婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。

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Ep.7 父と娘の対話

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冬が近づき、空気に冷たさが混じりはじめた。
王都の通りでは商人たちがマントを羽織り、馬車の蹄が硬く響いていた。

クラリッサの屋敷も、暖炉の火が絶えず燃えている。
彼女は執務室で書類を整理していた。
王妃の書庫での文書整理を終え、
「継承規定」の写本を一冊、父に渡すためだ。

その記述の一節には、こうあった。

“徳により選ばれし者、血に勝る”

短い一文。
けれど、時代を動かす力を持つ言葉だった。


◇◇◇


夜、エドガーが書斎に現れた。
机の上には数冊の文献と地図が広げられている。

「写しは終わったか」
「はい。こちらに」

クラリッサは綴じた書類を差し出した。
父は受け取り、丁寧に目を通した。

「この一節を、どう思う」
「正しさと危うさが、同じ場所にあります」
「説明を」
「“徳による継承”は理想です。
 けれど、誰が“徳”を測るのでしょう」
「……なるほど」

エドガーは口角をわずかに上げた。
「お前は、徳より秩序を信じるか」

「秩序の中に徳があれば、理想に近づきます」

父はうなずき、紅茶を口にした。
「その考えを忘れるな。」

火の音がパチ、と小さく弾けた。
クラリッサは静かに問う。

「父上。あのロシュフォール家は、なぜあれほど自信を持てるのですか」
「彼らは背後に“軍”を持っている。だが、それ以上に“言葉”を持っている」
「言葉、ですか」
「人の耳に残る言葉を。
 それは力になる。
 お前のように正確で静かな言葉ではなく、
 響きだけで人を動かす言葉だ」

クラリッサは目を伏せた。

「……私は、そのように話せません」
「話せるようになれとは言わない。
 だが、使う時を知れ」

エドガーの声が低く響く。
「沈黙にも力はある。だが、それだけでは負けることもある」
「沈黙は盾だが、剣ではない。
 今のお前に必要なのは、一太刀分の“言葉”だ。」

「“言葉を一つ増やす”」
クラリッサは小さく呟いた。

父が目を上げた。
「覚えていたか」

「はい。あの夜、そう決めました」

「なら、今がその時かもしれぬ」
エドガーは立ち上がり、暖炉のそばへ歩いた。
炎の光が、髪に赤を映す。

「殿下の周りには、いま“言葉を使える者”が集まりつつある。
 お前が沈黙を選ぶ間に、誰かが形を作る。」
「殿下は、まだ若い。理を知りながら、情に動く。
 いざというときは、沈黙を破らねばならぬ」

クラリッサはまっすぐ父を見た。

「沈黙だけでは……正しいだけでは、足りないということでしょうか。」
「情を理解することだ」
「情は、理を乱します」
「乱されぬ者には、理も動かせぬ」

「そして――“理を守る言葉”を選べ。
 それが、公爵家の娘としての政治だ。」

言葉の応酬のあと、沈黙が落ちた。
沈黙は長く、けれど苦くなかった。
やがてエドガーが言った。

「クラリッサ。
 お前は自分を冷たいと思うか」
「いいえ。ただ……静かすぎると思います」
「それでいい。
 冷たさは拒絶だが、静けさは準備だ」

クラリッサはその言葉を心に留めた。
準備――それは父がいつも言っていた言葉だ。
無駄な準備はない、と。

――沈黙で守り、言葉で立つ。
私はまた、日記にその一行を書き足した。


◇◇◇


翌日、王立学院の図書室で。
クラリッサは王国史の講義資料を整えていた。

そこへルーファスが入ってきた。
周囲の生徒たちは一斉に姿勢を正す。

彼は軽く手を上げ、「続けて」と言った。
クラリッサの机の前で立ち止まる。

「昨日の会議、ありがとう」
「お礼には及びません」
「父上が、君の働きを褒めていた」
「光栄です」

ルーファスは言葉を探し、
机の上の本を一冊取り上げた。

「“徳による継承”。読んだことは?」
「昨日、写しました」
「そうか。僕は、あれを信じたい」
「殿下が信じるなら、それが形になります」
「でも、公爵は“危うい”と言った」
「父は、理を守る方です。
 殿下は、理に心を与える方です」

ルーファスは息をのんだ。
彼女の言葉は淡々としているのに、
まるで胸の奥を照らすようだった。

「……君は、変わったね」
「そうでしょうか」
「昔はもう少し、子どもだった」
「殿下も」

その一言に、ルーファスの目がわずかに揺れた。
“子どもだった”という過去形の響きが、彼の中で静かに反響する。
彼は、もう別の未来を見ている――その予感を、クラリッサは感じ取った。

二人の視線が交わり、短い沈黙が落ちた。

「やっぱり君は強い」
「強く見えるだけです」
「そんなことはない。それでは、また。」

クラリッサは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」

彼が去ったあと、彼女はしばらく本を開けたままにした。
ページの文字が揺れて見えた。
光のせいだと、思うことにした。


◇◇◇


夜、エインズワース家の食堂。
食事のあと、父が言った。

「殿下は“徳による継承”を口にしたそうだな」
「はい」
「ならば、よい」

クラリッサはカップを手に、深く息を吸った。
静かさの中に、少しだけ暖かさが戻っていた。


◇◇◇


その夜、幼いころの日記を読み返し、今日の出来事を綴った。
筆跡が少しだけ揺れた。

外では、風が冬の匂いを運んでいた。
孤立の中で、クラリッサは初めて、
“孤独を武器に変える”ことを覚えはじめていた。
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