先の陽だまりのようだった。
しかし、その瞳の奥には“確信”があった。
彼女はすでに、自分の立ち位置を理解していた。
ルーファスは短く頷き、そのまま歩き去った。
マリアンヌは残された空気に、ゆっくりと笑みを落とした。
その笑みは、美しく整いすぎていた。
――勝利を知る者の笑みだった。
◇◇◇
夜。
エインズワース邸。
クラリッサは父の書斎を訪れていた。
「父上」
「どうした」
「……噂を聞きました。
殿下が婚約をお考え直しになると」
エドガーは手を止めなかった。
「噂に反応するな」
「ですが、王家の動きが変われば――」
「変わるのは王家ではない。人の心だ」
「……」
「人の心は、噂より早く動く。だからこそ、お前は止まるな」
「止まらぬことと、黙すことは違う。
早晩、沈黙だけでは足りぬ場が来る。」
クラリッサは拳を握った。
「止まりません」
「よろしい」
「誇りを守るのではなく、誇りを示せ。
お前が何を信じて立っているか――それを言葉で置け。」
しかし、部屋を出ると、
彼女の歩みはほんの少しだけ乱れた。
決意が形をとる前の、一瞬の震えだった。
◇◇◇
その夜更け。
寝室の蝋燭の明かりの下で、
リアがためらいながら口を開いた。
「お嬢さま……」
「なに?」
「殿下のことを、諦めてしまうのですか?」
「諦める?」
クラリッサは首を振った。
「いいえ。諦めるのではなく、選ぶのです」
「選ぶ……?」
「わたしの誇りを、です」
リアは目を見開いた。
「誇りを守るために、殿下から離れるのですか」
「離れるのではありません。
“秩序を保つために、先に手を打つ”のです。」
リアの瞳に涙が浮かんだ。
「お嬢さま……」
クラリッサは静かに微笑んだ。
「泣かないで。涙は、私たちの選択を弱くする」
「でも――」
「大丈夫。悲しみは、私の中で静かに置いておきます」
窓の外、雪が降り始めていた。
白い欠片が静かに舞い、まるで、誰の言葉も届かない世界のように見えた。
クラリッサは窓辺に立ち、冷たい空気を吸い込んだ。
「風が、変わるわ」
リアが小さく頷いた。
「お嬢さま……どうか……」
「ええ。泣かないで」
蝋燭の火が揺れる。
彼女の影が壁に映り、その姿はひとりの少女ではなく、
静かな決意を宿した“淑女”の形になっていた。
沈黙を守るために沈黙していた。
けれど今は、沈黙を破って守る時。
その夜、彼女は日記を開き、
短く記した。
――誇りは、愛よりも深く静かに燃える。
――理の名のもとに、言葉を置く。
◇◇◇
翌朝。
エインズワース家の廊下に冬の光が差し込む。
父の執務室へ向かう足音は、もはや迷いを含んでいなかった。
これが、彼女の“逆婚約破棄”への最初の一歩となる。
王都の風は乾き、空気は薄く張りつめていた。
城の石壁に当たる風が、冷たい音を立てる。
クラリッサは執務室の窓辺で、積まれた書簡の束を整えていた。
「殿下は、今日もロシュフォール邸へ向かわれたそうです」
リアの声は、静かな報告の形をしていた。
クラリッサは頷きだけで答えた。
「お茶を淹れて」
「はい」
湯気が立ち上る。
香りは柔らかいが、冷えた心を温めるには足りなかった。
――“王太子殿下、婚約を見直すご意向”
その文言が、宮廷内で囁かれ始めていた。
出所は誰にも分からぬが、最初に口にしたのはロシュフォール家の執事だという。
噂は翼を持ち、瞬く間に形を変える。
◇◇◇
午後、王宮の庭園。
噴水の音が静かに響く。
ルーファスは、側近二人と歩いていた。
彼らの会話は軽く、しかしその中に毒があった。
「殿下、殿下のような方には、
もっと温かく接してくださる女性がよろしいのでは」
「エインズワース嬢は才気がおありですが……」
「冷たい、という評判もございます」
ルーファスは足を止めた。
「……そうか」
その背後で、マリアンヌが通りかかった。
白いマントの裾が、ふわりと揺れる。
「殿下」
「マリアンヌ嬢」
「お寒いのに、お出ましですのね」
「少し歩きたくて」
「どうか、お体を冷やされませんように」
その声はやわらかく、
まるで春先の陽だまりのようだった。
しかし、その瞳の奥には“確信”があった。
彼女はすでに、自分の立ち位置を理解していた。
ルーファスは短く頷き、そのまま歩き去った。
マリアンヌは残された空気に、ゆっくりと笑みを落とした。
その笑みは、美しく整いすぎていた。
――勝利を知る者の笑みだった。
◇◇◇
夜。
エインズワース邸。
クラリッサは父の書斎を訪れていた。
「父上」
「どうした」
「……噂を聞きました。
殿下が婚約をお考え直しになると」
エドガーは手を止めなかった。
「噂に反応するな」
「ですが、王家の動きが変われば――」
「変わるのは王家ではない。人の心だ」
「……」
「人の心は、噂より早く動く。だからこそ、お前は止まるな」
「止まらぬことと、黙すことは違う。
早晩、沈黙だけでは足りぬ場が来る。」
クラリッサは拳を握った。
「止まりません」
「よろしい」
「誇りを守るのではなく、誇りを示せ。
お前が何を信じて立っているか――それを言葉で置け。」
しかし、部屋を出ると、
彼女の歩みはほんの少しだけ乱れた。
決意が形をとる前の、一瞬の震えだった。
◇◇◇
その夜更け。
寝室の蝋燭の明かりの下で、
リアがためらいながら口を開いた。
「お嬢さま……」
「なに?」
「殿下のことを、諦めてしまうのですか?」
「諦める?」
クラリッサは首を振った。
「いいえ。諦めるのではなく、選ぶのです」
「選ぶ……?」
「わたしの誇りを、です」
リアは目を見開いた。
「誇りを守るために、殿下から離れるのですか」
「離れるのではありません。
“秩序を保つために、先に手を打つ”のです。」
リアの瞳に涙が浮かんだ。
「お嬢さま……」
クラリッサは静かに微笑んだ。
「泣かないで。涙は、私たちの選択を弱くする」
「でも――」
「大丈夫。悲しみは、私の中で静かに置いておきます」
窓の外、雪が降り始めていた。
白い欠片が静かに舞い、まるで、誰の言葉も届かない世界のように見えた。
クラリッサは窓辺に立ち、冷たい空気を吸い込んだ。
「風が、変わるわ」
リアが小さく頷いた。
「お嬢さま……どうか……」
「ええ。泣かないで」
蝋燭の火が揺れる。
彼女の影が壁に映り、その姿はひとりの少女ではなく、
静かな決意を宿した“淑女”の形になっていた。
沈黙を守るために沈黙していた。
けれど今は、沈黙を破って守る時。
その夜、彼女は日記を開き、
短く記した。
――誇りは、愛よりも深く静かに燃える。
――理の名のもとに、言葉を置く。
◇◇◇
翌朝。
エインズワース家の廊下に冬の光が差し込む。
父の執務室へ向かう足音は、もはや迷いを含んでいなかった。
これが、彼女の“逆婚約破棄”への最初の一歩となる。
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