婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。

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Ep.15 書庫の誓い

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王立書庫は、夜になると別の顔を見せる。
昼の喧噪が消え、紙とインクの匂いだけが残る静寂の場所。
その中で、クラリッサは蝋燭を灯していた。

積み上げられた文書の山――
ロシュフォール家の密約、宰相府の記録、教会の報告。

それらを一つひとつ照らし合わせ、 真実を一本の糸に結び直していく作業。

「……この写本、日付がずれています」
「三日前に作成されたものです。
 宰相府の副官が“確認印”を押した時期と合いません」

セドリックが手に取った文書を差し出す。
クラリッサはそれを受け取り、ページの端を指でなぞった。

「ここです。“陛下の承認に基づき”という一文――筆跡が途中で変わっています」
「……なるほど。追記だ」

セドリックは小さく笑った。
「あなたの目は恐ろしいほど正確ですね」

「恐ろしいとは、褒め言葉ですか?」
「ええ。あなたのような人が敵に回ったら、私は一日も眠れません」

 クラリッサは口元をわずかに緩めた。
「では、味方でいるうちにできるだけ働きます」
「それは助かります」

二人は並んで机に向かい、黙々と書類を整理した。
ページをめくる音、ペン先が走る音。
その小さな音が、夜の静けさを保っていた。


◇◇◇


やがて、外の鐘が一度だけ鳴った。
夜半の合図。
セドリックが肩を伸ばし、息をついた。

「……少し休みましょう」
「はい」

クラリッサは机の上の資料を整え、ランプの灯りを少し弱めた。
二人の間に、柔らかな影ができる。

その影の中で、セドリックが静かに口を開いた。
「あなたは、どうしてここまで……?」

クラリッサは問いの意味を測りかねたように目を細めた。
「“ここまで”とは?」

「身を危険にさらしてまで動く理由です。
 婚約破棄のあと、あなたは表舞台から消えてもよかった。」

クラリッサはしばらく考え、やがて小さく答えた。
「わたしは、"沈黙の中に留まる"ことが嫌なんです」

セドリックが目を上げた。
「……"沈黙の中に留まる"?」

「はい。婚約破棄の夜、沈黙するだけでは尊厳を守れませんでした。
 悩んだ末、わたしは"言葉を一つ増やしました"。
 もう、沈黙の中には留まりたくありません。」
「そうだったのですね」

「今思うと、マリアンヌ嬢も悩まれていたんだと思います。」
「マリアンヌ嬢が……悩まれていた、ですか?」

「マリアンヌ嬢は人の耳に残る言葉を、響きだけで人を動かす言葉を持っています。
 その言葉で理想を唱え、"均衡"の名のもとに抑えつけられました。
 それでもその言葉が、ルーファス殿下には届いたのだと思います。」
「なるほど。そうして、殿下はマリアンヌ嬢に共感し、印を押されたと」

セドリックは静かに息を吐いた。
 「あなたは怒らないのですね」
 「怒るほど、殿下を知らないつもりはありません。
  あの方は、理想を信じられる人です。
  ――ただ、信じる方向を誤っただけ」

セドリックはしばらく黙って彼女を見ていた。
 そして、ぽつりと呟いた。

 「あなたは、やはり火の人だ」
 「火の人?」
 「静かに燃えて、周りを照らす。けれど自分も焦がしてしまう」

 クラリッサは微かにうつむき、
 「……優しくない比喩ですね」と言った。

 「優しくしすぎると、真実が見えなくなります」
 「本当に、あなたは宰相の息子らしいわ」

二人は同時に笑った。
 その笑いは短く、けれどどこか温かかった。


◇◇◇


しばらくして、セドリックが机の端の古文書を手に取った。

 「見てください。“第一章・王家の義務”――
  この章文の原典は、二百年前の写本です」
 「……古いですね」
 「ええ。この国の“継承の理念”を定めた部分。
  “徳と誠実をもって王を継ぐ”とあります」

クラリッサはページを見つめながら、小さく呟いた。
「“血ではなく、徳による継承”……皮肉ですね。
 殿下はその理念を実現しようとして、秩序を壊しています」

セドリックは筆を置いた。
 「理念は、試されてこそ価値を持ちます。
  そして、守る人間が現れるたびに強くなる」

クラリッサは視線を下げ、自分の指先を見つめた。
 小さな傷が一本、紙で切った痕があった。

 「……誰かを守ることに、慣れる日は来るのでしょうか」
 「守るのではなく、“信じる”ことに慣れればいい」
 「信じる、ですか」
 「あなたが今、わたしを信じてここにいるように」

クラリッサは顔を上げた。
 セドリックの瞳が、蝋燭の光を映していた。
 静かで、まっすぐな光だった。

「……信じています」
「それで十分です」

しばしの沈黙。
 外では夜風が木々を揺らし、遠くで犬の遠吠えが響いた。

セドリックが手元の筆を取り、紙の隅に一行を書きつけた。
クラリッサはその筆先を見つめる。

“誠実の均衡、守る者ここにあり。”

「これは、報告書には書けませんが……記憶には残しておきたい言葉です」
「ええ。わたしも忘れません」

クラリッサは小さく笑い、自分のノートにも同じ言葉を記した。
 二つの筆跡が並び、それはまるで、ひとつの誓いのように見えた。


◇◇◇


夜明け前。

書庫を出ると、空がわずかに明るみ始めていた。
東の空に一筋の光。
クラリッサはマントの襟を正し、セドリックに向かって言った。

「もうすぐ、夜が明けますね」
「ええ。闇が長いほど、光は強く感じられる」
「その言葉、詩のようです」
「詩は現実のためにある。あなたがそれを証明してくれた」

クラリッサは少しだけ微笑んだ。

「ならば、この夜の仕事は無駄ではなかったのですね」
「無駄どころか――これから始まるすべての“序章”です」

書庫の扉が静かに閉じる音。
新しい朝の光が、廊下に差し込んだ。
クラリッサはその光を見つめながら、心の中でそっと呟いた。

――誠実を守る者として、立ち続けよう。

その言葉は誰にも聞かれなかったが、
彼女の中で確かに響いていた。
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